開港の歴史を見てきた木

「たまくすの木」(開港資料館中庭のタブの木)

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 この通称「たまくすの木」は、横浜が小さな農漁村に過ぎなかった江戸時代にはすでに大きく茂っていた、たぶの木だそうです。開港当時、ペリー提督が、横浜に上陸した時に、艦隊に随行した画家が描いた絵が下の絵で、右隅に描かれているのがこの木だと考えられています。

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 1866年に横浜関内地区で大火があり、(先に書いた「ふるアメリカに袖はぬらさじ」の「岩亀楼」が焼けた火事)この「たまくすの木」も、樹形が変化するほどの大きな被害を受けましたが、すでにこの木のある場所は、イギリス領事館だったので、その庭で再び芽吹いたそうです。やがて、とても大きな木に成長し、横浜を代表するような名木になったそうです。

 にもかかわらず、また、1923年の関東大震災で、被害を受け、イギリス領事館は、再建のために、木の位置を約10mばかり動かして、現在ある場所に移し、その命はつながれたそうです。

 先日、陸前高田の通称「一本松」のことを思い出しましたが、残念ながらあの松は、そのままでは再生の見込みがないということで切られてしまったと聞き、すごく残念な気持ちになりました。

 二度の大きな災害にもめげず再生した、この「たまくすの木」の生命力にただただ驚くとともに、この激変の歴史を見据えてきた木に、この混沌とした世の中をどう舵取りすればいいのか聞いてみたい気がします。こここそ、パワースポットにふさわしい場所だと思うのです。