東北旅行その4(村上市)

 夕方酒田から羽越線に乗って、新潟県の村上市まで行きました。この日は、やはり午後5時過ぎに到着でしたので、宿からお迎えの車に来てもらいました。

 この日の宿は、かつて芭蕉と曽良がこの村上に2日滞在した町屋「井筒屋」です。芭蕉が見た夢の続きを見ませんか というキャッチフレーズに魅かれて泊まったのですが、ぐっすりといびきをかいて眠ってしまって夢がなんだったか忘れてしまいました。

 この宿は一日に一組しか泊めない宿で、風呂と夕食は外で、朝食のみ宿で用意してくれる和風B&Bです。よく奥の細道を歩いて廻る旅人がくるそうです。1階は、昼間カフェになり、泊まるのは2階です。

村上の宿「井筒屋」

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 シャワーは使わせてくれるそうですが、お風呂は車で送り迎えしてくれるので、提携している瀬波温泉の大観荘のお風呂へ入れます。目の前の海の波の音を聞きながらの露天風呂は、とても贅沢な気分にしてくれます。天気がよければ、水平線に沈む夕日を見られます。

  夕食も近くの料理屋さんに連れて行ってくれます。その日、近くの料亭は予約でいっぱいでしたので、カジュアルなお店で済ませ、翌日の昼に予約してもらい、鮭料理のミニコースを食べました。

  「能登新の」鮭ミニコース

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左の三品、酒びたし、ドンガラ煮(身も骨も一緒に煮たもの)   ルイベ(凍らせたもの)と湯引きのさしみ                 なわた(内臓)としらこの辛煮 

右の皿 氷頭なます(鮭の頭の軟骨入り)

 

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 焼き漬け(焼いた後たれにつける)            レンコン饅頭(中に腹子が入っている)がった煮物

                             

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ご飯、腹子のしょう油づけ、卵皮煮(鮭のすり身と山芋などをつかった実の入った汁) デザートは、ピンクグレープフルーツのゼリー

  卵、白子、軟骨、内臓、心臓、せわた、皮・・・・と捨てるところなくすべての部分をいろんな料理方法を使って食べるのが村上の鮭料理です。

 古くから鮭が上ってくる川が近くを流れ、村上藩の財政を支えた鮭は、今も大事にされているのだと食事をしながら感心したものです。

 村上の鮭の自然増殖

 江戸時代に、鮭が生まれた川に回帰するということを知っていた村上藩士「青砥武平治」は、世界で初めて自然保護増殖のための「種川」(江戸時代に作られた人工河川で、鮭が産卵しやすい環境を整える川)を31年の歳月をかけて完成させたそうです。

 カナダなどで今現在行われている孵化事業の140年も前にそのことが村上藩で行われ、村上の鮭文化の礎を築いた人がいたというのは、驚きでした。

 「喜っ川」の町屋に干されていた塩引き鮭

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 村上の町は、もともと城下町で古くから在る商家がたくさんあります。その古い町屋を整備して、観光客を呼んでいます。この「喜っ川」さんは、町屋の環境をそのまま残した中で塩引き鮭を吊るしているので、鮭の遡上する10月から12月のポスターや旅の雑誌の写真でよく目にします。

 鮭の内臓を取って、塩をして干します。切腹を嫌ったので、真ん中あたりを切らないで残してあるのがわかるでしょうか。同じく首吊りを嫌って、頭ではなく尾びれに紐をかけてつるすのが村上のこだわりの塩引きです。

 塩の加減、干す加減とそれぞれのお店の秘伝があるようです。

三面川のウライ

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 街の北側の「三面川(みおもてがわ)」で、伝統的な「居繰り網漁」をやっているというので、行ってみましたが、車道を通らず、近道をしようと川原を歩いて行ったため、茨に阻まれて到着した時は、すでに終わっていました。「急がば回れ」 という言葉をまた深く心に刻みました。

 写真の右側が下流です。川幅全体にウライという仕掛けを渡し、遡上してくる鮭をせき止め両側にある木で作った仕掛けにおびき寄せ、そこで鮭を捕まえます。

 居繰り網漁は、このウライより下流で行います。

 居繰り網漁

 江戸時代から伝わる漁法。「小回し舟」という川舟で網を繰り、遡上してくる鮭を捕る漁である。(三艘一組で操業する。)村上の秋から初冬にかけての風物詩である。

 

 居繰り網漁の終わった夕暮れの川原には、釣り糸の先に大きな鈎針をつけた釣り人が静かに糸をたらしていました。