昔から、お正月に実家へ帰ると、
2日と3日は、箱根駅伝のテレビ中継を見ることと、ヘリコプターの音に合わせて
国道一号線まで出て応援をするというのが我が家の恒例行事となっていました。
今年もまた箱根駅伝の日がやってきました。
昨日の往路は行けなかったので、復路の今日行ってみました。
ラジオ放送で、8区の先頭走者が藤沢の遊行寺の坂を下っていると聞いたとたん、
支度をしてうちを出ました。
国道へ出ると、まだ30分はあるというのに、沿道は人でいっぱいでした。
ちょうど、権太坂の上にあたる場所なので、
テレビ局の中継車も陣取っています。
私が坂を下って入り込めそうなところを見つけると
ヘリコプターがやってきてホバリングを始めました。
もう間もなくのようです。
権太坂は、テレビに写るので、各大学の関係者が大学名の入った幟旗を林立させ
陣取っている場所でもあります。
自分が卒業した大学だったり、親戚の子どもが在学しているかだったり、
様々な理由で応援することが多いのがこの駅伝です。
私が卒業した大学は、残念ながら参加していないのですが、
うちの母は(大正生まれ)昔の青山女学院時代の青学の卒業生なんです。
箱根駅伝に出場していなかったので、母は応援できませんでした。
今日は、母の代わりに青山学院を応援していこうと思ったので
青山学院の小旗をもらおうとしたのですが、
もうすでに配り終わっていてもらえませんでした。
先導者、白バイが通って先頭の走者が走ってきました。
背中を写すことになってしまった青山学院の9区の走者です。
近くにやってきても決断が遅かったり、横にいる人の頭が急に入ってしまったすると
あれよあれよという間に行き過ぎてしまいます。
小柄な選手でしたが、順調に走っていて安心してみていられました。
時間にして5分くらいしてから、2番目の走者がやってきました。
藤沢を走っている時は、2位は駒澤大学だと聞いていたのに、
ゼッケンを見ると、東洋大学に変わっていました。
勝負は厳しいです。
この10キロくらいの間にドラマが展開されていたのです。
(坂の上の方は逆光で私には、うまく写すすべがありませんでした。)
この選手は、関東学生連合というゼッケンをつけています。
チームとして出場することができずに、個人として走っているのです。
記録は残るだけの孤独な存在ですが、沿道の人は、小旗を振り
わけ隔てなくみな応援していました。
私の横にいた沖縄から働きに来ているという男性は、
「僕は、ここへ力をもらいに来るんだよ。だから大声で’応援して自分の中に’も’
力を蓄えて帰るんだ。」
と、缶ビールで’ちょっと赤くなった顔でしたが、
誰よりも大きな声で’応援していました。
1位の選手から最後の選手まで30分くらいかかりましたが
私も全員が通り過ぎるまで応援をしました。
今日は、風もなく日差しも強く、見ているだけでも汗ばんできましたので、
走っている選手は、季節外れの気温の高さに
戸惑いがあったのではないかと心配していましたが、
倒れるようなアクシデントがなかったのが何よりだと思いました。
日差しの強い中に日傘や帽子なしで一時間もいたので、
季節外れの日焼けをしたようです。