気仙沼最後の日、民宿のご主人が朝市街地まで車で送って下さるというので、お言葉
に甘えて乗せてもらいました。
気仙沼3つ目の宿題は、気仙沼復興記念公園の慰霊塔へお参りすることでした。
2021年に来た時に、やっぱり朝港のあるところまで車で送ってもらったときに
「あの山の上に復興記念公園ができたので、今度来た時にはお参りに行ってあげてくだ
さい。」
と、話されていたのでついでに山の上まで送ってもらうことにしました。
気仙沼は、3月11日に津波だけでなく火災も起きていて犠牲者は、1249人。
石巻市、陸前高田市、に次いで人数が多かったところだと記録されています。
以前、気仙沼東日本大震災遺構伝承館へ行った時にも津波にさらわれた人が大勢いた
話を聞いていましたので、その地域地域で慰霊塔が存在するのだと思いますが、街のシ
ンボルとして港を望むこの山の上に作った意味があるのだと思いました。
ここなら港へ入って来た船からも見えます。
気仙沼の次の駅、鹿折地区。左の道路のようなところに線路がありましたが、今では
それを取っ払って、BRTというバスが通行する道路になりました。
川を伝って奥深くまで入り込み船が何艘もこの平らな畑や建物の間に入り込んでいた
景色やなめるように何もかもさらっていった先に何もなくなった様子も思い浮かびま
す。
2013年9月には、上の写真の左側にこんな大きな船が震災から2年以上止まって
いました。
気仙沼の港の方は10年経ったときには、ほぼ今のようなたたずまいになりました
が、それでもあの時は、あそこの石油基地からドラム缶が海の中で火を噴きながら転が
っていたなあと私ですら思い浮かぶのですから、いまだに辛い気持ちを抱えている方は
冷静な気持ち でここへは来れないかもしれないなと思います。
ここには、彫刻が6点、そして犠牲者の名前が書かれた碑があり、駐車場、トイレも
用意され、いつでもここへお参りに来れるようになっています。私がここへいる時に、
もう一人女性の方が慰霊碑に目をやってお参りしていらっしゃいました。歩いて見えた
ようなので、お近くの方なのでしょう。
鹿折地区の方を向いた時に一羽のとびが木に停まりました。この日は空が青くて抜け
るようでした。
お昼ごろの列車で一関を経由して鳴子へ向かいました。
(旅はもう少し続きます。)
(*鬼の霍乱は暑い季節に使う言葉だそうですが、めったに熱で寝込むことがないの に、先週末より風邪を引いたらしく体調が悪く珍しく4日間眠っておりました。皆様も体調にお気を付けください。)