陸前高田市役所前の停留所から再びBRTに乗り、大船渡へ向かいました。
バスは、山間の道を進み、細浦の停留所辺りでようやく海の近くを走ります。
途中の集落では、りんごが実をつけていました。台風の被害はなかったか心配になりました。こんなところにと思う山の中に仮説住宅が固まって建てられているところも見ました。
細浦、下船渡、大船渡駅辺りに来ると、住宅が立ち並び車の通行も頻繁になり、夕方遅くなると通勤の車でちょっとした渋滞も発生していました。
45分くらいで大船渡駅へ着きます。
着いた頃には、夕焼けも始まっていましたが、少しは街を散策しようと魚市場のある方へ歩いて行きました。
大船渡市は、気仙沼市、陸前高田市と並ぶ三陸地域では、人口約4万人の大きな都市です。
震災の被害も甚大で犠牲者の数は約400人。
陸前高田に比べて犠牲者の数が少なかったのは、45号線のすぐそばから急な坂になっているような地形で高田に比べ低い平野も少なく、市街地が細長く分散していることが犠牲者の数を分けたのかもしれません。(これは、あくまでも地形を見て考えた私見です。)
この写真は、海の前の「サン・アンドレス公園」にある「鎮魂愛の鐘」と呼ばれるモニュメントで、全国からの寄付で、今年の3月にできたそうです。
毎日、午後2時46分に自動で鐘が鳴り、犠牲者を悼み、いつまでも忘れないようにしようという意図で作られたのだそうです。
訪れた人が鳴らすこともできるようになっています。
この辺りは、地盤沈下もあり、建物の建築はストップがかけられているのでやはり何もありません。
公園から更に10分ほど歩くと、この魚市場があります。夕方ですから人もいませんが、今も朝は上がってきた魚のせりも行われているようです。
その日の夜、テレビのニュースでここが写り、台風の影響で秋刀魚の水揚げがなく、代わりに定置網?の秋鮭が揚がってきている様子が放送されていました。
この建物を見て、津波が建物の間から流れ込んでいろんなものを押し流しながらこちらへ向かってくる映像を何回も見たことを思い出しました。近くの高い建物からビデオを撮っている人の映像だったと思うのですが・・・・
この街は、漁業で生業を立てている人が大勢いるので、漁業関連の振興は、復興の大きな柱になるので、すぐそばに新しい魚市場の建設が進められていました。
これがその建物です。
古いものに比べ、かなり大きくりっぱです。
ここからまた歩いて20分。
薄暗い道をとぼとぼと大船渡の駅まで歩き、またBRTに乗って細浦へ戻りました。
なにせ、その日は、総歩数24000歩、しかもほとんどが旅の荷物を持ちながらの移動です。かなり疲れていたので、その日の宿「ホテル碁石」からのお迎えの車に乗ることができた時は、本当にほっとしました。
このホテルも今は、観光客というよりは復興関係のお仕事で泊まられている方が90パーセントというビジネスホテルとなっています。
私たちの夕食は、ビジネス仕様の食事に秋刀魚の焼き物、ホタテの刺身、ホタテの焼き物が余分に付いていました。
ホタテは、肉厚で甘ーかったです。
来た時は真っ暗で、どこが海なのかよくわからなかったのですが、月が高く上ってくると、海が銀色の鱗のように輝き始め、それはそれは美しい光景に出会えました。
折りしも、翌日は満月、一日前倒しのお月見ができました。(残念ながら、私のカメラでは、その様子は撮ることができませんでした。)