雨の上野散策

 あいにくの雨の土曜日でしたが、学生時代の友達と一緒に、会食をし,近くを散策しました。一年に一度集まるのでもう数ヶ月前から予約を取り、準備万端整えてあったにもかかわらず、雨傘を持ち歩くことになってしまいました。 まず、会食。

 上野の寛永寺の裏手にある韻松亭」。明治8年創業だそうで、複雑に部屋を配した趣のある和風の建物です。3階のお部屋からは、上野の杜の鮮やかな緑が飛び込んできました。

花籠膳:二の膳

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 このかご膳が出る前に、湯葉、豆腐、お造り、茶碗蒸し、かご膳の後には、豆ご飯、味噌汁、漬物、天ぷら、デザートによもぎ餅、豆乳アイスが出ます。

 自分では、こんなにたくさんの品数の料理は作りきれないので、見るだけでも嬉しくなります。久しぶりの懐石料理、お腹もいっぱいになるし、幸せでした。

 食事中に、ちょうど寛永寺の時の鐘が聞こえました。朝の6時、昼の12時、夕方の6時と一日に三回なるそうです。松に鐘が韻く・・・・そんな風流な懐石料理の店です。おからを煎って作ったお茶が出るのが珍しいと思いました。 

  食事後は、不忍池の真ん中を突っ切って、不忍通りへ出ました。雨の中散歩をする人はまばらで、黄菖蒲が池のふちを彩り、空のボートにカモメがとまっているだけの静かな時間が流れていました。f:id:yporcini:20130511134436j:plain

 通りをちょっと入ると、「旧岩崎邸庭園があります。

 三菱の創始者、岩崎家本邸だったお屋敷です。

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 ちょうど午後2時、ガイドさんの案内で見学ができました。説明書があるとはいえ、その場で見ながらの説明は説得力があります。

 設計は、ジョサイア・コンドル。明治の洋館の設計をたくさん担い、後に三菱関連の仕事を引き受けてきた有名な人です。後に東京駅を設計した「辰野金吾」はコンドルが旧東大工学部で教えた学生の一人だったそうです。

 洋館は、お客さんを招いた時に使われたものだとか、地下が石造り、地上部分は木造、地下道で結ばれた庭の一角に山小屋風の設計のビリヤード室があるのも珍しいです。

 特に、ロビーから2階へ上がる三つ折れ階段の技術、洋館の壁紙が印象に残っています。壁紙に使っているのは、「金唐革紙」です。和紙を使った伝統工芸だそうですが、ヨーロッパでは革を使って作ったものを、和紙に凹凸を施し、彩色し、すべてを手作業で作り出したものです。とても手間のかかる仕事で、一部屋の壁紙を作るのに何百万という費用もかかるものだそうです。

 戦後GHQに接収され、この貴重な壁紙の上に無造作にペンキを塗られ、復元がとても大変だったそうです。その技術を持つ人は、いまや一人のみ。まだまだ残っている復元作業は大丈夫なのかと心配になります。

 広大な敷地にあった平屋の和館は、現在は大広間のみ残してあるのですが、これがまたすごいです。天井の板、柱、欄間など今やとても手に入らないような幅広の長い板や木で作られているし、四面正目になった柱、障子の桟に至るまですべて面取りしてあるなど・・・・・

 とにかく最高の材料を使って、その時代の最高の技術を駆使したお屋敷だったのだということが短い見学の中でも分かりました

 最後は、千駄木の方へ出てという計画になっていたようですが、雨が一向に止まないので、上野広小路へ出て締めは、「つる瀬」 で甘いものを食べて解散となりました。