南三陸町への旅1(ラムサール条約登録湿地・志津川湾ーコクガンを訪ねて)

 お正月にインターネットで「宮城県伊豆沼・内沼サンクチュアリセンター」のお知らせを見ていたら、「コクガンの観察と講演会」という企画がのっていたので慌ててチェックしたのがこの旅行のはじまりです。

 

 コクガンというのは、同じような仲間を入れると結構な数いるらしいのですが、アジア太平洋地域を越冬地にしているのは、世界的に見ても8000羽くらいで絶滅危惧種と言われている鳥です。そのコクガンが南三陸町志津川湾に毎年200羽から300羽くらい越冬地としてやってきているというのです。越冬地の南限です。

 

 昨年の10月、この志津川湾が新しくラムサール湿地として登録されました。宮城県では①伊豆沼・内沼、②蕪栗沼、③化女沼に加え、4番目となります。これを記念しての観察会と講演だということで、めったにない企画であるということと、今のうちに行かないと本当に体が効かなくなったら行けなくなるという焦りも手伝っていくことを決心したという次第です。


  南三陸へは、2012年夏に気仙沼まで行った時に通ったことがあります。気仙沼線は途中から線路が流されていたので代行バスを使ってしか行くことができませんでした。南三陸ばかりではありませんが、どこも土台のコンクリートだけが残る夏草の生える空き地が続き、建物の屋根の上に船が乗っかっている姿も見えました。内陸の登米町から南三陸へ入り前が開けたとたん青い海がきらきらと光り緑の島が見えた時は、津波で被災さえしていなければなんて美しいところなんだと思ったものです.。

f:id:yporcini:19800101000019j:plain

 2012年も同じルートで行きましたが、仙台までは新幹線、東北本線に乗り換え、小牛田(こごた)まで行き、この2両編成のワンマンカーに乗り換えです。以前も驚きましたが、電車でもワンマンカーです。運転手の横に整理券があるので、乗る時は1両目に乗ります。もちろんドアはボタンを押して自分で開け、寒いので長い停車時間になる時は、後ろから乗る人に気をつけてボタンを押して閉めます。無人駅の場合は運転手が切符を受け取ったり一人で何役もこなすので結構大変そうですが、お客さんが少ないので何とかなっているようです。

f:id:yporcini:19800101000007j:plain

 前谷地という駅で、気仙沼線石巻線が分かれます。気仙沼線といっても次の柳津という駅までしか駅がないのですが、一応乗り換えなんです。前谷地か次の柳津でこのBRT(JRの線路のあったところを舗装して作った鉄道バス専用道路です)に乗り換えます。今回は、次の柳津で乗り換えなければいけなかったのに、ワンマンカーの運転手さんが「ここから乗り換えた方が早いですよ。」と盛んに勧めるので乗り換えずに降りてしまいました。ところがこの駅の駅員さんに「この時間帯は、ここからはBRTが出ないから1時間半以上待つことになるよ。」と言われ、ショックでした。この日は雪がちらちら舞っていたので、とても寒かったのです。小さな電気ストーブが置いてある駅舎で待つこと1時間半、このバスに乗りました。

 

 この日は、26日の前泊だったのでお宿に直接チェックインするにはちょっと早いようなので、「さんさん商店街」のある志津川まで行ってみました。本当は、そこでイクラがどっさりのった「きらきら丼」をお昼に食べようと思っていたのに、残念ながら到着したのが3時を回っていたので、お店は休憩時間に入っていて叶いませんでした。仕方がないので、牡蠣コロッケとタコのから揚げをつまんでやり過ごしました。

f:id:yporcini:19800101000027j:plain

 ここにモアイ像が飾られています。チリ地震津波で壊滅的な被害があった志津川チリ共和国はその時から繋がりがあるのだそうです。今回の津波でも大きな被害を受けた志津川に思いを寄せ、イースター島から黒曜石とサンゴの目が入ったモアイ像が特別に贈られたそうです。そのうちの1体がこの商店街に立っています。「モアイ」というのは、イースター島の言葉で「未来に生きる」という意味があるそうです。

f:id:yporcini:19800101000103j:plain

 来月で被災してから8年になりますが、商店街のすぐ横は今も工事が続いています。志津川地区は湾の一番奥まったところで、被害も大きかったのだと想像できますが、全体を10mかさ上げする工事がまだ終わっていないので、街がどうなるのかも見えてきません。

f:id:yporcini:19800101000037j:plain

 この写真が被災した直後のものです。川の堤防がずっと低く、向こうに見える防災センターの建物の高さが違っているので、盛り土のようすがわかると思います。これが被災地の8年目の姿です。

f:id:yporcini:19800101000008j:plain

 これは、志津川のBRTの駅です。この辺りは普通のバスとあまり変わりがありません。一応、トイレと待合室兼乗車券売り場があって1人駅務の女性がいました。食べるところを教えてくれたりとても親切に応対してくれます。途中からかつては線路が敷いてあったと思しき狭い道(単線ですから)に入ります。10分くらいで宿の最寄りのBRTの駅に到着です。
 

 今回の観察会と講演会は、戸倉地区にある「海のビジターセンター」で行われることになっていましたので、ビジターセンターへ歩いても10分足らずという道のりにある民宿に泊まることにしました。BRTの駅から歩くと約一時間かかるというので、宿の方に迎えに来てもらうことにしました。住民バスというのがウイークデーには一日3本のみ通るらしいのですが、時間外は歩くかタクシーしか手段がないという不便なところです。

  突然ですが、この日の夕食です。

f:id:yporcini:19800101000050j:plain

 ご主人は漁師さんだそうで、民宿は奥様が1人でやっていらっしゃいます。海の幸がこれでもかというほど出るのでびっくりしました。

 味噌汁は、毛ガニとひっつみ、大きいお皿は、タラバガニとつぶ貝?と枝豆、手前のはメカジキのカマの煮つけ

f:id:yporcini:19800101000126j:plain

左から ホタテの焼き物、刺身の盛り合わせ、アワビの刺身

f:id:yporcini:19800101000135j:plain

 左手前からホタテとキュウリとワカメの酢の物、茎ワカメとニンジンの炒め物、メカブの耳(一瞬ピーマンかと思います)、おでん、レンコンとワカメと生ガキの酢の物、もやしとハムのあえ物

 とにかく全部は食べきれず、メカジキのカマ、おでんは一つも手を付けず、後はタラバガニ、アワビなどチョコチョコと残してしまいました。ふだん野菜が主な食べ物なのでちょっと胃腸がびっくりしていたようです。

 続きます。

寒さに負けない食

 ハイビスカスの花

f:id:yporcini:20190120124344j:plain

 この冬の入口は、何だか暖かくて紅葉した木々の葉もなかなか地上には落下せず、ベランダに出していたハイビスカスも枯れずに頑張っていました。

 12月の初めいよいよこれはと思った日に、カレーリーフと一緒にうちの中に入れてやりました。つぼみに赤みが差しむくむくと大きくなってきてこれは咲くかもしれないと思っていたのですが、3日前ポトッと落ちてしまいました。約6週間、ほとんど変わらない大きさのまま受粉せずに命を終えてしまったのです。それでもなんだかかわいそうでペットボトルのキャップに水を入れて活けていましたが、赤い花弁が黒ずみ始めました。

 冬の入口が温かかったことも手伝ってこの冬は、定番の電気コタツもうんと寒い時用のエアコンも使っていませんでした。やせ我慢です。昨年元朝日新聞社の記者だった「稲垣えみ子」さんの本を3冊ほど読んでとても共感する部分があったからです。彼女は2011年の原発事故以後自分の生活を見直して、電気製品を極限まで捨てたという話には学ぶべきものがあったのです。

 私は、自分にできることはと考えて、冷暖房を節約しようと思っていました。以前から夏、エアコンを使うのは、夕刻から夜寝るまでの数時間だけ、それも1週間くらい。冬はコタツのみ、エアコンはほとんど使ったことがなかったのですが、11日に体の調整をしてもらいに行った時、「首ががちがちですよ。」と言われて、年寄りなので血管がどうかなっても困るし、ハイビスカスの花が開かないのはあまりにも室温が低いからだろうと考えて、とうとう一週間前から朝と夜の数時間だけエアコンを使い始めました。

 昨日は、大寒。一番寒い時だと言われていますが、まだまだ底には達していない気がします。やせ我慢をしてわかることの一つは、座布団に座り上から毛布を足腰まわりに巻いているだけで、自分の体から出る熱が半端なく温かいということです。生きているということはそれだけで温かいのだと思いました。

 もう一つは、体の中から体を温めることが大事だということです。正月明けから都心へ出かけることが多く、昼間はほとんど家を空けていましたが、ようやく予定がなくなり、三食まじめに食事を作れるようになりました。こういう寒い時には、汁物が体を温めてくれるので、毎食何かしら作っています。

f:id:yporcini:20190121091657j:plain

 左は、焼き鮭と焼きレンコンのコンソメスープ

 右は、ニンジンのぬか漬け

 予め、フライパンに油を引いて塩鮭とレンコンを焼いておき、器に入れる。コンソメスープの素を湯で溶いておいて器の上から注ぐ。レモンを添えてしぼるととてもさわやか。

 ニンジンのぬか漬けは、半端な野菜がある時にぬか床に入れておいたものの一つ。ニンジンは、抗酸化作用があるので意識して取っている。

f:id:yporcini:20190121132821j:plain f:id:yporcini:20190121132832j:plain

 今日の昼。

 左、玉ねぎとサツマイモと三色豆のカレースープ

 右、赤玉ねぎのスライスゆずポン酢かけ

 玉ねぎはくし切り、サツマイモは1cmほどに切り、鍋に油を引いて炒め、和風だしを分量(2人分で750㏄ほど)入れ、芋が柔らかくなったら冷凍の豆をカップ1杯ほど入れる。最後にそばつゆとカレーフレークをスープの味をみながら入れて出来上がり。

 蕎麦屋うどん屋)のカレーうどんの香りがして食欲をそそるし、体もすごく温かくなる。

 玉ねぎのスライスは、一番先に切って空気に20分くらい触れさせておく。かつお節とゆずの皮をちらし、柚子の果汁と薄口出汁醤油で調味する。冬は、血圧が高くなっているので、できたら毎日でも玉ねぎは摂りたいと思っている。

f:id:yporcini:20190120101103j:plain

 これは、昨日の夜の献立。

 左は、春菊としらすのチヂミ。

 右は、スンドゥブチゲ

 春菊一把使って作る。小麦粉と出汁を溶いたものに塩少々、春菊、しらす(ちりめんの方がいいがしらすしかなかった)を入れる。春菊の茎は小口切り、葉は4cmくらいに切って入れる。フライパンにごま油を引いて、片面5分蓋をして焼く。ひっくり返して縁から胡麻油を足して5分焼いて出来上がり。たれは、醤油と酢を等分唐辛子を好みで入れる。

 春菊は、免疫力を高めr、風邪の予防にとても良いと聞く。インフルエンザの予防は、予防注射でなく、食べ物で。

 チゲの方は、キムチを胡麻油を引いた鍋で炒め、斜め切りの長ネギと半分に切ったシイタケを合わせ、出汁を入れる。煮立ったら豆腐と春菊を入れ、温まれば出来上がり。

 これも簡単で体が温まるし、週に1回は献立にする。

 

 たまに 魚が献立に載りますが、基本は、植物性の食品と決めているので毎日レシピとにらめっこ。ここのところようやく少し慣れてきたというところです。因みに退職してから熱を出すような風邪を引いたことはありません。ちょっと自慢です。

 皆様も寒を乗り切るためにも体にいい食事をして下さい。私の寒中見舞いです。

 

 

伊豆下田の旅 ー温泉 水仙 そして金目鯛ー

 年末に下田へ行ってきた。年の終わりに骨休めに温泉にでも浸かろうかというだけのことだった。と言っても泊まるところにあてがあったわけではないので、結局ネットで安いお宿を見つけた。決め手は、金目鯛の煮つけが夕飯に出るということだけ。

 崎陽軒のシュウマイ弁当を買って踊り子号に乗り込む。列車の右側はガラガラ、左側だけにお客が集まっている。それもそのはず伊豆へ向かう時、左側だけ海が見えるからだ。窓から伊豆の島々が見える。初島だ、大島だなんて言っているうちにあっけなく下田へ着いてしまった。 伊豆半島は温かく寒暖の差がないので紅葉狩りの話はあまり聞かないけれども、まだ赤や黄色に色づいた山々を見られるおまけ付きだった。f:id:yporcini:20181226135831j:plain

                        旧澤村邸(ギャラリー、休憩所)

 以前に一度下田へは来ているが、旅行社のお膳立てしかもグループ旅行だったのでほとんど記憶に残っていない。着いた日は、雨こそ降らなかったけれども曇り空。駅から地図を見ながら古いナマコ塀のある町屋の残る通りを歩き、日米和親条約を結んだ了仙寺や、ペリーロードと呼ばれる川に沿った界隈を歩き、早めにお迎えバスに乗って宿へ向かった。

f:id:yporcini:20181226135412j:plain

                    ペリーロードの風情のある家(骨董屋)

 1階の八畳の部屋(部屋タイプはお任せ)ということだったのでどんな部屋かなと思っていたところ、3階の十畳の部屋にグレードアップされていた。この日は夕日こそ見えなかったけれども、窓からは海がよく見えた。食べきれない数の料理の数々、それにゆっくりと浸かれた温泉と満足の一日目が過ぎた。

f:id:yporcini:20181227102854j:plain

                            宿の玄関先から見えた浜

 翌日は天気が良さそうなので、爪木崎へ行こうということになった。駅から、爪木崎行のバスが出ていた。途中須崎という地名を見て確かここにも天皇家御用邸があることに気がついた。30分くらいだっただろうか。爪木崎のバス停に到着。バスを降りてちょっと歩くだけで水仙の甘い香りが上ってくる。日本水仙は、派手さはないが香りは上品で私は大好きだ。

 

f:id:yporcini:20181227111348j:plain

 12月20日から水仙まつりということで咲いていることはわかっていたが、すでに斜面を白く染めていた。5分咲きというところか。やっぱりここも暖冬なのか春が早いようだ。左に寄ったところにうっすら立っているのが灯台である。やっぱりここまで来たら灯台の真下まで行こうと右側の山道を歩いて行った。

f:id:yporcini:20181227112730j:plain

 やぶ椿が咲く林のところどころに展望台がある。右方向が須崎。ハイキングができるような道が続いている。三浦半島岩礁の道を思い出し、今度来た時は歩いてみたいものだと思った。青い海を背景にツワブキの黄色が鮮やかだ。

f:id:yporcini:20181227121619j:plain

 爪木崎灯台が近づいてきた。右側にうっすら見えているのは新島だそうだ。伊東からずっと島が見えていて、伊豆七島は割合近いことを知った。f:id:yporcini:20181227113443j:plain

 爪木崎灯台の真下へ到着。昔は灯台守のことが歌になるくらいだったが、今は、ほとんどの灯台は、無人なのだろう。ここからまた元来た道を戻りながら、西側に岩が広がる浜へ下りてみた。

f:id:yporcini:20181227115836j:plain

 この辺りの海岸には、柱状節理と呼ばれる岩石が隆起している。火山の爆発でできた地層にマグマが入り込み収縮してこのような不思議な形になったのだという。爪木崎の柱状節理は、この辺りでは「俵磯」(たわらいそ)と呼ばれているそうだ。

f:id:yporcini:20181227120454j:plain

 上から見ると柱の頭のところは、鉛筆のようにきれいに六角形になっている。本当に不思議な形の岩たちだ。これだけでなく伊豆半島には火山によってできた不思議な地形がたくさんあると聞いたので、機会を見つけて歩いてみたいと思うのだがもう無理かもしれない。

f:id:yporcini:20181227115552j:plain   f:id:yporcini:20181227115730j:plain

f:id:yporcini:20181227115602j:plain   f:id:yporcini:20181227114044j:plain

f:id:yporcini:20181227114022j:plain

 茅ヶ崎に行くようになってから、浜や磯を歩くと見過ごせないのがそこここに生えている植物たちだ。左上から、ハマヒルガオ、ハマアザミ、ソナレムグラ、アシタバ、ボタンボウフウ。最後のボタンボウフウは、長命草とも言われ、この頃ではわざわざ栽培して美と健康のために粉末や粒に加工され商品として高く売られているということも近頃知った。

f:id:yporcini:20181227122324j:plain

 崖を覆う日本水仙の群落。この水仙の故郷は、地中海沿岸らしいが日本には中国を経由して入ってきたと言われている。ここにも海流に乗って流れ着いた球根が根付いたのかもしれない。

f:id:yporcini:20181227122947j:plain

 爪木崎のほかにも日本水仙の群落は、福井県の越前岬にあると聞いているが日本海の方は、寒さが厳しそうなのでもっと凛とした香りの花が咲くような気がする。

f:id:yporcini:20181227123138j:plain

 浜の方へ下りるとアロエがこれも花盛り。鶏の首のところを連想してしまうのであまり好きな花ではないが、青い海との対比は鮮烈だ。

f:id:yporcini:20181227122757j:plain

 地元の干物、干し柿、天草。水仙の花などを売る青空市が開かれていたが、お店の人は、「こんな風のない日は珍しいんだよ。ここは天気がよくっても風が強い日は寒いからね。いい日に来たねえ。」と言っていた。この日も曇りの予想だったので、私たちは運がいいということになる。湘南も三浦半島も冬は、西風が強く吹くという話を聞いているので、伊豆半島も同じなんだなと思った。

f:id:yporcini:20181227133128j:plain

 最後に この日のお昼に食べた「金目鯛あぶり棒寿司」。下田は、金目鯛の水揚げが日本一なので、キンメはどうしても食べたいと思っていた。魚市場近くの回転ずし「魚どんや」で食べた。地魚のお寿司もいくつか食べたが、この「キンメのあぶり棒寿司」がピカイチだった。タレのついた皮は香ばしくパリッと焼けていて身は脂がとろっとしていて美味しいですよ。

 今年もどうぞよろしくお願いします。

バングラデシュカレー

f:id:yporcini:20181231125954j:plain

 12月16日に生協のイベントでバングラデシュカレーを作るワークショップに参加した。教えて下さったのは、「シャプラニール」という市民による海外協力の会の活動家でバングラデシュやネパールなどに長い間駐在していた女性。

 今日の昼ごはんに教えてもらったそのカレーを作ってみた。このところ自分の作るものには動物性の肉は使わないようにしているが、このレシピはチキンを入れるようになっているので今回はレシピ通りに使ってみた。

 材料は、チキン、玉ねぎ(みじん切り)、ジャガイモ、トマト。

 あとは、ショウガとニンニクのすりおろしをどっさり入れることとたくさんの香辛料を入れること。

 香辛料は、ターメリック、唐辛子パウダー、コリアンダー、クミンシード、カルダモン、シナモンスティック、シナモンパウダー、ローリエ、塩、油(菜種油)

 水は、少し入れるが少し入れるだけで基本的には、材料から出てくる水分を大事にして焦がさないようによく混ぜる。ジャガイモもチキン(表面を焼いておく)も蒸すようにして熱を通すところが大事だと勝手に思っている。

 ふだんは、簡単に出来合いのカレー粉を使ってしまうが、こうやってちゃんとスパイスを入れて作るとそれぞれが香り立ち鼻をくすぐる。大人用にするときは、唐辛子粉を多く入れ、塩味も好みで量を調節するといい。

 トマトの酸味がすっきりとした味わいにしているし、ジャガイモがホクホクしていてとっても美味しい。

 私のうちのコメは玄米で小豆を入れて炊くので、こんな色をしているけれど、もちろんバングラデシュでは、白米、長粒種とは限らないそうだ。

 

 この日は、夏に予定していたハートカフェが、台風で中止になったのでその代わりに会場の都合で縮小しての開催。ハートカフェというのは、世界について平和について考えようという取り組みの一環。

 プログラム

 1中村雄子さんの被ばく体験のお話

 2ロヒンギャ支援緊急募金報告会

 3バングラデシュカレーを作ろう

 4ラオス語絵本作り

 5フェルトでブローチを作ろう

 6伝統刺繍「ノクシカタ」体験

 7エレナさんのえいごで絵本の読み聞かせ

 このプログラムの中から時刻表で重ならないカレー作りとロヒンギャ報告会と「ノクシカタ」体験をさせてもらった。

 「ノクシカタ」刺繍

f:id:yporcini:20181216144520j:plain

 この伝統刺繍は、古くなったサリーに使った布を2,3枚重ねて布を丈夫にして再利用するための刺繍で日本の刺し子にあたる。並み縫いがほとんどで単純だが、図案、色も独特。フランス刺繍のような華麗な感じはないけれど、温かい感じがする。たかが並み縫いだけれどこれだけ刺すのにも膨大な時間を要する。私は、結局風車のような花の花弁を4周くらい刺しただけで30分が終わってしまった。

 

ロヒンギャ報告会

 生協でロヒンギャ緊急支援カンパを取り組んだので、その報告がユニセフとシャプラニールから映像を交えて行われた。

 ロヒンギャの人たちは、ミャンマーから追い出され、ミャンマーとの国境にあるバングラデシュの街の難民キャンプで暮らしているがバングラデシュでも定住は認めないという。この地域は、ビルマと呼ばれていた頃はイギリスの植民地、第二次世界大戦の時は、日本が占領していたり、なかなか複雑な問題を孕んでいるような気がする。

 ロヒンギャの人たちは、安心して暮らす場所が見つからない。竹の骨組みにシートをかぶせただけの家がほとんどで、雨期に入ると老朽化した家はひとたまりもない。食料(粉ものがほとんどで、生鮮食品は見られない)水、トイレなど課題が多いという。子どもの教育は言わずもがな。

 シャプラニール(蓮の花の家という意味のベンガル語)は、ロヒンギャの難民の支援が緊急なので取り組みを開始しているが、基本的にはバングラデシュやネパールを中心にした活動をしている国際協力NGO

 創立45周年を迎え、「誰も取り残さない。」というスローガンをかかげ、

1、子どもの権利を守る。

2、災害に強い地域をつくる。

3、フェアートレードを通じ共生できる社会をつくる。

 この日は、フェアトレードの商品の展示即売もあり、私はシャプラニールからバングラデシュとネパールの女性の自立を目指して作っている石鹸やリップバーム(1000円ほど)ラオスからは絹の布の箸袋(1800円)を購入した。ふだん普通のお店でアジアの製品を買うととても安い値段で買えるが、フェアートレードの商品は安全で安心な材料を使っているし、比べると高い。その差がフェアーかそうでないかを表わしているのではないだろうか。

 日本政府は、労働力が足りないからとよく審議もしないうちに強行採決までして外国人労働者を受け入れようとしているのに、こうした行き場のない難民の受け入れにはものすごく消極的。もうすでに日本は移民の国になりつつあるのだから、本当に困っている難民受け入れに積極的であるべきだと思うのだがどうだろうか。

 イエメン、パレスチナロヒンギャ・・・子どもに食べ物が届かず命が奪われている国がなんてたくさんあるのだろうか。年の終わりに寂しい話になりました。

 今年も拙いブログをご覧いただきありがとうございました。

 

山手西洋館クリスマス

 20日の木曜日、横浜駅に用事があったついでに山手に寄ってきました。

 クリスマスの対象の国が毎年変わるので、まだ知らない国があるとちょっと見てこようかということになるのです。

 今年は、エストニアモナコが気になりました。

 エストニアは、バルト3国のうちの一つで古い街並みが美しいと今年夏に行った友人から聞きました。クリスマスのツリーを飾り始めた国だそうですしクリスマスマーケットはとてもにぎわうのだそうです。今年は、111番館で展示されていました。

f:id:yporcini:20181220155133j:plain

 窓辺に下がっていた 民族衣装を来た女性の人形が気に入りました。

 

 もう一つ気になっていたのが、モナコ公国。エリスマン邸の食堂に注目しました。

f:id:yporcini:20181220161814j:plain

 モナコでは、クリスマスにはオリーブの葉をデザインしたパンを用意してその上に5個~7個のクルミを十字架の形に並べ、その家の主人にあたる人が切って家族に配るのだそうです。パンの横にはオリーブの葉が置かれています。パンは、キリストの体を表わす神聖なものですからこのパンには特別の思いが込められているようです。

f:id:yporcini:20181220162119j:plain f:id:yporcini:20181220162222j:plain

 モナコのクリスマスの伝統的なお菓子にフガスクッキーというのがあるそうです。

 このクッキーは、アニスとオレンジのつぼみで香りをつけた水を使って作り、焼いたクッキーの上にも赤と白に色づけしたアニスの種を飾ります。左の鳥は男の子用、右は女の子用だそうです。

 イタリア山外交官の家は、スペインのクリスマス。

f:id:yporcini:20181220165206j:plain

 スペインは、カトリックでもあるので、アメリカナイズされたクリスマスとは一線を画しているのか、やはりキリスト生誕を祝うものとしてクリスマスがあると聞きました。暖炉の前にヨゼフとマリア、真ん中にイエスキリストという古典的な飾りが設えてありました。

f:id:yporcini:20181220165103j:plain

 食卓に目を移すと、スペインのお菓子が盛られています。係の人に聞いたら、トゥロン、アサパン、ポルポロンという3つのお菓子だそうです。

 (トゥロンはアーモンドとハチミツ、アサパンはアーモンドと砂糖と玉子を使った菓子、ポルポロンは、小麦粉とラードと砂糖を使って作る)

f:id:yporcini:20181220165118j:plain

 もう一つは、クルミなどの木の実が食べられるそうです。ディスプレイ用で殻をつけたままのクルミ松ぼっくりや飾り用の赤い実が置かれていますが、本来はすぐつまめる状態のものが置かれるのだとか。伝統的なクリスマスの食べ物というのは、たいへん質素な感じがしました。

 スペインでは、1月5日がクリスマスのお祝いをする日になっているのだとか。

 最後は、外交官の家の隣にあるブラフ18番館。ノルウエーのクリスマスです。

f:id:yporcini:20181220170018j:plain

 もう4時45分、いつの間にか月も上ってきてイルミネーションがきらきらと輝きはじめました。

 入口で、「あと10分ですから階段の上り下りには気をつけて回ってください。」と言われ、そそくさと中へ入りました。

f:id:yporcini:20181220170438j:plain

 部屋は花の香りに満ち満ちていました。ヒヤシンスの香りです。ノルウエーは、ヨールといって、冬の間昼間の時間が極端に短いので、冬至を境にこれから春に向かっていくのだというお祭りの意味も込められているのだそうです。

 本当は、どうなのかわかりませんが、ヒヤシンスやアマリリスを球根のまま植えこむアレンジメントがあるのだとか。

f:id:yporcini:20181220170738j:plain

 モミやモス(こけ)を間に敷き詰めてオーナメントを置くとクリスマスの飾りに変身です。とにかく家の中が花の香りでいっぱいになるのでいいかもしれないなと思いながら5時の鐘を聞き、急いで出ました。

 近頃は、本当の国の事情がどうなのか分からないくらい担当のフラワーアーティストさんたちがきれいに飾りつけをするので、正直言ってどこまでがその国を表現しているのかわからなくて係のボランティアの方にお聞きすることが多くなりました。その国の本来のクリスマスを紹介するのだとしたら、もう少し忠実に計画をしてくれるとありがたいなと思いながら帰ってきました。

 

f:id:yporcini:20181224184843j:plain

 夕方図書館に「養生訓」という貝原益軒の本を返却に出かけました。日ごろから食は少な目にしてという養生訓の教えに背いてケーキ屋の前を素通りできずにボッチ用のミニデコを買って食べてしまいました。本当に益軒のいう内欲に弱くて・・・

 

「Tara Books」の本

 ずいぶん前の話になります。

 11月の末に学生時代の友人から、同じくクラスメートだった方の娘さんがインドの出版社「Tara Books」から本(日本版が11月1日)を出版したのでその出版記念の展示に行かないかとのお誘いがありました。

 2001年だったか私もインドのチェンナイに息子が出張していたのを利用して結構長く滞在していたことがあったのを覚えていてくれたので関心があるのではないかと思ってくれたようです。

 出版された本は、「南インド・キッチンの旅」といいます。

 旅人にとって一番見えなくて遠いのはキッチンではないかという発想から、3か月間キッチンを取材し、見取り図から料理のレシピまでを丁寧にまとめた本です。

 著者の斎藤名穂さんは、建築家でありデザイナーでもある方で、板橋区の美術館で行われた「Tara Books」の展覧会の展示デザインなども手掛けられたそうです。

f:id:yporcini:20181124160532j:plain

 その出版記念展示があったのは、「Books and Modern」、六本木から乃木坂に下ったところにあります。マンションの2階部分で、知る人ぞ知るというユニークな本を集めている本屋さんのようでした。

f:id:yporcini:20181124160614j:plain

 ディスプレイされていたのは カレーリーフの木、調理器具、食器、カレーに使われているスパイス類です。インドの映画「スタンリーのお弁当箱」「めぐり逢わせのお弁当」にも出てきたようにインドで使われている食器は、ステンレスが多いです。理由はよくわかりませんが、歴史的なことが関係しているのではないかと思います。

f:id:yporcini:20181124153237j:plain

 あとは、壁に描かれたおそらくキッチンのトビラの絵とチャイの写真だけがディスプレイであとは、キッチンと料理するご婦人のようすがプロジェクターで映し出されていました。展示がこれだけというのはなんだか物足りない気がしました。あとは、本を購入して見てほしいということなのでしょう。

 どうしようかと迷っていたら、その本のそばに「Tara Books」から出版されている絵本があるのを見つけてしまいました。

f:id:yporcini:20181203105324j:plain

 その中の1冊がこの「世界のはじまり」という本です。バッジュ・シャームは中央インドのゴンド地方に住む代表的なアーティストだそうです。もともとゴンドの人たちは代々口承で話をつたえてきた森の民。家の壁などにその世界観を絵で表わしていたものをギーダー・ヴォルフが絵本にまとめることを提案してできたのがこの本。

 どの民族にもある創生の話です。が、日本の神話のように神様は出てきません。表紙は水の泡の中に生まれる前の魚、やがて創生主が大気を送り込み・・・と話が続いていきます。短い言葉と圧倒的な絵柄で想像性をくすぐります。

 

f:id:yporcini:20181203105600j:plain

 短時間でひきつけられた理由の一つは、紙の質感。凸凹があってほっと安らぎます。 材料は、木綿や麻の手すきの紙です。

 次に印刷は、シルクスクリーン、一枚一枚が手刷りです。左から裏表紙、ちらっと本文。

f:id:yporcini:20181203105708j:plain

 そして糸を使って綴じてあるのがお分かりいただけるでしょうか。

f:id:yporcini:20181203105745j:plain

 版画にあるように1さつ1さつにナンバーが付いている。

 1179冊目の本を私は購入しました。この工程を考えると3600円(+税)もそんなに高いと思いません。

 この本をはじめ「Tara Books」の本は、イタリアのボローニャで賞を取ってからは日本でも大手の出版社が名乗りを上げてきたが、一番初めから注目していたタムラ堂を優先的に考えてくれたというのもいい話だと思ったしだい。

 2冊は買えないので、斎藤さんのキッチンの本は、友人に貸してもらうことにしました。こんな本がまだこの世の中に出ていることが奇跡的なことのように思うのはわたしだけでしょうか。

 

f:id:yporcini:20181124175031j:plain

帰りにミッドタウンでお茶を飲んで帰ったのですが、こんなツリーがありました。サンタクロースのオンパレードです。左上にそりに乗ってお出かけ中のサンタもいました。

*近頃目もめっきり悪くなり、後から読み返すと誤字が多いのにびっくりします。大変申し訳ないのですが、お許しいただけるとありがたいです。)

ドキュメンタリー映画「タリナイ」

tarinae_chirashi.jpg

 9日の「東京原発」の前の回の映画がこの「タリナイ」だった。

 まだ30才という大川史織さんの初監督作品だ。

 監督は、高校3年生の時にマーシャル群島へ行く機会があったそうだ。その時に女性たちがウクレレを弾きながら聞かせてくれた歌のことを日本の人に伝えたいと思ったことが映画を撮ろうとしたきっかけになったと終了後のあいさつで話してくれた。

 女性たちが歌っていた歌は、「コイシイワ」。歌い出しの言葉は日本語。自分は、マーシャルのことを何も知らなかったのに、マーシャルの人たちは、日本の言葉で歌を歌っている。このことが大川監督をマーシャルにぐっと引き寄せたようだ。

 マーシャルは、30年間日本の委任統治領だった。その時代は学校でも日本語を教えられていたので、ある女性が日本に帰る恋人への気持ちを歌った歌だということが調べているうちにわかった。

 監督は、大学卒業後マーシャルに3年住み、ドキュメンタリーのフィルムを撮りためていったが作品として発表はできなかったようだ。

 今回の作品は、マーシャルへ行きたいという74才のある男性との出会いから生まれた。彼の父親は、兵隊として戦地のマーシャル群島へ赴き、死ぬ数時間前まで毎日日記を書いていた方だったとか。亡くなったのは、もうすぐ終戦だという1945年4月。飢餓で亡くなられた。

 この辺りで亡くなられた方は、約2万人。そのほとんどが飢餓だと伝えられている。美しい青いサンゴ礁の海を見ているとかつてそこが生き地獄であったということが信じられない気がする。

 日記は、奇跡的に戦友に託されて息子さんの手元に届いた。

 1943年に2才で父親と分かれてしまったので父親のことは記憶には残っていないけれども、手紙や日記に書かれている文章から自分のことをとても慈しんでくれたことを感じて、いつか最後の地をめぐり、慰霊したいという気持ちを募らせていた。

 まだマーシャル群島には、戦後70年以上が経っていても戦争の時の錆びた金属の砲台や、地中に埋められた電線、防空壕の跡などたくさんの物が残されている。一体だれが片付けるべきものなのだろうか、ふと考えてしまった。とりあえず危険はないので、子どもたちが遊ぶ道具として使ったり、電線は掘り出して手工芸作品を作る材料にしたり、現地の人たちは屈託がない。

 この映画のタイトル「タリナイ」という言葉、私は食べるものがないことを表わしたことばだと想像していたのだが、この言葉は、「戦争」を意味する言葉だった。

 

 マーシャルの人は戦時中の辛いことをあげつらうこともないが、日本人があまりにも南方の島々の過去のことを知らなすぎるとことを恥ずかしく思った。南の楽園は、リゾート気分で行くことしか関心がない日本人にはなりたくない。沖縄にも同じことが言えるのではないだろうか。折しも、今日は辺野古に土砂が投入された。

 下の写真は、大川監督。

f:id:yporcini:20181209114809j:plain