もう一つの外国人墓地

英連邦戦死者墓地

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 この辺りには珍しく大きなユーカリの木が何本かあります。入り口を入ると、ほのかにユーカリの匂いが漂います。

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  ここには、第二次世界大戦時、日本軍がシンガポールを陥落させた後、英連邦の兵士たちが捕虜として日本に送られ、造船所などの工場や炭鉱での労働をさせられ、栄養失調、伝染病、空襲などによって亡くなった人たちが葬られているそうです。

 1人1人の墓石には、名前、軍の所属、年齢、それに家族からあるいは親しい人からの言葉が刻まれています。この中には、19歳や20歳という若い人のもあって、まだまだ先にいろんな楽しいこともあったろうと想像され、どの国の人であれ、やはり戦争は理不尽だと感じてしまいます。

 イギリスでは、20Cになってからなぜか海外の戦いで亡くなった遺骨は、軍の地位が高かろうが低かろうがその土地に葬ることに決まったそうで、戦後処理で横浜を管轄していたイギリスは、児童公園になっていたここを接収し、各地に散らばっていた遺骨をここに集めて埋葬したという経緯があったようです。アメリカとオランダの遺骨は、祖国へ帰れたのに、英連邦の人たちは、帰ることができなかったというわけです。

 ここは、山手のように観光地でもなく、遠い国なので、家族がお墓参りに来ることも叶わないので、静けさに包まれています。たまに、日本を訪れた旧英連邦の国の要人が献花に訪れるようで、今日も十字架のモニュメントに花輪が供えられ、その国の兵士一人一人の墓石にも小さな花飾りがおいてありました。

 

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 以前は、ここは、公開されてはいませんでした。1975年エリザベス女王が来日した際、ここを訪れたそうですが、それ以降公開されることになったようです。

 小鳥の声と木々の葉ずれの音だけが聞こえる静謐な空間です。赤いバラの花が咲き出し、ここにも秋が訪れてきたようです。 

 (JRの保土ヶ谷駅より、平和台行きのバスに乗り、児童遊園地前で下り、2~3分のところにあります。)