少女は夜明けに夢をみる

 

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 一昨日は、みなとみらい小ホールで知り合いの声楽の発表会を途中で抜け出し、この日で最終日だという映画をジャック&ベティで観てきた。すごい風、それも北風の強い日でランドマークの横に係留されている日本丸の旗もビュンビュン巻き上がり、動く歩道を胸元を抱くように急いで通り過ぎる。

 

 知人より「いい映画だよ。」と前々日に聞いたばかりだったので、前知識もなく出かけたが、話通りだった。

 映画は、「少女は夜明けに夢をみる。」イランの映画だ。

 イラン映画といえば、1990年ごろに日本でも公開になったアッパス・キアロスタミが子どもを主人公にした映画を何本か観たことがあるが、それ以来初かもしれない。 今回はドキュメンタリー映画だ。

 強盗、殺人、薬物、売春などの罪で捕まった少女たちが収容されている更生施設にカメラを入れたものだ。撮影許可を取るまでに7年の歳月を費やしたそうである。

 たいへんな罪を犯したとはいえ、貧困のために盗み、親に強要されて薬物の売人をやらされたり、父親のひどい仕打ちに耐えかねて父親を殺したり、叔父からの性的虐待があったりと 決して本人だけの問題ではない。貧困が少女たちの人権を奪っているのだ。こうしたことは何もイランばかりでなく今や世界のどこででもありそうな話である。

 一人一人隔離されているのかと想像していたが、大きな部屋のまわりにベッドがずらっと楕円形に並び、真ん中に絨毯が引かれ、そこに集まって食事をしたり、時には遊んだりする。外部から隔絶されているとはいえ、集団で暮らしている部屋の中は意外に温かい。

 少女たちは、監督のインタビューに涙を流して答える場面も多だあるが、カメラが回っているにも関わらずコップをマイク代わりにして歌を歌い、周りの少女たちも手をたたき、一緒に歌い、踊り出す。雪が降った日には、中庭で雪だるまを作ったり雪合戦に興じる。

 監督は少女たちと長い期間を通して面会を繰り返し、少女たちとの距離を縮め信頼を得たからこそ撮れた映画だと思う。こんなにも少女たちに心を開かせることができる監督の人柄にひどく感心した。ドキュメンタリー映画の監督さんというのは、人間性が色濃く出る。

 

 「夢は?」と聞かれ、ある少女は、「死ぬこと。」と答えた。まだ15才くらいの少女から出てくる言葉だ。

 そんな絶望的なことを考えている少女たちの収容施設なのに、どこかあっけらかんとした安らぎが漂っている。言いたいことを言っているにも関わらず、心の奥に流れる連帯感のような空気が流れているからではないだろうか。ひとり、またひとり裁判所からの判決を得て、施設から出て行く様も描く。あんなに家族の元へ帰るのは嫌だと拒否していた少女が嬉しそうな顔をして家族と帰って行く。

 少女たちは、夜明けにどんな夢を見ているのか、語る場面はないが最後のシーンが物語っているような気がした。

 

 近日上映作品のフライヤーに気になる映画が2本、1本は「PRISON CIRCLE」日本の刑務所にカメラを入れたドキュメンタリーだ。

 もう1本は、「娘は戦場で 生まれた」シリアの戦場で生まれた娘に故郷を知らせるために撮ったドキュメンタリーだ。

 2本とも楽しみにしている。

 

 

 

 

 

 

 

台湾、街かどの人形劇

 11日の土曜日にジャック&ベティでの初日だった映画を観てきた。この日は初日のサービスで、この人形を実際に動かして見せてくれる実演があるというので午前中新橋に用事があったので、お昼も食べずに横浜へ戻り映画館へ直行した。

 

 台湾のこの人形劇は、「布袋戯」(ほていぎ)といわれ、長年街角で演じられてきた古典的な娯楽だったそうだ。近年この「布袋戯」よりもずっと大きな人形でテレビ受けする大げさなアクションなどを取り入れた形のものが出てきて、本元の布袋戯の観客や演者も減り、存続の危機に直面しているとのこと。世界中がグローバルグローバルと叫んでいる間にローカルな伝統は消えて行くような気がして心が痛むドキュメンタリーだ。

 

 人間国宝の陳錫煌(チンシーホァン)は、現在88才。高齢なので、体の不具合もあり体が思うほどいうことを聞いてくれないようだ。それでも何とかこの伝統的な技術を後世に残したいと世界中を回って公演し、秘儀などないからとすべてを映像にも残そうとしている。演じてくれるなら台湾の人でなくともいいからとフランス人の女性の弟子にも分け隔てなく教えている。そんな劇団の日常から野外での公演まで長い年月撮りためた映画だ。

 

 布袋戯の人形は、木彫りの人形の顔、手、それに着物も自分で縫って制作するものだ。本当に一から何でも作らなければならないので大変だが、きっと人形に魂が込められるのではないかと思う。

 

 本体は30cmくらいの高さで、人差し指で人形の芯を保ち、親指と中指でおよその動きを作り出す本当にシンプルな構造だ。でくの坊の人形なのに、微妙な動きもできるし、それによって人間の感情さえ表わすことができる。単純なのに、日本の人形浄瑠璃にも負けない技術には驚きを隠せない。

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 上映後、配給会社の挨拶と日本で公演している「チョビ布袋戯人形劇団」のチャンチンホイさんが特別に目の前で人形を動かして見せてくれた。左手でおみくじのような札を持ち、右手の棒で一枚一枚めくって見せてくれた。最後の札は「世界平和」。

 

 チャンさんは、北京で京劇を勉強していたのだが、台湾に行ってこの布袋戯に魅せられて今は一番弟子の人に教わってやっている。陳錫煌さんからいえば孫弟子だ。映画にも出ていないのになんだかここに出てくるのが申し訳ない様だと言ってらしたが、100名ほどの会場がほぼ埋まるような盛況だったのは、きっとチャンさんのお蔭かもしれない。

 台湾に行く機会がなければ今月と来月の木曜日、中華街の「悟空茶荘」で陳さんの劇団の布袋戯が20分の短いものだが見られるようだ。

 (*台湾では、漢字も旧字体を使っているが、私が使えないので新漢字で失礼した。)

 

 

 

 

 

マガンの越冬地伊豆沼(旅行の続き)

  新花巻駅を後にしてくりこま高原まで1時間かからないで到着。10月末はマガン観察には少し早いかと思っていましたが、その時点ですでに8万羽飛来しているという情報がありました。この日はねぐら入りするマガンを見る予定だったので、日が暮れないうちに着く必要があったのです。午後4時半ごろ伊豆沼の宿に着きました。太陽が西に傾き夕焼けが始まっています。

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 西の方向から帰ってきた群れです。ほんのり夕日色になった空を鍵になり、竿になり、形もそれぞれ、グループの数もそれぞれ。

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 これでざっと50羽。黒いシルエットのマガンです。悲しいかなコンパクトカメラではこれが限界。

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 次々に着水。マガンは、沼の近くに来るとスピードを緩め左右に体を揺らして落ちてゆくような行動をとります。このようすを「落雁」(らくがん)といいます。米粉で作る干菓子も「落雁」。どうして干菓子に同じ名前が付くのかは未だよくわかりません。宿の人は、ガンが舞い降りる方の「落雁」のことは、「落ち雁」(おちがん)と言っているので、区別して使っているのだと思います。音楽が聞こえると体が動く性分で、落ち雁の様子を見ているとガンと一緒に自分も体を左右に揺すってまねをしたくなります。

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 ほとんどのガンがねぐら入りしたようです。太陽が西の山に沈みすっかり暮れてきました。この時点で午後4時57分です。ガンは、「カカーン」とか「カハーン」とか鳴きながら飛ぶので、ねぐらに入るととたんに静かになりますが、夜も沼から声が聞こえているのでガンは、おしゃべりな鳥だと思います。

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 翌朝です。この日は天気が良くない予報でしたので、敢えて早起きしないで近くで観察していました。案の定マガンにも夜明けがいつなのかよくわからなかったようで、飛びたちが一斉になりません。たくさんで飛び立ったのが3回ほどありましたが、どれも迫力に欠けました。「もう出かける?」「いやもう少し待とう」「もうお腹が空いたよう」「じゃあ、行くか!」などと声が聞こえてくるようです。リーダーの一声で飛び立っていくのもあり、なかなか行動を起こさない群れもありで、曇りの日もいろいろ想像できて面白いと思いました。太陽の光は鳥たちにとっても大きな影響があるのだと思いました。

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 ハクチョウが5羽飛び立ちました。飛び立つときは足を速く動かし浮力を得るのは大変です。飛行機と同じですけれどハクチョウは自力ですから。伊豆沼ではこの時ハクチョウは5羽しか見かけませんでした。季節がまだ早いのかもしれません。

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 目の前をカンムリカイツブリがやってきました。もちろん冬毛でした。3年前の冬うちの近くの大岡川にもこの鳥が一羽やってきたので覚えたのですが、夏になると首のあたりに金茶色の毛も生えて、黒いカンムリを立ててライオンのたてがみのようになるそうです。冬と夏ではかなり色も形も変わるので、面白い鳥だなと思っています。カイツブリの仲間なので、ちゃんと潜って魚を採って食べます。

 朝の飛び立ちを見た後、宿に荷物を預け隣の内沼へ行ってみました。前回前々回11月に来た時は、内沼にはハクチョウがたくさん来ていたのですが、今回は出払っていたのかまだ来ていないのか、姿がみえません。代わりにいたのは、オナガガモです。

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 カモたちは、食べている時と眠っている時以外は常に羽繕いをしているのだそうです。胸の脇の所に皮脂腺があってそこから油をとって体中に塗っておかないといざという時に逃げたり飛び立ったりできないからだそうです。彼らにとって羽繕いは、生死を分ける重要な仕事なのです。のんびり羽繕いをしてという表現がありますが、決してのんびりしているわけではないということがやっとわかりました。

 内沼の前に築館昆虫館というのがあるので、靴擦れは相変わらずでしたし、中へ入って一休み。

 外へ出てくると裏の田んぼにマガンがいたのでびっくり。あちらも人間が来てびっくり。

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 羽繕いしているのは、まだ人間に気付いていないと見えますが、私を見つけたマガンたちは、首を立てて警戒しています。お食事中のようでしたから、そそくさと退散しました。

 バスは当分来ないようですし、仕方がないので歩きはじめましたが、食事ができる東北線新田駅付近にはあと1時間くらい歩かないと着きそうもありません。水路のほとりの道を歩いていると、釣りをしている男性に会いました。近道でもないかと聞いたところやはりバス道に出るしか先へ進めないことがわかってがっかりしていると、その男性が、「ここではブラックバスが釣れそうもないし長沼の方へ移動しようと思っていたところだから、車に乗っていいですよ。」と親切なお申し出。ありがたく頂戴し、レストランのあるところまで乗せてもらいました。

 前にも行ったことがある「くんぺる」というレストラン近くで下ろしてもらいようやくお昼にありつきました。

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 今回は、「ハットカレー」です。前回も書きましたが、江戸時代の農民が米は年貢で納めなければならなかったので、自分たちが食べる麦を育ててこのハットというものを食べていたそうです。伊達藩では、農民が熱心に麦を育てているのを見て「麦を育てるのはご法度」とやめさせようとしたらしい。そこでこの地域では、小麦で作ったひっつみのようなものを今も「ハット」と呼んで日常的に食しているようです。肉と野菜が入ったカレーうどんというところですが、蕎麦屋さんで食べるカレーうどんよりさらっとしたスープです。体も温まってお腹もいっぱいになったので帰ることにしました。この近辺にたった一台と思しきタクシーを頼んで、宿に寄ってもらい荷物を取ってくりこま高原へ送ってもらいました。

 「伊豆沼ウエットランド交流館」の宿の方とは、2016年に初めてここへ来た時にすごく親切にしていただいたので、毎年続けてここへ来ています。毎年来ていると遠い親戚のような気持ちになります。

 これで秋の旅行は終わりです。新年まで長々と引っ張ってしまいすみませんでした。

 今年もどうぞよろしくお願いします。

宮沢賢治のふるさと花巻市2(旅の続き)

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 翌日の朝、予約をしていた乗合タクシーに乗るために、通りのバス停まで登ってきました。このバス停には、賢治の愛用していたコートと帽子がかかっています。

 花巻旅行を計画した時にこの日もあまり長いくいられないことがわかって、土地勘もないので、この乗合タクシーを使うことに決めて予約をしていたのです。

 どんぐり号は午前中コース(3000円)、やまねこ号は一日コース(5500円)の名前です。私が乗るのは午前中のどんぐり号。

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 9時過ぎ、どんぐり号という名前のタクシーが来るのかと思ったら、やってきたのは「カンパネルラ」号で車体には銀河のお星さまが描かれていました。どんぐりは半日コースの名前でタクシーの名前は別なんだそうです。先客がお一人、山を下ったほかの温泉旅館からもうお一人乗ってこられ、駅から乗られた方は、先に「高村光太郎記念館」で下ろしてきているので、今回の乗車数は9人乗りなのに4人だけでした。

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 一番目の観光は、「高村光太郎記念館」です。宮沢賢治の方が早くなくなったので年上かと思いましたが、光太郎の方が年上でした。賢治が光太郎のアトリエを訪ねるなど接点はあったようです。この地は、光太郎にとっての最愛の人智恵子を失くしてから一人で暮らしたところでもあったのです。

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 記念館から少し歩いたところに実際に住んでいた住居跡があります。右手に裏山が迫り、林が続いていました。クマが出没するので山には近づかないようにとの注意書きもありました。住居を取り囲む建物に覆われていて、その建物の中でそっと覗くようになっています。

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 中に入ってみました。ここは、書斎兼居間、土間は台所。本当に質素な暮らしです。

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 外に出ると井戸がありました。

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 後から建てた来訪者のために作ったトイレです。

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 後から覆った建物は、先住の木を切らずにそのままの姿をとどめてありました。光太郎が建てた時には、きっと小さな木だったのでしょう。

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 住居の前の畑です。今はサルビアの赤い花が目立ちますが、ここで光太郎は自分で野菜を作り、近くの農家の人からも米や野菜を分けてもらいながら生きていたようです。この辺り今は、高原のような土地で花巻の穀倉地帯ではないかと思われます。

 次に訪ねたのは、母ちゃんハウス「だあすこ」というJAの農産物販売所です。農産物のほか惣菜類やお弁当、お土産物などもあり、隣には食堂も併設されています。

「だあすこ」という意味がわからなかったので、運転手さんにお聞きすると、花巻の鹿踊りに使う太鼓の音色から来ているのではないかということでした。「だーだーだーだーだーすこ だーだー」と太鼓の音で踊り手の気持ちが一つになるのと同じように、生産者と消費者の気持ちが1つになることを願って名づけられたそうです。なかなかいい名前です。鹿踊りも一度見てみたいものだと思いました。

 ここでその晩泊まる宿では食事が出ないことがわかっていたので、夜のお弁当と翌朝の朝食になるものを購入したいと思っていたのです。こういう店は、その地域にしかないものがあってみるだけでも楽しいものです。今回は、去年長野の上田市で購入した「ポポー」を見つけたので購入しました。

 街の中心部を抜けて車窓からですが、賢治の生家やハクチョウの停車場を見て「宮沢賢治記念館」へ向かいました。

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 ここには、賢治の心象世界、作品世界、フィールドが映像も含めて詳しく展示されています。猫に迎えられてちょっと楽しい気分になりますが、ここは近くにある童話村とは違って賢治のことを深く知ろうとする人にとっては有意義な場所ですが、お話の世界観を見てとるには、少々難しいところでした。

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 記念館のある場所は、胡四王山の上にあり北西に北上川も見え眺めがいいです。

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 南斜面に「ポランの広場」という庭があり、賢治が設計した図面を使って作った花壇や日時計があります。かなり疲れていたので上から見るだけにしようかと思いましたが、せっかく来たのだからと気を取り直し下りて行きました。

 花壇にはパンジーが植えられているところもありましたが、花の端境期でこの日時計には何も植えられていませんでした。ここで賢治は花壇のデザインもやっていたことを知りました。煉瓦をただ並べるのではなく、斜めに倒しているところが目を引きました。日時計が12時過ぎを射しています。

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 上に上がると「山猫軒」という食堂があります。入口にはやっぱり猫がいて出迎えてくれました。タクシーは、記念館から新花巻駅まで乗せて解散なんですが、私はここで下りてフリーになりました。食事をして一休みです。

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 何を食べようか迷った末、冷麺にしました。なんで岩手は冷麺が有名なんでしょうね。

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 胡四王山から東北方面を見た風景です。早池峰山岩手山が見えます。

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 山猫軒からすぐ外に階段がありました。上ってくる時は、タクシーに運んでもらったので大した傾斜だとも思いませんでしたが、ここから下をのぞくと登り口がとても小さく見えるのでびっくりです。370段くらい段がありました。

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 靴擦れがあるのに道をまちがえて人の3倍くらい歩いてようやくたどり着いた新花巻駅です。やはり知らない土地は方向感覚だけではだめでした。道をちゃんと教えてもらってから歩き始めなくてはならないというのが今回の反省です。花巻から新花巻まではかなり距離があるので、次回はレンタカーを使うかバスの路線をしっかりと調べて回る必要がありそうです。

 最後に。私は、賢治と呼び捨てにして書いていますが、岩手県人は「賢治さん」とちゃんとさん付けで呼ぶのが普通だそうです。尊敬の念が込められているのだと思います。

 (続く)

宮沢賢治のふるさと花巻市(旅の続き)

 秋田の話もまだあるのだけれど、今年も終わってしまうので今回は花巻市です。宮沢賢治のお話が好きなので、賢治がどんなところで生まれてどんなふうに暮らしてきたか・・・・興味があるのです。

 といっても、今回は1泊するだけなので、下見だと思ってざっと回っただけ。角館から盛岡まで出てここからは新幹線でなく在来線の東北本線花巻駅へ下りたちました。古い町並みは在来線の花巻の方にあるからです。

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 この日は、日曜日でしたが、駅前は閑散としています。ロータリーにお店はあるのですが、人がいません。

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 ロータリーの真ん中に「風の鳴る林」というステンレス製の棒が21本立っています。風が吹くとポールの上にある羽がくるくる回るようになっていて、決まった時間になると音楽も流れる仕組みになっているようですが、運悪く聞けませんでした。

 インフォメーションで、花巻温泉に行くバスの時間と停留所を聞き、地図を頂いて行動を開始しました。もう昼の一時を回っていたので、急いで「やぶ屋」という蕎麦屋さんを探しました。駅から10分くらい歩いた商店街にありました。街には人影がないのにこのお店にはたくさんのお客さんがいたので驚きました。

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 宮沢賢治は、玄米とみそ汁と漬物というような質素な食生活だったのかとずっと思っていましたが、若い頃は、好奇心が強い人で、学校の農場でも新しい野菜を手掛け、東京へ出ると新しい洋食なども食べ、その辺りは私とそっくりな人のようです。

 学校の先生になってからは給料が入ると学生やら同僚を誘い、「ブッシュ」(英語でやぶ)へ行こうと「やぶ屋」さんへよく通ったそうです。賢治が頼んだのは、もっぱら天ぷらそばとサイダー。

 「やぶ屋さん」で賢治が食べたという天ぷらそばとサイダーをセットにした「賢治セット」というメニューがあるので、それを頼みました。

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 その頃は、サイダーなんて言うのはとってもハイカラな飲み物だったに違いありません。次に来たのは、来る途中見つけておいた「照井菓子店」。だんごや大福を売る和菓子屋さんです。そこでだんごを買って帰りました。このだんごやさんのご主人は、「今日中に食べないんだったら売らないよ。」というらしい。おもしろいおじさんだなと思って行ってみたのです。

 

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 このだんごやさんが建っているところは、銀河鉄道の夜に出てくるジョバンニがアルバイトをしていたという活版処のモデルになった跡地だということで、このお店も訪れる人が多いのだと思います。

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 最後に賢治の弟さんの孫がやっている「林風舎」へ。

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 中は、賢治ゆかりのお土産物を売っていて、二階はちょっとしたコンサートもできるカフェになっているとのこと。私は、バスの時間が気になっていたので、1階で賢治が描いた絵のポストカードを買っただけで二階へは行きませんでした。

 三時半に花巻温泉に行くバスがロータリーの所から出るというので、停留所に並びました。乗る時に温泉の名前を言い、座ります。花巻温泉郷の手前の温泉から順番にお客さんを下していきます。賢治がよく行ったという「大沢温泉」の湯治部へ泊りたかったのですが、この日はもういっぱいでしたので、もう少し奥の方に位置する「鉛温泉」の「藤三旅館」の湯治部に泊まりました。デラックスな旅館と湯治部と普通の旅館と三つの部分が廊下で横に繋がっていました。

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 湯治部玄関脇の帳場です。着いた時には手前にあるソファに座ってここの旅館の使い方などをレクチャーしてもらい、それから部屋に案内されます。神棚もあり、いろんなものが雑然と置いてあって、いきなりはるか昔にタイムスリップしたような気になりました。

 この旅館には、有名な立湯(たちゆ)というのがあって、廊下からかなり階段を下りて深い穴のようなところに入ります。洗い場とかはなく、ただ湯穴に浸かるだけです。深いので立っているしかないので、そんなに長くはいられません。普段は、混浴らしいですが、今は時間を限って女性専用になります。

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 湯治部というのは、農閑期の骨休めにうちから米や野菜などを持ち込んで、自分たちで煮炊きしながら何日も逗留するところなのです。私は、前から泊まりたいと思っていましたが、今回初めて泊まることができました。

 秋田から比べるとまだこちらは紅葉も始まったばかりで、部屋の外の赤くなり始めたもみじが見えました。

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 湯治部に興味津津で探検して歩きました。あるお部屋に台車に乗せた冷蔵庫を運び込んでいるスタッフがいたので、廊下の端っこへ行ってみると白い布を被った小さな冷蔵庫とそれに石油ストーブも置いてありました。まだそれほど寒くはないものの朝晩は冷えるので、私の部屋にはストーブが置いてありました。私の場合は、一晩ですし食事も二食ついて浴衣やアメニティも全部含んだ料金で申し込んでいるので、ストーブも付いていたのだと思いました。

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 廊下の反対側には、台所がありました。ガスコンロが使えます。木の箱のところがガスの装置が入っているようで、箱の上部の投入口にお金を入れると10円で7分ガスが使える仕組みになっているのだとか。こういうのを見るとやたらやってみたくなりますが、今回はがまんがまん。

 台所には、鍋ややかんなどの調理器具もそろっているし、食器棚には食器もそろっています。食材さえ持ってくれば調理して食べられるということがわかりました。隣の洗い場には洗濯機もあって二百円投入すると動くようになっていました。

 

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 これが夕食です。目がいやしいので出たものは残さず食べてしまうのでおかずの量もこれくらいがいいと思いました。どれも美味しくできていますが一番のご馳走は、赤いお椀に入ったご飯でした。ぴかぴかしていてとても美味しく炊けていたのです。

 うなぎの寝床のように川に沿って建物が廊下で横につながっているので、4つ泉質の違う温泉のどこへも入ることができますし、私のように全部含んだ料金を払えば部屋が古いのは別として普通の旅館のように過ごせます。

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 もう一つびっくりしたのが、灰皿と一緒にマッチが置いてあったことです。(ぼけた写真ですみません)今ではもうマッチも死語になりつつあるのではないかと思いますが、この旅館ではまだ生きているのです。 この旅館の名前は「藤三(ふじさん)旅館」といいます。

(続く)

 

関電を告発する会に参加

旅行の記事がまだ残っているのですが、ちょうど昨日が大阪地検に告発状を提出した日なので、このことを先に書きます。

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 11月の14日、「関電の原発マネー不正還流を告発する会」の代表の方々とその代理人の弁護士さんが、これは関西だけの問題ではなく全国の原発の問題だからと東京でも集会を開くと聞き、都内へ出たついでに永田町の憲政記念館へ出かけた。

 有楽町から歩いて皇居のお堀の脇を歩いて向かった。先日まで大騒ぎだった皇居も静けさを取り戻し、お堀には北国からやってきたカモたちがたくさん泳いでいた。うちの方にはまだやってきていないのに、ここにはざっと5種類くらいのカモが来ていて驚いた。その中でまだ写真を撮っていなかったのがいたのがこの「オカヨシガモ」。

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 ちょっと脱線してすみません。

 内部告発状が届き、9月27日にメディアへの第一報。前代未聞の不正が世論を動かし、経営陣のトップが辞任に追い込まれたことはご存知だと思う。

 発覚してからも会見では、森山助役の個人的な性格がこういうことを引き起こしたかのような言い訳をして自分たちの不正を隠そうと躍起になっていた様子はニュースでも知らされたが、あまりのひどさに唖然としたものだ。

 この会には、会の代表者の中島哲演さん、代理人の河合弁護士と海渡弁護士が参加して告発に至る詳細を聞くことができた。

 その後第三者委員会で調査をしているというが、関電のお抱え弁護士がそのメンバーであり、調査の範囲や調査方法は関電と協議をして決定するという。それが第三者委員会なの?という内容だそうだ。

 どうしてもこの問題の真相を究明しようとしたら、強制捜査権をもつ検察や国税局に入ってもらわなければならないということで、告発することに至ったと説明された。

 若狭湾の狭い範囲に15基と、原発銀座といわれるような世界一の密集地だと今回遅まきながら知るに至った。そのうち11基が関電のもの。自分たちが必要としているわけじゃない電力のために原発を15基も抱えなければならない地元の人たちのことに想像力を働かせなくてはならないだろう。

 関電から工事の発注を水増しした額で助役が役員を務めていた吉田開発が請負い、その不正なお金があちこちに還流していったという構造になっていたようだ。

 関電は、7年前に電気料金を値上げしたがちょうど不正還流が行われた時期と被ると聞くと怒りがさらに込み上げる。消費者は、おかしいことはおかしいと怒らねばこういうことがまかり通る世の中になってしまうのだと思った。

 吉田開発は、ゼネコンの下請けにすぎず、氷山の一角でどれだけの氷山が海中に隠れているのか考えると恐ろしいほどだ。本当はそのゼネコンにもメスが入らねばならないはずだ。

 原発を立地させるためには、今回登場してきた森山氏のようなフィクサーがどこにもいるはずだという。こういう人は、行政にも地域の有力な企業にも人脈を持ち、自分だけではなくまわりを囲む人に少しずつ毒まんじゅうを配って抜け駆けさせないように気を配り、お金を配るのだそうである。

 今回も先日発表されたが、福井県の職員にも、さらには国会議員への献金、パーティー券の購入など広く深くお金が回っていることが見てとれた。

 日本のあちこちの原発も似たり寄ったりだろうと想像に難くない。どろどろとした原発むらの構造をしっかりと暴き、不正なお金なくしては、原発を作ることができないことを明らかにしてほしいと切に願い告発人になろうと決めた。

 最後に河合弁護士から檄がとんだ。みんなが怒っているということを世の中に知らしめるためには数が必要だ。怒りを数値化することで、世論を作り、検察にも本気を出させなくてはならない。当初は1000人が目標だが、10000人ほしいとも言われた。

 その言葉を聞き、一人が10人に呼びかければ10000人になるかもしれないと知人友人に呼びかけ10人の告発人を確保した。

 昨日13日に、12月8日までに届いた委任状3272人分を大阪地検に提出したとホームページに告知されていた。あまり大きく報道されないので、知っていればもっとたくさんの方が参加されたかもしれないなと思うと残念な気がしている。

 下記が告発する会のホームページ。

http://kandenakan.html.xdomain.jp/

秋田の紅葉 その5

「桃洞の滝」からの帰り道です。

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 その日ここへ来ていたのは、ご夫婦が一組、あと男性が2人それに私だけです。ほぼ独り占めと言ってもいいでしょう。東京近辺ではなかなか考えられません。

 タクシーのお迎えの時間があるので、あまりゆっくりもしていられず、一番後に着いたのに、一番早く退散することになりました。いいカメラがないので、長居しても始まらないのです。

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  太陽の日差しが木間から射してきました。

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 林が明るくなってますますブナの葉が美しいオレンジ色に輝き出しました。

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 ふかふかの落ち葉の中に木の芽が出ていました。こんなに小さくてもはや紅葉しています。今からこの森は深い雪に閉ざされるのに、こんなに小さくて生きて行けるのでしょうか。ちょっと心配です。

 向こうからくる男性に出会いました。ヘルメットをかぶり、ビニル袋を手に持っています。一人の気安さで声をかけてみました。予想通り、キノコ狩りをしている方でした。ここから車で40分くらいの白神山地の方から来たのだそうです。向こうでキノコを採っていると「また来たのか。」と知った人から声がかかるのが面倒で、こっちへ来てみたのだそうです。

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 額の汗をぬぐいながら、どんなキノコを採っているのか見せてくれました。

 「ムキダケ」というのだそうです。シイタケくらいの大きさです。匂いを嗅がしてもらいましたが、シイタケやマツタケのような特別な香りはなく、ブナシメジなんかに近い感じがしました。やはり鍋に入れたりして食べるのだそうです。今の季節はナメコが生えていると言っていました。

 「時間があれば食べさせてあげるんだけれど・・・」と言ってはくれたものの、まだ採っている最中でしたからここでお別れ、残念ながらお味見はできませんでした。

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 そばのブナの木にこんなキノコが生えていましたが、これは毒キノコだから気をつけてと言われました。キノコは外見が似ていても毒キノコというのが結構あるので、知った人としかキノコを採ることはできません。

 ついでに白神山地の方は、ユネスコの自然遺産になってから観光客がたくさん訪れてブナの根っこの痛みが激しいという話も聞きました。世界遺産だとかレッテルを貼ってもらうとどっと観光客が押し寄せる傾向がありますが、そんなレッテルがなくても素晴らしいところがたくさんあるのに・・・せめて日本国内では観光業者のツアーに乗っかるだけじゃない自分の旅をしてほしいものだと思います。

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 鳥獣保護センターに戻ってきました。木の香りがする広々とした空間に大きなブナの木(化学処理されたものだと思います)が立ち、この森にいるクマゲラが巣穴から顔を出しています。本当のクマゲラはすごく用心深い鳥だそうなので、遠くからしか見ることはできないと言われました。一番大きなキツツキですから、そのドラミングの音も大きいそうです。せめてそのドラミングだけでもと思いつつ、・・・また再訪できるかどうかそれが問題です。

 タクシーは、午後1時半のお迎えかと思ったら午前中タクシーの御用がかからなかったということでずっと駐車場に停まっていたそうです。

 帰りの車の中でカメムシのことが話題になりました。運転手さんは、普段は1ヘクタールの田んぼを耕作していて農閑期の午前中だけでいいからと運転手の仕事をしているそうです。減農薬で耕作しているし、一人では機械を使ってやっとだとか、保護センターにいたカメムシがお米にもついてそれを退治するのが大変だと話していました。カメムシがコメのエキスを取った跡が残ると等級が下がり当然米の値段も下がるのだそうです。

 息子さんは、後を継がないと言っているので、自分の代で農業はおしまいだと寂しそうに話していました。ほかの物に比べて米価が安すぎます。これで外国から安いお米が入ってきたら、ますます農家は少なくなっていくでしょう。

 昔高校生の頃、地理の学習で米価の逆ザヤについて調べるよう、宿題が出たことがありました。その時に永田町の政府刊行物センターまで行って資料を見つけ、その逆ザヤが何かがわかりました。

 その頃は、農家から政府は米を高く買い取って、消費者には安く売る仕組みになっていたので、それを逆ザヤと呼んでいたのです。戦後の食糧難から米を増産させるためそういった政策を取ったのでしょうが、時代を経てそれがなくなったのです。

 コメの消費は伸び悩み外国産の安いコメが流入しいよいよ農家は後継者がいなくなってやめざるを得なくなってきているのが現状です。

 どの国も食料の安定供給のため、補助金を出しても農業を保護しているのになぜ日本は主食を含め大事な食料に無頓着なのでしょう。

 ちょっと脱線しましたが、旅先でいろんな人と話ができると世の中のこともわかりいいものです。

(旅は、続きます)