旧東海道を歩く・保土ヶ谷宿その2

 国道を左折して旧道に入るとすぐにJR横須賀線、東海道線の踏切があり、そこから100mほど行くと、高札場跡、助郷会所跡が左側にあり、この先の右側の曲がり角に金沢横丁の石碑が4本立っています。

 金沢や鎌倉へ向かう途中の道の分かれ道に当たる場所です。

 「程ヶ谷の枝道曲がれ梅の花」という有名な杉田梅林への道を俳句に詠んだ石碑もここにあります。 石碑の左側に宿場を歩く人のための休憩所があってトイレも貸してもらえます。

 「ここへ来ては、拓本を取っていく人が多くて、彫ってあるところがだんだんはっきりしなくなって困っているんだよ。」と休憩所を管理している年配の男性が言っておられましたが、確かに小さな文字が見づらくなっているなと思いました。

金沢横丁の石碑

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 通りは、広く整備されていますが、東海道の名残は形としてのものがこの先見られませんでしたので、そのまま相鉄線の天王町まで歩いて、折り返してきました。

 右の方に大きな神社の鳥居が見えましたので行ってみました。

 「神明社」という伊勢神宮系列の神社でした。大きな茅の輪があり、お正月飾りのお炊き上げもやっていました。街道の山側の道沿いには、この社のほかにも大きな寺5つ並んでいてやはり歴史を感じさせます。

 神明社

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 旅の楽しみはやはり食べ物。線路の反対側へ渡り国道一号線に出て、「ごん太鮓」(ごんたすし)へ。

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 保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司 という歌に歌われたというお寿司です。

 苅部清兵衛とは、保土ヶ谷宿場の名主、本陣、問屋と三役を担い、しかも、人柄で人々に敬われた一族だったそうです。開港した横浜の港と東海道を直線的に結ぶ道の整備を請負い、初代の総年寄り、初期の横浜町政に尽力したという人物です。

 清兵衛と並び歌に歌われたお寿司だというので、一度は食べてみなければということで、清兵衛巻き注文しました。このお店は、権太坂に昔「ごん太鮓」という寿司を食べさせる店があったとかで、その頃の雰囲気を持った店をということで、30年くらい前に作ったそうです。この清兵衛巻きのほかに、道中いなり有名です。すしをという漢字で表すのも意味があるようです。

 道中いなりというのは、柚子、白ごまのいなりと、人参、ごぼう、黒ごまのいなりの二つをかんぴょうで結んで振り分け荷物のようにしたおいなりさんです。旧東海道を歩いて旅した気分にさせてくれる一品です。 

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 この清兵衛巻きの中には、穴子、かんぴょう、にんじん、ごぼう、しいたけを甘辛く煮たもの、玉子焼き、高野豆腐、さやえんどうが巻き込んでありました。うちに帰って食べましたが、酢飯と具の味のバランスがよく、人格者清兵衛のようだなと思いました。美味しかったです。

 本日は、16000歩、やはり3時間歩きました。