120年に一度咲く花 (横浜市子ども植物園)

 お正月早々能登半島で大きな地震の被害があり、遠くから思いを寄せるしか方法もな

く悶々とした日々を送っています。救援が迅速に届くことを祈るばかりです。

 

 申し遅れましたが、このブログもなるべく短めにぼつぼつ書いていきますので、今年

もどうぞよろしくお願いします。

 

 昨日うちにじっとしていても身体にいいことはないので、近くの子ども植物園まで歩

いて来ました。

 

 門を入った所に120年に一度の竹の花が咲いているというお知らせが掲示されてい

ましたので、さっそく竹園へ行ってみました。

 

 その120年に一度花を咲かせるという竹の名前は、「雲紋竹(うんもんちく)」

です。

 竹に雲のような茶色の模様が入っているのが名前の由来です。ここでは特別に集めら

れているわけですが、そんなに珍しいものでもないようです。

 これが120年に一度咲く花だそうです。想像では、尖ったのがめしべで、ふにゃふ

にゃとしたひも状のものがおしべではないかと思います。

 

 120年前(1904年頃)はどんな出来事があったのか確かめたり、これから12

0年後はどんな世の中になっているのか想像してみるのもいいのではないでしょうか。

鎌倉 香菜軒寓

昨日鎌倉へ墓参りに出かけた。

暖かくて歩いているうちに汗をかいて上着を脱ぐようだった。

お正月でもないのに駅を降りると結構な観光客がいることに驚く。

 

駅から歩いて材木座の方へ15分のところに「香菜軒寓」がある。ご主人の方は、都内で

元々カレーのお店をやっていた方なので、カレーを。お連れ合いは、白砂糖を使わない

など調味料も吟味され、有機野菜を使った定食を作られる。

 

カレーのメニューにエビカレー、夏場だけのカツオを使ったカレーがあるので、ここ

は、95パーセントがべジ食材、そして当初はたった3席のレストランというキャッチフ

レーズで始まった珍しい食事処だ。外人さんは、どこで情報を仕入れるのかベジタリア

ンやビーガン対応可能なこの店をよく訪れる。

 

3席ではあまりにも少ない。そこでご主人が庭に廃材を使って小さな小屋を作ったの

で、今では3グループが食事できるようになった。私はいつもお墓参りの途中に寄るの

で一人でいくのだが、空いていれば嫌な顔をしないで快く食べさせてくれる。ご主人も

お連れ合いもすごく穏やかでさわやかな方だ。2016年からなのでもう7年通っているの

で、顔も名前も覚えてくれてまるで親しい友人に会うような気がする。

昨日は、「だけ定」(ベジだけ定食の略)の特別バージョン。おでん定食を注文。

 おでんの中身は、三浦大根、こんにゃく、さといも、巾着の中身はヨモギ餅、小松

菜、昆布。小皿にのっているのは、手作りのゆず味噌と柚子胡椒。野菜も毎週ここに届

けられる有機野菜を使っている。滋味深い昆布だしで煮込んだおでんを食べただけで心

が安らぐ。赤キャベツの酢の物、小松菜のナムル、糠漬けの豆腐、野菜、あずきが入っ

た玄米のおにぎり2個を食べるとお腹はいっぱいだ。

 

御主人が作ったパン、マフィン、お連れ合いが作ったゆずぽんを持ち帰る。

本当はお墓参りなのだが、ここへ寄ってお腹も心も満たす楽しみがあるからしげしげ通

っているのかもしれない。

 

歩いていてふっと上を見ると、枇杷の花が白い花を咲かせていた。もう花が咲いている

のかとちょっと驚く。小さなハチが花から花へ忙しく動き回る。

滑川の橋を渡っていると十数羽のムクドリが木の枝から河原へ降りて来て盛んに水を浴

びてはまた枝へと移る。

昨日は、穏やかに晴れた年末だった。年末の仕事が一つ終わった。

山手西洋館のクリスマス2023

 中華街からバスに乗り、山手のイタリア山外交官の家を皮切りにいくつか西洋館を廻

りました。

 

 建物の右側にあるメタセコイアの並木です。夕方ここを通ると夕日に照らされた枝の

間から金色の光が差し込んでそれはそれは素敵な空間を作ってくれます。

 外交官の家の今回のクリスマスは、ベトナム社会主義共和国

 元々クリスマスを祝う伝統があった国ではないはずですが、商業主義的な面だけが強

調されたクリスマスをベトナムホーチミン市に行ったときに見聞きしました。もう3

0年くらい前になりますが、年末に一人ホーチミン市の下町のホテルに泊まった時に、

真夜中まで大きなボリュームで音楽を流し、はしゃいでいた若者がいたことを思い出し

ました。

 これは、隣のブラフ18番館。ここは、今回はスエーデン王国のクリスマス。

 スエーデンでは、大事にされてきたダーラナホースと呼ばれる馬がデコレーションに

使われていました。何気なく置かれている麦の束も日本の稲わらと同じように束ねたり

編んだりして飾られます。

 エリスマン邸のクリスマスは、イタリアでした。食堂には料理の皿やカップが並べら

れ、寝室にはツリーが飾られ切りがないので、伝統的な飾りを載せました。

 イエスキリストが生まれたときの様子を形にしたものです。

 山手234番館は、ベルー共和国のクリスマス。玄関を入った所にアルパカの人形が

立っていました。あまりにふわふわとしているのでつい触りたくなるのが人情ですが、

首に触らないでください。という張り紙がしてありました。

 ペルーは、日本との外交関係樹立150年という特別な年だそうで、選ばれたようで

す。

 これもキリストの生誕の場面を表したもののようですが、集まってきた人たちや天使

の衣装が独特で動物もアルパカが見て取れ、ペルーらしいなと思いました。

 まだありましたが、そろそろ帰らなくてはならないので、途中でしたが、港の見える

丘公園のバス停から桜木町へ向かいました。

 

 何回も見ている世界のクリスマスですが、年により特徴がなくてつまらなくなってき

たというのが私の感想です。

ウクライナのクリスマス(外交官の家)

 

 

 

12月の1日から横浜の山手の西洋館では世界のクリスマスという イベントが行われています。 イギリス、フランス、ドイツ、オーストリアチェコ‥‥‥などの ヨーロッパの国のクリスマスは定番ですが、 今年は、初めてのウクライナのクリスマスがあるというので…

yporcini.hateblo.jp

 2015年に外交官の家で行われたウクライナのクリスマスの展示が心に残っていま

す。横浜とウクライナオデッサ姉妹都市だという縁で取り上げられた展示でした

が、説明も詳しく感動的でした。

 

 先日NHKラジオの番組でウクライナに住む日本語ができる男性とのインタビューで、

今まで1月6日がクリスマスイブだったのが、12月の24日にやることになったとい

う話をききました。

 

 ロシア正教では、1月7日が正式なクリスマスだったのが、戦争がきっかけで宗教

的な祝祭までも西欧と同化していくのかとひどくショックでした。

  

  本当は、あのころからロシアとウクライナの間には私にはわからない何かがあったの

かもしれませんが、争いごとが世界からなくなる日が来ることを願うしかありません。

 

中華街で会食

 今週の火曜日に八王子から絵の仲間が3人横浜へやってきた。

 この日は、午前中は小雨模様という予報だったので、どうしようかと思いながら待ち

合わせの関内駅へ向かった。関内に着いた頃には雨は止んでいた。

 

 駅から横浜スタジアムのそばを通り横浜公園へ入った。西側に寄ったところに日

本庭園がある。期せずしてこの日は横浜の紅葉日和だった。日本大通りのすっかり黄色

くなったイチョウ並木も見事だったが、日本庭園のモミジの紅葉が美しく、子どものよ

うにその紅いモミジの葉を拾っては持っていた紙に挟みこんで楽しんでいた。

 

 まずは、楽しみにしていた中華街の会食。予約はしていなかったので、玄武門(北側

にある)から入り、加賀町警察署の前を通り中の善隣門をくぐり、老舗の本店を案内し

た。

 

 一つは、「萬珍楼」。(食堂の彫刻などが美しい広東料理の店)

 次は、「同發」。(私がここの焼き物が美味しいのでしばしばランチに通うやはり広東料理の店)

 その次は、「重慶飯店」。(ローズホテルの1階にあるレストランは、別館で一人で

もランチをいやな顔をせず案内してくれる四川料理の店。)

これに華正樓。(あまりに敷居が高くて本店には踏み込んだことがない)

少し前まではこれに「聘珍楼」があったが、人からの話では建て直すとかで今は、更地

になっている。

 

 結局三択ということになり、選んだのは「萬珍楼」。せっかくだから雰囲気のあると

ころという私の説明が影響したのかもしれないが、無難なところに落ち着いてよかった

。萬珍楼の春節に向けたデコレーションの獅子が迎えてくれる。

 

 昼のランチコースの朱雀を出してもらった。

 

  

 

 

 

 左上から前菜5品。一つ一つ微妙に味つけが異なり、これからの料理の期待感が増

す。同じ列の右側は海鮮とキノコのスープ。熱く仕上げていた。

 

 二段目左側は、白身魚のチリソースがけとエビのゆずソースがけ。右は、揚げ物二種

海鮮春巻きと大根餅。どちらも薄味だが旨味が感じられて美味しい。

 

 

 下段は、壺焼き焼き豚とキャベツのチャーハン。本当は、この前に大山鶏と里芋の南

乳煮込みがあったのだが食い気が勝って、写真を撮り忘れた。最後は、杏仁豆腐のヤマ

モモソースがけ。

 

 中華のコース料理は丸いテーブルでくるくる回しながら、自分たちで取る形式が多い

が、ここは、丸いテーブルは使っていないので、全部キッチンから一人分ずつ配膳され

る。そしてすべて食器に蓋が被され運ばれた先で蓋を取りそれぞれの大皿に置かれる。

ちょっと西洋風な感じだ。

 

 チャーハンの後、初めにサーブされたお茶とは別に蓋つきのウーロン茶葉が入ったお

カップが登場した。湯を入れて蓋を少し開けながら飲む。香り高いウーロン茶が口を

さっぱりとさせる。心憎いサービスだ。

 

 熱いものは熱く、冷たいものは冷たく、料理の基本通り。しかも料理とデザートの間

にウーロン茶が出てくるところなど10パーセントのサービス料が必要なだけのことがあ

ると思った。

 

 めったにコース料理には出会わないので、今回は少し詳しくなった気がする。デザー

トを含めて7品で3500円(税込み)、それにサービス料が付くので3850円。これ以上の

コース料理ではみな食べきれないし、全員が満足してくれて計画した私としても嬉し

い。

 

 この後のことは、次回に回すことにしますが、この日の前日寒気がするのでいつもよ

りずっと早く寝たのだが、明け方お腹が痛くなり、吐き気もあってとても苦しかった。

 客人を案内している最中は、問題なくこのごちそうもすべて完食。

 ただ、次の日も、その次の日も明け方お腹が痛くなり、微熱があった。結局今日まで

まだ治らない。こんなことは、めったにないので免疫力が低下していることを自覚し

た。

 鼻も咳も出ない消化器系の風邪というのもあるらしいので、皆さんも気を付けてくだ

さい。

新大久保散策

 コロナ禍になりしばらくやっていなかった学生時代の秋の集まりが11月の24日に

ありました。ブログには書きそびれていましたが、今年に入り春の集まりは、新宿の西

口の高層ビル街でありました。

 

 今回は、場所は新大久保。といっても、韓流スターを追っかけるには少々年を取りす

ぎています。今回は、関東大震災100年目ということで、9月から「福田村事件」と

いう映画も公開されましたので、区役所通りにある「高麗博物館」の見学をしました。

 

 もう20年くらい前に一度この博物館に足を運んだことがあるので2回目です。

 「関東大震災100年 隠ぺいされた朝鮮人虐殺」というタイトルの展示がされてい

ました。特に目を引いた展示は、雅号が「淇谷」という日本の画家の描いた絵巻物で

す。筆で描かれた独特の筆致の絵で大震災の被害、そして虐殺されている具体的な場面

が全長32メートルの巻物として描かれていました。すべてを拡げるにはスペースが足

りないので、ビデオに撮った画像が流れてるようになっています。

 

 虐殺はいつも目をつぶってしまいそうな悲惨で辛い場面ですが、しっかりと見ておか

なければならない体験だと思っています。同じ歴史を繰り返さないためにも。

 

 今回の集まりには、当初6人が参加予定でしたが、様々な理由で結局参加できたのは

3人でした。寂しい集まりでしたが、人数が多いとしゃべる回数も少なくなるのでしゃ

べり足りないことがあるけれど、「今回はたくさん喋れてよかった。少人数もいい

ね。」という感想が聞かれました。

 

 博物館に行く前に、食事をしました。

 イケメン通りに面した「とんちゃん」というレストランでした。

ここは、サムギョプサルが有名だというので、サムギョプサル定食を注文しました。

 私は、普段肉をほとんど食べないのですが、人との付き合いは例外にしているので今

回も一緒に食べることにしました。以前ほかの友人と来た時のサムギョプサルがト

ラウマになっていて特に脂身が気になるのですが、このお店では焼いているのを店のイ

ケメンのお兄さんが見てくれていてアドバイスしてくれます。

 両面を焼いた後、食べやすい大きさに刻んでくれて、焼き色を確かめてからOKが出ま

す。こんなに懇切丁寧にしてくれる店なんだと感激してしまいました。脂が適度に落ち

て香ばしくて美味しかったです。

 以前食べた豚肉とは雲泥の差がありました。注文するときに、冷凍肉か生肉か値段に

差があることも初めて知りました。

 韓国料理には、必ずバンチャンがつきますが、今回もスープとおかずが4つついてま

した。レタスに白髪ねぎの和え物と肉を挟んで食べるようになっていました。肉もおか

ずも美味しくて、これで1320円です。中華街のランチも美味しいけれど、たまには

新大久保に来るのもいいなと思いました。

 次回は、私が世話人です。

新庄経由で帰途につく

 鳴子で一番の紅葉の名所「中山平駅」を過ぎると、次の駅は「堺田駅」。何気なく外

を見ていたら「分水嶺」という表示が見えた。

 左が日本海、右が太平洋となっている。駅のすぐそばにこんな分水嶺の表示があるの

は珍しい。中山平からこの堺田あたりが峠の一番高いところなのだろう。列車は、徐々

に下っていく。10年ほど前に一度通ったのだけれども二人でしゃべっていたので、きっ

とそんなことには気づくこともなく通り過ぎたのか、今回初めて知った。

 

 東北を東西に分ける巨大な屋台骨奥羽山脈を越えたのだと思うとすごいことを達成し

たような気分になる。自分の脚でここを越えた人たちは、(例えば松尾芭蕉など)さぞ

や大変だったことだろう。

 

 ここからは列車も滑るように西へと下っていく。赤倉温泉瀬見温泉と二つ温泉の名

前が付く駅があった。スキーでもやらないとなかなかこちらの温泉まで来ることはない

ような気がするが、奥羽山脈には本当にたくさんの温泉があるのだ。

 

 だんだん田んぼや畑、工場や宅地が多くなり平らな土地が広がってきたと思ったら、

終着駅新庄だ。

 新庄駅舎はピカピカで真新しいのでびっくりした。ここは山形新幹線の始発駅でもあ

るせいだろうか。2時間ばかり乗り継ぎ時間があったので、駅から歩いて行ける城跡ま

で行ってみた。

 戊辰戦争まで長い間戸沢氏が治めていた城があったのだそうだが、街ごと焼けてしま

い今は、最上公園という名で、この地域の人たちに親しまれているという。

 この神社は、戸沢神社という名で戸沢家の始祖を祀っているのだそうだ。

 もみじが紅葉して美しかった。そばに池があってカモが泳いでいた。渡りのカモかと

思ったが、カルガモでなあんだという感じだった。

 城跡の遺構は、この石垣のみ。石垣の下にある堀とこの二つが江戸期、ここがお城で

あったことを証明してくれる。

 この一帯は、公園になっているので、博物館もあったが、ゆっくりと見たりできない

し少々疲れもあってスルーして駅への道を辿った。

 

 駅までの道は、新庄のメインストリートのようだが、水曜日のせいもあるのか、シャ

ッターが閉まっていたり、お休みのお店があったりで、どうも活気がない。

 新幹線始発の駅ですらこの感じだから、ローカル線の駅は推して知るべし。陸羽西線

を使って酒田市を訪ねた時も、メインストリートのシャッターは固く閉まっていたし、

日本は大きな人口を抱えている地域しか将来を展望できない。冬になれば深い雪に閉ざ

され、もっと生活が大変になるのだろう。

 駅までの道々そんなことを考えながら歩いた。

 初めて乗る山形新幹線つばさ号」。疲れていたので山形辺りまでは目を開けて車窓

の眺めを楽しんでいたが、そのうち眠ってしまった。新幹線といっても停まる駅の数が

多いなという印象を持った。

 

 新庄で食べそこなったお昼だったので、駅で「上京弁当」という名のついたお弁当を

買って列車の中で食べた。お米は、つや姫(山形産の美味しいお米)サクランボ鶏の味

噌カツと串焼き、それにいも煮の牛肉巻、野菜の煮物などこの地方の名物を詰め込んだ

お弁当だ。「いづでもかえってこいな。」という母のセリフを入れたところが、集団就

職の頃を思い出して、ノスタルジックになる。ウイークデーには、5個くらいしか作ら

ないお弁当だというので、買えたのはラッキーだったのかもしれない。

 

 これでこの旅のブログは終わりです。一緒に旅をしてくださりありがとうございま

す。

 

 

鳴子温泉

 いつも宿を見つけるときには、安くてしかも一人でも快く受け入れてくれるそんな宿

をさがします。今回は、川渡温泉地区にある温泉が良さそうだと思っていくつかネット

であたっているうちに珍しく民宿と名の付く宿に惹かれました。

 

 この宿は、ヨガの先生が大広間で講習をやったり、食事は、新鮮な野菜をたくさん食

べてもらいたいなど、私の普段の生活に似通った考え方であることを知って、この宿に

しようと決めたのです。

 一日目の夕食です。

 左上はたくさんの野菜が入ったせいろ蒸でした。前の小皿には、ポン酢、味噌と好き

な味付けで食べられるようになっていました。

 その横のは、エビの身とゆで卵をマヨネーズで和えてオーブンで焼いたもの、こ

れがとても気に入りました。ソースはラズベリーで、酸味もあり甘みもあり色のピンク

がとても華やかでした。

 もう一つ気に入ったのは、手前の食前酒の代わりかと思いますが、甘酒と豆乳を合わ

せたものです。キュウリの糠漬け、赤キャベツの酢漬けなど自家製のものが多いのも特

徴です。

 翌朝の朝ご飯です。

 温泉卵、菊と春菊の和え物、塩鮭のお皿の紫蘇巻、東北の温泉場を感じるおかずの

数々です。それに朝から米粉でこしらえたブルーベリー味のシフォンケーキのデザート

付きでした。宿の田圃で取れるお米を使って米粉を作っているので、本当の自家製で

す。

 

 2日目の晩、寝る前にお湯に浸かろうとしたら、女将さんと一緒になりました。湯に

つかりながらちょっと話をする機会がありました。

 ここで以前はお父さんとお母さんが農業をやっていたそうですが、30年前に民宿を

やることになり、お二人でやっていらっしゃったようですが、現在は女将さんがそれを

引き継いで一人で頑張っていらっしゃるとのこと。

 「料理が楽しみだったのですよ。でも大変でしょう。」と話しかけると、

「料理は好きなので、全然苦になりません。」とおっしゃっていました。

 

 そんなに大きな湯舟ではありませんが、私の好みの温めのお湯で、すごく体が温まっ

てよく眠れます。女将さんは、鉄分が多い湯はよく温まるのだと教えて下さいました。

 

 駅まで、歩くと20分以上かかるので、二日とも駅まで帰ってきたときに電話をして

迎えに来てもらい、出かける時も送ってもらうなど、私一人のために時間を割いてくれ

て有難かったのです。

 

 いつも旅に出ると、人との出会いに旅情を感じるタイプの人間なので、今回は女将さ

んとの出会いがその旅情を搔き立てたのだと思います。昨年骨折をして50日間入院し

ていたと聞いてなおのこと、頑張って続けてほしいと思いました。

 帰りにお母さまが漬けた梅干しをお土産にいただき、また梅の花の咲くころ行ってみ

たいなどと妄想しています。

 最寄りの「御殿湯駅」です。

 3日目の朝は、一度は駅まで歩いてみようと一人で駅まで参りました。

 この駅は、昼間の時間帯は、有人です。駅におひとり女性がいて、切符を売ったり、

電車がホームへ入ると「このドアから乗ってください。」と指示をしたりしてくれま

す。

 

 こちらの電車はワンマンカーですから、降りるのは一番前の車両のドア、乗るときは

前の車両の後ろのドアしか開かないので、慣れない人には乗れるドアを教えてあげなけ

ればならないからです。

 

 いよいよ鳴子温泉ともお別れです。