がんづき

 今日は、昨年秋に震災の現状を知ることと、郷土料理を教えてもらうために出かけた石巻の方々が、今度は、鎌倉へ見えて貴重な震災時のお話を語り継ぎとして聞かせてくれました。

 話の前に、料理教室主催でしたので、料理教室らしく東北のお菓子 「がんづき」  を 教えてもらい、その次にお話を聞きました。

 がんづき 、地方によっても、また 家庭によっても いろんな作り方があるということです。

 今回は、二種類。

 一つは、蒸しパンタイプのふっくらとしたもの。

f:id:yporcini:20130525155220j:plain

 主な材料は、小麦粉とたまごと黒砂糖とはちみつと牛乳。お味噌を少し入れるところがこのがんづきのミソです。

 出来上がったがんづきは、ほんのり味噌の味と香りが香ばしく甘いお菓子をひき立てていました。

 もう一つは、ねっとりタイプのもの。

f:id:yporcini:20130525155229j:plain

 こちらの主な材料は、小麦粉とキビ砂糖と水、好みでくるみやごまなどを入れますが、今回はくるみでした。

 あっさり系なので、やはりクルミなどこってりしたものを入れると美味しくなると思いました。蒸しパンタイプに比べるとねっとりした方は、味がマイルドですがそれはそれで美味しかったです。

 どちらも家庭にある材料で作れる簡単で美味しいお菓子です。

 

 このお菓子を蒸し器で蒸している間に、震災の日の避難のようすを聞きました。

 特に津波が押し寄せ2階すれすれまで水が来たときは、そのまま流されてしまうのかととても心配されたようです。すごい津波は初めだけだったようですので、2階に到達するような水はその日には引いていったそうですが、ひざまでくらいのヘドロ交じり泥水はその後しばらく滞留したままで、その後ハエの大量発生で困ったということです。

 大工センターの屋上に避難した人たちは、とにもかくにも助かったわけですが、何日かしてから下の道へ出てみると、木にひっかかっていたり、車の中だったり、道端で横たわっていたり、あちこちに死んだ人がいたという話も聞きました。遺体には、家にあった布団をかぶせてあげるのが精一杯だったと聞きました。

 資材の砂があったので、屋上の真ん中に 水、食べ物、毛布と 字を書いて助けを求めたそうですが、その日から6日間は、ヘリコプターはたくさん上空を飛んでいるのに、物資は一切届かなかったのです。

 海岸にある倉庫の中から流されてきたスチロール箱に入っていた冷凍の魚を周りの油などがついていない中の方のみを火をおこして焼いて食べて命をつないだそうです。

 そこへ避難したのは、148名。

 日に日に食料もわずかとなり、援助物資が届くまでは、そのわずかな食料も分け合うために一日一食しか口に入れることができなかったとも聞きました。

 特に水不足はたいへんだったようで、近所に酒の量販店があったので、流されていたペットボトルや近所の家の冷蔵庫にあったジュース類などを拾ってきて、本当に一口飲めるくらいで、これが夏だったら、どうなっていたかと話を聞いていて思いました。 

 6日後、やっと乾パンが届き、飢えからは開放されたようですが、しばらくは賞味期限が過ぎたおにぎりなどわずかなものしか届かなかったようでした。

 避難したときに車で屋上まで来ていた人が多かったので、歩いてきた人には、スペースのある車に分乗してもらって眠ったそうです。まだ雪が降る日もあり、寒さが身にしみたことだと思いました。

 もう一つ大事なことを学びました。

 店の中の物は大部分流されてしまったようですが、材木が近くにあったということで、避難当初、仮設のトイレを作ったり、出入り口は流された車が折り重なるようになってふさがれていたので、車の登る斜面通路の途中から下に降りれるようなはしごのようなものを作ったり、あり合わせのものを使って必要なものを作っていったという話でした。

 避難場所として指定されていた学校へはここよりも早く避難の食料などが届いたようですが、NPOのボランティアの人たちの手が先に届いたいうのは、大事なことだと思いました。

 水道、ガス、電気が開通したのは、石巻市で3ヵ月後、若布を養殖している十三浜(石巻から車で40分)では、6ヵ月後だったそうです。さらに買い物ができるお店が近くに開店したのは、昨年の夏ですから、それまでは食べるものを手に入れるにも不便を強いられたようです。

 食べ物もそうですが、自分で必要なものを自分の手で作っていけないと生き抜いていけないということです。

 物があふれているような気がしていますが、またどこで地震が起こるとも限りませんし、グローバルなどといって、世界中から食料を輸入し自給できない日本の食糧事情ですから、どこかで天候不順などの異変があったときに、物がなくなることだってありうることです。

 私は、石巻を訪ね、土地のようすを見ているので、話されている内容がよく頭に入りました。

 震災後、2年が過ぎ、まだ仮設住宅にしか住めず、不便な生活を強いられている方々です。

 こうやって体験した人にしか分かりえない話を聞けるチャンスは少なくなってきているような気がします。

 もう一度心を引き締めようと心を新たにしました。

 *昨年の12月の東北旅行の1(石巻市)のブログを合わせて見て下さると幸いです。