福島の旅 その3

 続きです。

 昼食後、バスで飯館村へ移動しました。

 土湯から下って福島市を横断し、東方向へ登って行きます。飯舘村は、標高500m阿武隈高地に位置しています。東京でいうと、高尾山よりも100mばかり低い高いところに位置していますが、山の中というより平坦で開けている高原のような感じの場所です。かつては小高い丘のような山に囲まれ放牧している牛がのんびりと草を食み、川に沿った地域では稲作が行われ、花卉栽培も盛んで本当にのどかな村だっただろうと想像できます。

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 一見、稲を刈り取った後の田んぼのような気がしますが、田んぼを除染するために草を刈り表土をはぎ取った後のようすだと聞きました。

 除染は、田んぼや畑のみで、周りの畔は対象になっていないし、まわりの山はもちろん対象外ですから、農作業をする方々が安心して作業できる満足な状態ではなさそうです。 

 飯舘村は、福島原発のある所から40㎞離れており、当初避難区域から避難してくる人たちの避難場所だったとも聞いています。爆発の数日後に降った雪で空気中の放射性物質が降り積もり、高濃度の汚染に至ったようです。

 ほかの町や村よりもずっと後の4月11日になってようやく全村避難命令が下されたといいますから早めに避難できなかった子どもたちにとっては深刻です。

 昨年の4月に一部地区を除き、居住制限区域に格上げ?され帰還が可能になりました。

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 村に入って初めて目にした立派な建物は、この道の駅「までい館」です。”までい”というのは、丁寧に 手をかけて ・・・・というような方言で、この村では収穫した農産物を使って味噌や漬物など手作りで何でも作ったといいます。

 コンビニが1つしかなかった村に帰ってくる人の呼び水になるようにとの願いで作られた鳴り物入りの道の駅だったのでしょうが、約6000人住んでいた村民のうち戻って居住しているのは約600人、それもほとんどは、お年寄りだということです。

 ここで、この村に「飯舘電力」を立ち上げられた役員の方と合流して案内していただきました。この方は、前回紹介した「元気アップつちゆ」の立ち上げにもかかわられた方でした。

 2014年に再生可能エネルギーとしてソーラーシェアリングという手法を活用した「飯舘電力」を立ち上げたそうです。4年目にしてやっと利益が出たので、今年初めて土地を提供してくれた地権者や出資してくれた方々にようやく地代や配当を出すことができたことが明るい話だとおっしゃっていました。

 この「飯舘電力」設立にも地域の方々の出資を受け、太陽光発電のパネルの設置工事、草刈りなど必要な仕事は地域の業者さんからという方針で雇用にも繋げているとお話されていました。

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 フレコンバッグが積まれている畑です。たてに4段積まれているうち一番下と一番上は、他から持ってきた土のフレコンバッグで、除染したものは挟まれた中の2段、また一番外側になる部分も除染した土ではないもの、それをまた緑色の厚いシートで覆っているようすです。

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 緑のシートの上ににょきにょきと出ている黒い煙突は、フレコンバッグから出てきたメタンガスを放出しているものだそうです。野積みしてからずいぶん時間が経っているようです。そのうち中のフレコンバッグやシートが破れてくるのではないかと心配になります。仮置き場から撤去されるのはいつのことになるのか、これも大きな課題です。

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 白くなったところは、以前は後ろに見えるような山でした。除染のフレコンバッグを囲むために山を崩して土を掘りだした跡だと聞きました。工事現場か何かのようでほとんど山らしい形跡はありません。

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 フレコンバッグ本体です。たぶん、これは山の土を崩して作ったフレコンバッグだと思いました。 

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 ここで一度バスを降りました。

 この建物は、老人ホームだそうです。震災で全村避難地域に指定されても、ここにいたいという方がたくさんいらして、その方々が住んでいらっしゃるとのことでした。介護職員は、福島や近隣のところへ避難しているので、そこから通って介護をしていると聞きました。介護職員も大変だったでしょうが、避難して病気を患い辛い思いをしているお年寄りがたくさんいると聞きますから、私でもずっといる方を選ぶかもしれません。ちょうどドウダンツツジが真っ赤に色づいていました。

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 その老人ホームの土手になるところに太陽光パネルが設置されていました。このように高さが低いパネルは、「野立て」というのだそうです。パネルの下の部分は何かに利用できるものではないタイプです。

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 バスの車窓から、農家の庭先や畑にこういったタイプの太陽光パネルがあちこちで見られます。農地と発電をシェアするので、「ソーラーシェアリング」というそうです。

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 ここは、この会社の社長さんの家の庭というか畑です。ソーラーシェアリングになっています。冬に雪が降らないようなところでは、このパネルの角度はもっと開いていて太陽光を効率的に受けられるようにするのだそうですが、ここは冬は寒く雪も降る地域なのでそれを計算した角度になっているそうです。

 大手の会社がやはりこの村に広大な土地を使った太陽光パネルを設置しているそうですが、雪を計算していないので、開いているパネルになっているので、「雪が降ったらどうするのでしょうね。」と言っておられました。「飯舘電力」は、パネルの下の草刈りもメンテナンスも地元企業にやってもらうそうですが、大手さんは、経済のことだけで地元の雇用を創出させることなどに関心がないようです。

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 現在は生み出された電気は、このパネルのそばにある電柱のところから、東北電力へ流れて行くのだそうですが、今よりも容量の大きな電気を蓄電するバッテリーが安く手に入るようになったら、コンセントのところからバッテリーに充電させて、自前で電気を販売できると夢を語っておられました。

 自動車も自前で蓄電池を備えることができれば電気自動車が一番いいと思いました。空気を汚さないから温暖化にも寄与するし、早くそういう時代が来ないかと思いました。

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 社長さんは、お留守でしたが牛が10頭ほどおりました。かつて飯舘村は、飯舘牛というブランド牛の産地でその復活を考えているのだそうです。今のところ、定期的に血液検査をしているが問題がないと話されていました。ソーラーシェアリングの下に生える草が牛たちのエサになるのです。

 写真が撮れませんでしたが、小中一貫教育を目指す学校ができていました。時計台が据え付けられたおしゃれな立派な校舎です。「ここに今90人が通っていますが、この村に子どもが何人住んでいるでしょうか。」と質問されました。私は、「100人くらいですかね。」と答えますと、だれも住んではいないということでした。みんな他地域からバスに乗って通っていているのだそうです。しかも学校が終わった後は、東京から呼び寄せた塾の講師の先生が試験勉強をみてくれるおまけもついています。塾も無料です。

 そうやって帰還を促しているのかもしれませんが、子どもを抱える親は、フレコンバッグが野積みされているそばに住むことは不安で仕方がないはずです。

 かつての1割しか住民が帰ってきていないのに、予算はその頃の5倍も付いているそうです。村長は、この学校だけでなく公民館、道の駅などお金をかけた箱ものづくりに熱心だそうです。帰りたくとも帰れない人たちは、避難している自分たちには何も還元してくれないと不満が出ているということも聞きました。

 今の村の方針でいいのか考えてしまいます。

 2010年に飯舘村「日本で最も美しい村」連合に加盟したそうですが、翌年、皮肉にも原発の事故が起きて、村は全村避難となってしまったのです。

 長いレポートにお付き合いくださった方々ありがとうございました。

福島への旅 その2

 続きです。

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 翌日4日は、土湯温泉の見学でした。夜は温泉にしっかりと浸かり、翌朝もしっかり温泉を楽しみ、朝食もしっかりといただいて見学にのぞみました。泊まったお宿は、「向瀧旅館」というかなり大きなお宿でした。朝起きて窓を開け下を見ると荒川の流れる音が聞こえ、木々の紅葉が見えました。

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 土湯温泉は、福島駅からバスで40分くらい吾妻連峰の方へ登ったところにあります。 古くから開かれた歴史ある温泉場ですので、土湯系といわれるこけしでも有名です。

 東日本大震災の時に建物にも被害が出た旅館もあり、それ以来風評被害でお客さんの数も少なくなって、廃業に追い込まれた旅館もあるということです。町としてこれからのことを真剣に考えざるを得なかったのだと思います。

 そこで地域が一岩となり「元気アップつちゆ」という組織を設立していくことになりました。良質でしかも豊かな湯量を誇る温泉を使かった「バイナリー発電」と東鵜川(荒川の支流)の豊富な水を利用した「小水力発電」の二つを基本に据えることにしたそうです。

 まず、そのバイナリー発電を見学するために車と徒歩で荒川の上流を目指して山道を進んで行きます。

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 対岸に見えたのは、いくつもある源泉のうち2号源泉と呼ばれるものです。

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 さらに登って行くと16号源泉「バイナリー発電」がありました。まわりを囲む階段を上り、上から全体が眺められるようになっています。この設備は、イスラエルの会社のものとききました。ここの温泉は、温度が130度以上あり、混じりけがなくて日本の温泉の中でも10本の指に入るくらいの高品質な温泉であること、使った後も旅館へ温度も質も問題なく送ることができる発電装置であることなどいろんな条件が整ってやっとこぎつけられたということだけはわかりました。

 詳しい発電の仕組みは案内板をご覧ください。

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 上流方向を見たところです。小さな滝が落ちています。この川は、日本の清流の中で水質2年連続で1位だそうですから、それも温泉に寄与しているのだろうと思いました。

f:id:yporcini:20181104101436j:plain 日陰なのも手伝って美しく撮れていませんが、今回は紅葉のことは頭になかったので、赤や黄色やオレンジに染まる木々の紅葉を見ることができたのは、望外な喜びでした。f:id:yporcini:20181104101446j:plain

 下って行く途中に温泉熱を使って海老の養殖という興味深いものを見せてもらいました。

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 「オニテナガエビ」別名アジアンブルーロブスターといいます。長い手が濃いブルーなのがお判りでしょうか。このエビは、熱帯性のものなので、1年中水温を25度くらいにしておくことが条件だそうで、温泉熱をうまく調整すれば、電気を頼むことなくクリアーできるというのです。大体6か月くらいで親となり、15センチ以上に成長するようです。

 これを使って町の方で、45分で3匹1000円でという観光エビ釣りをしています。 釣り上げたエビは、店の奥の電気コンロで焼いて食べられます。街へ戻って覗いたら、たくさんの子どもたちが挑戦していました。

 これもこの会社の事業の一つです。

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 もう一つの小水力発電です。東鵜川へ移動してまた登って行きます。ここには昔この地域で水力発電をやっていた歴史があったと聞きました。

 この写真は、取水口のある3号堰堤ではなく下の方にあった堰堤ですが、この川には、治水・砂防事業として24もの堰堤があるそうです。今回の発電は、その中の3号堰堤の落差を利用してやることになったそうです。取水口まで行く予定でしたが、時間が押していて残念ながらそこまで行くことが叶わず、直接発電をしているところへ行きました。

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 上の写真が発電機です。

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 この川には、イワナのような生物も生息しています。冬の間川の水量が少なくなるため、生息するのに必要な15cmの深さを確保するために取水口のところにある沈砂池水槽から水を流す工夫もされているとのこと。土砂崩れの心配がないこと、鳥獣保護区を含んでいないなど、再生可能エネルギーとして生物多様性にも配慮されているところはさすがだなと思いました。

 ここへ来て小さな水力発電だからできることが今要求されているのではないかと思いました。

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 ここが排水口です。右の管から水が排水されています。

 北海道の今回のブラックアウトの時も北の方で小水力発電をしていた町は、停電から免れたとニュースで聞いた記憶があります。

 「元気アップつちゆ」では、発電のようすを実際に見て学べるような施設にして行くために整備して、観光の一つとしていこうと取り組んでいるようです。

 街の電気を確保し、雇用を生み、我々のように宿泊してくれるお客さんを増やすきっかけにもなるという、経済の循環を創出するために頑張っていることが伝わってきます。

 私たちを案内してくださった方は、朝早くからの温泉のようすを見回る仕事、エビの養殖場の見回りやエサやりもやっているのだと言っていましたから、日々大変なことだと思いましたが、とても生き生きと仕事をされているなと思いました。

 利益を街に還元することも忘れていません。高校生の通学定期代、車を運転免許を持っていない70才から74才の方へのバスの定期代、それに小学生の給食費と教材費を全額負担をやっているとのことです。

 自分たちの街が元気で住みやすい街になるようにという地元への熱い思いを感じつつ、午後は飯館村へ移動しました。

 続く

福島への旅 その1

 11月3,4日は、私の入っている生協が企画した「福島スタディー」の旅へ参加しました。

 2012年、2013年と東日本大震災の実態がどのようなものだったのか自分の目で確かめるために宮城県岩手県青森県を辿る旅をしてきました。ただ一つ残っていた福島へ行きたいと思いながら、原発事故による被害は深刻でその機会がありませんでした。

 この旅は、いわきのひと駅前の湯元から始まりました。駅前はイベントでずいぶんとにぎわっておりました。

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 今回は、いわき市の湯本温泉の旅館「古滝屋」さんの16代目であり、特定営利活動法人「ふよう土2100」の代表でもある里見さんにガイドをお願いして、福島県広野町楢葉町富岡町まで主にバスの中から見学しました。

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 大きなニュースとしてマスコミから知らされることはなくなっていますが、まだまだ深刻な問題が山積みの福島です。メモをしながら聞いていないので正確な情報として伝えることはできませんが、いくつか記憶に残っていることを書いてみようと思います。

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 まず、いわき市のお隣の広野町へ入ると海の傍に2本の煙突。一体何の煙突か質問されました。思っていた通り、東京電力の火力発電所でした。また新しい火力発電所を作っているのだと聞き、なぜ再生可能エネルギーでの発電に切り替えないのかやっていることのちぐはぐさに驚きました。すぐそばに巨額を投じて東電が作ったJヴィレッジの看板が見えます。天然芝のサッカーグランドが11面もとれる立派な施設。原発の爆発以降はここが後始末の拠点になったと聞いています。

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 富岡町に入ってくると、放射性物質の付着したごみの処分工場が見えだしました。看板を見ると、どういう企業の出資かわかると思いますが、戦争のための兵器製造にかかわっている企業がなぜという違和感がありましたが、どちらも人の命を大事なしないという点では同じだなと思い返しました。

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 隣には、大きな白い倉庫があります。ここには燃やしたものをなるべく小さい容量にして貯蔵してあるのだと聞きました。小さくしても濃度(8万ベクレル?)がものすごくとても中の物をどこかへ運び出せないだろうとガイドの方が話しておられました。

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 新しくできた「富岡町」の駅です。

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 空間線量の表示です。首都圏辺りから見ると少し高いですが、驚くほどではありません。後で分かることですが、土地のようすや地上からの高さに寄ってずいぶんと変わってきます。

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 時刻表です。

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 東京方面からくる場合は、ここが終点。あとは、代行バスのみ。

  

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 駅前には、ビジネスホテル、近辺には新しい家やアパートなどができてちょっとした建築ラッシュのようです。今までいわきから働きに来ていた原発関連の仕事に携わっていた人も富岡町に住んだ方が仕事場に近いということらしいです。原発の後始末に関わっている労働者は、6千人ほどいるのだと聞きました。
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 次に下車したところは、小さな公園でした。跡形もなくなったパトカーの残骸が置かれています。

 2,011年の3月11日、住民に避難を呼びかけている最中にパトカーごと津波にさらわれ中に乗っていた二人の警官がなくなったそうです。パトカーのこの姿を見ると津波の威力に唖然とします。お一人の遺体は、1か月後に30キロ沖合で見つかりましたが、もう一人の方は、未だに行方不明だそうです。今でもたくさんの方が忘れないでいるということがわかります。

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 この公園近くの線量計の数字です。富岡駅よりずいぶんと高くなっています。

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 夜ノ森駅近くの桜並木です。春には美しいピンクの花のトンネルになる桜の名所だそうです。この辺りは、帰還困難地域のすぐそばでもあるため人の気配を感じられません。

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 右奥に見えるのが「夜ノ森駅」です。富岡町の次の駅ですが、線路の向こう側は、帰還困難地域になっていているところなので、駅は開設されていません。左側の道路脇に移動して線量計を置いてみました。

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 空間線量ではなく、足元の草の上に置いてみたところです。驚きました。桁数が二ケタも違うのです。地上1m位のところとずいぶんと差があります。小さな子供は、大人より当然背が低いわけで高い線量にさらされるということがよくわかります。

 自分の目で確かめるというのはすごく大事なことだと改めて感じました。この日廻った場所の中で一番高かったのがこの夜ノ森あたり、当然帰還困難地域になるはずです。

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 バスの窓からなので、よくわからないでしょうが、阿武隈山地に向かって何本もの高圧電線が鉄塔を伝って登って行くのが見えています。たしか目の前の林に隠れたところに広大な変電所があると聞いた気がします。

 この電線の束を伝って電気が流れて行く先は、そのほとんどが首都圏だということにもっと想像力を働かせなければいけないなと改めて感じた次第です。今も福島では、帰りたくても帰れない人たちがたくさんいます。住宅手当も切られ苦しい生活を強いられているのに、首都圏に住む人たちは、もう何事もなかったように電気を使っています。夜遅くまで赤々と明かりがともる都会にいる私たちがやらなければならないことがなんであるか、もっと考えてみたいと思いました。

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 古滝屋さんに頂いた「福島新報」という地元の新聞の記事の一部です。最後にこの新聞記事を見て福島の震災は現在進行形なんだということに気づいてもらえればと思います。関連死の数字が毎日変わっていくし、行方不明の方もまだ大勢いらっしゃいます。

 次回に続く。

 

 

13日は二の酉

 13日は、横浜へ来てから初めてお酉さまへ行きました。

 商売をやったり、会社を経営されている方は身近なのでしょうが、まったく縁のない私は、いつもニュースで聞いてもなかなか行く機会がありませんでした。

 この日も、午後6時からの映画「モルゲン、明日」というドイツの原発廃炉の道筋についてのドキュメンタリー映画を観に行くつもりでいたら、朝のニュースで「今日は二の酉です」というのを聞いて、映画館と近い場所ということも手伝って、少し早く出かけてみようということになったのです。

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 場所は、市営地下鉄だと「阪東橋」、バス停でいうと「横浜橋」が最寄りの駅です。 横浜橋商店街に行くと、上から順路という垂れ幕が下がっていて、ずっと商店街の外れまで行って左へ曲がり神社へ行くことになっています。

 私は、時間がないのでこの辺で曲がると神社があるというあたりで曲がって通りへ出ました。どんぴしゃりです。ただ、お酉さまが休日前だと訪れる人も多く、途中からでは列に入れないらしいです。

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 神社の名前は、「大鷲神社」(おおとりじんじゃ)といいます。東京にもいくつかありますが、横浜はたぶんここだけだと思います。

 たくさんの奉納提灯が明るく照らされここだけは別世界です。

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 空いていたので、通りの列に並ぶこと5分、境内に入れました。五列になってお参りができるよう、鈴も5つついています。ここでお参りを済ませ左の社務所で小さな熊手などのお守りをいただくようになっています。

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 神社の通りを進み、次の通りを右に曲がると熊手のお店が並んでいます。こんな大きな熊手はいくらするのかまるで見当もつきませんが、何万円もするのではないでしょうか。怖くて聞けませんでした。

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 あるお店の大きな熊手です。おかめあり、招き猫あり、うちでの小づちあり、亀、おみこし、鯉、矢と的、米俵、金貨など縁起の良いもの満載の熊手です。

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 買ったお客さんは、熊手を持ってお店の前でにぎやかに手拍子で祝福されます。これは、大きさに関係なく皆さんやっていただくようです。

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 火打石を使っている女性は、なかなか美しい方です。法被を着た男性も周りに数人いるのですが、目立つ真ん中には女性が立っているお店が多いような気がしました。

 大きな熊手を手にしたお客さんは、店の人から本物の稲穂をもらって何本も差し込んで仕上げます。「今年は三の酉まであるから、纏を1本差し込んでくださいよ。」といって纏飾りを渡されているのを見て、三の酉まである年は火事が多いという話は聞いたことがあったので、なるほどと思いましたが、本当は、何で三の酉まである年は火事が多いのかそのわけはまだわかりません。

 値切って買う儀式みたいのがあるって聞いたけれど、見ることはできませんでした。 値切っても、縁起ものなので買う方も値切る前の値段分のお金を渡すのだそうですが、若い人たちは、そんな面倒なことをしないのかもしれません。

 

 まあ、とにかくたての通り、横の通りに食べ物の屋台がたくさん出ているので、びっくりです。近頃は、白いコックの帽子を被ったレストラン風のステーキを焼く店、横浜は、特に韓国料理や中華料理の店も多いのが特徴かもしれません。

 なぜか金魚すくいやお面、射的、笛など自分が幼い時に見た屋台を見るとホッとする自分がいました。

 因みに三の酉は、25日(日)なのですごく混雑することが予想されます。

 映画の話は、また後日。

 

雨の武蔵野を歩く

 昨日は、予報では曇りだったのに雨がしとしとと降る一日でした。

 半年に一度学生時代の友人たちと当番を決めてちょっとした遠足を開催しているのですが、この試みもほぼ十年近く続くイベントとなりました。

 今回は、幹事が学生の頃縄張りだった武蔵小金井近辺を歩く計画を立ててくれたので懐かしい気持ちを募らせていたのに、計画してくれた道の半分も歩くことができなかったのはとても残念なことでした。

 まず、駅から東南方向へ歩いて「はけの森美術館」を目指しました。その昔は、バス停があった記憶しかなかった南口がえらくにぎやかになっていたのにまずびっくり。そういえば、駅構内もプラットホームが階上に移動していました。

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 通りから左へ曲がるとはけに続く細い坂道。大きなサザンカの木にピンクや白の花が咲いている家があるなと思ったら、そこが「はけの森美術館」の敷地につながる門でした。

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 竹藪が続く風情のある階段を下りて行くと、池がありその向こうに美術館がありました。

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 この美術館は、画家の「中村研吉」のアトリエと住居があった敷地にあります。家や庭、それに作品も小金井市に寄贈され、今から12年ほど前にこの美術館ができたとのことです。私は、ここへ来るという予定を聞くまでは、この画家のことを全く知りませんでした。

 12月22日まで、1階では企画展「ほとけをえがく、そしてうつす」(台東区所蔵の法隆寺金堂・敦煌莫高窟壁画模写)が開かれています。2階に研吉氏の油絵、陶器のお皿の絵、デッサンなどが少しだけ展示されていました。

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 2階から下を見ると、ケヤキの枯れ葉が玄関の屋根に積もって秋の深まりを感じさせます。崖線の道なので、この玄関の脇にもポコポコと湧き出る小さな水たまりがありました。

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 住居としていた建物をリノベーションしたカフェがあるので、ここでお昼を食べました。素敵な暖炉です。

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 私が注文したスープ付きのキッシュプレートです。もう一つは、ビーフカレーセット。二つしかないので、あまり迷う必要もありません。私は、この1年くらい植物性のものを主に食べているので、こういう野菜中心のメニューがあるとありがたいと思います。

 こんな雨の日ですから、11時半から1時半まで、われわれ7人のほかにはだれもこなかったので、ぺちゃくちゃしゃべっても迷惑をかけることもなく雨もいいことがあるものだと思いました。

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 ここから駅まで戻って、バスに乗り北上し次の目的地小金井公園へ行きました。どの写真も光が足らなくてぼやけていますが、桜の名所ですから桜の紅葉がだいぶ進んでいました。その昔、クラスでここへ親睦を深めるために来たことがあるという話でしたが、覚えている人と私のようにほとんどその記憶が抜け落ちているものと同じ経験をしても人の記憶は様々なんだと改めて感じました。

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  雨が降る中、案内ボランティアのお薦めで、この「前川邸」だけじっくりと見ることにしました。(この写真は、たてもの園の紹介写真をお借りしたものです。)

 まず、感心したのは、真ん中に立っている柱です。物資のない時代だったので、この柱は電柱だそうです。前に2本、裏側に2本と縦に並んだ4本の柱でこの建物を支えているのだそうです。部屋の中に柱は、ほかにないのでとてもすっきりしています。

 次に表も裏も大きなガラス戸になっていて、光も入れば、風も通り抜ける自然と一体感が得られる構造になっています。

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 昭和17年なので、建物の高さにも制限があったとかで、中2階になっています。(中2階の見学はできませんでした。)

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 これは、窓の戸の下のレールです。戦時中で金属が使えないという制約があったので、木でできています。試しに戸を動かしてみましたが、すっと滑らかに動くのでうまく作ってあるのだなと感心しました。

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 玄関とリビングを隔てる大きなドアですが、端に蝶番をつけたものではなく、3分の1位のところに支点をつけた独特のドアになっていました。開き方を変えることで部屋の見え方も違ってくるというのです。こんなドアは、初めて見ました。

 さすが、コルビジェの弟子だったという建築家。こんな家に住んでみたいとは思いましたが、今となってはもう無理だろうとその場で潔くあきらめました。

 歩く予定だった玉川上水ケヤキがいい色に色づいていたので、もったいないなと思いながら帰途につきました。

 古希を迎えた7人がみんな年相応にはいろいろあれど、だれもがこれくらいの遠足をこなせるくらい健康でいられることを 今年は特にありがたいことだと思いました。

 

三浦半島西側へー植物観察2

 その1からずいぶん時間が経ってしまって自分でも興ざめですが、その2になります。

 次の観察地は、「和田長浜海岸」です。荒崎から海岸伝いで行くこともできそうですが、車の移動のため広い道路に出ますので、10分くらい走って到着です。

 長浜のことを地元の人たちは、「なはま」と呼んでいるようです。

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 長浜に着くと、目の前に広い砂浜が広がっています。もう海水浴をする人はいませんが、バーベキューを楽しむ人が来ていました。

f:id:yporcini:20181006125605j:plain この日は、午前中引き潮でしたが、お昼過ぎたあたりから徐々に潮が満ちてきているようでした。この辺りまではまだまだ水はやってきませんが、砂海岸に生えているハマヒルガオとコウボウシバがやはり最前線で頑張っておりました。

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 先へ進むと半分枯れたハマゴウが群落を形成していました。ハマゴウも潮を被るようなところに生えていて、減災に貢献できる植物だそうです。一見枯れたように見えますが、根がちゃんと生きているので、また季節が巡ると緑の葉を茂らせるはずです。

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 だいぶぼけていますが、「イワダレソウ」です。「イワダレソウ」と「ヒメイワダレソウ」を交配した「クラピア」は、グランドカバーとして使われているそうです。また「ヒメイワダレソウ」は、ひまわりの30倍ものセシウムの吸着効果があるのだそうですから、有効利用がされていいのではないかと思いました。

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 「ハチジョウススキ」です。普通のススキよりも丈は短く、茎が太く、葉の幅が太い海岸型のススキです。

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 近くを通った人が、ナンバンギセルが生えているはずだからと教えてくれたので、根元を探すとありました。もう枯れかけていますが、「ナンバンギセル」です。ススキに寄生する植物で、ピンク色の花をつけます。

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 座るのにちょうどいい岩があるところで、昼食をとりました。

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 反対側は、小高い山で青い空をバックにトビが悠々と飛び回っていましたので、おにぎりを取られないよう気をつけながら食べます。本当にトビは、油断なりません。

 昼食を食べてからさらに北の方へ回って行きました。だんだん、砂浜が狭くなり、崖の上に生えている植物たちが目立ってきます。

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 さらに進むと、岩の上のすきまに根を張った植物に出会えます。黄色の花をつけているのは、「ワダン」まわりを縁取るように葉をつけているのは、「イソギク」です。

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 「ワダン」は、なんだか白菜やキャベツの葉のような感じがします。食べられるのかどうかは調べていませんが、食べられそうな気がします。

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イソギクです。うちの実家の庭にも生えているので、よく知っていますが、葉の裏が白いので、縁が白く縁どられて見えます。もうすぐ蕾が開いて黄色の花が咲きます。 

 これと名前が紛らわしい「ハマギク」もありますが、ハマギクはやはり秋に白いマーガレットのような花をつけます。時々、ハマギクだっけイソギクだっけと混乱しやすい花です。

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 やはり岩の上に斜めに二列に並んでいるのは、前列がイソギク、後列のい丸い葉は、「ツワブキ」です。うちの近所の花壇には今頃円い蕾を持ち上げている花がたくさん見られますが、元は海岸の植物だったのかもしれません。

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 「シャリンバイ」の実です。可食部分があまりにも少ないそうですので、食用には向きませんが、何となく美味しそうです。岩に張り付いて頑張っていました。

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 午後になり潮がどんどん満ちてきて濡れないように気をつけて歩かねばなりませんが、岩と波の海岸美に見とれてしまいます。

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 岩の間を抜けて向こう側へ行こうとしましたが、もう波が打ち寄せてきていて無理なようなので、ここで引き返しました。有名な景勝地として認知してこなかったのに、美しい海岸なので驚きました。またぜひハイキングに来てみたいところです。

 最後にもう一か所「三戸浜」まで行ったのですが、時間が足りなくて砂浜にハマボウフウが生育しているのを確かめただけで三浦海岸を後にしました。

三浦半島西側へー植物観察1

 6日の日に三浦半島へ行ってきました。

 いつもは、茅ヶ崎とか辻堂などの砂植物しか見ていないので、岩海岸の植生との違いを確かめるために出かけました。

 辻堂集合で134号線を鎌倉、逗子、葉山と東へ進み、三浦半島の西側の先っちょに近い荒崎を目指しました。

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 この日は、曇りという予報でしたが、みるみる晴れてきて青い海が見られ気持ちのよい一日となりました。夏は、たくさんの人で混んでいそうですが、もう秋ですので、駐車場もガラガラです。

荒崎海岸」です。数十年前、城ケ島へ来た時に、この海岸に寄って、潮だまりにいる魚や貝やウミウシを見つけたことがありましたが、今回のような植物の観察は初めてです。

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 地層のことはよくわからないのですが、灰白色に見えるところがシルト岩と砂岩、黒灰色の地層がスコリア凝灰岩だと教えてもらいました。岩盤の上にいきなりローム台地が乗っかっていて、砂地がほとんどありません。

 もう少し先へ進むと、いきなり崖になっているところに砂海岸には見られない植物たちが生えていました。

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 ハマゼリ」です。ハマボウフウにも似ていますが、白い花の中がピンクに色づいてなかなかかわいい花をつけています。実は、この花の種が取れる時期だというので、種の採集をする予定だったのですが、まだ少し時期が早かったようです。

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 「ボタンボウフウ」です。ハマボウフウとは仲間ですが、ここにはハマボウフウは1本も生えていませんでした。わずかな岩のすきまに根をのばしてたくましく生きています。ボウフウ仲間なので、白いニンジンのような花を咲かせるようです。

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 ぼけておりますが、「ソナレムグラ」といいます。もっと成長しているのがありましたが、花をつけていたのは、これだけでした。4枚の花弁の白い花です。漢字を充てると、「磯慣れムグラ」磯の環境に適応したという意味で、ソナレと付いたそうです。砂植物の中に外来種で「オオフタバムグラ」というピンクの小さな花をつける種類と同じ仲間ですが、外来種の方は、除草の対象になっています。

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 「タイトゴメ」といいます。セダムのように肉厚の植物ですから、少々水分がなくても自分でたくましく生きられそうです。

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 すっかり枯れていますが、「ハマエノコロ」といいます。エノコログサですが、丈が短くて花の部分がふさふさしていてボリューム感があって高級に見えます。

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「イソヤマテンツキ」といいます。砂地に移植した「ビロードテンツキ」と同じテンツキ仲間ですが、丈が長くて、表面に毛が少ないのだそうです。

 

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 トベラの実です。崖のわずかなスペースに生えています。

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 ちょっとうすよごれていますが、「マルバアキグミ」です。小さな赤い実をつけています。グミだから食べられそうですが、ほとんど果肉はなさそうです。下に生えている緑の葉をつけているのは、「イソギク」です。

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 手前にあった砂地に茅ヶ崎にも生えていた「ツルナ」が元気に葉を伸ばしていました。小さな黄色い花もまだつけています。葉の表面が白く光って見えるのは、塩です。体内に取り込んだ水分の中に入っている余計な塩分を中から出しているのです。ニュージーランドホウレンソウといわれるくらいですから食べられると聞いているのですが、まだ食べたことがありません。

 砂地の部分には、このほかにもハマダイコンが生えていましたが、砂地と岩海岸では植生が違っているのがこの荒崎だけでもわかりましたが、もう一つ「新浜海岸」へ行ってさらに観察を続けましたが、長くなったので続きは次回へ。