今、ドキュメンタリー映画がおもしろい 6

台湾萬歳

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 9月に2本、10月に入って3本映画を観に行っている。伊勢佐木町界隈には、何と3つの名画座がある。どの映画館もドキュメンタリー映画をよく取り上げるのだから私にとっては危険この上ない。まあ、年齢が年齢なので、2本観る代金で3,4本観られるのだから、ささやかな特典ということにしておこう。

 

 昨日も今日もいい天気で、どこかへ出かけたくなる衝動にかられる。毎日せめて歩くくらいの運動をしないとと思うばかりで、ただ歩くのは性に合わない。そこで映画というニンジンを鼻ずらにぶら下げてはでかけることになる。

 

 前置きが長くなったが、今回の映画は、「台湾萬歳」。この映画は、酒井充子という日本の女性監督が台湾3部作の最終章として作った映画だ。前作の「台湾人生」「台湾アイデンティティ」は、残念ながら観ていない。

 

 台湾は、中国の南部からの漢民族流入により清の領土になり、日清戦争の後には、51年間日本の領土となった。戦後も中国から逃げてきた国民党の外省人と元から台湾に住んでいた本省人との間の争いと、目まぐるしい変化を経てきた。

 私が初めて戦後の台湾の歴史を知ったのは、ホウ・シャオシェン監督の映画「悲情城市」。血なまぐさい争いこそないが、今も台湾の総統選挙になると独立か中国の一部として生きるのかが必ず問われる。

 

 この映画の舞台となっているのは、台北のような大都会ではなく、南東部に位置する台東県だ。主な撮影地は、台東縣成功鎮。ここには、アミ族ブヌン族、タオ族など多様な民族が多く、漢民族とほぼ半々の割合で住んでいる。日本の統治下、原住民を強制的に労働させることで港や堤防などを作り、漢民族や日本人の移民を住まわせた。

 

 ここに住むアミ族の漁師、今は年を取ってリタイアーした漢民族の元船乗り、ブヌン族の青年の今の暮らしを追っている。

 ここでは日本の漁師が持ち込んだ「カジキの突っきん棒漁」が今も生きている。船の舳に飛び出したお立ち台の上に乗って、カジキマグロの姿を見つけ突っきん棒で仕留める漁だ。撮影中には残念ながら現場をみることができなかったが、漁港にはそれこそ大きなカジキが上がっていた。(セリでは日本円で50万円の値がついていた。)

 

 リタイアーした元漁師は、戦争中には物資を運ぶ船の機関長をやっていたという。日本語を忘れないで今でも上手に話す。沖縄の漁師と一緒に仕事をしていたので沖縄の方言もよく知っているのでびっくりした。今はもう船に乗れないので、市場に行って魚を眺め、山に入っていったところにある小さな畑で野菜を作るのが楽しみな様子。正月には家族が集まり、神様、ご先祖様に祈りをささげご馳走を囲んでにぎやかに過ごす。

 

 ブヌン族は、山の民。狩りができないと一人前の男としてみなされないのだとか。狩りをする前には、必ずご先祖様にお酒をささげ自然を敬い、自分たちの歩く道を守ってほしいと祈る。獲物は、すぐに皮を剥ぎ、内臓を出し、ご先祖様にも捧げものを忘れない。

 住む土地を追われたり労働に駆り出されたり兵隊として戦地に駆り出されたり、戦争に翻弄された人たちなのに、何があっても変わらぬものを持っている人たちに驚くばかりだ。日本人が台湾に親しみを感じるのは、かつての日本人が身に付けていた自然を敬い、ご先祖様を大事にし、家族を大切に思うそんな精神性が多く残っているからだと今回の映画からもしみじみと感じた。

 

 2011年の東日本大震災の折も、台湾から200億円を超える義援金が送られてきたそうだ。台湾でも大きな地震があったはずだが、日本からは我が事のように思って多額の義援金が送られたのだろうか。自分自身を顧みて、はたと考え込んでしまった。

 

 この映画は、来週の金曜日までシネマ・ジャック&ベティで上映。来週から「米軍が最も恐男、その名はカメジロウ」が上映される。すごく楽しみにしている。

 

 あまりの天気の良さに駅を下りてまた大岡川まで行ってみた。 

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 残念ながらホシゴイは今日はいなかったのだが、代わりにいたのはカワセミ。引き潮で魚の群れもどんどん下流に流れていくのをただ見ているだけで、ダイブは見せてはくれなかった。このカワセミは、色も鮮やかなオスである。太陽の光にあたるとカワセミの背中のブルーが輝き出す。カワセミも今日の陽気に誘われたに違いない。