「グラウンド・ゼロがくれた希望」

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 先日読んでいた、ルポ「貧民大国アメリカ」の著者 堤 未果 さんが、アムネスティ・インターナショナルや、野村證券にも勤めていたという経歴に、一体どんな人なのか、興味が湧いてこの本を読んだ。

 彼女のプロローグには、彼女のおばあさんがアメリカで暮らしていたということもあって、小さいときからアメリカに憧れをもっていたことが書かれている。

 ディズニーランドへ行ったときに入り口で買ってもらった赤い大きな風船と同じくらいアメリカへの夢を大きく大きく膨らませたそうだ。

 アメリカの大学を選び、大学院では国際関係論を学び、アメリカで自分の夢に向かって羽ばたこうとしていたが、自分の学んだことを生かせる、国連に勤めたいと思ったが、叶わず、アムネスティへようやく仕事を見つけたが、予算の打ち切りとかで首を切られ、生活のために野村證券の秘書として働くこととなったそうだ。

 その野村證券のオフィスは、世界貿易センタービルの隣の金融センタービルだった。

 2001年9月11日、彼女が会社で仕事をしようとしていたときに、正にあの惨事が起こった。

 彼女は、呆然としながらも、ハドソン川まで歩きその日最後のフェリーに乗り、対岸へと渡った。間近でこの惨事を目撃した一人であり、サバイバーの一人だった。

 今まであんなにアメリカが自由で自分が求めれば夢を叶えてくれると信じていたものは、崩れ落ちていった。

 それとともに、PTSDに長い間苦しむことになる。

 このテロ事件の後、繰り返し流れる事件のテレビ放送と、街中至るところに下げられた星条旗と、オートリピートで流れる「ゴッド・ブレス・アメリカ」は、人を憎しみという被害者意識の連帯感を作っていく。

 星条旗を下げていないと「非国民」に扱われるような勢いだったようだ。

 ヘイト・クライム(憎しみから起こる犯罪)があちこちで起こり、イスラムの人ばかりでなく、インドやパキスタンの人もベールをしていることから間違えられて犠牲になった人もいたそうだ。

 ナチスドイツや文化大革命の中国や戦前の日本の姿となんと似ているではないか。

 そして、国際的にも孤立していたにも関わらず、ブッシュ大統領は、遂にイラクを標的に戦争を始め、アフガニスタンへの戦争へと続けていく。

 彼女がこういったアメリカの様子を見ながら、自分がやろうとしていることも見つからなくて長い間苦しむが、ようやく長いトンネルを抜け、自分が、作家となることを目指すことになる。

 エピローグは、2004年2月、再び、何もなくなったグラウンド・セロへフェリーに乗り自分の今を確かめに出かける場面で終わっている。

 その日、飛行機が飛んでいる姿を見ても、フェンスで囲われたグラウンド・ゼロに立っても、今までのように吐き気がして倒れこむことはなくなっていた。

 世界中にここと同じようにグラウンド・ゼロがあり、どんなに困難なことがあっても、やがて這い上がってくることができるはずだという信念と希望を書き残して終わっている。