今、ドキュメンタリー映画がおもしろい 5

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 昨日観た映画だ。今回は、いつもの Jack and Betty.

   水曜日は、レディースデーなので、あまり行かないようにしているが、

今週1週間だけの上映だというので混んでいることは予想できたがいってみた。

 予想通り、狭い館内はごった返していた。

 

 このお二人のうち、笹本恒子さんは、2年くらい前に横浜の情報文化センターで

写真展があったので、お名前と日本で初めての女性報道写真家ということは

知っていた。

 むのたけじさんのことは、お名前だけで文章を拝見したことがない。

 

 映画は、2014年にまもなく100才を迎えるお二人が出会うシーンから始まる。

 出会いの時に、笹本さんは、むのさんに自分が持ってきた赤いバラのブーケから

一輪をむのさんの背広の胸ポケットにさす。

 むのさんは、「一番好きな色のバラだ、赤は命の色だから。」

と、言って満面の笑みを浮かべる。

 

 むのさんは、秋田の貧しい農家に生まれ、農家の仕事だけでは食べられないので

両親は、あちこちの家々から荷物を運ぶ仕事を引き受け、

その手間賃でやっと暮らしていたという。

 子どもながらに世の中の不公平さを実感していたことが

彼の生き方のベースにあったのではないだろうか。

 

 やがて苦労して大学に進学し、新聞社に勤め、戦地にも赴く。

 昭和20年の敗戦を迎え、彼は、戦争の真実を伝えられなかったことを悔やみ、

8月15日に新聞社を辞める。

 秋田に帰り、小さな週刊新聞「たいまつ」を立ち上げる。

 地方の小さな新聞は、30年続いたと聞いた。

 

 「自分を大切にしなさい。」「意見が違う人と話し合いなさい。」

 「命がけでやりなさい。そうすればきっと力が沸き上がってくるはずだ。」

 と、若い人に語り掛けている言葉が力強い。

  それは、1世紀を生きてきた彼の生きざまから出てきた言葉だからだ。

 

 笹本さんは、東京生まれで、はじめは絵の勉強をしていたが、

ある写真家から進められて日本初の女性報道写真家となる。

 彼女は、1940年の日独伊三国同盟の大使夫人たちの祝賀会の写真も撮っている。

 そんな昔のことも知っている彼女だが、

 女性という視点での活躍が目立つ現役の写真家でもある。

 

 笹本さんは、100才を越えているとは思えない若々しさで

化粧も洋服の着こなしも素敵、マニュキュアもされているのにはかなり驚いた。

 大腿骨骨折以来、車いすの移動を余儀なくされているようだが、

写真家としての意欲は十分でまさに進行形の彼女だ。

 

 とにかく今の世の中おかしいことだらけで、このままだと変なことにならないかと

そんなことばかり考えて悲観的になっていくことも多いが、

昨日の映画を観て久々に気持ちが晴れやかになった。

 わたしにもあと30年くらい時間があるかもしれない。

 

 監督は、河邑厚徳氏。

 私は、この方の「天のしずく 辰巳芳子 いのちのスープ」を観たことがある。

 

 この映画は、明日で終了予定。

 神奈川県では、10月に入ってから厚木と逗子で予定されている。

 

 

東京湾フェリーで房総へ

 東京湾フェリー 久里浜港

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 4日の月曜日、久里浜から東京湾フェリーに乗り、友だちの家へ。

 3年ぶりの訪問なので、今回は金谷港からロープウェーへ乗って

東京湾の景色を眺めようかと計画していたのだが、

朝6時半、電話が入って房総半島は雷が鳴ってすごい雨で視界もないとの知らせ、

今回は、鋸山登頂はあきらめることにした。

 こちらも曇っていて、今にも雨が降りそうな天気。

 休日だと駐車場にたくさんの車が並んでいるのだが、月曜日ではお客さんも少なくて

たぶん10台くらいしか乗らなかったのではないだろうか。

 

 午前10時20分、出港。

 蒸し暑いのだが、さすがにデッキは寒そうで、

冷房の効いた客室のソファーに座り、浦賀水道を行き交う船を眺める。

 

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 雲でどんよりとした空なので、海の色も冴えない。

 対岸も煙っている。

 港を出ると青い旗を立てた小さな船が前を通り過ぎていく。

 後から聞いた話では、青い旗は、漁船が操業している印なのだそうだ。

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 浦賀水道は、東京湾と外海を結ぶ船の往来だけでも大変な数なのだが、

このフェリーだけは、南北に進む船の間を東西に横切るので目が離せない。

 

 前を行く小さな白い船は、猛スピードで進んで行くのだが、

このままフェリーが同じスピードで進めば接触するのではないかと心配していたら

やはり、舵を左に切って船をやり過ごしているのがわかった。

 見ているだけでもなかなかスリリングである。

 このフェリーの舵を預かる船員さんは、楽ではないなと思われた。

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 ちょうど真ん中あたりで、金谷を出港した「しらはま丸」とすれ違った。

 船は、互いを左に見るようにしてすれ違うようだ。

 ここで久里浜を出て20分。

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 ちょうど、11時。

 予定通り、無事金谷港へ到着。

 この狭いところでフェリーはUターンをして向きを変えて接岸するのだ。

 

 友だちが改札のところまで迎えに出てくれていた。

 この年になると、3年は結構大きなブランクで、

頭の髪の毛がうすくなったなとか、しわが増えたなとか思うものである。

 私がそう思ったのだから、同じように思われているんだろうなと思いながら

再会の挨拶をした。

 もちろん、そんなことはお互いに口には出さない。

 

 前から地魚の寿司が食べたいと言っていたので

友だちは、列車で何駅か先の安房勝山まで車で連れて行ってくれた。

 富津市ではなく、安房鋸南町となる。

 お寿司屋さんは、いつもは11時半からだが、今日は都合で12時からだというので

勝山港の辺りをぶらぶら散歩して時間をつぶした。

 港の上にある山の上に小さなお城の屋根のようなものが見えた。

 ここは、昔はクジラ漁をしていたとかで、その物見台だったところだそうだ。

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 12時に戻って、お昼を食べた。

 このお店の名前は、「惣四郎寿司」。

 ごくごく普通の街のお寿司屋さんという感じの小さな店だ。

 お手軽・お得なセットメニューというのがあって、これはAセット。

 寄せ物のデザートも付いて1,050円。

 かつお、たい、たちうおなどちゃんと、ネタの名前も書いたメモがあったが、

老化で名前をすべて覚えられない。

 すし飯が小さいので、男性はこれでは物足りないと思う。

 焼き鯵のついた味噌汁は、初めてだ。

 (Bセットというのは、これになめこそばが付いている。)

 

 同じ町にある廃校になった学校をリノベーションして作った道の駅にも寄ってみた。

 写真はないが、食堂・カフェ・お風呂・お土産売り場のほか、

ここには、教室を使った宿泊施設がある。

 廊下には、「長い廊下には、走らないでください」という標語も貼ってあり

インテリアとしてのランドセルや靴いれ袋も下げてある。

 合宿や集団の研修には向いているかもしれないが・・・私は、ちょっと遠慮したい。

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 帰りながら、コーヒーを飲もうということになり、

この岬カフェに行ってみた。

 私は、映画を観ていないが、「ふしぎな岬の物語」という映画のロケに使われたカフェである。

 吉永小百合がここの女主人、阿部寛がそのすぐそばの小屋に住む青年という設定らしい。

 映画の写真を見ると、ペンキがはがれた素朴な感じの建物になっているのだが、

今はずいぶんときれいになっている。

 ロケに使われたということで月曜日だというのに、

店が埋まるくらいお客さんが来ていた。

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 ジャズが流れるカフェ、コーヒーは一つ一つ違うカップでサーブされる。

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 窓からも行き交う船が見える。

 晴れた日だとここは、とっても気持ちのよい居場所になるだろう。

 ここにソーダ水をおいたら、貨物船が映るかもしれないなと思いながら

ちょっと酸味の強いコーヒーを飲みほした。

 

 富津の友人宅で一休みして、

帰りも金谷港まで送ってもらい、フェリーで久里浜へ戻った。

 本来夕日が見える時刻なのに、そんなドラマもなく

快い疲れと船の揺れでちょっと目をつぶっている間に到着してしまった。

 

玄米に毒?

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 これは、3日ほど水に浸けておいた玄米の写真である。

 胚芽から白い小さな芽が出ているのがわかっていただけるだろうか。

 

 私が、白米から玄米に変えたのは、かれこれ十年くらい前である。

 マクロビ料理の教室へ参加したのがきっかけ。

 初めは、玄米から始めるとよいということをそこで教わった。

 

 ちょうどそのころ友人の息子さんが車の整備の仕事から転職して

千葉でコメ作りを始めたのも私を後押しした。

 彼の作っている米は有機栽培のコメだった。

 玄米を食べる以上、化学肥料や農薬を使ったものはできれば食べたくない。

 私のニーズとぴったり合ったというわけだ。

 

 私とその友人は、

「玄米は、長い時間水に浸けて水分を取り込ませてから炊くとやわらかく炊ける」

ということを聞いていたので、朝から晩になるまでの半日から一日ほどつけていた。

 

 もう一人の友人が、

「米を研ぐときに泡立て器で表面に傷をつけるようにしてすぐに炊く」

と言っているのを聞いて、

「玄米には毒があるってどこかで見た気がするけれど、大丈夫なの?」

ということで私も気になり今回調べてみた。

 

 表皮には、穀物自身が動物から身を守り、様々な環境に耐え、時期を選んで発芽し

次世代へ命をつなぐ仕組みが用意されているのだそうだ。

 玄米には、発芽抑制遺伝子のアブシジン酸とフィチン酸という2つの毒となるものが

含まれていることがわかった。

 

 アブシジン酸は、ミトコンドリア毒なので、特に注意が必要。

 ミトコンドリアは、エネルギー代謝に関わる最も大切な細胞器官なので、

この毒の影響でエネルギーが作り出せず、低体温になり体内酵素の働きも鈍くなり、

大事な免疫力が低下するそうである。

 下記のサイトに詳細あり。

 http://uchunotane.com/health/2015/05/09/post-544/

 

 この二つの毒は、水溶性なので水に浸けておけば排出されるようなので

できれば発芽が確認されるまで水に浸けておくのがベストだと考える。

 夏場は、水が臭くなるので、数時間おきに水を変えなければならないので

少々厄介だが、大事なことなので老眼鏡をかけてこの小さな芽を確かめている。

 

 準備に少々手間がかかるが、玄米には、ビタミン、ミネラル、

食物繊維など優れた栄養がたくさん含まれている。

 何でもダイエットというご時世、カロリーがたいして変わらないなんて

軽く扱われるのは、玄米にとっては不本意だろう。

 玄米は、いろんな栄養が含まれている完全食。

 小麦食だとグルテンの問題もあるけれど、

日本人は、米が主食でよかったと改めて思うこの頃である。

 

 おまけ

 8月は誕生月なので、自分で自分にプレゼントというわけで

奄美大島から、7月にパッションフルーツを取り寄せた。

 半分に割って、中から種にまとわりついたどろったとしたものを食べるのだ。

 右の写真は、1個分の中身をヨーグルトにかけたものだが、

 実がないので、ちょっと物足りないが、酸味と甘みのバランスの良さは抜群。

 なんといっても、南国の香りがたまらない。

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 8月に入って、取り寄せたのがマンゴー。

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 どちらも完熟すると、木からポトっと落ちセットされたネットに落ちる。

 だから甘味に間違いがない。

 こっちは、香りもふくよか、食べ応えも素晴らしい。

 口に含むとジュワッと果汁が出てきて何とも幸せな気持ちになる。

 二つとも、有機肥料で減農薬だから、安心して食べられるのも良い。

 今年は、5月の末に奄美大島へ行ってきたので、

サンゴ礁の海の色が頭をよぎる。

 この鮮やかな色の果物を食べると寿命が1年くらい延びるような気がする。

 年に一度の贅沢!!

 

 

チャイナ・スタディー 葬られた「第二のマクガバン報告」

チャイナ・スタディー 葬られた「第二のマクガバン報告」(合本版)

 先々週読み終わった本である。

 アメリカの栄養学者が2006年にアメリカで出版し、

2016年になって日本語版が出版された。

 内容を読めばわかるが、食べ物の本なのに、学界で発表された後、

食品、酪農食肉、薬品、医療業界・・と全米社会を震撼させた本でもある。

 国家全体を揺るがすことにもなる内容だ。

 

 ひょんなところから知ることになり、図書館にリクエストを出して待つこと2か月

やっと手元にやってきた。

 800ページを超す洋書の訳本だったので、

手’に取った重さに読み切れるかちょっと戸惑ったのだが、

学術書にしては、中身が読みやすくその衝撃的な内容に

ドキドキしながら読み進めることができた。

 

 作者のコリン・キャンベルは、フィリピンの子どもたちの

栄養失調の調査研究を依頼され、フィリッピンへと赴く。

 食べているものの中に含まれる発がん物質と

タンパク質の関係に気がつくところから話は始まる。

 

 動物実験である一つの確信をつかむが、彼は、人間はどうなのかという

またとない機会を得る。

 1970年代初め、中国の周恩来首相がガンで死にかけていた時に、

この病気の情報を収集するために中国全土に及ぶ調査を

中国の「栄養・食品衛生研究所」依頼したのだ。

 中国のチェン・ジュンシ博士がアメリカを訪れ、

キャンベル博士に調査の協力を依頼した。

 このプロジェクトに参加することができたのは、幸運だった。

 中国全土の住民8億8千万人を対象に

112種にわたるガンに関する途方もない調査だったのだ。

 この本の題名は、この中国の調査研究から来ているようだ。

 今では、絶対考えられないこの大きな調査により、

彼の問題意識は深まり、ある結論を持つことになった。

 

 「正しく食べることこそが、あなたの命を救う」

 正しい食べ物というのは、プラントベース(植物性食品中心)の

ホールフード(未精製・未加工)で構成された食事をすること

 

 私は、昨年自分のまわりにガンを患った人が二人いて、

放射線治療にしろ抗がん剤にしろ、健康な細胞まで壊してしまうものなので

とにかく免疫を上げる食べ物を食べることだと信じて支援をしてきた。

 

 とにかく、野菜(主に緑黄色野菜)キノコ、ニンニクなどを摂取し続けたら、

胃ガンは小さくなり、3分の1の切除で済み、大腸ガンは、手術をする前の検査では

消えてしまっていたという結果が出た。

 どちらもステージ3bだったので、医者は驚いていたとのことだ。

 ところが、この二人の医者は、食べ物について

全くと言っていいほど指導をすることがなかった。

 医者は、薬剤とか放射線や外科的な方法だけがガンを治すと思っているが、

この本を読むとそれはおかしいということがはっきりとわかる。

 

 こういう経験を見聞きしているので、この本の結論はほぼ無条件で受け入れることが

できるのだが、長年の食習慣を全面的に変えるというのはとても難しい。

 

 例えば あなたは、

「牛乳、チーズ、ヨーグルトなどの乳製品は食べてはいけないよ。」

と言われたら、どうだろうか。

 もともと嫌いな人は別として、牛乳は学校で強制的に飲まされてきているし、

牛乳を飲まないと大きくなれないと親にもいわれ続けてきた大半の人にとって

乳製品を摂らないことがすぐにできるだろうか。

 乳製品には、生クリームやバターも含まれるので、当然ケーキ、クッキー類も

ダメということになる。

 もちろん、肉も玉子も魚も食べないということだ。

 こんなことを突然言われても、すぐには信じがたいと思うが

今や、日本でも食の西洋化によってガンになる人は

3人に1人だという時代を迎えて確実に増えている。

 試しに読んでみるのはどうだろうか。

 国家がこの事実を知っていたとして、たぶん知らぬふりをするだろう。

 健康保険が破たんを起こしているのだから、

国としても積極的に考えてもいいのではないかと思うが・・・。

 真実は隠されているものだから、自分で見つけ出さねばならない。

 自分のまわりの大事な人にこの本の存在を知ってもらえるよう努力中。

 

 私は、まだベジタリアンになれていないが、

この食革命をやり遂げようと日に三回頑張っている。

 

 時間がない人には、似た内容のDVDもお勧め。

フォークス・オーバー・ナイブズ~いのちを救う食卓革命 [DVD]

今、ドキュメンタリー映画がおもしろい 4

人生フルーツ 

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 実は、この映画4月の20日に観た映画だ。

 それもこの日で終わるという金曜日の最終の時間帯。

 シルバー世代が来ているものだと思っていた私は、

意外と若い世代の方がたくさん来ているので驚いたことを今でも思い出す。

 

 私がいつも行く名画座では3週間の上映で終了したのだが

東京の東中野のポレポレでは、なあんと未だに上映し続けられている。

 ドキュメンタリーでこれほどのロングラン映画は珍しいのではないだろうか。

 この映画、来る9月の1日でとうとう終了するとのことで紹介する気になった。

 

 90才の建築家、津端修一さんと

87才の英子さんご夫妻の人生を綴った映画だ。

 時に台湾への旅のシーンなども出てくるが

映し出されている映像のほとんどが淡々とした日々の生活である。

 

 住宅公団の建築家として愛知県の大規模な団地建設にかかわった津端修一さんは、

人間が快適に住めるような団地づくりを思い描いていたのだが、

効率を追求する公団では理想の住宅づくりはできなかった。

 その後公団の建築の仕事から距離をおき

自らが開発した住宅地の一角を取得して、自分たちにとって快適な家を作り

そこで2人の子どもを育てた。

 

 庭の畑では、70種類の野菜をつくり、梅、桃、桜、柿、栗・・・

季節ごとに実がなる木も50種類植えられた。

 雑木林のような庭には、季節の花が咲き、小鳥や虫たちが訪れる。

 

 英子さんは、できた野菜や果物を使って手作りの料理を創り上げ、

 時には、着るものを作り、畑仕事もこなす。 

 テーブルに並ぶ料理やお菓子を見ていると

どんなに心豊かな生活なのかが見て取れる。

 

 子どもたちには、お金を残すのではなく、この畑の土を残したいと

おっしゃっていた言葉が心に残る。

 

 このご夫婦は、こんなに長く連れ添っているのに

名前にちゃんと「さん」をつけて呼び合っている。

 それに修一さんは、英子さんのことを

「ぼくの一番のガールフレンドだ。」

と人に紹介していたところがユニークで素敵だと思った。

 

 風が吹けば 枯葉が落ちる。

 枯葉が落ちれば、土が肥える。

 土が肥えれば 果実が実る。

 こつこつ、ゆっくり。

 人生 フルーツ。

 

 樹木希林さんが担当しているこのナレーションが

見終わった後もずっと耳の奥でなり続ける映画である。

 

 東京では、東中野のポレポレで9月1日まで上映中。

 

 

今、ドキュメンタリー映画がおもしろい 3

コスタリカの奇跡ー積極的平和国家のつくり方」

 ようやく雨のトンネルをくぐり抜けたかと思ったら、すごい猛暑。

 風があればエアコンのお助けを必要としない私が、今回は虫刺されが引き金で

皮膚が化膿。仕方なく汗をかかないようにエアコンのお世話になっている。

 2の「ミリキタニの猫」と同じ日に観た映画なのに

ブログに書くのがずいぶんと遅くなってしまった。

 

 今回の映画は、「コスタリカの奇跡」。

 コスタリカという国は、中央アメリカの中の小さな国の一つ。

 西に太平洋、東にカリブ海に挟まれ、中央部に山岳地帯がある。

 

 私が、この国の名前を知ったのは、小学校の高学年で世界の国の首都を覚える時。

 小さな国が多いので、なかなか覚えられない地域だったが

今回の映画を観たことで、はっきりと覚えられた。

 首都は、サンホセ

 

 その時は、国の名前だけでどんな国かも知らなかったし、コスタリカ憲法

軍隊(常備軍)を持たないと規定されていることも知らずにいた。

 新たにそのことを知ったのは、ずいぶん後で、

それまでは日本だけが軍隊を持たない国だとずっと思い続けてきた。

 

 海外旅行へ出られるようになりコスタリカへ行こうと思ったのがきっかけだった。

 この国は、国の面積の4分の1が保護区となっていて、

 この映画のフライヤーの写真のように太平洋とカリブ海からの空気がぶつかるので

霧が発生し、いつも神秘的な姿を見せる素敵な山や森の自然が息づくところだ。

 色鮮やかな鳥や昆虫など生物多様性を楽しむエコツアーに訪れる観光客の数も多いと聞いている。

 残念ながら、予算の都合もあり未だに行けずじまいだが、

行ってみたい国の一つであることは今も変わらない。

 

 この映画でコスタリカも小国が国境を接しているせいか

意外と戦争が多かったことを知った。

 詳しくは、映画を観ればわかることだが、

1948年、ホセ・フィゲーレス・フェレールが内戦後非武装を制度化し、

1949年憲法常備軍を持たないことを宣言した。

 それ以後、国境を接しているニカラグアの侵攻など難問もあったに違いないが、

今日に至るまで政治的な話し合いで解決してきている。

 

 ホセ・フィゲーレス・フェレールという人は、先見の明があった。

 こんな小さな国が軍隊をもって戦争をしたところで、

大国の前ではひとたまりもない。

 軍隊を維持する予算を、未来の人間に投資することが何よりも重要だと

教育や医療にかかる費用を無償にした。

 コスタリカの国民幸福度は、世界1だという。

 

 私がこの映画を観て、すごいと思ったのは、

コスタリカの人たちが、「軍隊はいらない」「必要がない」と言い切るところだ。

 軍隊のない生活が、文化として定着している。

 同じ年月を過ごしてきて、日本との違いはどこなのか深く考えさせられた。

 

 数日前に防衛庁の来年度の予算は、4年連続で5兆円を越え過去最高と発表があった。

 このことの是非は後回しにしても、

この予算が社会福祉や教育費として使われるとしたら、

世の中がずっと変わったものになるだろうことは予想できる。

 

 しかも日本は、財政は国債頼み、将来の国民にまで

借金が重くのしかかっているのだ。

 世界が核兵器だけでなく、軍事費にお金を使わなくなったら、

どれだけ世界は変わるだろうかとつかの間、夢を見させてもらった映画である。

 

 シネマリンでは、明日25日まで。

 これから全国の単館系の映画館で上映が予定されています。

 

 

 

今、ドキュメンタリーがおもしろい2

ミリキタニの猫

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 12日から、始まった平和映画祭の1本がこの「ミリキタニの猫」。

 この映画は、2006年に作られた映画だが、観たことがなかった。

 今回の上映は、特別編ということで以前に上映された「ミリキタニの猫」と

昨年作られた「ミリキタニの記憶」を合わせたものだ。

 

 このフライヤーに描かれた猫は、見るからにかわいいといった感じはしない。

 視開いた目は、冷静でしっかりと何かを見つめている。

 それでも、猫は気になるし、

この絵を描いた画家であるジミー・ミリキタニも気になる。

 

 彼が、ニューヨークのツインタワーが見えるソーホーの近くで路上生活していた頃、

猫の絵を買おうとしたリンダという女性と知り合い、ミリキタニの希望もあり、

写真を撮っているうちにミリキタニにの映画を撮ることに決めたようだ。

 

 

 若い頃墨絵を描いていたこともあり、東洋の偉大なアートを紹介するんだと

息巻いてアメリカに渡ったのだが、路上ではあり合わせの紙に

ペンと色鉛筆のようなもので描いていた。

 

 題材は、いろいろだが、猫の絵を描くことが多かったようだ。

 原爆ドームや収容されていたツールレイク収容所を描くこともあった。

 何でその絵を描いているのか、そんなことはいちいち説明はしない。

  まさに自己表現の世界。

  無名ではあるが、自分を「グランドマスター(巨匠)だ」と紹介するのだから

 彼はりっぱなアーティストに違いない。

 

 ミリキタニ(三力谷)と聞いた時、珍しい名前だと思ったが、

広島県に存在する苗字で、本当に少ないそうだ。

 

 彼の背景:

 ジミー・ツトム・ミリキタニ(これが正式な名前?)は、

アメリカのサクラメントで生まれたが、

生まれて数か月で母親に連れられ、広島へ帰って日本の教育を受けた。

 18歳の時に父から兵学校へ行くように言われたが、

自分はあくまでもアーティストになるんだといって、再び叔父を頼って

「自由の国アメリカ」へ渡った。

 彼がアメリカへ渡ると間もなく第二次世界大戦が勃発し

彼は、敵性外国人として収容所に入れられ、

ずいぶん長く点々と収容所生活を余儀なくされ、

市民権をも剥奪されることになる。

 彼の言葉の端々から「自由の国アメリカ」の市民である自分が

こんな扱いを受けるのかという思いがあったことが察せられた。

 

 戦争は、彼の夢を砕き、苦労の多い生活を強いてきたが、

彼は、いつもどの場面でも絵を描き続け、彼のまわりの人間に

生きるということはこういうことなんだと行動で示しているような気がした。

 

 「ミリキタニの記憶」の方は、彼のことを知る三人と彼の親類などが

インタビュー形式で語ったり、手持ちの絵を紹介したりする

20分くらいの短編である。監督は、MASAさん。

 

 *この特別編の映画、横浜では伊勢佐木町のシネマリンで18日まで。

 *「ミリキタニの記憶」の監督をしたマサさんが上映後毎日トークで登場。

 *館内のロビーでジミーの絵のミニ展示も必見。

 *「丸木美術館」では、特別展としてジミー・ミリキタニの展示も行われている。