マレーシア映画「世界を救った男たち」

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 昨日は、名画座でもう1本映画を観た。

 25,26日二回だけの上映ということと、珍しいマレーシア映画ということ

それに題名にも惹かれた。

 

 この写真を見ていただくとわかる通り、家を人の力で担いで移動させるという

伝統がマレーシアにはあったそうだ。(今もあるが少ない)

 

 映画監督は、リュウ・センタットという若い中華系のマレー人。

 この監督が家を大勢の男たちが背負って運ぶというシーンから

インスピレーションを得て作った映画だと後で知った。

 

 日本の農村にも「結(ゆい)」という助け合いの組織があったようだが、

マレーシアにもお互い助け合う伝統があり、

その一つの形がこの家を運ぶという仕事だった。

 

 およそのストーリー

 娘が結婚するというので

父親は、ジャングルの中にあった古いぼろやを村まで運んでくることを

村人に持ちかけ、かかる日数や人足の人数なども相談し運ぶことになる。

 

 樹木をよけ、地面の高低差を考えながら困難な仕事を

みんなの力で成し遂げようと頑張ったのだが、

村にいろんなわけがわからない事件が起き始める。

 

 娘の腕に青いあざができた

 夜歩いていた村人が、黒い光るものを見た

 犠牲祭に使うことになっていたラクダがいなくなった

 飼っていた牛が消えた ‥‥‥‥

 

 黒いお化けの「油男」のせいにされ、さらには

あの家のせいだということになり 家を運ぶどころではなくなる。

 

 わけのわからないもの、人知を超える悪いことをお化けの仕業に

したがるところは、マレーシアだけでなく世界共通だが、

村人の恐れはエスカレートしていく。

 

 ユーモラスなところも多々あり、楽しめる映画でもあるが、

多民族国家であるマレーシア社会に対する

洞察が込められている深い映画でもある。

 ただ日本語のタイトルには単純に結びつかない。

 

 監督は、

人々は、協働するという社会的な本能で村をつくり、民族をつくり、

国家をつくるという素晴らしいことを成し遂げる一方、

逆にその本能は、悲惨なことの根源にもなるんだ。

 たとえば、自分たちと違う人を恐れ嫌い、自分たちに理解できないことを憎む。

 人間は、人にもなるし、獣にもなる。

 自分が人か獣かどちらに立つのか、そして自分のことをどれだけ理解しているのかが

問われるのだと語っている。

 

 映画の最後にこの映画の日本語の字幕を付けた方から

マレーシアの映画や文化状況の簡単な講演と質疑応答があって、

映画の理解が深まり、知らない文化を知るという楽しみが味わえた。

 

 この映画は、2015年のマレーシア映画祭で最優秀作品に選ばれた作品だが、

日本での公開は少なく、ジャック&ベティでの上映も今日で終わり。