3日目、朝カーテンを開けるとどんよりしていましたが妙高山は辛うじて姿を見せて
いました。この日は、山麓バスに乗り「苗名滝(なえなだき)」と「いもり池」へ行く
ことにしました。
山麓バスは、2日間使い放題で1000円。私たちのように車で来ていない客にと
ってはありがたい乗り物です。休暇村の玄関がバス停なのでそこから前日も通った赤倉
温泉方面を通り黒姫山の方向へ山道を進みます。
新潟と長野の県境だという関川沿いの道を右に曲がるとすぐに駐車場。この地域では
有名な観光地ながらウィークデーのせいか車も少なくて寂しげです。
砂防堰提を右に見ながら階段を上り川の左岸を登って行きます。道の両側は名前はわ
からない木々ながら豊かな林を形成していました。
撮ってきた写真とにらめっこして、3時間ほどネットで名前を調べわかった植物が二
つありました。
一つは、「ヤグルマソウ」。花では見分けられませんでした。この植物の一番の特徴
は大きく5つに分かれた葉っぱでした。ヤグルマソウというと、春に咲くヤグルマギク
のことだと思っていました。小さい花ながらようく見るとその一つ一つが金平糖のよう
でこいのぼりの先に付ける矢車に似ているような気がします。そこから名前が付いたの
かもしれません。今回苦労したのできっと忘れないと思います。
もう一つ分かったのは、ほとんど白い花ばかりだった中で唯一黄色の花だった
「オオダイコンソウ」。図鑑を持って行ってそばでゆっくり見たわけではないので
定かではありません。これも似たような花が多いので、葉っぱを手掛かりにしました。
突如、句碑が登場です。小林一茶が1813年4月にこの地を訪れた時に読んだ句だ
と言われています。
「瀧けぶり 側で見てさへ 花の雲」
一茶は、吟行であちこちへ出かけていますが、出身はこの近くの北国街道柏原(現
在の信濃町)。ここへやってきた時に、滝を見た感動を読んだ句だと思われます。
滝の音が大きく聞こえてきました。川の反対側に行くために吊り橋を渡ります。
右側へ出たからと言って簡単に滝つぼへ近づけるわけではありません。ゴロゴロした
大きな岩を乗り越えて進むしかないので、途中までしか行けません。私は、近頃脚に自
信がないのでここまででギブアップです。
一茶が句にしていた通りです。ものすごい水量なのでこの時期でさえゴーッ、ドーン
いう水が流れ落ちる音とともに水けむりが上がっています。
雪解けの時期はさらに水量が増し地震かと思うほどだということで、この地方で地震
のことを「なゐ」とよんでいたのが「なえ」に変化したと言われています。
この水は関川として米どころの下流域に流れ、田植えの頃の大事な水源になっていた
ことも重なり「苗名」と呼びならわされ、今に至っているそうです。
落差は、55mと、一日目に見た落差80mの惣滝に及びませんが、水量の多さには
驚きます。岩は火山が冷えた時にできる柱状節理で自然の歴史の奥深さを感じます。
無事戻ってこられたので、駐車場で次のバスを待ちもう一つの目的地、「いもり池」
まで向かいます。
「いもり池」です。名前の通り昔はいもりがたくさん生息していたそうなので、この
名で呼ばれています。天気が良いとこの池に妙高山がきれいに映し出され、その様を写
真に撮ったポスターとして駅に飾られているのでご覧になった方がおられるかもしれま
せん。
今の時期は、スイレンに覆われていますが、春の早い時期は池の縁をミズバショウが
美しく彩ります。曇っていてぽつぽつ雨も降ってきましたが、妙高はちゃんと姿を見せ
ていてくれました。
ここに新しいビジターセンターができてちょっとしたカフェも併設されていました。
友人は、
「昔は建物が古くてトイレも外にあったのに、広くなってトイレが室内にそれも最新
式のものが出来ていてビックリ。」
と、言っていました。この言葉を何回も口にしていたので、その落差がすごかったのだ
ろうと推察しました。
地元のコーヒー店から提供された美味しいコーヒーがあったので、コーヒーとバナナ
ケーキをスタイリッシュな椅子に座っていただきました。
池の周りは、一周15分くらいで廻れるバリアフリーの道がついていたので、歩いてみ
ました。対岸から見たビジターセンターです。右半分が本来のビジターセンター部門、
左側が衣料品やお土産などの売店とカフェです。
妙高山が寝ても覚めても滞在中ずっと見えていたので、それが一番の旅の思い出で
す。我らは、自称「百名山を眺める会」なので、今回は妙高山、火打山、と2つの山も
眺められ、会の目的はしっかりと果たせたのは大きな収穫です。
おまけ。
翌日は、長野駅で下車。善光寺をお参りしてから、門前の山城屋さんで三門そばを食
べました。相変わらずの欲張りで、とろろ、ふつう、くるみとつけダレが3つ付いた戸
隠そば。
最後がずっと書けなくてそばで閉めました。(旅行記終わり)