パキスタン旅行 その7

  ナガール・ホーパル氷河

  この日は、フンザと川を挟んで反対側のナガール村へジープに分乗してのドライブ。

 対岸といっても、谷筋が別になるので、フンザからは山が立ちふさがっているので見ることはできない。

 ナガールは、今でこそ橋があるので簡単に行けるが、その昔は川向こうといっても橋があったのかどうなのか。しかもナガールは、フンザとは別のミール(藩主)が治めていた隣の国だったのである。      

 宗教的にもフンザと異なり、シーア派が優勢な地域、今はパキスタン共通のウルドゥー語が使えるが、昔は、使っている言葉もフンザ(ブルシャスキー語)とは違う言葉(シイナ語)だそうで、お互いの交流は少なかったのだろうと思われる。

 しかも、ナガールとフンザは、土地をめぐり戦いが絶えなかったということで、隣同士とはいえ仲が悪かったらしい。こんな山深いところなのに、なぜ平和には暮らせなかったかという思いが残る。

 

 ナガールの里は、フンザより標高が少し高く2700mくらいだそうで、その分まだアンズの花がきれいに咲き誇り、再びお花見気分を味わうことができた。

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  前回アップしたディラン(7257m)への遠征隊は、この村からアタックを開始したのである。

 村のあちこちからやってきたポーターを180人も雇い、2日間かけてベースキャンプまで荷上げしたそうだ。

 一人22kg、日当は9ルピー、自給自足生活のこの辺りの人にとっては、現金収入を得る数少ない機会であったため、素足に動物の皮を巻きつけただけの足元で(中には素足で)遠くからもやって来ていたそうである。

 この小説は、50年も前の話だが・・・・

 

 更に奥へと小一時間ほどジープを走らせ、ホーバル村を通り、ホーバル氷河へと進む。

 村を抜けるとまもなくモレーン(堆石)が眼下に見える。

 氷河の力は巨大である。これだけのものを削り取り押し流してくるのだから。

ホーパル氷河 モレーン

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 山の上から30分下ってやっとモレーンの上に立つ。

 巨大な力、悠久な時間に思いを馳せる。

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 その日のお昼は、フンザエンバシーホテルのシェフの自宅の庭でアンズの花を見ながらのランチ。

 メニューは、ナガール料理

 名前を覚えているのは、ムル

 小麦粉とバターが入ったカスタードクリームのようなとろんとしたもので、砂糖を加えて食べる。産後などに供されるとのこと。

 名前は

 ほうれん草など野菜を細かくいため、カレー味にした具を挟んだチャパティー

 仕上げにアンズの油をかけてある。小麦でなく大麦の粉を使っていると記憶している。

 とても食べやすくおいしい。

 アンズジュース、サラダ数種、スープ、野菜コロッケ、マトンとじゃがいものスープ煮込み、野菜の炒め物、骨付きチキン、野菜やチキンの入ったいためご飯、プレーンチャパティ、プレーンナン・・・・山ほどの歓待のご馳走が出された。

 デザートは数種出たが、私が一番気に入ったのは、ドライフルーツのケーキ。

 シェフのお母さんが作って下さったとのこと。

 この地方で取れる杏、りんご、クルミ、クワのドライをすり鉢状のものですりつぶして、形を整え、上にかぼちゃの種やクワの実やくるみを飾ってできあがりだとか。ドライフルーツの甘味だけの自然のやさしい味だ。

 お茶は、クルミをすりつぶして沸かしたもので、塩をちょっと加えて飲む。

 ドライフルーツケーキ(写真がナイフのせいで90度回転してしまって見難い)

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 言葉が違えば料理もフンザとは少し違うらしいが、フンザは、コーカサスなどと並び世界三大長寿の里の一つだと言われているので、ナガールの料理の中にもそのヒントがあるかもしれない。

 花曇りの空が晴れ、お庭はアンズの花びらが時々はらはら・・・・、日差しがまぶしいがのどかな時間が過ごせた。

 近くのアンズの木の風景f:id:yporcini:20130409171102j:plain