コロナ禍のおかげ

 この話も昨年の秋のこと。

 シネマリンの映画を観るためにはバスに乗って往復する。

 映画を観終わるとまたバスに乗って帰るのだが、9月のある日映画を観終わった私

は、バス停近くの「ビオッツア」という店の前でランチ弁当を販売しているところを目  

にしてしまった。しまったというのにはわけがある。

 以前からスペインかイタリアのバールのような雰囲気のお店でどんな料理が食べられ

るのか興味はあったものの、アルコールを口にしない私には一人で入る勇気もなく敷居

が高かったからだ。

 早速近寄ってみると、弁当は2種類あって、値段も800円。透明なプラスチックの

ふたを通して中が見え、味付けなどの情報も聞いて選ぶことができるのだ。

 渡りに舟、すぐにそのランチ弁当を買って帰ったのは言うまでもない。

 

 

 ある日のランチ弁当は、魚介類の入ったイカスミ炊き込みご飯。

添え物は、鶏のから揚げとパプリカとブロッコリー

 魚介から出ているスープをしっかりと吸っていて、とっても美味しかった。

f:id:yporcini:20201026132924j:plain

 

 またある日のランチ弁当は、豚の三枚肉とジャガイモの煮込み、レンズマメと野菜の

煮込みとパンのセット。ボリュウミーでお腹がいっぱいになる。

f:id:yporcini:20201030130209j:plain

 

 またある日のランチ弁当は、肉団子とうずら豆のトマト煮込みとジャガイモとキュウ

リとピーマンとリンゴの入ったサラダにフランスパン。何回か食べると豆が多く使  

われているのがわかってきた。

f:id:yporcini:20200907134140j:plain

 

 このお弁当のおかげで、バスク料理に近づけたのはコロナ禍のちょっとした幸せだっ

たかなと思っている。

 

 

「きこえなかったあの日」

f:id:yporcini:20210319204511p:plain

 先週の日曜日に、シネマリンで「きこえなかったあの日」を観てきた。

 8日から上映していたのだが、14日にはこの映画の監督をされた「今村彩子」さん

が映画への思いを語ってくださるトークがあるというので日曜日に行ったのだが、会場

はほぼ埋まっていた。

 緊急事態宣言が出ている最中なので、映画館も座席が1つおきになっているため、

通常の半分、50人ほどの定員だが、朝10時からの映画にしてはその期待度が大きか

ったのだと思われる。

 

 今村監督さんは、ろう者である。

 監督さんは、「耳の聞こえない人たちが置かれている状況を知ってほしい」という思

いから東日本大震災直後に宮城県を訪れたそうだ。ろう者の被害者の数は聞こえている

人の2倍だそうである。

 

 映画の中に出てきた男性は、一人暮らし。道を歩いていた時にちょうど通りかかった

人に車に乗せてもらって津波に飲み込まれずに避難所まで連れて行ってもらえたそうだ。

 何も聞えなくて何が起こっているのかわからなかったと言っていた。

 避難所でもマイクで情報が流されていてもわからず、人が並び始めたのでそれを見て

付いて行くことで初めておにぎりがもらえることがわかったりするのだそうだ。

 

 脚が不自由な人、目が見えない人・・・・外見で配慮できることが可能な人もいる

が、ろう者は一見助けを必要としている人とは思えないことが多いと思う。

 ちょうど、この男性が住んでいる町の役所には毎週水曜日に耳が聞こえない人のため

に手話通訳者がいたため、日常の困りごとを聞いてもらえることができたが、

こういう人はすごく幸運だったのかもしれないなと映画を観ながら思ったものだ。

 避難所での表示の工夫、日常的な交流など課題はたくさんある。

 

 東北大震災を契機に2013年に鳥取県で全国初の手話言語条例が成立し、現在29

道府県にて制定されているという。この映画を撮った宮城県ではあと一歩で条例が制定

されると聞いた。

 

 東北の大震災以外の熊本地震西日本豪雨の際も現地に入り耳が聞こえない人が置か

れている状況を取材しカメラに収めている。

 耳が聞こえない人は、守られる立場の人だと思い込んでいたが、西日本豪雨の被災地

では、耳の聞こえない人のためのボランティアセンターを立ち上げ、たくさんの体が元

気な方々が通ってきていることも知って、それぞれができるところで助け合うことの素

晴らしさをこの映画で教えてもらった。

 

 昨日も宮城県沖を震源とした大きな地震があったが、地震の揺れは感知できるが津波

危険情報というのはきっとわからなかったはずである。私もテレビがないので、パソコ

ンでニュースの画面で見ていたが、果たして耳が聞こえない方々が情報を知りえたか心

配になった。

 手話通訳の人は気象庁の会見のようなセットされたものには付いているが、地域でサ

イレンが鳴らされ防災無線で呼びかけられた情報には何のことかきっとわからなかった

はずである。

 

 今まで何本か震災関連のドキュメンタリーを観てきたが、今まで気が付けなかった新

しい視点を突きつけられた気がした。

 監督さんは昨日もどこかへ飛んで行っているのではないだろうか。

晩秋の宮城5(気仙沼から一関)

 民宿2日目になってご主人との会話も弾むようになったと思ったら、翌日はもう帰ることとなりました。夕食の最後に「明日の朝、用事で気仙沼へ出るので、よかったら車で送りますよ。」と声をかけてくださいました。予定より少々早い気もしましたが、バスも1時間に1本ですので、ありがたく乗せてもらうことにしました。

 

 内湾(ないわん)地区は、気仙沼湾の一番奥で昔は、風待ちの港だったところです。橋ができる前には向かいの大島へのフェリーや観光船の発着の港だったところですが、橋が架かったのですっかり様相が変わりました。

 

 私は、2012年にここへ来ているので津波ですべて流され何にもない港を知っています。近くの空き地にできていたプレハブの屋台村で買ったふかひれマンを港のベンチで一人食べた思い出があります。おこぼれをもらおうとやってきたのはカモメでした。

 2013年にも気仙沼へやってきましたが、その時は気仙沼駅の一つ先の「唐桑鹿折」という駅まで行って、この内湾から大きな船が津波で打ち上げられたまま畑の真ん中に置き去りにされているのも見ました。津波の想像を絶する力を感じ取るには十分でした。

  3.11から十年経ったといいますが、ついこの前のことのような気がします。

 

 買い物があるからと、駅まで行かずにその港付近で下ろしてもらいました。北側の小高い山のようすが以前とは違うことに気付きました。右側の山の上ははげ山になっていて、白い塔のようなものが立っています。

 車を降りる時に、「今度来た時は、復興祈念公園にも足を運んでください。」と言われました。あれは震災の慰霊の塔だったようです。山の上に登れば、気仙沼湾のすべてが見渡せて、怖かったことも悲しかったこともすべてが映し出されるのだろうな思います。

 

 先日のニュースで、3月11日が公園開園日だったと聞きましたので、次回訪れた時には登ってみようと思います。

f:id:yporcini:20201111091044j:plain   f:id:yporcini:20201111091248j:plain

 

 湾を挟んで反対側に赤い小さな浮見堂が見えます。行ったことがないので、ここからはネットの記事を読んでわかったことです。

 赤い浮見堂の途中に大きな恵比寿様が立っているそうです。ちょうど船で隠れていて見えませんが、その恵比寿様は、3代目なんだそうです。

 2代目の恵比寿様は、津波で流されて10年近く行方不明だったのです。長い間探したのにとうとう見つからないので、寄付を募って3代目を作ったのだそうですが、去年の秋、偶然浮見堂のおひざ元でその2代目が見つかったのだそうです。流されて遠くへ行ってしまったと思いこんでいたのでしょうね。(灯台下暗しという言葉を思い浮かべました。)

 2代目は、きれいにされてちょっと上の境内に建てられたので、今は、鯛を抱えた2代目の恵比寿さまとかつおを抱えた3代目の恵比寿様を見ることができるそうです。漁業の街らしい恵比寿様の立派なお姿を見るのも次回の楽しみです。

 

f:id:yporcini:20201111091147j:plain

 港には盛り土をして高くしたところに横に長いこじゃれた建物が2つ並んでいます。

 左側は、「創(ウマレル)」ラジオ局だとか、公共施設の入った建物で、右側がカフェとかレストランなどが入った商業施設「迎(ムカエル)」。19年から開業しているので、2年前気仙沼へ来たときには、ふかひれマンではなく、ムカエルのアンカーコーヒーでメカジキのカレーを食べコーヒーを頂いたことも思い出しました。 

 今は、この場所も「ピア」と英語読みの港になっていますが、まだ工事が続いていてすっきりと完成には至っていませんでした。

f:id:yporcini:20201111091423j:plain  f:id:yporcini:20201111091442j:plain

 

 気仙沼を11時ごろ出て、大船渡線で一関へ向かいました。

 以前東北新幹線からの乗り換えの時に、駅構内にお餅料理のポスターが張ってあるのを見つけていました。お昼は一関でそのお餅を食べようと心に決めていましたが初めての下車でしたので、観光案内所を訪ねました。

 5分くらい歩いたところにそのお餅が食べられるところがあるというので勇んで参りました。「三彩館ふじせい」というお店です。

 写真は、「元祖ひと口もち膳」。(1500円税別)

納豆、くるみ、じゅうね、ずんだ、あんこ、ごま、えびに、しょうが、だいこんおろし、それにお椀の雑煮が付いています。それぞれの小鉢に小さなお餅が一つずつ入り、お雑煮には2つ入っているので、食べきれるか心配でしたが、結構ペロッと食べてしまいました。

 手間を考えると自分でこれだけの材料を用意するのはとっても大変なことです。こうしていろんな味が一時に楽しめるのは本当に嬉しいことです。

 しめは、やっぱり食べ物というのも私らしい!

 f:id:yporcini:20201111124002j:plain

 これで「晩秋の宮城」は終わりです。続けて目を通してくださった方、ありがとうございました。

 (今日は、書きながら2012年、2013年、2018年、2019年など東北旅行のブログを読み返し、振り返りました。)

 

 

 

晩秋の宮城4

 巨釜半造を周遊して元のバス道まで戻ってきました。

 

 唐桑半島にはオルレコースとみちのく潮風トレイルの二つのコースがあります。

 オルレコースは、一番先端の御﨑までバスを使いビジターセンターの辺りをスタート地点にして巨釜半造まで戻ってくる約10キロのコースで、人家の多いバス道を主に歩くルート。

 みちのくトレイルのコースは、半島の中央に位置する唐桑総合支所を起点とし、一番東寄りの海岸に沿った道を御﨑まで下り、帰りはバス道から半島西寄りの海岸線を北上し、唐桑総合支所まで戻るコースとなっています。歩いていないのでわかりませんが、ほぼ倍の約20キロコース。

 

 今回の私が歩むコースは、中途半端で巨釜半造から東寄りの海岸線を下り、帰りは御﨑からバスに乗って民宿のある高石浜まで戻るというものでした。

 

 はじめは、バス道に沿ってリンゴ畑やこの地域独特の「唐桑御殿」と呼ばれる黒光りのする瓦屋根の豪壮な民家を眺めながら歩きました。

 この地域の生業のほとんどが漁業です。昔は、主にマグロを取るために遠くの海まで出かけて行く漁師さんが多く、何か月も帰ってこれないので留守の間も家族をしっかり守りたいという気持ちでこの御殿のような家を作ったそうです。

 今とは違って 遠洋に出かけると収入も多かったと聞きましたので、この地域の「唐桑御殿」は漁師のステイタスだったと思います。漁に出かけている間は、畳一畳もないような狭い場所で寝起きしていたのですから、帰ってきた時に広い座敷で手足を伸ばしてゆっくりとくつろぐことが漁師の夢だったのかもしれません。

 私が歩いたところにもこのタイプの家が多かったのですが、まだ歩いていない西海岸にはたくさんの立派な御殿があるそうです。

 ただ震災の時には、瓦が落ちてきて危険だということで、震災後は重々しい昔の瓦ではなく軽量素材の瓦を使う家も増えてきた聞きました。

f:id:yporcini:20201110113255j:plain  f:id:yporcini:20201110160047j:plain

 リンゴ畑               唐桑御殿

 

 どこから東の海岸線の道に入ったらいいのかわからず、人に聞きながら道を探してようやくその道らしい広い道に出ました。歩いている人はいないし、車も通らないのです。

 標識もないのでちょっと不安でしたが小高い山道を登って海の方へ入ると今度はやぶの中をずんずん下ってようやく海が見えるところにやってきました。やぶの中を通る時はいつも大丈夫だろうかとドキドキしますが、この日も湿った地面を通過する時はやはりドキドキしました。抜けた時に見える海の青さはひとしおです。深く切れ込んだ入り江にはたくさんの赤とんぼが群舞していました。

f:id:yporcini:20201110121948j:plain

 風もなく暖かかったのでこの木に座ろうかと思ったら、先客がいました。アカトンボが10匹以上日向ぼっこをしていたのです。晩秋のつかの間の出会いの場だったのでしょう。

 この道を歩いて「神の倉の津波石」を見てその巨大な姿を写し撮りたいと思っていたのですが、見つかりませんでした。途中一か所だけ海岸の工事をしていて入れないところがあったので、聞いてみればよかったと後悔しました。

 津波で海の底から引き揚げられたという石です。津波の持つ想像もつかないエネルギーが形として残されているのです。

 

f:id:yporcini:20201110133147j:plain

  そうこうしているうちに御﨑まで到着です。この赤い鳥居のようなものがオルレのスタート地点です。本当は、ビジターセンターに入りたかったのですが、ちょうど休日で願いは叶いませんでした。

f:id:yporcini:20201110134222j:plain f:id:yporcini:20201110134334j:plain

 「御﨑神社」です。自然を相手にしている漁業が盛んな地域なので、神社の数はたくさんあるらしいですが、この「御﨑神社」は、歴史も古くこの地域の多くの人の信仰を集めている神社です。

 

 

f:id:yporcini:20201110135007j:plain

 御﨑をぐるっと回れるハイキングコースがあるのでめぐってみました。

f:id:yporcini:20201110135444j:plain  f:id:yporcini:20201110135728j:plain

 鯨塚と書いてあります。このあたりでもクジラ漁が盛んだったのでしょう。

 右は、御﨑の灯台です。今は無人灯台です。塗り替えたばかりのようで空の青と白のコントラストが美しかったです。

f:id:yporcini:20201110144459j:plain

  東側へ回ると大きな岩礁になっていました。千畳敷きと言われるくらい大きな岩が続いています。近くに「八叟曳(はっそうびき)」という説明板がありました。御﨑神社の祭神がこの千畳敷の岩に船をつけて上陸したといわれています。長さ50ⅿ、幅30ⅿもある岩です。

 これは一部分です。ここでこの岩をスケッチしていたので、やはり一時間もすると体が冷たくなってしまいました。

 

f:id:yporcini:20201110151345j:plain  f:id:yporcini:20201110151414j:plain

 陽沼(おぬま)           陰沼(ひぬま}

 さらに回るとなぜか色が違う水が溜まっているところがありました。陽沼の方がイザナギ、陰沼の方がイザナミが鎮座しているといわれています。沼と名前が付いているだけで実際は、海の水が流入しているのだそうです。隣り合わせに位置しているのに色が違うのが不思議でした。不思議なことは、神様のせいにしておけばいいのでしょう。

 

 御﨑漁港近くのバス停から帰途につきました。歩いた距離はおそらく12,3キロというところでしょうか。それでもなんとか10キロはクリアーできたことで、今度は西側を歩きたいなと思えました。脚にトラブルを抱えているので、とりあえず歩けたことで自信になりました。

 

 その日の宿の夕食です。

 一人のためにわざわざ気仙沼の市場へ行っていたら赤字だと思うくらい素材が豊富なので、「ご自分で獲ってくるのですか?」とお聞きしたら、「「巨釜・半造」の辺りまで出かけて獲ってきますよ。」とのこと。

 

f:id:yporcini:20201110181139j:plain

 この日、食べたいと思っていたものが出ました。

 いわゆる「ハーモニカ」と言われるものです。カジキマグロのひれのところにあるものでカジキの生から一つしか獲れない、まさに気仙沼でしかお目にかかれない貴重な部分です。これをダイコンといっしょに煮付けてありました。骨と骨の間の身はやわらかくふわっとしています。

f:id:yporcini:20201110181128j:plain

  後から揚げたてを持ってきてくれたものが、マグロの顎の骨の部分だそうです。あらかじめ味をつけておいたものに衣を付けて揚げたもの。まさに珍味。骨に着いた身は美味しいです。

f:id:yporcini:20201110182521j:plain

  新潟県村上市に行った時は、私たちがふだん食べないような鮭のいろんな部分をご馳走として出してくれましたが、昔から地方では、食べられるものは何であれ料理していただくという姿勢が貫かれているなということを今回も感じてどれもありがたく頂きました。

 (つづく)

 

 

晩秋の宮城3(気仙沼唐桑半島)

 唐桑半島というのは、気仙沼湾に浮かぶ大島を挟んで太平洋側に面したリアス式海岸の半島です。

 そもそも唐桑半島に来たのは、仙台の高校の1年先輩の人によく薦められていたところだったからです。「景色もいいし、人も親切!」と絶賛するのです。ただそれも友人が高校生の時に部活で来たときの感想なので、もう50年以上前のことなんですが・・・風光明媚なところなので、韓国由来の「オルレ」のコースもあるし、みちのくトレイルのコースもできている歩く人にはとっても恵まれたところなんです。

 

 唐桑半島へ向かうバスは、一日8本、それも朝夕は1時間に1本あるけれども昼間は2時間に1本となります。今まで何回か気仙沼へきましたが、バスの本数が少ないために結局行くことができませんでした。

 

 どの民宿に泊まろうかと観光協会が出している地図を見ながら、半島の付け根に近くバス道路から近いところということで、電話で確かめて高石浜の「はまなす」に決めました。名前も花の名前で私には憶えやすかったし。民宿のチェックインに合わせて14時34分のバスで向かいました。

 

 荷物を置いてから、海の方へ下りていくと小さな港がありました。ここが高石浜。

 もう日が暮れかけ、夕焼けが始まっていました。ここだけとっても景勝地です。この一瞬の夕暮れを切り取ろうと1時間余りスケッチブックを開いていたら体がすっかり冷えてきたので、風邪を引かないうちにと戻りました。

f:id:yporcini:20201109155515j:plain

 お楽しみの夕食です。いろいろ少しずつというシニア用に設定されたもので、質も量もちょうどよかったです。

 他にはだれもいないので「私だけなんですか?」と尋ねると、「コロナ禍ですから、一組しか取らないようにしています。」とのこと。お互いにその方がいいには違いないのでしょうが、一人のために手間をかけてもらっているようでなんだか申し訳なくなりました。

f:id:yporcini:20201109180201j:plain

左のお刺身は、「そい」         右のはマグロの卵の煮つけです。

                    マグロの卵を初めて見ました。        

f:id:yporcini:20201109180222j:plain   f:id:yporcini:20201109180243j:plain

 

 翌日の朝、やっぱり日の出を浜まで見に行きました。下の方は雲が覆っていましたが、天気は良さそうです。朝はやっぱり冷え込んでいました。

f:id:yporcini:20201110062442j:plain

 港の右の方の風景です。岩礁地帯なのでどこをとってもいい景色です。

f:id:yporcini:20201110062622j:plain

 左は名残りのハマギク。三陸海岸では、9月から10月に咲く花です。

 右は名残りのヤクシソウ。花期は11月くらいまで

f:id:yporcini:20201110063505j:plain  f:id:yporcini:20201110063829j:plain

 本日の予定は、半島の突端の御﨑までのハイキング。

 お昼は作ってもらえないので、バス停の一つ先にあるコンビニ以外には調達できるところがないと言われていたのでおにぎりと行動食の黒飴を買って進みました。絵地図に目安の時間は書いてあっても脚が衰えているので時間通りにはいかないだろうし、歩けなくなったらとか不安を抱えながらのハイクでした。

f:id:yporcini:20201110084127j:plain

  車が通れる道でしたが、アップダウンが結構あります。ここは、下ってきたところです。唐桑半島は、港に面した低いところには民家が集まっているところが少ないのですが(歩いてみてわかったこと)、ここは低くなっているところなので津波の被害に遭ったところなのでしょう。宮城県の大学生が募金を集めて三陸の数か所にこれと同じような石碑を立てる運動をしたそうです。

f:id:yporcini:20201110085958j:plain

  広い自動車道から右へ折れる上り坂を歩いてきました。柿の橙色の実の向こうに太平洋の海が見えました。この道は山もあり海もありで変化にとんだ景色が見られて気持ちがいいです。この道をいっていいのかどうか道しるべもなかったので、道沿いのお宅の庭にいらしたご婦人に話しかけました。

 

 登ってくる前の低地のことをお聞きすると、やっぱり津波に襲われたところで甚大な被害があったそうです。「どこから来たの?」と聞かれひとしきり話をしました。この道を行けば、下の広い道と合流するので心配ないと言われてほっとしました。途中にバス停があったので、ここはバスが通る生活道路なんだと気が付きました。

f:id:yporcini:20201110091516j:plain

  たぶんマユミのピンクの実、しばらく散歩もしていなかったのでまじまじと見るのは今秋初めてでした。

f:id:yporcini:20201110092543j:plain

  草紅葉の間に晩秋を感じさせるコスモスが数輪陽だまりに咲いていました。狭いバス道路が広い道路と合流したところが、観光地として有名な「巨釜・半造」の入口でした。バス道路から海の方へ20分くらい歩くと公園領域に入ります。

 

 11月はオフシーズン、特に昨年は観光バスなど来るはずもなく、駐車場はガラガラ、観光客はいませんが、お一人ウオーキングをしていると見受けられるご婦人が同じ歩道を歩いておられたので、「私は膝が悪いので、先にどうぞ。」と声をかけたら、「私も膝が悪いのでゆっくりしか歩けませんから。」とおっしゃるので、「じゃあ、ご一緒に。」と言いながらその方のペースに合わせ一緒に歩きました。

 

f:id:yporcini:20201110101051j:plain

  「折石」は、一応16m位の高さがある大理石だそうです。明治の地震で上部が折れるまではもっと高かったので「天柱石」と呼ばれていたとか

 前のめりになって覗いても、ポスターにあるような写真を撮るのは無理そうなのでこれくらいでいいことにしました。

 途中ひび割れたところがあるので、今度大きな津波が来たら、また折れて今度はなんていう名前が付くのだろうと思ったりしました。

 

f:id:yporcini:20201110100010j:plain

 その女性は、私より少し年が若い方でしたが、「友だちもあまりいないので、一緒に歩く人がいないんです。ご主人が近くで畑仕事をしている間ちょっと歩こうと思って来たのです。」とのこと。

 ご婦人の幼い日のこと、都会に出て暮らしたことがないこと、この地域の案内ボランティアだった時のことなど、いろんなことを教えてもらいました。

 初めてお会いしたとは思えないほど語り合い、小一時間散策した後、バス通りまで戻りました。

 

f:id:yporcini:20201110103104j:plain

 ちょっと気持ちが沈んでいらしたみたいなので、久しぶりで思う存分しゃべって楽しかったようでした。

 その方は、少し先の「小鯖」というところにお住まいだということがわかりましたが、私は「御埼」まで歩かなくてはならないので、ちょっと別れがたい気持ちを残しながら先へ進みました。

 オルレは、人が住んでいる里もルートに入っているので、単に風景を愛でるだけとは別の交流が生まれるのがいいところだと思います。お名前も住所もお聞きしてはいませんが、今度あの辺りを通ってまたお会いできたらいいなと旅の忘れられない思い出になっています。



(つづく)

 

晩秋の宮城2(伊豆沼から気仙沼へ)

 名取から仙台へ出て、仙台から新幹線でくりこま高原へ移動。

 この日の宿泊はウエットランド交流館、泊り客は私一人でした。

 今年も9月12日にはマガン、10月11日にはコハクチョウが伊豆沼へ飛来したとの情報をもらい、サンクチュアリセンターが主催する観察会に合わせてやってきました。ここ5年くらい続けてきているので、宿舎の方にも覚えてもらっていますし、観察会も3回目なので、サンクチュアリセンターの職員の方にも気安く声をかけてもらって有り難いなと思っています。

 

 日の出前の沼は、何かが始まる前の静けさに包まれています。

 そろそろマガンたちの声も聞こえてくるし、小さな羽ばたきも始まっているのですが、まだ動きがありません。

 

f:id:yporcini:20201108054514j:plain

 やがて声が高まりそろそろかと思う頃、沼の奥、東側の群れが飛び立ちました。それに呼応して手前の群れも飛び立つかと思いきや、なぜかまだ腰が上がりません。

 その後も奥の方の飛び立ちがありましたが、この日は一挙に飛び立つことはありませんでした。

f:id:yporcini:20201108061840j:plain

 下の写真は次の日の朝のようすです。

 この日もやはり一気にとはいきませんでしたが、前の日に比べるとほとんど一斉に飛び上がって西の方をめざして飛んでいきました。

 天候の具合でいろんなパターンがあるようで、研究員の方に聞いてもわからないとおっしゃっていました。

 この時期、マガンは10万羽くらいここへねぐらを求めてきていたようです。

f:id:yporcini:20201109062514j:plain

 私が来る日は、いつも天気がよくって飛び立ちが見られるのは本当に幸せなことですが、たまには雨や雪の日にと思ったりしますが、風当たりも強く寒くていけません。

 1月に入って寒波がここにもやってきて、沼面が凍ったみたいで真ん中あたりの氷がないところに集まって凌いだようです。

 ふだんは凍らない沼なので鳥たちは大挙して飛来するのですが、寒波には勝てません。しばらくどこか違う場所を見つけて移動していたのだと思います。

 雪が降ると、田んぼも雪で覆われて落穂ひろいもままならずきっと大変な日々を過ごしたのではないかと心配しておりました。

f:id:yporcini:20201108114447j:plain     f:id:yporcini:20201108114507j:plain

 草紅葉や一面に生えていた蓮が枯れ不思議な形を見せるところが伊豆沼の秋の光景です。

 

f:id:yporcini:20201108090420j:plain

 観察会で伊豆沼のほかに蕪栗沼と化女沼へ行ってきました。

 上の写真は、蕪栗沼のものです。蕪栗沼でもマガンは、朝飛び立ってしまいますが、ハクチョウとヒシクイは昼間の時間残っているです。

 ヒシクイの色や形は、マガンとよく似ています。ヒシの実が好物なので、ヒシの実を主に食べているので田んぼへ飛んでいかなくても間に合っているのです。ハクチョウもマコモとかヒシとかハスがあれば飛んでいかなくてもいいのです。

 ここでは観察会に来るたびにヘラサギに逢います。

 5年前初めて来たときにヘラサギがくるのは珍しいと言われましたが、私が来る度にいるので、あのヘラサギはここを覚えていて毎年やってきているのではないかと思っています。しかもたった1羽で。

 鳥って、なんだかとっても不思議です。

 私の住んでいる団地の庭に毎年ツグミが渡ってきているのを見かけます。それもたった1羽。同じ個体かどうかはわかりませんが、鳥には位置を知る特別な能力があるというので、きっと同じ個体がやってきているのではないかと思っています。

f:id:yporcini:20201109085404j:plain

 この日は、一関を経由して気仙沼へ行くことにしていました。

 新幹線で一関へ行けば一駅であっという間だけれど、たまには在来線の東北線に乗って一関へ行こうと、タクシーを呼んでもらって伊豆沼の東の端に位置する新田駅まで来ました。車で10分くらいでつきます。

 この駅は、無人駅です。

f:id:yporcini:20201109091332j:plain   f:id:yporcini:20201109091313j:plain

 まわりは田んぼです。赤い建物の周辺に見える白いものは、

 大きくするとハクチョウでした。こうやって朝から田んぼへやってきて落穂を食べるハクチョウもたくさんいます。

 

f:id:yporcini:20201109095456j:plain

 一関まで5つある駅のうち有人駅は2つ、あとはやっぱり無人の駅でした。

 一関で大船渡線に乗り換えです。この線は、ドラゴンレールと呼ばれています。

 線路がくねくねと曲がりくねっているからのようですが、鉄道を引くときの地元の思惑が絡んでいたようで「我伝引鉄」と言われているそうです。今は、大船渡までは線路がないので、気仙沼まで行くと後は、BRTのバスに乗り換えます。

 

f:id:yporcini:20201109121555j:plain

 気仙沼は今回で4回目ですが、いつも泊まるわけではないので、さわりだけでゆっくりとしたことがありません。

 今回は、来る前に山の上にある「鼎斉吉(かなえさいきち)」というお店を見つけていたので、そこへ行ってお昼を食べることにしました。

 着いたのが早くてまだだれも入っていなかったので、若い店員さんにお薦めを聞いて決めたのが、海鮮丼です。お魚がどれも新鮮で美味しいのは言うまでもありませんが、カブの漬物が美味しかったのに驚きました。

 漬物のような小さなものにも気を抜かないお店が好きです。

f:id:yporcini:20201109121605j:plain  f:id:yporcini:20201109122608j:plain

 この海鮮丼は、普通に半分ほど食べたら、残ったものにポットの出汁をかけて出汁茶漬けにして食べるといいと勧められたので、そうしてみました。

f:id:yporcini:20201109121700j:plain

 木間から港が見え隠れしています。

 気仙沼の内湾は、鼎浦(かなえうら)と呼ばれているようで、このお店の名前もそこからとってつけたのだと思います。

 震災時さんまを煮るかえしの鍋のみ避難させることができたのだそうですが、津波で工場や自宅を流されゼロからの出発だったそうです。今では、豊かな水産資源を使った料理を通販したり、東京のデパートへ出張したり、軌道に乗っているのを見聞きして一度行ってみたいと思っていたお店でした。

  (つづく)

 

 

晩秋の宮城1(名取市閖上浜)

 昨日の晩は、本当にびっくりしました。ちょうどお風呂から出て着替えている最中で部屋の方でガタガタという音が聞こえてきました。何だろうと思って慌てて覗くと、開いていたドアや灯りが揺れていました。横浜でも震度4くらいの揺れだったので、10年前の3.11を思い出しました。

 すぐに頭に浮かんだのは、11月初めに訪れた宮城県名取市閖上浜(ゆりあげはま)の光景でした。大震災から10年目を迎える東北の人たちはさぞ怖い思いをされただろうと思っています。

 そんな時に旅の話なぞ申し訳ないようですが、一応私の記録として書いておきたいと思っています。

 宮城県の仙台以北へはしょっちゅう出かけていますが、今回訪れた名取にはまだ行ったことがありませんでした。

 昨年は活動が停止していた茅ヶ崎ハマボウフウなどを植える活動の代表の方が名取の閖上浜の方とも交流している話はよく聞いていましたので、一度その閖上浜に脚を運びたいと思っていました。

 もう一つは、閖上浜にあるみちのくトレイルセンターにも行ってみようと思っていました。

 2年前の冬、南三陸のビジターセンターで陸前高田海浜植物の現状の報告会があった時に、偶然泊まった民宿でみちのくトレイルの事務局長さんにお会いして名刺を頂いていたのです。

 名取へは仙台から常磐線に乗り換えて南下するのですが、名取の駅からはバスに乗らないといけない距離なので、そのバスとの接続が難しくて、青森へ行くのとそう変わりない時間にうちを出ました。

 待ち時間の間、バスの運転手さんが閖上浜のようす、帰りのバスの時間や停留所の位置など親切に教えて下さいました。

 駅から海の方へ向かってほぼまっすぐに進むのですが、駅周辺を抜けると田んぼや畑がずっと拡がっているだけです。冬枯れの田んぼの間にところどころ鮮やかな緑が続いているところがありました。よく見るとセリの畑です。

 後で知ったことですが、この辺りは、伏流水を使ってセリの栽培が盛んなんだそうです。白い根を食べるので水がきれいなところでしか作れません。暮れに気をつけてみていたらうちの近所のスーパーにも仙台ゼリと印刷されたシールをつけたものを見つけました。

 

f:id:yporcini:20201107114712j:plain

 バスは、トレイルセンターの玄関わきに停まりました。みちのくトレイルは、北は八戸の種差海岸から南は福島の南相馬まで約1000キロメールの長いトレイルコースです。

 東日本大震災の国の復興事業の一つで環境省の肝いりの事業のようです。関心がある方は、ホームページをのぞいてみてください。

 若ければトレイルをくまなく歩いてみたいと思いますが、もうすべてを歩くことは無理なので、このコースの中で景色がよくてキャンプしなくても済むコースを選んで歩きたいと思っています。

 

 今回は、この旅で歩こうと思っている唐桑半島についての資料をもらい、話を聞いてきました。外国の方も多いらしく英語担当のアメリカ人の女性も(日本語もぺラぺラです)相談コーナーを担当していました。

f:id:yporcini:20201107123601j:plain

 ちょうど前に見えるのは、漁港ではなくて、広浦という運河のようなところです。

 対岸に見えるのが去年できたばかりのサイクルセンターと日帰り入浴の温泉と食堂。   近くを通るとずいぶんとお客さんが来ていてにぎわっていました。

 f:id:yporcini:20201107120226j:plain f:id:yporcini:20201107120236j:plain

 お昼は、カナダの援助で建てられたメイプル館が近所にあったので、そこで食べました。石巻に行った時にも、やはりカナダが作ったコミニティーハウスがあったので、カナダはそういう援助の仕方をしていたんだなと改めて思いました。

 私は本当はここの名物の赤貝を食べたかったのですが、今は貝毒の値が高くて手に入らないのだと聞いて、この時期の名物「はらこ飯」を勧められたので、はらこ飯としらす丼のセットを食べました。

 はらこ飯は、味の付いた鮭とその上にイクラをのせたもの。

 しらす丼は、閖上が北限だというなましらすと釜揚げしらすそれにマグロの中落ちとエビがおまけについている。

 どちらも美味しく、すごく得をした気分でした。

 早速はらこ飯のつくり方を聞くと、鮭を醤油とみりんで味付けし、その出汁を入れてご飯を炊くといいと教えてもらいました。うちへ帰ってから作ってみました。郷土料理をまた一つ学びました。

f:id:yporcini:20201107124439j:plain

 広浦にかかる橋を渡ったところにこの看板があり、松の苗木がたくさん植えられているところがありました。昔は、ここに松原があったに違いありません。

f:id:yporcini:20201107124645j:plain

 震災以前にも堤防はあったのかどうかはわかりませんが、新しくりっぱな堤防ができていました。

 今は堤防に登らない限り、海が見えません。

 

f:id:yporcini:20201107124748j:plain

 階段を上った先にようやく閖上浜が見えました。閖上浜は、三陸リアス式海岸と違って平らな広い浜辺なので、津波とすぐに結びつかない気がしますが、10年前の震災ではここは高い土地もないのでそのままずっと奥まで波が押し寄せ被害も大きかったのだろうと思いました。

f:id:yporcini:20201107124931j:plain f:id:yporcini:20201107125002j:plain

 一つ残らず波がさらっていったはずなのに、植えたものなのか自然に出てきたものか今回は誰かに聞く術がありませんでしたが、左のハマボウフウ、右のハマヒルガオも元気に復活していました。こんな小さな植物でも減災につながると言われているので、頑張れーと声をかけたくなります。

 

f:id:yporcini:20201107131246j:plain

 広浦の橋を渡り、震災メモリアル公園といわれる一角まできました。944名の死者行方不明者の慰霊碑です。

f:id:yporcini:20201107131335j:plain

 この慰霊碑は、8mを越える高さの津波が押し寄せたその高さを表わしているそうです。冷静にその高さを見ると実際にそこに居合わせた人にとっては恐怖しかなかったと思います。

f:id:yporcini:20201107132000j:plain

 そのお隣に神社がありました。日和山です。

 海の仕事を生業にしている地域には必ず海を見渡せる小高い山があり、そのどれもが日和山と呼ばれていますが、津波はこの日和山よりも2mも高かったそうです。神社の建物も流され、現在あるものは、仮の物だそうです。見渡す限り平らな土地を津波は容赦なく嘗め尽くしたのだろうとここへ上がってくるとそれが想像できます。

f:id:yporcini:20201107134658j:plain

 震災公園から東の方には、名取川の河口があります。ここからも津波は遡ってきたのだろうと思われますが、今は堤防ができていて、左の方へ行くと「かわまちテラス」という、飲食店や土産物店などが集まっている新しい建物があり、右に行くと「名取震災復興伝承館」があります。今回は時間もなくて行かれませんでしたが、次回は忘れず見学するつもりです。

 名取川は、私の卒業した高校の校歌の歌詞の中にも出てくるのですが、今回初めてその川の姿を意識して眺めました。

 

 (つづく)