雪の藤七温泉 2

 翌朝、窓の外を見ると、うっすらと雪が被っている。

 朝日が昇り東の方向だけがオレンジ色に輝いていた。しばらくすると、茜色の空もだんだん雲に覆われ灰色の世界になった。

 時折吹く風は雪を舞い上げる強風、昨夜とあまり変わらない。結局その朝も朝食の前に内湯を浴びることになった。

 東の方向 天気が良ければ岩手山が見える

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 朝食は、夜と同じようにアルコール消毒をしてからお盆をもらい、トングでおかずをチョイスするブッフェ形式。おもしろいのは、朝カレーが用意されていることだ。軽井沢ならともかくこんな山奥の宿にもカレーがあるというのは、朝カレーがブームになっているからだろうか。湧水コーヒーもご馳走だ。

 

 ほとんどの人が朝食の席に着いた頃、宿の人から声がかかった。

 八幡平は、10月の中頃から夕方から朝にかけ道路の凍結に伴い通行止めの措置が取られていたのは知っていたが、この日は、全面通行止めになったとのこと。

 したがって、昨日車で藤七温泉まで来られた人は、全員午前9時チェックアウト。宿の車を先頭にして指定された順番通り車列を組んで同時に樹海ラインを通り、下山することが告げられた。

 中にはノーマルタイヤの車も3台あったので、車列の最後に前の車のわだちに沿って運転するようにと言われていた。

 最後にもう一台宿の車を配置して、なんだか物々しい下山だった。道路の状況が見えないので、運転する人は不安だったのではないだろうか。

 私は、初めての道はできるだけ車に乗らないようにしているが、レンタカーなどに頼らなくて本当によかった。

 無事を祈るような気持ちで出発する車を一台一台見送って部屋へ戻ってきた。

 ここの宿の車は、毎日お迎えをする必要上、ゲートのカギの管理を任されているようだ。

 

 後からわかったことだが、我々二人以外は全員下山されていた。

 こんな経験も初めてでガランとした宿に二人ボッチ。廊下を歩くパタパタというスリッパの音もトイレのドアを開け閉めする音も聞こえない。テレビもない、電波も届かない、1人なら本を読んで時間を使うが、2人なのでそんなわけにもいかない。ひたすら内風呂に入り、部屋では延々二人でしゃべるしかやることがない一日だった。

 

 お互い三十年以上、同じ絵のグループに属しているので、これまでも食事を共にしたり、旅行に行ったこともあり、お互いの気心はわかっているのでそんなに心配することもなかったが、一日籠ってしゃべり続けるというのは初めて。話は、過去のあれこれにまで及び、知っているようで知らない話に驚くことも多々あり、覚えていないこと、自分の脳で選別して記憶していることなど改めて知ったこともあり、貴重な一日となった。

 

 心配だったのはお昼ご飯。大勢の人がやってくる季節には日帰り温泉でお昼ご飯を提供しているのは知っていたが、今日も出してくれるかフロントまで聞きに行った。「お昼は注文してくれれば、出しますよ。」とのことでほっとした。私がいつも心配になるのは食事にありつけるかどうかだ。

 メニューから、私はカレー稲庭うどん、連れ合いは、山菜そばを注文。

 

 夕刻には、大きな観光バスに乗った旅行客と麓の駐車場に自分の車を置いて宿のマイクロに乗ってきたお客さんなど、結構な人数が到着した。

 

(*写真はあまりありませんが、旅は続きます。)



雪の藤七温泉 

 昨年秋、青森の酸ヶ湯温泉へ行った折、青森へ出るバスの隣に居合わせた方に「藤七温泉は、お湯がいいよ。」という話を聞いたのがずっと耳の奥に残っていた。

 結論から言うともっと早くから予約を取ればよかったのに、なんだかぐずぐずしていて予約が取れたのは10月の20日になってしまった。

 はじめは一人で行くことにしていたのだが、一昨年秋田の森吉山へ一緒に行った人から連れて行って!とラブコールを送られていたのを思い出し、声をかけたら行くというので、計画の途中から2人で出かけることになった。

 

 藤七(とうしち)温泉というのは、八幡平国立公園内にある温泉で標高1400mと東北の温泉では最も高いところに位置している。電話は衛星電話。携帯電話は入るところと入らないところがあるらしい。

 

 八幡平は、秋田の玉川温泉を経由するのや、秋田の鹿角から入るのやらいろいろルートがあるのだが、盛岡から安比温泉やら八幡平温泉などを経由する無料のシャトルバス便があるというので盛岡から入ることにした。

 

 東京駅8時半出発。この日は、前回の軽井沢同様どうも天気がはっきりしない。東北新幹線に乗っていても奥羽山脈の方には灰色の雲がかかっている。日本海側の天気が悪いらしい。時折雲がかかってはまたうっすらと陽の光が差す。友人が虹を見つけた。アーチを描いた虹や縦に棒のようにかかったのや二重の虹など、合計5本ほど。冴えない天気だったが、友人の虹探しでこちらの気持ちも和んだ。

 

 田沢湖線を使う時も盛岡が基点になるので、これまでも何回か行っているが、盛岡へ行くのなら、初めて行った時に食べた街中の蕎麦屋へ行きたいと思って強引に友人を説き伏せ「やまや」という蕎麦屋へ行った。盛岡名物のわんこそばではなく普通の盛りそばだ。

 やまやの韃靼そばと挽ぐるみそば

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 下が韃靼そば、上が挽きぐるみそば。1枚が安いので、2枚で800円。韃靼そばは幾分苦味があるとの説明書きがあったが、ほんの少し感じるのみだった。

キスと甘唐辛子の天ぷらf:id:yporcini:20211020121139j:plain

 前回は、秋のはじまりだったので、季節の天ぷらはアナゴとにがうりだったが、今回はキスと甘唐辛子。もう少し後だと牡蠣だったのに、ちょっと残念。季節季節で変わるこの天ぷらと三たての安いそばが魅力の蕎麦屋さんだ。友人は、大人なので一枚、よせばいいのに朝抜きで来た私は二枚も食べてお腹がパンパンだ。

 

 シャトル便は、西口から午後2時出発。予約制なので乗れることはわかっていたが、座席は満席。

 寝不足の私は、窓からの景色も見ないでよく眠っていたが、麓の公園で宿のマイクロバスに乗り換えるところで目を覚ました。ここからアスピーテラインという道路に入っていくのだが、高度を上げていくと白樺やブナの黄色くなった葉も落葉して骨のような枝が目立つようになる。この日は、頂上近くになると雨風が強く、宿に着いた時は、そそくさと走って玄関へ入った。

 

 山の斜面にある野天や内風呂の外にある露天も雨風が強いので無理だといわれ、この日は、内風呂へ。お風呂へ行く渡り廊下が吹きっ晒しなので、荒天の日はいずれにしてもたいへんだ。

 

2泊目の夕食

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 ということで、この日は、夕食の前にも寝る前にも温泉に入った。夕食は、手をアルコール消毒した上で一人一人、お盆に食器がセットされたものを持ち、自分専用のトングでおかずを取っていくブッフェ形式だ。マスの刺身、食用菊、ジュンサイ、ナメコの下ろし和え、イワナの焼き物、マイタケやリンゴの天ぷら、稲庭うどん、ひっつみなど地域の名物の物もあれば、トマトのレモンマリネなどというちょっとおしゃれなおかずもある。水道などは通っていないが、素晴らしい湧水が引いてあっていつでも飲める。

(次回に続く)





友人と軽井沢へ

 8月に計画した旅行でした。

 今回の旅行は一人でなく、3人です。

 10月になれば緊急事態宣言も終わるだろうという目論見で3人の都合が付く日を決めていたのですが、ようやくそれが実現しました。

 私はどうやら鼾がひどい(自分ではよくわからない)ということで、原則シングルで部屋が取れる条件じゃないと一緒に行かないことを知っている友人なので、それぞれ別の部屋を取ってもらいました。一人では申し訳ないほど広い部屋です。

 コロナ禍が開けて間もないウイークデーだったのでそんな無理が効いたのかもしれません。

 10数年前にもこのホテルには2回ほど泊まったことがありますが、私より年が少し上のお二人ですから今回のコロナ禍のようなことがあると、これからそう何度も一緒に旅をすることも叶わないかもしれないというような気がしたので、ちょっと無理を言ってみました。

矢ケ崎公園

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 私が行く旅行は、たいていおてんとうさまが贔屓してくれるはずなのに、行った日は少しだけ太陽が姿を現しましたが、全体的に曇が多い日でした。離山の向こうに見える浅間山が頂上に雲がかかり姿がよく見えず、近くの矢ケ崎公園の池も霧のベールに覆われていました。

 

 軽井沢は、新幹線で行くと1時間余りで着いてしまい本当にあっけないです。10時半過ぎに東京駅を出発して、昼前に到着。ホテルに荷物を預けて昼食へ。

 旧軽銀座を通って友人お薦めのベーカリー&レストラン「SAWAMURA」へ行きました。5分ほど待って外にあるテーブルに通されました。

 

「旬野菜のジェノベーゼソース」

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 ランチメニューにあったピザです。生地に青のりが練り込んであるので海苔の香りがちょっとします。美味しく頂きましたが、普段はあっさり系の食べもので過ごしているので、中に入っているこってりしたモッツアレラチーズは胃に応えました。私だけでなく、3人ともそんなことを言っていたので、外見はともかくとして胃腸の方は順調に年を取っているということなんだろうなと思わぬところで年を感じました。

 こののち矢ケ崎川沿いを上ってショー記念礼拝堂まで行ってみましたが、森の紅葉にはまだまだ時間が必要な気がしました。1か所だけ赤かったのが駅の近くの街路樹のもみじです。軽井沢も今頃はすっかり衣替えが済んでいることでしょう。

 

 街路樹のもみじ

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 夜は3人とも「お腹が空かないね。」と言って、売店で見つけた冷凍食品の焼きおにぎりを2つとインスタント味噌汁で済ませました。昼間のピザが相当応えたのでしょう。夜は何を話したのかも覚えていないくらいですから、とりとめもない話をこの2年分くらいしゃべりました。

 

中軽井沢駅近くに咲いていたコスモス

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 翌日は、中軽井沢までしなの鉄道に一駅乗って、スーパー「TSURUYA」へ。駅から畑や住宅の間を縫って20分ほど歩いて行きます。途中で見たコスモスは自由に舞うように咲いていてなんだかとっても優しい気持ちになりました。

 「TSURUYA」は、自社で農場も工場も持っているので、オリジナルのジャムやワインや果物なども買えます。初めて来たときに、ここで生のルバーブを見つけて感激したことが忘れられません。もう20年近く前ですから、関東で見つけるのはかなり難しかったのです。自社農場で栽培しているので、いいものが安く手に入ったのです。

 それ以来友人もルバーブが気に入って、軽井沢へ行くたびにここで手に入れてジャムを作っているみたいで、今回もそれが目当てで行ったのですが、残念ながらルバーブの季節は終わったようで買うことができませんでした。

 私はうちではパンをほとんど食べないので、長らくルバーブとはお付き合いがありません。あんなに恋い焦がれていたのに、生き方によって食べ物もいろいろ移り変わるものです。

 

 若い時は、軽井沢へ行くとアウトレットへ必ず行って着るものを買っていましたが、今はそんな欲も無くなりました。と言いながら、友人にくっついて歩いているとやっぱり目につくものが欲しくなり、一つだけ買い物をしました。私の買ったものは、addidas の上着です。全く困ったものだと反省!!!

 

 

敬老の日

 

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 9月のカレンダーでは、20日23日が赤字になっていた。20日ってなんの日だっけ?と思ったが、9月の祝日は秋分の日と敬老の日しかないはずだから、20日は敬老の日なんだろうなと思ったが、15日からあまりにも離れているのですぐにはピーンとこなかった。

 

 今日はその敬老の日、私の住む団地の自治会からお祝いが届いた。70才以上の人が対象になっている。いつもは「敬老なんてどこの誰? 」と自覚がないが、この調査の時にはどら焼きもらいたさに名前を書いている。

 

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 10時過ぎ、「ピーンポーン」とドアチャイムがなった。すぐにどら焼きだと思っていそいそと玄関を開ける。届いたのは、昨年と同じ梅園のどら焼きだ。栗きんとんが入っていて大きいので楽しみにしている。

 

 届けてくださったのは、自治会でも貴重な若手の男性だ。自治会に入っている人も年齢が高いが、役員をやっている人も同じ。3年前に私も棟から一人役員を出さなくてはならないというので、仕方なく役員を引き受けたことがある。

 

 コロナ禍でなければ、集会所でお弁当を用意し音楽会があったり、ビンゴゲームがあったりとお楽しみ会が催されるのだが、ここ2年はそれを休止している。

 

 朝9時から重い椅子を運んだり机を並べたりと会場の準備をしたり、お祝いのお菓子を各家庭に配達したり結構忙しく立ち働いたが、働いている人の大部分が敬老対象者なので、「敬老が敬老の会の準備をするんだ。」と言ったら、みんな笑っていた。

 

 3年前はできた集会所でのお楽しみ会も、希望する人全員を入れるのは無理だろうし、コロナ禍が終わったら別の方法を考えねばならないだろう。さて、どうなるか来年が楽しみである。

 

 今年のお祝いのお手紙には、敬老対象者は500人を超えていると書いてあった。一世帯2人いる場合も単身の世帯もあるだろうが、1000世帯の団地の老齢化も加速している。

 

 15日に総務省が発表した65才以上の人口は、3640万人、全人口に対する割合は29.1%だそうだ。

 

 先ほど友だちから電話がかかってきた。「今日は、本当の満月ではなけれど月がとても美しいから見てごらんよ」と言っていたので、これから外へ出てみようかと思っている。

棹前昆布(さおまえこんぶ)

 先日の北海道旅行で昆布を買ってきました。

 私が訪ねた浜中町は、天然昆布では日本一の生産量だということで湿原センターの職員からもいろいろ教えてもらいました。

 

 コンブ漁が始まるのは7月。棹を使って昆布をひっかけて取るのでこの漁のことを棹入れというとのこと。

 漁が始まる前の6月に上から引っ張って取るのは、棹前(さおまえ)昆布。

 野菜でいえば、間引きみたいなものかな。若くてちょっと緑がかった色で厚みの薄い昆布です。

 この昆布は出汁を取るには不向き、でも煮て食べるには早く柔らかくなるので調理は楽です。早煮え昆布という名で売られているのも同じ種類の昆布だそうです。

 今回民宿で食べた昆布がとても美味しかったので、煮て食べようかという気になって棹前昆布を買ってきたのです。棹前昆布は、収穫量が少ないので正式な厚い昆布より希少価値がありそうです。

 

昆布のから揚げ

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 まず、天ぷらのついでにこの昆布をはさみで切ってそのままから揚げにしてみました。昆布の旨みがダイレクトに伝わってきて美味しく食べられましたが、天然の海塩が付き過ぎていてしょっぱかったのが残念です。年寄りですから塩分の取り過ぎは避けなくてはなりません。一度水に浸けて塩分を取ってからにした方が良さそうです。

 

昆布巻き

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 昆布巻きは今まで自分でやったことがありません。子どもの時から昆布巻きというと甘辛く煮てあってそれが嫌いだったのが原因かもしれません。ニシンとかサケとか中に巻くものはいろいろでしょうが、今回はうちにあったシシャモを芯にして巻いてみました。味は、みりんとしょう油とお酒で極薄味にしてみました。普通の鍋で30から40分くらいで十分柔らかく煮えました。ただかんぴょうで巻くのは、不器用な私にとっては少々面倒でした。薄味の昆布は美味しいと思いました。

 

昆布と塩サケの炊き込みご飯

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 水で戻した昆布を小さく切って戻し汁とお酒を足して炊飯します。塩サケは切り身のままご飯の上にのせてそのまま炊きます。炊けてから塩サケを取り出しほぐしてから混ぜ込みます。簡単で美味しい炊き込みご飯です。ご飯が進み過ぎて食べ過ぎるので要注意です。

 

 昆布は繊維質も多くミネラルの宝庫であることを認識。何もサラダを毎日食べずとも、海の野菜である海草を食べればいいのかと再発見しました。

 

秋ですね

 

 キンモクセイ

 月曜日団地の路地を通った時に、甘い匂いにうっとりしてしまった。マスクをしているせいもあり、鼻を通してこんな気分になることがなかったので不意打ちをくらった感じで、すぐにキンモクセイだと気づかなかった。

 年々早くなっているキンモクセイの花時季だが、今年は特に早い気がする。桜と違って南から北へ開花が移動していくというより、ラジオからの情報だとほぼ全国同時に開花するような気がする花だ。

 私が好きな香りNO1だ。

 

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 ツルボ

 先週ベランダから細い穂のような花が見えた。上から見るとよくわからなかったが、近づいてみると薄紫のきれいな花が咲いている。ちょうど絵の教室に出かける前だったので、絵のモデルに使えるかなと思って何本か切り取ってでかけた。

 

 何年もここに住んでいるのに、この時期こんな花が咲いているのを見つけたのは初めてだ。ここ数年、毎年のようにこの辺りに植えてあったソメイヨシノの木が切られてきた。伐採されて日当たりがよくなり数が増えたのかもしれない。

 

 絵の教室で詳しい人に聞いてみると、名前はツルボと判明。このツルボは原野の日当たりのいいところや林の縁に咲く花で球根で増えるらしい。葉は短くて細い。球根で増えるところも、葉は花が終わる頃伸びるというところもヒガンバナに似ている気がする。

 この植物は、ここが原野だった頃の記憶を持っているのかもしれない。

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 ヒガンバナ

 キンモクセイは、ちょっと早いような気がするが、ヒガンバナはこの数年彼岸の入り1週間から10日前には咲き始める。咲く時期を心得ている本当に律儀な花だ。

 

 40数年前、団地ができる前は、この辺りは小高い山だったのだろう。造成して団地を作る前のことはほとんど知らないが、斜面や林として残してあるところには、小さなヒガンバナがひょっこりと咲く。ヒガンバナはその頃の記憶を残す貴重な花かもしれない。

 

 ヒガンバナのつぼみがあるところにもう一つ秋が落ちていた。銀杏の実だ。見上げるとイチョウの木にたわわにギンナンの実がなっていた。

 夏の暑さに負け、コロナ禍でマスクをしながら歩いているので、季節の移ろいに疎くなっている自分の感性を取り戻したようなここ1週間の話である。

 

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初夏の浜中町の旅 その10

 最後の晩餐(夕食)

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 この日は、メインは今まで刺身になって出てきた魚のあらやキノコををホットプレートで焼いたもの。宿主の食べ物をおろそかにしない心を感じる。

 珍しかったのは、ゲンゲの吸い物。身がことのほか柔らかく口に入れると溶けるようだ。調べてみると富山だとか日本海側でほかの魚を獲る網にかかっているような魚で深海魚だそうだ。目的外の魚なので、安く手に入ったりするので 漢字で「下の下」と充てられたり、珍しいというので「幻魚」と表わされている。

 プルプルするので、やはりコラーゲンがたっぷりなのだろう。

 

 「霧多布里(きりたっぷり)」の前景 (後ろ側が海)

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 翌朝もやっぱり曇っていた。

 民宿の建物の前で宿泊者の記念撮影をすることにしているので、「嫌でなかったら看板の横に立ってほしい」と言われ、口角を上げて撮ってもらった。

 私が泊まっていた部屋は玄関の真上の部屋。入口のドアに「くちばし美人」という名札が付いていた。何のことかはじめはピーンとこなかったが、アイヌの言葉で「エトピリカ」のことだと後で気が付いた。エトが嘴、ピリカは、美人とか美しいという意味のことばだ。

 体は黒く、大きなくちばしと脚は赤くて、頭の横に黄色い飾り羽が付いている。歌舞伎役者のように華やかな雰囲気を感じる鳥だ。

 エトピリカは、霧多布には繁殖にやってこなくなってしまったが、かつては来ていたということがわかっているので、デコイを岩に置いたり、海上に浮かべたりして呼び寄せようと頑張っているそうである。

 ただ単に部屋の名前に過ぎないけれどもエトピリカの部屋に泊まったんだと思うとちょっと嬉しかった。

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 朝六時、町内バスの停留所がある新川十字路まで宿主が車で送ってくれた。

 これで最後だなと思っていた時、「宿主がタンチョウが来ているよ。」と教えてくれた。離れたところにいたので、ぼうっとしか見えないが、目いっぱい大きくして写真を撮った。

 

 朝一番のバスだから通勤客が乗っているのかと思ったが、私以外学生さんが一人乗っていただけだった。このバスに初めて乗った時にも浜中町のことをいろいろ教えてくれたドライバーさんの運転だった。このバスは湿原センターの前の道をさらに北の方へ行ったところにある駅へ向かう。「浜中駅」より一つ釧路寄りの「茶内」(チャナイ)という駅だ。

 今回も運転手さんはこの駅の近くのことを教えてくれた。ここには横浜に本社がある「高梨乳業」の工場があり、浜中町の酪農家の生乳を集め生産しているということを教えてくれた。大変質のいい牛乳なので、ハーゲンダッツのアイスクリームにも使われているという。タカナシ乳業がこの町に入ってきたことで、雇用も増え町としては助かっているのだそうだ。

 

 茶内駅近辺は、郵便局やスーパーの建物も見えたし、浜中町では霧多布の街の次に人が多そうなところである。

 駅舎の入口にルパンのパネルがあった。霧多布辺りではあちこちでルパン三世のパネルやポスターを見ることができるそうだが、私は人がいないところばかりを歩いていたのでほとんど出会うことはなかった。

 作者のモンキーパンチさんの出身地が浜中町なので、ルパンは町おこしに一役買っているようだ。展示施設もあるし、タクシーやトラックのラッピング、お店の壁などに ルパンやその仲間たちが描かれていて ファンには嬉しい街でもあるようだ。

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 海の近くの街へ行くと 海抜○○mというプレートがかかっているところがあるが、この町にも要所要所で見かけた。茶内駅は、約44ⅿとなっている。

 

 三陸へ行くと津波のことが常に頭に浮かぶが、道東の海岸もチリ地震津波釧路沖地震津波東日本大震災津波など何回も津波の被害を受けているそうだ。霧多布の街にあった浜中町の役場も海抜42ⅿの高台に移転して、今年やっと開庁したそうだ。

 津波の被害のことも浜中町へ来てみて分かったことの一つだ。行ってみてわかることはたくさんある。

 

 最後に地名の由来を紹介。

 「霧多布」(キリタップ)というのは、アイヌの言葉の「キタプ」(茅を刈るところという意味)が「キイタップ」となり、漢字の「霧多布」が充てられたようだ。

 だれが付けたのかわからないが、当て字も霧の多いこの地域をよく表している。

 

 「浜中町」の浜中は、アイヌの言葉で 「ota-noske」オタノシケ(砂浜 中央 という意味)

 そこから はまのなか 「浜中」になったようだ。

 

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 花咲線がやってきた。たった三日間だったけれども、いろんな学びができ充実した旅になったこと、お世話になった皆さんへの感謝の気持ちをいっぱい詰め込んで浜中に別れを告げた。

 8月中に終わらせようと思いつつ9月に入ってしまいました。今朝は北の窓からひんやりした風が入り身震いした途端、北海道を思い出しました。  

 これで浜中の旅のブログはおしまい。長々引き延ばした記録を読んでくださった方々、ありがとうございました。