近くの川で渡ってきている冬鳥の姿を見てからすっかり鳥に取りつかれてしまった私ですが、それ以来宮城県の伊豆沼・内沼のマガンやハクチョウ、新潟県の福島潟のヒシクイをこの目で見たくて出かけてきました。
本もたくさん読みましたが、その中でそんなに遠くへ行かなくとも東京湾の干潟にやってくる渡り鳥がたくさんいることに気がつきました。それが、シギやチドリと言われる種類の鳥です。
昨年そのことに気がついて、まず東京港野鳥公園へ行ってみましたが、去年は自分の都合と干潮の時間とが合致せずやっと行った5月の下旬、残っていたのはコチドリのみで後のシギたちは、もう繁殖のために北へ旅立った後でした。
今年こそはと、4月下旬ごろからその機をねらっていました。ブログを毎日読みながら念入りにチェックし、出かけたのが11日でした。
到着したのが昼過ぎ、ちょうど干潮から満潮へ変わっていく時間帯でサンクチュアリセンターの真下の干潟がだんだん狭くなっていくところでした。ガラス越しにはコチドリ、それからだいぶ離れたところにいたキアシシギをみることができました。
他のシギはいないのかとしばらくあちらこちらを望遠鏡で覗いていましたが、ちょうど同じ頃到着されたご婦人が、
「前浜にキョウジョシギがたくさん来ているから、急いで行ってごらんなさい。」
と声をかけてくださいました。
観察小屋からもっと先に前浜というのができているのはその日初めて知りました。あわてて飛ぶような気持ちで行くと、ドキッとするほど近くで鳥たちをみることができました。
冬のシギたちは、大体灰色とかベージュとか地味な色合いの羽色だったので、観察窓から見えたこのシギの羽の色には本当に驚きました。明るい茶色と黒と白の羽とオレンジ色の足、見事なコントラストです。
このシギの名前は、「キョウジョシギ」。
この日は、20羽くらいがこの岩場で休んでいました。図鑑ではカタカナで書いてあるので「キョウジシギ」なのか、「キョウジュシギ」なのか「ギョウジシギ」なのか、うろ覚えでしたが、この時近くで大きなカメラを構えていた方が、他人に名前を教えているのを耳にして納得できました。
漢字で書くと京の女を意味する「京女シギ」、あるいは狂った女という意味で「狂女シギ」と説明されていたので、漢字にすると私の頭にも名前がストンと入りました。
派手に着飾っているようにも見えるし、顔には隈取のような模様が入っています。狂っているという感じもわかるような気がします。
前浜には、「キョウジョシギ」のほかに「キアシシギ」もいました。
去年も割合遅くまでいたシギなので名前だけは覚えていましたが、去年はこのシギも見ることができなかったのでお初です。キョウジョシギよりは、少し大きく背も高く黄色い足のシギです。体の色は地味でいかにもシギらしいシギです。
お隣の1号観察小屋へ移動しました。
もう一羽、お初のシギが近くにいました。「チュウシャクシギ」です。嘴が長くて湾曲しているシギらしいシギです。
シギというとこの内側へ曲がっていたㇼ逆に長く反り返っていたㇼする嘴をイメージしていたので、ここで会えてとっても嬉しく思いました。
大きく写してみました。何だかダチョウの顔に似ているような気がしました。
すぐ近くに「コチドリ」もいました。センターからだと小さいカメラの倍率をいっぱいいっぱいにしないと見えないのに、ここでは私の小さなカメラでもはっきりと写すことができたというわけです。
満潮になっても水が入ってこない中島のようなところに石を丸く敷き詰め石の模様に似た卵を産むだけなので、そんなまやかしには騙されないカラスにねらわれ先日産んだ卵は食べられてしまったのだと
レンジャーが教えてくれました。。
これがその中島です。遠いので、小さいカメラいっぱいいっぱいの画像なのでぼやけていますが、写した鳥は、「ハマシギ」です。冬、宮城県の蕪栗沼で見た時と違うのは、胸から腹にかけて黒いところです。コチドリとよく似ていますが、ハマシギは、これからまだ数千キロを飛んで、アラスカの北極海に面した辺りで繁殖活動をするのです。小さい体でよく頑張るなと本当に感心するばかりです。
シギやチドリは、赤道よりも南側、オーストラリアの南で越冬し、4、5月ごろ途中の干潟でエネルギーを補給してシベリアやアラスカ方面まで飛んで繁殖し、夏の終わりから秋の初めにまた日本の干潟などを経由して南へ移動します。
その距離数千キロから一番長く飛ぶのは一万キロ。危険と隣り合わせの渡りを繰り返すのです。自分が飛ぶわけではないのに、想像しただけで胸がいっぱいになるのです。
人間の経済活動でこの東京湾の埋め立てがどんどん進み、残されたのがこの野鳥公園と千葉県の三番瀬と谷津干潟。シギやチドリが途中で休むところがなくなれば、この鳥たちはおそらく生きていけなくなるのだろうと思います。