田んぼアート (秋田旅行その1)

 7月7日から4泊5日で秋田の山へ行った時の記録です。

 三陸へ出かけてから10日開けての旅行で、他人からはちょっと動き過ぎの言葉も聞かれましたが、こちらは私が計画したこともあり行かないわけにもいきません。

 今回は1人でなく4人旅です。

 横浜も東京も小雨が降っていましたが、秋田はずっと晴れでした。梅雨の期間にずっと晴れていたので、私のハレ女は、本物だともっぱらの噂です。けれども、二日目の8日に私は山でけがをしてしまい、秋田でも病院通い、こちらへ帰ってからも病院通いと散々な旅でした。未だに顔の頬骨が腫れているので、前回の「蝉も頑張っています。」の言外に私も頑張っているが意識下に含まれていたのだと思います。

 7時半のこまち号に乗り、角館で下車。第3セクター秋田内陸縦貫鉄道に乗り換えます。乗った電車は、一日に1本しかない急行。電車のシートは秋田犬模様、壁には秋田犬の写真が飾られているわずか1両の電車。美しいアテンダントの女性が観光案内をしながら、お土産物も売り歩きます。

 さて、この内陸線もお客さんを呼ばなくてはならないので、窓から見える田んぼに「田んぼアート」というのが作ってあります。具体的にだれが企画して誰が制作にあたるのかはわかりませんが、窓から写真が撮れるように運転手さんは、徐行しながら写真を撮らせてくれます。

 まず、一番初めは

f:id:yporcini:20190707111006j:plain

 令和の文字と富士山が描かれていました。

f:id:yporcini:20190707113715j:plain

 次は、上桧木内の紙風船と秋田犬をデザインしたもの。こに地区では雪も降る2月に願い事や絵を描いた紙風船を上げる行事があるのだそうです。

 

 3枚目は、なまはげと秋田犬です。

f:id:yporcini:20190707122947j:plain

 なまはげは、ご存知の方がいらっしゃるでしょうが、男鹿半島の方の行事です。

f:id:yporcini:20190707122932j:plain

 と、思っていたら本物の秋田犬が飼い主と一緒に電車をずっと目で追っているのに気づきました。秋田犬は、むくむくとした姿が愛くるしいです。飼ったことはありませんが、秋田犬はとても好きです。もちろん手を振りました。

f:id:yporcini:20190708090534j:plain

 4枚目は、三日月と竿燈と秋田犬です。竿燈は、秋田の夏のお祭りですが、秋田犬が背中で竿を支えている格好です。本当にできるかどうかは別として健気です。

 宿泊先の最寄り駅「阿仁前田」までに4つの田んぼアートがありました。

 田んぼアートは初めて見たのですが、稲にも白、茶、こげ茶、きみどり色といろんな種類があることがわかりました。これが7月上旬ですから、今頃どんな絵になっているのか近くなら見に行ってみたいものだと思っています。

 続きはまた。

蝉も頑張ってます。

 関東の梅雨明けは、7月29日でしたでしょうか。

 それまでも蝉は地味に鳴き続けていました。「ジージージー」音のメリハリなく鳴いていたのが、ニイニイゼミ。一番早く鳴き出す蝉ですが、今年は、後に続く蝉がなかなか出てこなかったのでずーっと主役が続いていました。

 この辺では少ないヒグラシも鳴き出し、昼間はミンミンゼミとアブラゼミ、昨日はもはやツクツクボウシの鳴き声が聞こえました。蝉の夏も佳境に入っています。

 

 さて梅雨が明けた翌日の30日、朝早く目を覚まし外に出ると、草むらにエメラルドグリーンというのかコバルトグリーンというのか珍しい色が目に入りました。眼が悪い悪いという割に、こういう時は目敏いなと思います。よく見ると、蝉が脱皮し始めているところでした。これが5時半くらいです。

f:id:yporcini:20190730053457j:plain

 続けて観察してみようと思いましたが、根気がなくてまた30分後にやってくるとずいぶんと下の方まで殻を破って出てきていました。もう一息です。これが6時ごろです。

 

f:id:yporcini:20190730055515j:plain

 7時に来るともうすっかり脱皮は終わっていました。突然上向きになっているのでその過程を知りたいなと思いましたが、後の祭りです。まだ羽の付け根は美しいエメラルドグリーンです。折りたたまれた白い塊は見事に拡がってレースのようです。

 

f:id:yporcini:20190730062425j:plain

 羽が乾くまで1時間くらいかなと8時にまた出ていくと、あれれ、殻だけでもう姿が見えませんでした。あれは、たぶんミンミンゼミだろうと思うのですが、ちゃんと確かめないうちに姿を消してしまいました。またまた後の祭りでした。

f:id:yporcini:20190730075902j:plain

 人間の赤ちゃんもお母さんの産道を上手に出てこれなくて命を落とすことがあるようですが、この蝉は草にうまく捕まって無事脱皮できて本当によかったです。

 それにしても生まれたばかりの命は、なぜこんなにも美しいのでしょうか。




 

石巻・南三陸・気仙沼の旅 その5

この旅の最後です。

今年3月、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館を開設しました。気仙沼津波とその後の大規模火災で死者1152人(関連死も含め)、行方不明者214人とたくさんの人の命を失いました。震災から八年経ちました。人々の記憶から大震災のことが消え去られないよう、そして今回得た教訓を伝えていくことを目的にこの遺構と伝承館が建てられたようです。

f:id:yporcini:20190628121345j:plain

場所は、前回のハマナス大谷海岸の次のBRTの駅「陸前階上」から歩いて20分ほど。タクシーだと5分くらいのところです。私は地理がわからなくて回り道をしたために往きは40分くらい歩くことになってしまいました。駅からは徐々に下り、海へと近づいていきます。この「陸前階上」の駅もホームと跨線橋がそのまま残っています。

f:id:yporcini:20190628123903j:plain

漁港からほど近いところにある4階建ての建物が遺構となった「旧向洋高校」です。津波のことを考えたらこんなところに学校を建てるのかと思うような場所です。水産高校ということもあり便利なこともあったのだと思います。

(現在は、「陸前階上駅」よりさらに西側で国道の近くに新しい校舎が建っています。)

見えているのは北側にある校舎なので外から見た限りではひどい被害は見当たりません。工事中のようなところをグーンと迂回して右側へ行くと伝承館の入口がありました。

エントランスでチケットを購入(600円)。見学は、はじめに映像シアターで震災時、直後の映像を見ます。気分が悪くなった方は途中で退場することも可能だとアナウンスがありましたが、被害にあわれた方の中には実際の津波のことを思い出し私のように客観的には見られない方もおいでなのだと気づかされました。

その後、旧南校舎、屋上の見学と進みます。

今回は、ガイドさんがついてお話が聞けるということも知らずに行ったのですが、ちょうど20名くらいの団体さんがお願いしてあったのか、ガイドさんがいらしたのでそ方のお話を聞きながら一緒に回ることができたのでとてもラッキーでした。

f:id:yporcini:20190628131846j:plain

 1階の教室です。右側が南なので窓は壊れ、耐震装置の赤い鉄骨だけが見えています。

f:id:yporcini:20190628132713j:plain

3階の教室です。何で3階まで車が入ってくるのかと不思議な気がします。

f:id:yporcini:20190628133035j:plain

 これも3階の教室にあったウレタンの固まりのようなものです。ほかの教室にもこんなものがあって何だろうと思ったら、学校の南側には冷凍庫が設置された水産加工関連の建物があったようで、そこからたくさん流れ着いたものだそうです。

f:id:yporcini:20190628132828j:plain

これは、4階の西側の角のベランダ部分の壁です。南側から冷蔵庫のようなものが直撃して崩れたそうです。

f:id:yporcini:20190628135336j:plain

同じ場所を外から見たところです。崩れた部分が落ちてこないよう補強されています。

f:id:yporcini:20190628132916j:plain

4階の教室です。スチール製の整理棚です。4階は、そんなに高くまでは津波が入らなかったようですが、この棚の錆が示している通り、下から40cmくらいまで浸かったことがわかります。

f:id:yporcini:20190628134946j:plain

屋上から下を見降ろすと、天井のない体育館がありました。もう8年の月日が経っているわけですっかり野原となってしまっています。

f:id:yporcini:20190628133714j:plain

東側の海のそばに白い塔が建っていました。塔の高さは津波の高さを表わしているのだそうです。と言われても想像力が貧困で、いつも実感がわかないのです。

f:id:yporcini:20190628133724j:plain

高校の南側に見えた避難所の高台です。名前を忘れてしまいましたが、この地域の第一次避難所のようです。

 

ガイドさんから聞いた大震災時の津波の避難の具体的なお話

高校は、試験が終わり、部活動などで残っていた生徒は170名くらい。揺れが大きかったので津波が来ることを予想し、教員を重要書類の避難とまだ学校にいた生徒の避難担当と役割分担してことにあたったそうだ。

当初の情報では6,7mくらいの津波だということだったので、島のような第一次避難所へ避難。続いてもう少し高い津波(8m)という情報が入り、さらに学校から1㎞西側にあった地福寺というお寺に避難した。(下の写真がその寺)

f:id:yporcini:20190628134934j:plain

ところが、津波の高さは10mという情報が入る。そこで生徒たちをさらに1㎞西側にある階上駅に誘導することにした。(一番初めにあった写真の震災前の駅。)そこでもさらに住民の間でここでも危ないからとのことで、さらに「階上中学校」へと非難した。

向洋高校では、海の近くに建っているということで、普段から津波に対する危機意識があったという。教員の役割分担や最新の情報を基に避難の場所を的確に判断したことが誰一人命を落とすものがなかったということにつながったのではないだろうか。

最後にガイドの方は、津波の避難は遠くへ逃げても波と平行に移動するのでは意味がない。より高いところへ避難することが大事なこと。と繰り返しお話されたのが深く心に染みた。というのも石巻の「大川小学校」での記憶が離れないからだ。

 石巻気仙沼での遺構を訪ねたことで、遺構を残しておくことの重要性、その教訓を拡げていくことの大切さを知ることができました。人間は忘れる生き物です。被災地の記憶をどうやって繋いでその教訓を生かしていくかは今を生きる私たちに課せられた重要な課題ではないでしょうか。

 ボランティアガイドを務められている方々への感謝を胸にこの旅を終えました。

石巻・南三陸・気仙沼への旅 その4

旅の三日目28日は、南三陸からBRTで気仙沼へ向かいました。往きに通った大谷海岸の道の駅のところにハマナスの群生地という看板を見つけたのがきっかです。道の駅で聞いたところ看板は震災前のものなので今はどうなっているかわからないということでした。

よく知らないみたいなので自分で探そうと思って堤防が切れているところまで歩いて行きました。歩いているうちに歩道の横にちょっとした花壇がありピンクや白のハマナスの花が見つかりました。

f:id:yporcini:20190628111503j:plain

そばに立札が建っており、津波にも流されずに残ったハマナスに因み植栽したものだとわかりました。

津波に流されずに頑張りぬいたハマナスがあったということを知り大変感激しました。

 

f:id:yporcini:20190628113315j:plain

堤防の切れたところから海岸へ下りることができました。入口には「はまなす海洋館」というホテルが建っていました。ここも津波の被害を受けました。

線路が見えますが、東北線の小牛田から南三陸を経由して気仙沼まで走っていた気仙沼線の線路でした。今は、廃線となりすべてがBRTというバスに代わってしまいました。向こうの岬のトンネルを出ると目に飛び込む美しい海を眺めるお客さんの姿が見えるような気がしました。この季節には、ピンクや白のハマナスが彩りを添えていたにちがいありません。

f:id:yporcini:20190628111757j:plain

ホテルの前庭は、バラやユリなどを植えこんだ庭園として整備されていましたが、その花壇の向こうに野原となった場所がありました。

f:id:yporcini:20190628112453j:plain

草の中にところどころハマナスのピンクの花が見えるではありませんか。津波にも負けないで生き延びたのは、このハマナスだったのでしょう。杭とロープを使ってそれとなくハマナスを守っているような気がしました。

f:id:yporcini:20190628112007j:plain

そばへ行くと立札がありました。かつて八戸の種差海岸でもハマナスが咲いているのを見ましたが、茅ヶ崎とか三浦海岸では自然に生えているハマナスは見ることはありません。関東では同じような落葉低木としてよく見るのは「ハマゴウ」です。ちょうど今頃紫色の花を咲かせます。こうやって実際歩いてみると、ちょっとした気候の違いで植生が変わることがわかります。

f:id:yporcini:20190628112946j:plain

コンクリートでできた階段のすきまから「ハマヒルガオ」と「オカヒジキ」が生えています。海浜の植物の生命力には感心します。やがてこの砂浜はハマヒルガオのピンクの花に覆われるのではないでしょうか。

f:id:yporcini:20190628113846j:plain

海と車の通っている道路との間に立ちはだかっているのがこの盛り土です。

f:id:yporcini:20190628114149j:plain

防潮堤というのでしょうか。いわゆる堤防です。約10mの高さがあるのですぐそばを通る車からは海は一切見えません。

展望台のように高くなっているところへ上がってみることができました。完成イメージという図と照らし合わせて今やっている工事の全体がようやくつかめました。

f:id:yporcini:20190628114046j:plain

海と反対側です。やはり同じくらいの高さに盛り土がされていてまだ工事中です。

f:id:yporcini:20190628114245j:plain

はまなす海洋館」と反対の方角を見たところです。こちらにはまだ高い堤防がないのでこれからどんどん積み上げていくのではないかと思われます。海が見えない海岸が三陸海岸にはどんどん増えていきます。震災後7年が経ちましたが、大谷海岸についてはようやく全体像が見えてきたというところでしょうか。

堤防が高くなれば津波が防ぎきれるのでしょうか。国土強靭化とは、堤防を高くすることなのだろうかと思うのです。f:id:yporcini:20190628115553j:plain

霧雨がぽつぽつと降っているような状態でしたが、何とか次のBRTに間に合うように停留所へ戻ってこれました。ベンチには毛糸で作った座布団が敷いてありました。冬は直接座れば冷たいので地域の人が作ってくれたのだと思います。

ちょうど同じバスに乗ったご婦人がいらっしゃいました。私が「ハマナスを見にきたんだ」というと、その方は「私のうちは、海洋館と道を隔てたところにある花屋さんの裏だから今度来たら寄ってちょうだい。」とにこやかにお話されたので、驚いてしまいました。今あったばかりの見知らぬ人にそんな言葉をかけてくださるなんて・・・じんわりと温かい気持ちになりました。

これまでも東北へ来るとよくしてもらうことがよくありましたが、またまたお土産をもらってしまいました。

(続く)

石巻・南三陸・気仙沼への旅 その3

続きです。

保健医療センターから乗った住民バスは、北上川下流に向かって左岸を河口へ向かっては走っていきます。20人くらいが乗れるマイクロバスです。乗っていた人は一人、買い物の袋を下げていたので朝一番のバスで石巻の中心部へ行き、このバスで帰ってこられたようです。この辺りには、食料品を買うような商店は見当たりませんから、車がない人、運転ができない人にとっては命を支える大事なバスなのだと思います。住民バスですから集落のあるところを縫うように走っていきます。時には山を削って造成した復興住宅が建っている小高いところにも登って行きます。前回書いた「北上小学校」もこの一隅に建設中でした。

f:id:yporcini:20190627113027j:plain

北上川河口部と思われます。小島も点々として本当に美しい場所です。

 

石巻の一番河口に近いところは、十三浜と呼ばれるところです。山を上り下りして浜へ下りてくるという繰り返しです。

f:id:yporcini:20190627115345j:plain

こういうのが十三続いているのです。来るまでは特定の場所の名前かと思っていましたが、小さな浜が十三続いている地域の名前だということがここへ来てようやくわかりました。

f:id:yporcini:20190627113711j:plain

十三浜では、昆布やワカメの養殖をしています。きれいな外海の波に洗われたワカメは、身が厚く最高級品。値段も他の産地の物と比べ高いです。

2012年11月末に石巻市の鹿妻地区の女性たちと交流させてもらったことがあります。その時に初めて十三浜で漁師をしている方から津波のことを聞く機会があり、十三浜というのは、特別なところだということを知りました。あれから6年も経って、ようやくその十三浜を知ることができてこれも感慨深いものがありました。

参考までに

 http://yporcini.hateblo.jp/entry/2012/12/01/123355

 

f:id:yporcini:20190627115531j:plain

 バスは、私一人を乗せて南三陸町との境にある「神割崎」入口へ到着しました。入口から5分くらい歩くと神割崎の看板が立つところへ着きます。ここのことは、南三陸の観光案内で知っていました。

f:id:yporcini:20190627115726j:plain

 ここがその神割崎です。ここは現在も石巻市南三陸町の境となっていますが、昔はその辺りが曖昧だったそうです。ある日、大きなクジラが浜に打ち上げられ、このクジラの所有権をめぐり争いがあったというのです。その時、この岩が真っ二つに割れ、クジラも二つに割れたのだとか。これは、神様の裁きだということで、この割れ目を神割崎と呼び、石巻と南三陸の境としたという伝説があるそうです。

f:id:yporcini:20190627115843j:plain

 石巻方向を見たところです。

f:id:yporcini:20190627120000j:plain

 左側の南三陸側です。

 水は透き通り岩の間をくぐり抜けて打ち寄せる波がドーンとしぶきをあげます。 岩の割れ目に2月と10月に朝日が昇るのが見えるというので、その時期にはカメラマンが大勢やってくるそうです。

f:id:yporcini:20190627122601j:plain

 ここは、キャンプ場もあり風光明媚な自然公園となっています。散策しようと思いましたが、お腹もすいてきたので公園内にあるレストランで「タコカツカレー」を注文しました。タコのミンチを揚げたものが載せてあります。

 お腹も満ち足りたので、さっそく探しに出ました。何を探して?と思われると思いますが、冬に南三陸のビジターセンターの職員の女性に神割崎にニッコウキスゲの群落があるという話を聞いていたので、それを見たいのもあって旅を今回の時期に設定したのです。少し遅かったのですが、ちゃんと待っていてくれました。

f:id:yporcini:20190627130057j:plain

 日当たりのよいところはほとんど終わっていましたがまだ健気に咲いていてくれたニッコウキスゲです。ニッコウキスゲは、山の植物だと思っていましたが、海のすぐそばで咲くというのがとても不思議だったのです。行ってみて三陸海岸は「山背」という冷たい空気が押し寄せるところだということに気付きました。冷たい霧がこの辺りを覆ってそれが、山の湿原のような環境を作り出すんだなと気づきました。この日もなんだかそこはかとなくひんやりとしていました。 

f:id:yporcini:20190627125132j:plain

 ウツボグサです。これも種がどこからやってきたのかはわかりませんが、美ヶ原でも見た植物ですから、山の植物です。

f:id:yporcini:20190627130739j:plain

 これは、「ノハナショウブ」です。湿地に育つショウブですからやはりここの環境があっていたと思われます。

f:id:yporcini:20190627125920j:plain

 これは、よくわかりません。松の幹から出たぶにょっとしたキノコのようなものです。以前「松露」というキノコのようなものがあることを聞いたことがあるので、それかなと思いましたが、松の根に寄生するらしいので、違うかもしれませんが、どなたか知っていらしたら教えて下さい。

f:id:yporcini:20190627125609j:plain

 この公園内には、いくつかの岬があって、名前が付けられています。

f:id:yporcini:20190627125639j:plain

「漁り火岬」「恋岬」「母恋岬」「出逢い岬」、どこも岬の松とブルーの海の色、柱状節理の岩が織りなす風景は素晴らしいです。中には「牛落とし」と名付けられている、断崖もありさすがに崖をのぞくのは怖かったです。

f:id:yporcini:20190627131659j:plain

 向こうに見えるのが「松島」です。ここは、ウミネコの繁殖地。白くぽつぽつ見えるのがウミネコです。「ニャアニャア」と鳴きながら飛ぶウミネコは、カモメより一段と大きく北上川の大橋の鉄橋にも飛んできていました。

f:id:yporcini:20190627133123j:plain

 「小浜灯台」です。岬の北側にありました。

f:id:yporcini:20190627133522j:plain

 北側には、懐かしい南三陸の椿島や湾の奥にホテルの白い建物もうっすらと見えていました。この辺りでとうとう雨がぽつぽつ降りだしたので、レストランに戻り雨宿りをすることにしました。

f:id:yporcini:20190627135734j:plain

 「神割ブルー」という名の飲み物です。町おこしに一役買っている志津川のタコは、いろんなところに登場してきます。グレープフルーツジュースとブルーハワイをベースにして炭酸で割ったものです。さっぱりとして美味しかったですが、本当に町おこしは大変だなと思いながら飲みました。ウイークデーのこんな天気ですから、キャンプをしている人も3組しかいませんでしたし、レストランのお客さんも午後のこの時間になるとだあれもいません。

 南三陸の町民バスは、4時前の出発でした。また一人かと思いきやなんと高校生の男子が2人乗りました。石巻の高校へ通っているのだと運転手さんが教えてくれました。石巻の市民バスでここまでやってきてここから町民バスで志津川の方へ帰るとか。朝だけは、ちょうどよいバスがないのでここまでうちの人に送ってもらって石巻のバスに乗り換えるのだそうです。

 私は、この日は冬に泊めてもらった民宿に予約をいれておいたので、近くで下ろしてもらいました。

f:id:yporcini:20190627183149j:plain

 この日の夕食です。またまたすごいご馳走です。

f:id:yporcini:20190627183251j:plain

電話で予約をした時に、「ウニが食べたい」と言ったのですが、「この戸倉地区は、ウニの開口がまだなんだよ。」と残念な話を聞いていたので、あきらめていたらよその地区の漁師さんから分けてもらったとのことでウニを出してくれました。

成育とか天候条件が整った日を地区で決めて獲れる日を開口と呼ぶそうです。ちゃんと漁業権がある人のみが開口の日に一斉に獲るのです。

 これで二日間食べ過ぎの日々となってしまいました。

 (続く)

石巻・南三陸・気仙沼の旅 その2

今週も旅に出たため下調べなどで忙しく2回目が遅くなりました。

では、続きです。

この日は、石巻市の山の中の追分温泉に宿をとりました。

というのも翌日北上川下流域にあった大川小学校跡地へ行くためです。

f:id:yporcini:20190626180329j:plain

今回は一番安い5700円(消費税入湯税別)で泊めてもらって、この夕食。しっかりと食べて元気で翌日を迎えるために食事は大事です。

f:id:yporcini:20190626180353j:plain

ちょうど海鞘が旬、今までも生は何回か食べているけれども皮つきで出てきたのは初めて。皮を手で剥いて中身を食べました。新鮮だとこんなことができるんだと驚きました。朝は、恒例のサンマの塩焼きが出ました。冷凍なのだと思いますが、関東ではアジの開きというところですが、ここではいつでもサンマ、しかも脂がのった美味しいサンマです。

 

朝の天気予報は曇り。

窓から見上げた空は、やっぱりこの後雲が厚くなるような感じです。

f:id:yporcini:20190627074704j:plain

 この日も昨日お願いしたタクシーに来てもらい北上川の大川小学校まで連れて行ってもらいました。

 2012年にこの宿に泊まった時に聞いたショッキングな出来事がずっと頭に残って自分の目でしっかりと視ておきたいと思った被災遺構が大川小学校なのです。

f:id:yporcini:20190627094822j:plain

ここは釜谷地区と呼ばれていたところで2011年の津波まではたくさんの家がありました。手前の建物がこの大川小学校です。

f:id:yporcini:20190627094953j:plainちょっと離れているところから大川小学校を見たところです。まわりには家は一軒もありません。更地と草地のみです。

f:id:yporcini:20190627092245j:plain

 

校地に入ると、今でもお参りされる方が絶えないと見えて、花を供え、焼香できるようになっています。私も何年来の願いが叶ってようやくここでお線香をあげお祈りさせてもらいました。108名の子どものうち74名と11名の先生のうち10名がなくなったその事実をしっかりと受け止めて二度とこのような犠牲を出してほしくないと思いました。

f:id:yporcini:20190627092338j:plain

焼香台の裏側に見える建物です。中を見ると左側に舞台があり、大勢が集まって集会を持ったり、学芸会をやったりしていたところだと思われます。

f:id:yporcini:20190627093156j:plain

1階の低学年の教室だったところです。もちろん水に浸かったので、天井はボロボロで柱の鉄筋もはみ出ています。

f:id:yporcini:20190627092944j:plain

高学年の教室があった2階部分もほとんど水に浸かったので、天井にも水の跡が残っています。コンクリの壁が崩れて鉄筋だけが空をさまよっている感じがします。

f:id:yporcini:20190627093248j:plain

2階の教室と右側にある体育館を結ぶ渡り廊下の橋脚が倒れています。過ぎてしまえば津波の力の大きさはこんなものからしか想像することができないのです。でも本当の恐ろしさはそこにいて津波の高さや速さや色や音、あらゆるものを総動員してようやく体感できるものなんだろうなと思うと何とも歯がゆい気がします。

f:id:yporcini:20190627093651j:plain

野外円形劇場のようなものも校庭の一部にあります。この学校の建物はすべて円を基調にしていておしゃれな感じがします。おそらく地域の人びとの思い入れの学校だったに違いありません。

f:id:yporcini:20190627093620j:plain

卒業制作の壁の一部です。雨にも負けず、風にも負けずに頑張っていたのに、津波には負けてしまった壁です。でも、銀河鉄道の列車は、天を自由に走っているはず。なんだかちょっと救われた気がしました。

f:id:yporcini:20190627093906j:plain

これがシイタケ栽培をやっていたという裏山です。校庭のすぐ後ろにあるのです。これを低学年の子どもが登れないから避難をしなかったという話が聞こえてきますが、子どもはちょっと大変だけれども年寄りよりもずっと身が軽いので上ることはできたような気がしますが、どうでしょうか。

f:id:yporcini:20190627093404j:plain

大川小学校と数字というパネルです。

ところどころにこうした写真や説明などが建っていて、見学の参考になります。

地震の揺れから津波到達までの時間が51分。校庭から川の堤防へ向かったのが津波到来の1分前というのが、なんだかとても信じられない気がするのです。

子どもの中には山へ逃げようと先生に訴えた子もいるという話もあります。でも、大人は、前回までの津波では堤防を乗り越えてくるようなものがなかったという前例が支配していて、結局は避難にならない避難しかできなくてこのような大きな犠牲者を出してしまったということなのでしょう。

先生方もこの地域の人じゃなく、しかも昔の津波も知らない若い先生が多かったといいます。どんな先生が赴任しても情報を共有して対処できるようにするには、やはり教育委員会がちゃんとした情報を基に危機管理に関するマニュアルを出しておかないといけないんじゃないかと思いました。

f:id:yporcini:20190627095315j:plain

北上川に架かる大橋から大川小学校を見たところです。

バスの窓から大川小学校と反対側に位置する「北上小学校」が見えました。同じくらいの海抜だと思うのですが、浸水は免れたようでこれも不思議だと思いました。現在山を造成して復興住宅を建設しているところに大きな建物が建設中だったので、バスの運転手さんに聞いたら新しい「北上小学校」だというので、やはり危険だと承知して移転を決めたのだろうと思いました。

f:id:yporcini:20190627100313j:plain

海の方を写した写真です。北上川は、東北の大河と言われるのが納得できます。川幅が広く橋を渡るのにずいぶんかかりました。日本の風景百選にも選ばれている葦の群落が続きます。

f:id:yporcini:20190627100114j:plain

大橋の鉄橋も流されたのです。向こう側は色がうすくこちら側は色が濃いかと思います。色が変わっているあたりが切れてしまったのです。この橋が架かるまでは、ずっと上流にさかのぼらなければ対岸に行けなかったのですから、いろんな情報も流れず長く陸の孤島だったに違いありません。

f:id:yporcini:20190627100719j:plain

この地区には路線バスが通っていないので、タクシーしかないかなと思っていたところ住民バスというのがあることを知りました。そんなことを調べているので、旅行の前は時間がかかるのです。

f:id:yporcini:20190627104353j:plain

大橋を渡り、川岸を歩いて約30分。一番近い住民バスの停留所に着きます。

今回は、住民バスが南三陸との境まで行くというとっておきの情報を手に入れたので③の11:09でここから神割崎入口行きに乗ることにしました。

この敷地には保健医療センターと北上支所(役所)がありました。

(続く)

 

石巻・南三陸・気仙沼の旅 その2

今週も旅に出たため下調べなどで忙しく2回目が遅くなりました。

では、続きです。

この日は、石巻市の山の中の追分温泉に宿をとりました。

というのも翌日北上川下流域にあった大川小学校跡地へ行くためです。

f:id:yporcini:20190626180329j:plain

今回は一番安い5700円(消費税入湯税別)で泊めてもらって、この夕食。しっかりと食べて元気で翌日を迎えるために食事は大事です。

f:id:yporcini:20190626180353j:plain

ちょうど海鞘が旬、今までも生は何回か食べているけれども皮つきで出てきたのは初めて。皮を手で剥いて中身を食べました。新鮮だとこんなことができるんだと驚きました。朝は、恒例のサンマの塩焼きが出ました。冷凍なのだと思いますが、関東ではアジの開きというところですが、ここではいつでもサンマ、しかも脂がのった美味しいサンマです。

 

朝の天気予報は曇り。

窓から見上げた空は、やっぱりこの後雲が厚くなるような感じです。

f:id:yporcini:20190627074704j:plain

 この日も昨日お願いしたタクシーに来てもらい北上川の大川小学校まで連れて行ってもらいました。

 2012年にこの宿に泊まった時に聞いたショッキングな出来事がずっと頭に残って自分の目でしっかりと視ておきたいと思った被災遺構が大川小学校なのです。

f:id:yporcini:20190627094822j:plain

ここは釜谷地区と呼ばれていたところで2011年の津波まではたくさんの家がありました。手前の建物がこの大川小学校です。

f:id:yporcini:20190627094953j:plainちょっと離れているところから大川小学校を見たところです。まわりには家は一軒もありません。更地と草地のみです。

f:id:yporcini:20190627092245j:plain

 

校地に入ると、今でもお参りされる方が絶えないと見えて、花を供え、焼香できるようになっています。私も何年来の願いが叶ってようやくここでお線香をあげお祈りさせてもらいました。108名の子どものうち74名と11名の先生のうち10名がなくなったその事実をしっかりと受け止めて二度とこのような犠牲を出してほしくないと思いました。

f:id:yporcini:20190627092338j:plain

焼香台の裏側に見える建物です。中を見ると左側に舞台があり、大勢が集まって集会を持ったり、学芸会をやったりしていたところだと思われます。

f:id:yporcini:20190627093156j:plain

1階の低学年の教室だったところです。もちろん水に浸かったので、天井はボロボロで柱の鉄筋もはみ出ています。

f:id:yporcini:20190627092944j:plain

高学年の教室があった2階部分もほとんど水に浸かったので、天井にも水の跡が残っています。コンクリの壁が崩れて鉄筋だけが空をさまよっている感じがします。

f:id:yporcini:20190627093248j:plain

2階の教室と右側にある体育館を結ぶ渡り廊下の橋脚が倒れています。過ぎてしまえば津波の力の大きさはこんなものからしか想像することができないのです。でも本当の恐ろしさはそこにいて津波の高さや速さや色や音、あらゆるものを総動員してようやく体感できるものなんだろうなと思うと何とも歯がゆい気がします。

f:id:yporcini:20190627093651j:plain

野外円形劇場のようなものも校庭の一部にあります。この学校の建物はすべて円を基調にしていておしゃれな感じがします。おそらく地域の人びとの思い入れの学校だったに違いありません。

f:id:yporcini:20190627093620j:plain

卒業制作の壁の一部です。雨にも負けず、風にも負けずに頑張っていたのに、津波には負けてしまった壁です。でも、銀河鉄道の列車は、天を自由に走っているはず。なんだかちょっと救われた気がしました。

f:id:yporcini:20190627093906j:plain

これがシイタケ栽培をやっていたという裏山です。校庭のすぐ後ろにあるのです。これを低学年の子どもが登れないから避難をしなかったという話が聞こえてきますが、子どもはちょっと大変だけれども年寄りよりもずっと身が軽いので上ることはできたような気がしますが、どうでしょうか。

f:id:yporcini:20190627093404j:plain

大川小学校と数字というパネルです。

ところどころにこうした写真や説明などが建っていて、見学の参考になります。

地震の揺れから津波到達までの時間が51分。校庭から川の堤防へ向かったのが津波到来の1分前というのが、なんだかとても信じられない気がするのです。

子どもの中には山へ逃げようと先生に訴えた子もいるという話もあります。でも、大人は、前回までの津波では堤防を乗り越えてくるようなものがなかったという前例が支配していて、結局は避難にならない避難しかできなくてこのような大きな犠牲者を出してしまったということなのでしょう。

先生方もこの地域の人じゃなく、しかも昔の津波も知らない若い先生が多かったといいます。どんな先生が赴任しても情報を共有して対処できるようにするには、やはり教育委員会がちゃんとした情報を基に危機管理に関するマニュアルを出しておかないといけないんじゃないかと思いました。

f:id:yporcini:20190627095315j:plain

北上川に架かる大橋から大川小学校を見たところです。

バスの窓から大川小学校と反対側に位置する「北上小学校」が見えました。同じくらいの海抜だと思うのですが、浸水は免れたようでこれも不思議だと思いました。現在山を造成して復興住宅を建設しているところに大きな建物が建設中だったので、バスの運転手さんに聞いたら新しい「北上小学校」だというので、やはり危険だと承知して移転を決めたのだろうと思いました。

f:id:yporcini:20190627100313j:plain

海の方を写した写真です。北上川は、東北の大河と言われるのが納得できます。川幅が広く橋を渡るのにずいぶんかかりました。日本の風景百選にも選ばれている葦の群落が続きます。

f:id:yporcini:20190627100114j:plain

大橋の鉄橋も流されたのです。向こう側は色がうすくこちら側は色が濃いかと思います。色が変わっているあたりが切れてしまったのです。この橋が架かるまでは、ずっと上流にさかのぼらなければ対岸に行けなかったのですから、いろんな情報も流れず長く陸の孤島だったに違いありません。

f:id:yporcini:20190627100719j:plain

この地区には路線バスが通っていないので、タクシーしかないかなと思っていたところ住民バスというのがあることを知りました。そんなことを調べているので、旅行の前は時間がかかるのです。

f:id:yporcini:20190627104353j:plain

大橋を渡り、川岸を歩いて約30分。一番近い住民バスの停留所に着きます。

今回は、住民バスが南三陸との境まで行くというとっておきの情報を手に入れたので③の11:09でここから神割崎入口行きに乗ることにしました。

この敷地には保健医療センターと北上支所(役所)がありました。

(続く)