信州の旅その3ー戸隠から上田、無言館へ

 宿坊の庭の木々の紅葉は今一つとの話でしたが、ツタの赤が燃え下草のシラネアオイ

の実がはじけていました。宿のおかみさんが、「来年の春また来てください。庭一面ピ

ンクのシラネアオイの花が咲いてきれいですよ。」と別れ際に話してくれました。

 環境が整わないと消えてしまうデリケートな花なので、庭の具合がちょうど生育環境

に適しているのだと思います。

 また見てみたいなあ。

 これはそば玉と言います。

 よく日本酒の新酒ができると蔵元では、大きな杉玉をつるしますが、それと同じよう

に新そばになるとこの鼓のような竹籠にそばの茎を入れて店の軒先につるすようです。

 もう新そばが始まっているのではないかと思っていたのですが、茎の色が茶色なので

まだのようです。

 

 ニュースで先日11月の1日に「献納祭」が行われたと聞きました。そば職人が打っ

たそばを中社に奉納する儀式です。今頃は、どこの蕎麦屋さんのそば玉も緑色に変わっ

ていることでしょう。

 

 宿のネット情報では、夕食にそばが出ると書いてあったので、昼も食べずにいたのに

結局そばは出なかったので、蕎麦屋だらけの戸隠でそばは食べられなかったという残念

な落ちが付いたところで戸隠を後にしました。

 

 中社前からバスで長野駅まで戻り、しなの鉄道で上田まで普通電車で行きまし

た。上田からは上田電鉄別所線に乗り換えました。

 上田電鉄の車両は、いろんな種類があってこの電車は、「自然と友だち1号」という

名前で原田泰司さんのデザインのラッピング電車だそうです。

 

 一番後ろの車両に乗りました。電車が出る間際にたくさん荷物を持った女性職員が

乗ってきました。制服がスタイリッシュなのが目を引きました。写真がなくて残念です

が、ベージュに茶で縁取りされたパンツスーツ。細めのパンツに短めのジャケットなの

で、ご本人も言っていらっしゃいましたが、この制服が着こなせなくなったら辞めるつ

もりでいつも気を引き締めているのだそうです。ちょっと見、宝塚歌劇団男装の麗人

という感じでした。

 

 団体さんの予約が入ると電車で昔の童謡をハーモニカで演奏する仕事もやり、下之郷

という駅の駅長の仕事もやるのだとか。銀のハーモニカペンダントを下げているのが彼

女の目印です。

 

 下之郷という駅で下車し、そこからレイラインという名のバスに乗り「無言館」へ

行く予定でいましたが、1時間ほど間があったので、駅から5分ほどのところにある

「手島足島(テシマタルシマ)神社」へ行ってみました。

 朱色が鮮やかなので、近頃塗り替えたばかりのようです。月曜日でしたが、着飾った

親子が七五三のお参りに来ているのに出会いました。

 境内に懐かしい菊人形が飾られていました。六文銭の兜をかぶった真田幸村というと

ころがさすが上田です。

 時間のころ合いを見て駅前へ戻りました。そこからレイラインバスに乗り、「無言

館」で下車しました。以前から一度は「無言館」へ行って来なくてはと思いつつ、長野

は近いからいつでも行けると思って自分の中では延ばし延ばしになっていたところで

す。

 夏に、図書館から借りた「無言館の庭から」という館長の著作を読み、一度窪島さん

にお会いしたいなと思っていたのです。

 無言館の方では写真を取り損ねたので、下ってきたとことにあった「第2展示館」の

建物の写真です。どちらもコンクリート打ちっぱなしの簡素な外観です。この日は、観

光で来た団体さんや道徳の授業ノートを持ってまわっていた中学生もたくさん来ていま

したし、結構にぎわっていました。

 

 出征前のわずかな時間を使って描いた絵画や彫刻、それに戦地から送られてきたスケ

ッチや手紙類などおびただしい数の遺品が展示されていました。

 

 一人一人が対峙する時間は無言となります。すべての感覚を研ぎ澄ませて彼らが作品

に残したものを感じ取ろうとした貴重な時間でした。

 

 ほとんどの若者は20歳そこそこの年齢です。

 その何倍も生きてきた自分はいったい何をなしてきたのかと思うと、情けない気がし

てきます。今からでも少しずつでいいから何かをなしていきたいとここでは確かに考え

ましたが、すぐに忘れてしまうところがまたまた情けないところです。

 

 窪島館長は、土曜、日曜、月曜は、ちょっとはなれたところにある「残照館」と名付

けた展示館におられるはずでしたが、事前にこの3日間は不在だと知っていたので、と

ても残念に思いました。

 「無言館」のバス停近くの公園から眼下の塩田平を望む風景です。ちょっと歩くと分

かりますが、山が多い長野県でもこの辺りは、田んぼも畑も広がり肥沃な土地柄がよく

わかります。

 また先ほどのレイラインバスに乗り、終点の別所温泉へ向かいました。だんだんと雲

が厚くなり、別所温泉に着いたときは、今年の秋一番の風の冷たさをを感じました。

 (つづく)

信州の旅その2ー戸隠

 大きな鳥居をくぐって参道を約2㎞の参道を進みます。

 中ほどに茅葺の屋根の随神門があります。

 参道に沿って続く杉の並木は樹齢400年、なかなかこんな立派な杉並木は見られま

せん。この日は人波が切れることがなかったので、神様と繋がるような気がしませんで

したが、だれも人がいなかったら、何かを感じ取れるような気がします。

 

 この辺りはまだ道は平ですが、だんだん険しくなり最後は大きな石の階段を登りきる

と奥社の社殿があります。

 

 社殿の背後にある山々を見ると、山岳信仰の神社であったことがうなづけます。戸隠

の山には、神様がいらっしゃるというオーラが漂っています。

 奥社のご祭神は、天手力雄命(あまのたぢからをのみこと)。天照大神がお隠れにな

っていた岩戸を開けた方となっている。その天手力雄命を戸隠の麓に奉斎したことが奥

社の始まりだそうです。

 ここへ来て、紅葉した木々を従えた尖った岩山を見ていると、何事も成るような気が

してくるのでしょう。今でもたくさんの信仰を集めているというのがわかるような気が

しました。

 

 すぐそばに九頭龍社(くずりゅう社)の社殿がありましたので、ここにもお参りしま

した。この神さまは、虫歯のお願いも聞いてくださるというところに親近感がわきまし

た。

 

 帰りは、循環バスに乗り、途中の鏡池に寄って紅葉を楽しんでから中社に帰ろうとし

ていましたが、途中で曇ってきた空から雨が降り出してきたので、傘も持ち合わせてい

なかったので、途中下車せずにそのまま中社までバスに乗り帰りました。

 

 あんなにいい天気だったのに、宿の番頭さんが「ここは1200mの山ですから午後

になると急に寒くなってきたりしますよ。」と言っていたことが本当になってしまいま

した。

 中社のバス停から、中社を抜けて横道に入ったところに泊まる宿坊があります。

 宿坊といっても、ほぼ普通の旅館と同じですが、建物が伝統的なもので、県の指定を

受けているので、勝手に造り替えたりしてはいけないのだそうです。 

 この赤い門の屋根は茅葺なので、去年表をふき替えたので、裏側は今年茅を刈ってき

てふき替えることになっているそうです。

 その日の夕食です。私たちにはこれでも多すぎるくらいの量です。普段肉を食べてい

ない私にとって魚と野菜のメニューが私にはとてもありがたかったです。

 特に、タジン鍋の中身は、キノコの入った鍋物で、食べたことがない珍しいキノコも

入っていて嬉しかったです。

 (つづく)

 

信州への旅その1ー戸隠

 23日から長野県へ行ってきました。

 今回の旅は、3人旅です。このメンバーで出かけるのは3回目、3年前の夏、秋田の

森吉山と駒ケ岳へでかけたことに始まります。

 

 前回の旅の時に、私が次回はぜひ戸隠へ行きたいと言ったのがきっかけです。

 初夏に行った小川村も戸隠も長野駅が起点、バスで一時間ほどかかります。この日は

晴れて紅葉も始まっていたので、近郊からだけではなく関東や関西など遠方からの車

も来ていて、道が混んでいました。

 

 戸隠神社は、一番下に位置する「宝光社」から「火の御子社」「中社」「九頭龍社」

「奥社」と五つの社殿があります。本来なら下から順番にお参りするのが筋というもの

でしょうが、荷物を背負って(我々はリュク組なので)のお参りはちょっときついかな

ということで、中ほどの「中社」までバスに乗り、この日宿泊予定の宿坊に荷物を預け

て行くことにしました。

 

 バスが山を登るにつれ紅葉した木々が見え始めました。途中の池にはカモが渡ってき

ていたようで水面を泳いでいる姿も見られます。

 中社の大きな鳥居です。後でわかるのですが、中社の社殿は一番大きくて立派です。

 境内にあったこの杉は、樹齢が八百年と記されていますので、およそ13世紀ごろから

生きているのです。歴史の時間の長さは、言われただけではよくわからないことが多い

ですが、こうして木の高さ、太さを見ると、その時間の長さの一端がわかるような気が

します。

 宿に荷物を預けここから奥社まで約2キロ歩きますが、できるだけ車道は通りたくな

いので、脇道へ入ったため途中で道に迷ったので、3キロくらいは歩いたことになりま

す。

 奥に見えるのが戸隠の山々です。見ればわかるように頂上近くは、ギザギザしていて

とても大変そうだなと思います。修験者の道場となっていた山なので、北アルプスのよ

うな高さはないけれども、両側が絶壁の尾根道は50㎝と細い、鎖を使って崖をよじ登

ったり岩を潜り抜けたりとかなり体力がないと登山はできない上級者向けの山だそうで

す。

 

 私たちは、そんな怖くて高い山に登ろうなんていう野望は持ち合わせていませんが、

登山の格好をしているので、よく「どこの山へ登られるのですか。」と聞かれることが

あります。そういう時には、「百名山観る会なんです。」と答えることにしていま

す。

 戸隠山は、長野県には高い山がひしめいているので、百名山、二百名山にも入れても

らえず、信州五岳の一つに数えられているそうです。それでも私たちは、十分百名山

と思っています。

 

 「百名山を観る」という目的は一応果たしたのですが、奥社への道を辿りました。

 途中にあった石塔です。明治時代になる前は、戸隠も女人禁制の山で、女性はここ

までしか入れなかったそうです。以前は、小さなお社があったそうですが、今はそれす

らもなくなっていました。

 昼を食べていなかったので、鳥居をくぐる前におにぎりをいただこうと思って店の前

で待っていたところ、途中で、ご飯がなくなったのでご飯ものは出せないということに

なりました。それではということで、リンゴのソフトクリームをお腹に入れてちょっと

休みました。

 

 この大きな鳥居が奥社の入口です。

鳥居の下にたくさんのカメラマンたちがいました。何を写そうとしているのかお聞きし

たところ、向かって右側の木の上の方にあるツルマサキの赤い実を食べにくる

ムギマキを狙っているのだとのことでした。

 

 一日中ずっとカメラを構えているのですから、気が長くいないと務まらない趣味だと

思います。宿で一緒になった男性が教えてくれたのですが、ムギマキというのは、この

時期しか見られないので、貴重な野鳥なんだそうです。

 興味がある方は、調べてみてください。胸からお腹にかけてオレンジ色をしたジ

ョウビタキのオスにちょっと似ています。

 

 また長くなりそうなので、今日はこれにて。

 続きます。

北海道の旅 その9 白老

 白老の宿は、駅から歩いて5分くらいの「haku」というホステル。

 カフェを兼ねた宿で。日本風の旅館だったものをリニューアルした建物で、白が基調

の現代風のおしゃれな建物だ。シングルの部屋、ツインの部屋もあるのだが、申

し込んだ時点でその手の部屋はもう一杯で、ドミトリーしかなかった。

 

 そのドミトリーも女性用の部屋はもう一杯だったので、仕方なく男女混合ドミトリー

となった。ご存じの方もあるだろうが、ドミトリーは、ベッド一つ分のスペースしかな

い蚕棚のような部屋だ。入口にカーテンがあってかろうじてプライバシーが保たれてい

る。

 私が泊ったドミトリー部屋の定員は、9人で棚は2段になっていた。私もぐったり疲

れていたし、ほかの人も部屋に入ればみんなすぐに眠ってしまうのか、話し声はどこか

らも聞こえてこない。

 中腰になって前後に移動しようとして、慣れないうちは上の部屋の床に何回も頭をぶ

つけ痛い思いをしたが、そのうち這って移動できるようになった。

 

 

 1階に共同スペースがあり、キッチンで自炊ができ、机やいすも用意されている。

 お風呂はなくて、3つシャワー室があるのみだ。

 

 1日目は、共同スペースの机ではがきを書いていると

同じ年ごろの東京から来たという女性が

「昼間ウポポイでミニトマトを売っていたので、よかったら食べて。」

と言って皆さんに配っていたので、私もご相伴に預かった。

 

 その方も私と同じでアイヌのことを知りたくて来ていらしたようなので、話が尽きな

かった。私は本当は宿さえ取れたら平取町にある二風谷のコタンを訪ねようと思っ

ていたので、苫小牧からの行き方を教えて差し上げた。翌日は会えなかったので、たぶ

ん二風谷へ行かれたのだろう。

 

 前の日夕食のお弁当を買ったついでに梨を買ったので、朝食べようとキッチンへ降り

たら、2人の中年の男性が朝食をとっていたので剥いた梨を食べてもらった。

 そのお二人は、日曜日の晩仕事が終わった後札幌から車で来たのだとか。ちょいちょ

い道内を車で旅しているようだった。こんな年寄相手にも嫌な顔もせず旅の話を聞かせ

くれた。

 

 今回は、仕方なく泊まったわけだが、見知らぬ人といろんな旅の話ができるのは面白

い。ただし、体をのびのびとできない分、疲労感がぬけなかった。

 1泊素泊まりで3600円。前日のチェックイン時に朝ご飯をリクエストしてお

けば、880円でカフェ仕様の朝食を用意してくれる。(ただし8時半から)

 

 町役場へとつながる中央通りを「屋根のない博物館通り」と呼んで、両側にこの町ゆ

かりの人物や生き物などを彫刻した立体像が展示されている。

 これは、カモメかウミネコか確かめなかったが、そのうちの一つである。

 

 今回は、かなり疲れていて宿の写真が一枚もないし、町を歩き回ることもしなかっ

た。チェックアウトを済ませて、朝書いた絵ハガキの切手を買うために郵便局まで歩

いた。切手を買ってポストに投函し、またもと来た道を駅へと歩いていたら、自転車を

引いたこれも同年輩の女性に声をかけられた。

「おひとりで来られたの?」「どこから?」

 

 私は、気づかなかったけれど、「haku」から出てきたところを見ていらしたよう。

 その女性は、届いたはがきのサイズが大きかったために追加料金が必要だったので郵

便局に払いにいったのだとか。

 

 私が

「白老はいい町ですね。今度来た時には、おいしいお魚が食べたいけど、魚市場も見か

けなかったし、この近くに食べるところがあったら教えて。」

というと、

「もっと西の方に漁師さんがやっている魚屋さんがあるからそこへ行くといいよ。前浜

でとれる新鮮なカレイやカニやタラなんかの魚を売っているのよ。」

 と、教えて下さった。

 

 そして、あろうことか、

「うちへ来てくれたらご馳走するのに。」

 とのお誘い。

(はがきの相手も横浜の方だというので、きっと親近感があったのかも知れない)

 

 それが、社交辞令でも嬉しいが、あまりにも気持ちがにじみ出ていたので本当に有難

くて、有難くて、胸が熱くなった。

 郵便局から駅までのわずか5分ばかりの間だったけれど、この一言で4日間の疲れが

吹き飛んだ。

 

 白老駅に北斗号が入ってきた。重い荷物がちょっぴり軽くなった気がしながら駅を後

にした。

 

 

 ちょっと感激しながらまたお弁当の話。今年は、鉄道○○周年という話がよく聞こえ

てくる。これは、函館開業120周年記念の特別弁当で、材料は北海道産のものを使っ

ているのがみそ。材料が豪華なので、1800円と値段も張るがやっぱりおいしい。

  

 

 見物だけが旅ではない。旅に求めているものは、心の通い合いなんだろう。

 心が通う旅も通わない旅もあるけれど、疲れても疲れても、私はきっとまた旅に出る

だろう。 

 

 これでこの旅の記録は終わりです。長々とお付き合いくださった方、一緒に旅をして

くださった方ありがとうございました。

  

 

 

  

北海道の旅 その8 白老

 お昼を食べた後は、予約をしておいた刺繍体験に参加するために イカラウシ=工房

へ向かった。コースター(無料)とあずま袋とマスク(どちらも1000円)の中から

一つを選んで刺繍する。

 

 私は元々指先が不器用な上、眼が悪くなっているので、一番簡単そうなコースターを

選んでみた。コースターの色は、赤、刺繍糸は黄緑を選んで刺した。刺しはじめと刺し

終わり、それに尖っているところがイレギュラーだが、あとは鎖状に刺していくだけ。

 難しくはないが、糸を引く加減がつかめずどうしても滑らかにいかない。 

 鎖を刺しながら、そういえば昔こんな刺繍をやったことがあったなあと、ふと思い出

した。まだ40代の頃、せっかく教えてもらったのにやりかけをそのままにしていたこ

とがあった。うちに帰ってガラクタの中を探してみたら見つかった。

 今も昔も不器用に変わりはないが、二色使いなのでよりアイヌの文様に近い気がす

る。

 自分でほんの少しだけ刺繍をすることで博物館に無造作に飾ってある着物の出来上

がるまでの時間や仕事の丁寧さ、果ては心の込め方まで感じ取れる。下手でもやってみ

ることには意味があると改めて思ったしだい。

 庭をぶらぶらしていると、フジバカマの花にチョウがとまっていた。まだ見たことが

ないチョウだ。タテハチョウの仲間だろうと見当は付けていたが、うちへ帰って調べて

みたら北方系のチョウで本州では標高の高いところ、東北から北海道では平地でも見ら

れる「クジャクチョウ」だと分かった。道理でうちの近くでは見かけないはず。

 

 羽の内側は、大きな 目玉のような派手な模様が4つも付いているし、赤茶色、水

色、黒、白と派手な色使いなのでクジャクチョウと名付けられたのだろう。外側は、黒

っぽい茶褐色で目立たない。

 ちゃんと撮りたかったが、近づいたとたん逃げられてしまった。それでもこのチョウ

を見つけたのは貴重。

 

 結構疲れていたので、ウポポイの見学は終わりにした。今回は食事なしの泊りなの

で、帰りがけ夕飯を調達に地元のスーパーに寄り、お弁当と果物を調達した。

 駅からちょっと寄り道をして海へと出てみた。

 歩くこと20分くらい。海岸には漁港など目立った建物は何もない。東側を見ると苫

小牧方面に工場らしき建物が見える。海の手前は、海岸に沿った道路があるが、行き交

う車のスピードにびっくりする。北海道の車についてはうわさを聞いてはいたが、高速

道路並みのスピードだ。

  

 目の前の砂浜にたくさんの海鳥がいた。魚が上がってくるのを待っているのだろう

か。カモメかと思っていたが、くちばしと脚の色で見るとたぶんウミネコのようだ。

 茶色の幼鳥もいる。ほかの成鳥とは反対を向いているので、一羽だけ目立っていてな

んだかかわいく見えた。

 疲れていて、砂浜に下りて海浜植物を見る気力がなかったのでそのまま宿へと帰っ

た。

 

(つづく)

北海道の旅 その7 白老

 ウポポイは、アイヌ語で「(大勢で)歌う」という意味で、この施設の愛称として使

われている。

 トゥレㇷ゚は、日本語で「オオウバユリ」のことで、地下で太らせた鱗茎を使って

でんぷんを取り、主食として食べていた大事な食糧だったそうである。

 キャラクターなのでトゥレㇷ゚に小さいという意味のポと呼びやすいように「ん」を付

けた造語だそうだ。

 

 2日目は、まず「イカㇻ ウシ」工房で「イカㇻカㇻアン ㇿ」刺繍体験の参加申し

込みをし、「テエタ カネ アン コタン」伝統的コタンを歩いてみた。

 ポロ チセ 大きな家だ。想像よりずっと大きいので、こんなに大きな家があったの

かとお聞きしたら、これは特別に大きくしたものだそうだ。

 真ん中にはアペオイ 炉が切ってある

 部屋の上座の向かって左側には花ござの前に棚があり、そこにたくさんの「イコㇿ」

宝物が置いてある。漆塗りの桶だとかお膳などがあり、壁には宝刀やイナウ がかけて 

ある。

 ポロチセより小さなポンチセ。外観は地域によっても違う。ここのチセは、カヤでで

きているようだが、旭川の博物館で見たチセは、外壁がクマザサを束ねたものでできて

いた。

 コタンには、人が生活するチセだけでなく、倉庫(右側)やクマを飼っておく檻(左

側)もある。

 1                 2

  

3                  4

  

1ヒエ、2アワ 3キビ 4ダイズ 

 いつ頃から作っていたのかなどわからないが、コタンで作られていた作物として チ

セの横に植えられていた。

 チセの中でござの作り方の実演を見せてもらった。石に糸を巻き付け、石の重みをう

まく使ってござを編んでいく。

 ポロト湖にチプと呼ばれる丸木舟も浮かべ操る実演もあるが、同じ時間に始まる植物

と暮らし紹介「コタンの樹木案内」の方に申し込んでいたので、見ることはできなかっ

た。

 この日の申し込みは少なかったようで、私のほかにはもう一組のご夫婦だけだった。

 案内人は、若い青年だった。

 まず一番初めは、アイヌにとって一番大事にされているカムイに捧げるイナウを作る

材料となる木についてである。

 

 

ウトゥ カンニ=ミズキ

 

1 普段使いのイナウニの材料は、スス=オノヤナギ(生命力が強いとされる)

 ようじ、解熱のための炎症剤として使われる。

 

 ウトゥ カンニ=ミズキの木肌は白いので、カムイの世界で銀となるため

 銀のイナウとして大事にされている。

 

3 シケレペ=キハダ キハダは木肌が黄色っぽいため、カムイの世界では金となるた

 め金のイナウとして大事にされている。

 

 

アッニ=オヒョウ

 5月から7月の頃、この木の樹皮を下の方から剥いでその繊維で糸を紡ぎ布を作って

いく。できるだけまっすぐな木を選び長く樹皮を剥いで長い繊維を取ることがいい織物

を作るには大事である。繊維を取るためには、長い工程が必要で、衣服を作り上げるま

でには何か月もかかる。アッニの葉っぱの先はいくつかの尖りがあるのが特徴。

 ガイドさんが見せてくれたアッニで織った布。

 

 その他の紹介

ランコ=カツラは、丸木舟やお盆や臼に加工される。粘りが強いので細かい細工に適し

ている。甘味料にも使われる。

 

チクペ二=イヌエンジュは、墓を作る木。倒れるまで3年くらいかかるそうだ。その間は、外出もできないし再婚もできない。不自由な生活を送らねばならない。

 

ソコン二=エゾニワトコは、同じく墓に立てるために使うのだが、こちらは変死した人

に使うものだそうだ。立てた木は朽ちるまでに1年くらいかかるが、その後は自由に生

きてよいのだとか。

 アイヌの死生観が墓に立てる木にも反映されている。

 

 4つの木の紹介で、約束の1時間が終わってしまった。ただ見ただけではわからない

アイヌの生活と深い結びつきがわかってとても楽しい時間だった。

 

 お昼も近かったので、入口の近くにあるカフェ リムセに行ってみた。

チェㇷ゚オハウセット、
鮭と野菜の煮込みスープ、キビご飯、小鉢、漬物、野草茶

  今日は、ここまで。

 (つづく)
 

北海道の旅 その6 白老

白老駅

 午後1時半ごろ白老駅に到着。

 ウポポイができたので、駅も新しくしたのではないかと思うほど美しく整っている。

 駅のロータリーの向こうには大きな木が立っている。

 何の木かと近くに寄ってみると、「タモ」の木だと分かった。すぐそばに歌碑が立っ

ていて、「白老はわが故郷よ 驛を出て先づ眼にしたるタモの大木」という歌が刻まれ

ている。明治生まれの満岡照子さんという歌人の作品である。存命中に大木だったとい

うことなので、このタモはずいぶんと長く駅を降りる人を迎えてきたのだろう。

 駅の横にポストがある。これもウポポイ仕様の特別製のものだ。

 「イランカラㇷ゚テ」の意味は、いわゆる「こんにちは」の丁寧な言葉だという。

ウポポイへ入ると、あちらこちらでこの言葉を耳にするので、覚えることができた。

 この言葉には「あなたの心にそっと触れさせていただきます。」という解釈もあ

るという。この解釈の方がアイヌの人の心を表しているような気がする。

 

 駅前の通りをまっすぐ歩いて行くと海である。宿は右へ曲がって5分ほどのところに

あった。チェックインには時間が早かったけれど、フロントで聞くとチェックインがで

きるとのことだったので、荷物を置いてウポポイへ出かけることにした。

ウポポイの入口

 宿から駅の反対側を15分くらい歩くと到着。

 入口で今日の入場の予約を取っていたので、手続きをして中へ入った。

 「ウポポイ」とは、「民族共生象徴l空間」となんだかとても難しいことばとしてあら

わされている。先住民と後から入ってきた民族とは一言で折り合えないセンシティブな

内容があるからなのではないかと想像した。

ポロト湖

 入口を入ると目の前に「ポロト湖」がある。後で聞いた話であるが、この湖は本当は

川が膨らんでできているだけなのだとか。このポロト湖に沿っていろんな建物が作ら

れているので、とても開放的で気持ちがよい。

 森の上に見える山は、「樽前山」ドームを持った火山で今も活動中の活火山だ。

約1000mの高さで、苫小牧から登ることができる。

ウエカリチセ 体験交流ホール

 限られたプログラムの中に伝統芸能上演がこのホールであった。写真が撮れないとい

うので、始まる前に係の人に断って舞台の写真を撮らせてもらった。 

 日替わりで各地域のアイヌ伝統芸能保存会の人たちがここで歌や演奏、舞踊を披露

してくれる。私が行った日は、浦河の伝統芸能だった。印象的なのは、上着の裾を手で

持ち上げ鶴を表した舞だった。

 演ずる方々は、年配者が多く、若い人が少ない。後継者を育てていくのは、アイヌ

人たちにとっても大きな課題なんだろうなと思いながら見させてもらった。

 この日の夕方の時間に予約をしていた都合上、博物館に回った。イコㇿウエカリレ

国立アイヌ民族博物館は大きくて立派な建物だ。

 この中でクマのことが気になった。イヨマンテの日にクマの魂が送り返され、肉や毛

皮などは置いていく。クマは、カムイになって神の国へ帰っていく。

 神の国へ帰るときに持っていくお土産だ。木の実、モチ、酒、イナウ(木を削った飾

り)などを持ち帰り、ほかのカムイたちと一緒に宴会を催し、アイヌモシリ(人間世

界)のようすをみんなに伝えるのだそうである。

 西の空は、赤く染まり夕闇が迫ってきた。午後七時にウエカリチセ(体験交流ホー

ル)の建物の外壁でプロジェクションマッピングが上映された。(土日のみのプログラ 

ム)

 この日は、中秋の名月。博物館の屋根の上に満月が出ていた。北海道でお月見ができ

るとは思っていなかったので、初めての経験でちょっと感激だ。

 夜になると冷え冷えとする。上着を着て月と一緒に夜道を宿へと向かった。

(つづく)