3月11日

  2011年3月11日の東日本大震災から2年を経過しました。

 去年は、春に気仙沼、秋に石巻へ旅行した際に、震災の地を見る機会があったせいか去年の3月11日に比べるとずっと自分に引き寄せて考えることができるのが不思議な気がします。

 昨夜そろそろ塩蔵わかめがなくなってきたので、昨秋石巻へ出かけた際に震災時のお話を聞かせてもらった石巻の十三浜の遠藤水産さんへネットで注文をしました。

 ホームページを開いたら、わかめの成長がよくなって、去年の倍の量が入って同じ値段で買えることが分かりました。成長がよかったということは、海の中の状態がよくなっているということだと、安堵しました。

 昼間ラジオを聴いていたら、これは岩手のお話でしたが、東北の海を撮って写真集を出している水中写真家の人が今年は、水温が高く海草の成長にとってはよくないんじゃないかと言っていました。自然が相手なので、人間の努力だけではうまくいかないというのも仕方のないことなのでしょうが、海水温が下がることを祈るばかりです。

 昼過ぎ、生協の荷物が届きました。注文していた「とうふ揚げ」のパッケージに「3・11は忘れない」というタイトルの文が刷り込んでありました。心揺さぶられる文章だったので、転記しました。この生産者も石巻です。

 ここまで来た、瓦礫のピラミッドと何キロ先も見える何もない街の跡。

 胸をかきむしるような痛みも。荒んだ子供や高齢者の寄る辺ない心もまだまだ行く先を知らない。

 喪失感、そして自分だけが生き残り、救えなかった負い目を抱えて・・・・・

 でも、ここまで来た!工場をなくした電気業者もワゴンに器具を積んで、内陸でバラック屋根だけで始めた機械修理も包装資屋さんにもその家族が住む仮設住宅にも笑い声が少しずつ一人ずつ戻っている。

 ふる里は消えた、戻れないが、戻りたい。

 仕事するってイイネってスタッフが包装室で話した。毎日仕事が出来る当たり前の幸せ。おかげ様って言葉が街に拡がっている。

 とうふ揚げのパッケージf:id:yporcini:20130311185541j:plain

 畠山美由紀さんが故郷の気仙沼のことを歌にした「わが美しき故郷」がラジオから流れていましたが、その歌がとても身にしみる一日でもありました。