今、ドキュメンタリー映画がおもしろい 4

人生フルーツ 

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 実は、この映画4月の20日に観た映画だ。

 それもこの日で終わるという金曜日の最終の時間帯。

 シルバー世代が来ているものだと思っていた私は、

意外と若い世代の方がたくさん来ているので驚いたことを今でも思い出す。

 

 私がいつも行く名画座では3週間の上映で終了したのだが

東京の東中野のポレポレでは、なあんと未だに上映し続けられている。

 ドキュメンタリーでこれほどのロングラン映画は珍しいのではないだろうか。

 この映画、来る9月の1日でとうとう終了するとのことで紹介する気になった。

 

 90才の建築家、津端修一さんと

87才の英子さんご夫妻の人生を綴った映画だ。

 時に台湾への旅のシーンなども出てくるが

映し出されている映像のほとんどが淡々とした日々の生活である。

 

 住宅公団の建築家として愛知県の大規模な団地建設にかかわった津端修一さんは、

人間が快適に住めるような団地づくりを思い描いていたのだが、

効率を追求する公団では理想の住宅づくりはできなかった。

 その後公団の建築の仕事から距離をおき

自らが開発した住宅地の一角を取得して、自分たちにとって快適な家を作り

そこで2人の子どもを育てた。

 

 庭の畑では、70種類の野菜をつくり、梅、桃、桜、柿、栗・・・

季節ごとに実がなる木も50種類植えられた。

 雑木林のような庭には、季節の花が咲き、小鳥や虫たちが訪れる。

 

 英子さんは、できた野菜や果物を使って手作りの料理を創り上げ、

 時には、着るものを作り、畑仕事もこなす。 

 テーブルに並ぶ料理やお菓子を見ていると

どんなに心豊かな生活なのかが見て取れる。

 

 子どもたちには、お金を残すのではなく、この畑の土を残したいと

おっしゃっていた言葉が心に残る。

 

 このご夫婦は、こんなに長く連れ添っているのに

名前にちゃんと「さん」をつけて呼び合っている。

 それに修一さんは、英子さんのことを

「ぼくの一番のガールフレンドだ。」

と人に紹介していたところがユニークで素敵だと思った。

 

 風が吹けば 枯葉が落ちる。

 枯葉が落ちれば、土が肥える。

 土が肥えれば 果実が実る。

 こつこつ、ゆっくり。

 人生 フルーツ。

 

 樹木希林さんが担当しているこのナレーションが

見終わった後もずっと耳の奥でなり続ける映画である。

 

 東京では、東中野のポレポレで9月1日まで上映中。

 

 

今、ドキュメンタリー映画がおもしろい 3

コスタリカの奇跡ー積極的平和国家のつくり方」

 ようやく雨のトンネルをくぐり抜けたかと思ったら、すごい猛暑。

 風があればエアコンのお助けを必要としない私が、今回は虫刺されが引き金で

皮膚が化膿。仕方なく汗をかかないようにエアコンのお世話になっている。

 2の「ミリキタニの猫」と同じ日に観た映画なのに

ブログに書くのがずいぶんと遅くなってしまった。

 

 今回の映画は、「コスタリカの奇跡」。

 コスタリカという国は、中央アメリカの中の小さな国の一つ。

 西に太平洋、東にカリブ海に挟まれ、中央部に山岳地帯がある。

 

 私が、この国の名前を知ったのは、小学校の高学年で世界の国の首都を覚える時。

 小さな国が多いので、なかなか覚えられない地域だったが

今回の映画を観たことで、はっきりと覚えられた。

 首都は、サンホセ

 

 その時は、国の名前だけでどんな国かも知らなかったし、コスタリカ憲法

軍隊(常備軍)を持たないと規定されていることも知らずにいた。

 新たにそのことを知ったのは、ずいぶん後で、

それまでは日本だけが軍隊を持たない国だとずっと思い続けてきた。

 

 海外旅行へ出られるようになりコスタリカへ行こうと思ったのがきっかけだった。

 この国は、国の面積の4分の1が保護区となっていて、

 この映画のフライヤーの写真のように太平洋とカリブ海からの空気がぶつかるので

霧が発生し、いつも神秘的な姿を見せる素敵な山や森の自然が息づくところだ。

 色鮮やかな鳥や昆虫など生物多様性を楽しむエコツアーに訪れる観光客の数も多いと聞いている。

 残念ながら、予算の都合もあり未だに行けずじまいだが、

行ってみたい国の一つであることは今も変わらない。

 

 この映画でコスタリカも小国が国境を接しているせいか

意外と戦争が多かったことを知った。

 詳しくは、映画を観ればわかることだが、

1948年、ホセ・フィゲーレス・フェレールが内戦後非武装を制度化し、

1949年憲法常備軍を持たないことを宣言した。

 それ以後、国境を接しているニカラグアの侵攻など難問もあったに違いないが、

今日に至るまで政治的な話し合いで解決してきている。

 

 ホセ・フィゲーレス・フェレールという人は、先見の明があった。

 こんな小さな国が軍隊をもって戦争をしたところで、

大国の前ではひとたまりもない。

 軍隊を維持する予算を、未来の人間に投資することが何よりも重要だと

教育や医療にかかる費用を無償にした。

 コスタリカの国民幸福度は、世界1だという。

 

 私がこの映画を観て、すごいと思ったのは、

コスタリカの人たちが、「軍隊はいらない」「必要がない」と言い切るところだ。

 軍隊のない生活が、文化として定着している。

 同じ年月を過ごしてきて、日本との違いはどこなのか深く考えさせられた。

 

 数日前に防衛庁の来年度の予算は、4年連続で5兆円を越え過去最高と発表があった。

 このことの是非は後回しにしても、

この予算が社会福祉や教育費として使われるとしたら、

世の中がずっと変わったものになるだろうことは予想できる。

 

 しかも日本は、財政は国債頼み、将来の国民にまで

借金が重くのしかかっているのだ。

 世界が核兵器だけでなく、軍事費にお金を使わなくなったら、

どれだけ世界は変わるだろうかとつかの間、夢を見させてもらった映画である。

 

 シネマリンでは、明日25日まで。

 これから全国の単館系の映画館で上映が予定されています。

 

 

 

今、ドキュメンタリーがおもしろい2

ミリキタニの猫

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 12日から、始まった平和映画祭の1本がこの「ミリキタニの猫」。

 この映画は、2006年に作られた映画だが、観たことがなかった。

 今回の上映は、特別編ということで以前に上映された「ミリキタニの猫」と

昨年作られた「ミリキタニの記憶」を合わせたものだ。

 

 このフライヤーに描かれた猫は、見るからにかわいいといった感じはしない。

 視開いた目は、冷静でしっかりと何かを見つめている。

 それでも、猫は気になるし、

この絵を描いた画家であるジミー・ミリキタニも気になる。

 

 彼が、ニューヨークのツインタワーが見えるソーホーの近くで路上生活していた頃、

猫の絵を買おうとしたリンダという女性と知り合い、ミリキタニの希望もあり、

写真を撮っているうちにミリキタニにの映画を撮ることに決めたようだ。

 

 

 若い頃墨絵を描いていたこともあり、東洋の偉大なアートを紹介するんだと

息巻いてアメリカに渡ったのだが、路上ではあり合わせの紙に

ペンと色鉛筆のようなもので描いていた。

 

 題材は、いろいろだが、猫の絵を描くことが多かったようだ。

 原爆ドームや収容されていたツールレイク収容所を描くこともあった。

 何でその絵を描いているのか、そんなことはいちいち説明はしない。

  まさに自己表現の世界。

  無名ではあるが、自分を「グランドマスター(巨匠)だ」と紹介するのだから

 彼はりっぱなアーティストに違いない。

 

 ミリキタニ(三力谷)と聞いた時、珍しい名前だと思ったが、

広島県に存在する苗字で、本当に少ないそうだ。

 

 彼の背景:

 ジミー・ツトム・ミリキタニ(これが正式な名前?)は、

アメリカのサクラメントで生まれたが、

生まれて数か月で母親に連れられ、広島へ帰って日本の教育を受けた。

 18歳の時に父から兵学校へ行くように言われたが、

自分はあくまでもアーティストになるんだといって、再び叔父を頼って

「自由の国アメリカ」へ渡った。

 彼がアメリカへ渡ると間もなく第二次世界大戦が勃発し

彼は、敵性外国人として収容所に入れられ、

ずいぶん長く点々と収容所生活を余儀なくされ、

市民権をも剥奪されることになる。

 彼の言葉の端々から「自由の国アメリカ」の市民である自分が

こんな扱いを受けるのかという思いがあったことが察せられた。

 

 戦争は、彼の夢を砕き、苦労の多い生活を強いてきたが、

彼は、いつもどの場面でも絵を描き続け、彼のまわりの人間に

生きるということはこういうことなんだと行動で示しているような気がした。

 

 「ミリキタニの記憶」の方は、彼のことを知る三人と彼の親類などが

インタビュー形式で語ったり、手持ちの絵を紹介したりする

20分くらいの短編である。監督は、MASAさん。

 

 *この特別編の映画、横浜では伊勢佐木町のシネマリンで18日まで。

 *「ミリキタニの記憶」の監督をしたマサさんが上映後毎日トークで登場。

 *館内のロビーでジミーの絵のミニ展示も必見。

 *「丸木美術館」では、特別展としてジミー・ミリキタニの展示も行われている。 

八王子祭り2

 下地区と上地区は、時間で分けられていたため、

上地区の山車は、自分の地区で休憩しているものが多かった。

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 左は、小門町、右は、八幡上町。

 小門町は、甲州街道から400mくらい入った産千代神社の近くにある。

 スタンプをもらいに行くと、

「わざわざ来てくれたんだね。」

といって、テントの下へ案内してくれ、冷たい麦茶と飴玉をご馳走になった。

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 甲州街道まで戻ると、大勢の男性が集まっている。

 これから何が始まるのだろう。

 向こうに見える蔵造りの店は、「加島屋」という荒物屋だ。

 この日は閉めていたが、八王子の空襲にも耐えてきた建物で明治20年の創業の老舗。

 こういう店は、今はほとんど残っていない。

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 西の方から大勢の人たちが町の名を書いた提燈を持って歩いてくる。

 今日は、この道には一切車が通らないので、道いっぱいに広がってやってくる様は、

昔の刑事ドラマ「太陽にほえろ」を思い出してしまう。

 さっきまでは自由に車道に入れたのに、

歩道に縄が張られて出られないようになっている。

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 多賀神社という提灯が先陣で、後は各町の提燈だ。

 法被が色とりどり、女性が多いのも華やいだ感じがする。

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 提燈の後ろは、神主と裃をつけた町の代表なのか。

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 その後ろにお神輿が登場。

 やっと私にも飲み込めた。

 多賀神社の宮御輿の渡御らしい。

 上地区は、多賀神社、下地区は、八幡八雲神社に宮御輿がある。

 夜、各町からも18の御輿が出てきて、真ん中あたりでもみ合いがあるという。

 多賀神社の宮御輿は、明治時代に浅草で建造されたもので

昭和53年から千貫御輿として約1600人の担ぎ手による渡御が行われるので

八王子祭りのハイライトにもなっているようだ。

 先ほどからたくさんの担ぎ手がまわりを取り囲んでいたのは

この御輿のためだったことがわかった。

 残念ながら、この時点で掛け声は聞こえない。

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 甲州街道を西へ進むと追分の交差点にぶつかる。

 八木町のは、追分よりも手前、右の追分町は、追分の分岐から左に沿う。

 この後、日吉町の山車を見て西八王子の駅へと向かった。

 

 夜は、甲州街道にすべての山車と御輿がそろっての合同巡行というのがあり

祭りが最高に盛り上がるのだそうだ。

 

 八王子は、かつては絹織物で栄え桑の都と言われ、甲州街道の宿場町としても

にぎわった歴史がある。

 そんな街の賑わいが沸き上がってくるのがこの祭りなのだろう。

 この山車とお神輿の数の多さ、各町が自分の町を盛り上げようとする気概を

たった半日見ただけだが感じることができた。

 

 来年は、前日の太鼓合戦、そしてできれば夜の山車や神輿が勢ぞろいしたところも

見てみたいと思っている。

 

八王子祭り

  

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 8月6日に友人の墓参りのため高尾へ出かけた。

 彼女は、自分と夫のお母さんの介護をしながら定年まで勤めあげ、

ようやく自分の時間を楽しみのために使えるようになってよかったなと思ったとたん

この世から消えてしまった。

 4年前のことだ。

 彼女は、ライフワークとして地域の太鼓の練習を続けてきていた。

 4年前の夏、8月の1週目に行われる八王子祭りで

念願の太鼓の晴れ舞台を飾れると喜んでいたと後日聞いた。

 

 晴れ舞台といっても、路上でしかも暑い盛りの午後の時間だったので

かなり体に応えたようで具合が悪くなり、救急車で病院へ搬送されたが

残念なことにあっけなく亡くなってしまった。

 

 今年は、墓参りはいつものお盆ではなく、命日でもある八王子祭りの時に行ったのは

彼女の祭りにかけた気持ちの一端を知ることができたらと思ったからだ。

 八王子に25年もいたのに、その八王子祭りには一度も行ったことがなかった。

 私が住んでいた地域は、新しく開発された丘陵地で買い物でもなければ

めったに甲州街道に沿った地域へは行くことがなかったのだ。

 彼女は、実家も嫁いだ先も甲州街道に近いところで、おそらく地域に根差した

太鼓が身近なものだったのだと思う。

 

 写真は、JRの高尾駅前。

 駅を出たところにある昼食をとった「ichigenndo 」の中から、駅前を撮ったもの。

 風船カズラが風にふうわりふうわり揺れていた。

 

 まず、電車で八王子駅まで行き、案内図をもらって歩くことにした。

 ちょうど、各町内会を回れるようにスタンプラリー形式に設えてあったので

その地図を見ながら歩くことにした。

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 西放射線ユーロードに入るとまずお囃子のにぎやかな音が聞こえてきた。

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 次の舞台には、キツネに扮したかわいい子どもの踊り。

 きりっとした仕草に拍手を送りたくなる。

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 三崎町の山車が、甲州街道へ出る前の点検だろうか。

 山車には、いろんな形式がある。

 これは、堂宮形式と言われるもの。

 彫刻がすばらしい。

 お囃子に合わせて舞う獅子が二頭。

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 路地路地から次々に山車が出てくる。

 これは、横山三丁目の山車。

 三層鉾台形式と言われる形で、上に乗っている山車人形は、「織田信長 羅陵王」。

 これも彫刻が素晴らしい。

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 中町の山車。

 甲州街道まで引っ張ってきてから、セッテイングが始まった。

 これは、二層鉾台形式と言われるもので、

 上にのるのは、白亜の「諫鼓鳥」だそうだが、意味がよく分からない。

 

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 元横山町の山車。

 堂宮形式で山車一面を彫刻で覆い尽くされているような見事な山車。

 

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 南町の一本柱人形山車。

 人形は、応神天皇を抱く「武内宿禰」と宝珠を差し出す龍神。

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 八日町1・2丁目の山車と人形。

 二層鉾台形式で人形は、「雄略天皇」。

 

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 本町の山車。

 三層鉾台形式で上に乗る人形は「浦島太郎」

 踊りのひょっとこは、指先まで神経が行き届いた見事なものだ。

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 上八日町の山車と人形。

 二層鉾台形式で、人形は、「スサノウノミコト」。

 

 十六号線を挟んで上地区と下地区と分かれており、ここまでが下地区。

 下地区には全部で10の山車があるが、すべてを回り切れなかった。

 いずれも彫刻がしっかりと施され、高いところに人形が立っているものもあり、

思っていた以上にりっぱな山車でびっくりした。

 

 次回は、上地区。

 

 

今、ドキュメンタリー映画がおもしろい

 私は、テレビを見ないせいか、時々映像を観たくなる。

 最寄りの駅から3駅電車に乗ると、「ジャック&ベティ」という名画座があるので

桜木町の封切館へは出かけず、もっぱら名画座へ通う。

 といっても、ハリウッド映画のような宣伝費をかけない地味な映画は

この名画座やもう一つ伊勢佐木町にある「シネマリン」でやることが多い。

 月に2回から4回くらい観ているので、この半年で15回くらいになる。

 そのうちの3分の2は、ドキュメンタリーものだ。

 毎回記録したいとは思うのだが、映画は、ネタバレとか言われそうで

ついしり込みする。

 それと年寄りなものでパソコンに向かう時間が長いと

体調が悪くなるのも原因だ。

 久しぶりに今日は、この映画について一言。

 

 「世界でいちばん美しい村」。

 このフライヤーの写真にまず惹かれたのだ。

 無数の星がこんなにきらめき、雪山が連なるヒマラヤの山々

その懐に抱かれたこの静謐な村の写真は、観るものを否応なくこの場所へと誘う。

 

 この映画は、報道写真家「石川 梵」が撮った初監督作品だ。

 2015年に起きたネパールの大きな地震震源地となった村へ

彼は、いち早く報道写真を撮るために入った。

 カトマンズの被災のようすはかなり報道されていたが、

震源地にはまだだれも入っていない時だった。

 地震の2日後には日本を立ち、3日後には、カトマンズへ入った。

 カトマンズから北西へ77キロ。

 ジープで10時間、さらに麓から崩れた山道を10時間登って

ようやく到達できる標高2200mのラプラック村だ。

 

 村があったところは、地震で簡素な家々はほぼ壊滅状態。

 地盤が緩んでいて村にとどまるのは危険だということで

4000人の村人の大半は、そこからさらに1時間半登った標高2700mの高地で

キャンプ生活に入っている。

 

 当初ジャーナリストとして、報道することが目的だった石川さんが

このキャンプ地で14才のアシュバドルという名前の少年と出会い、

通訳はいるものの言葉が直接通じないこの少年と心を通わせることになる。

 当初5日分の食料とテントしか持って入っていなかったので

この村のようすを世界の人に知らせること、そしてまた再び会いに来ることを

この少年と約束して下山することになる。

 なぜ報道写真を撮る予定で入った石川さんが、

わずか数日の滞在期間で少年とそんな約束を交わし、

そしてこの映画を撮ることになったかは、映画を観てもらえばよくわかることだ。

 

 第1章は、この少年との出会いと少年の家族を通した村の暮らし。

 第2章は、この医者のいない村の唯一の看護師ヤムクマリのこと。

 第3章は、この村の宗教は、「ボン教」。

   村の1年の生活を通して村人のボン教を軸にした祈りを映し出す。

 

 彼の映像は、写真家であるせいか、動画なのにひとコマひとコマが

写真の連続のように丁寧に撮られているような気がした。

 

 この映画は、人としての在り方、関わり方の根っこを思い出させてくれる。

 私たちから見れば、村人たちは、不自由な悲惨な生活を送っているのだが、

愚痴をいうでもなく、自然と寄り添い助け合いながら過ごす村人を見ていると

この映画のタイトルがつけられた意味が分かるような気がした。

 

 最後に音楽にも触れておきたい。

 この壮大なヒマラヤの山々の空写映像の音楽は、

当初オーケストラでと考えていたということだったが

 ネパール人の「バンスリ」奏者ビノード・カトゥワル氏(スペインで活動)

が、ボランティアで作曲したそうだ。

 ヒマラヤの空気をつかみ取るような深い音色の演奏だった。

 もう一つ、エンドロールで演奏されるのは、東北のデュオ「はなおと」が

「んだなはん」を英訳した歌詞で歌っている。

 東北とネパールが結びつくことを願って歌ったそうだ。

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 この映画を観終わった後、石川監督と

脚本家でもあり女優でもあるという「近衛はな」さんのトークがあった。

 SNSなどを使って宣伝してもらいたいとおっしゃっていたので、

遠慮なく写真を撮らせてもらった。

 監督は、今週は毎日のように映画館へ通って思いを伝えている。

 

 ふだんは買っていないプログラムもネパール支援のカンパの一助になるというので

今回は、買い求めサインもいただいた。

 

 石川さんのことは、今まで何も知らなかったが、 

東日本大震災の折にも翌日飛行機をチャーターし、

1番乗りで空写に挑んだ筋金入りのジャーナリストだと

プログラムの解説で知った。

 

 8月4日までジャック&べティで上映。

 その後は、東京都写真美術館で8月11日から上映があるようだ。

 

朝ごはん

 今朝の朝ごはんである。

 ラタトゥイユ「ズッキーニのピザ風油揚げ」。

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 ラタトゥイユの方は、近頃知人から夏野菜をたくさんいただくので、

無駄にしないように数日おきに作っている。

 生で食べるのでは、そんなにたくさん野菜を食べられないが

煮ることで、暈も減り、一度にたくさんの野菜を摂ることができる。

 中に入っているのは、なす、ズッキーニ、玉ねぎ、トマト、カボチャ、ピーマン。

 ニンニクは多め、味付けは、今回は白だしとコショウと月桂樹の葉のみ。

 10分も煮ると野菜から汁が出てくる。

 野菜が煮えていれば出来上がり。

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 もう一つの「ズッキーニのピザ風油揚げ」

 生協から注文していた有機栽培のズッキーニが二色でちょうど着いたので、

先日ホマレ姉さんがアップしていた「ズッキーニのピザ風油揚げ」

というのを作ってみた。

 ピザの生地の代わりに油揚げを使い、それにみりんと味噌を混ぜたものをぬって

シュレッドチーズ、ズッキーニをのせて焼いたものだ。

 

 ホマレ姉さんが言っていた通り、

油揚げには、トマトソースをぬるよりも味噌が合う。

 チーズとの相性もばっちりである。

 糖質制限をしているわけではないが、これだけでも結構満足感がある。

 

 大食いの私は、油揚げ2枚分食べたので、

結局カロリーは摂りすぎかもしれないというおまけも付いた。

 下記にホマレ姉さんのレシピをのせておきました。

 

 

 

www.homarecipe.com