ウルタル・メドゥへハイキングの日。
ウルタル・メドゥは山のピークではなく、放牧地のような草地。(メドゥというのは草地という意味があるようだ。)
メドゥは、3270m、カリマバードからは標高差900mくらいの登りだ。
近頃トンとそんな標高差をそれも、結構荒れた道を登ったことがなかったので直前までとても不安だった。
往きは、バルチット城の裏側から入って途中までは水路に沿った急な道を上る。
その日は、カリマバードは晴天で、いつもは雲に覆われているディラン峰も目の前にずっと見えていたが、山を登るにつれて曇り空となってきた。
雨こそ降らないが、ウルタル峰が雲に覆われて右に見え、奥のほうからドーンという低い音が聞こえてきた。
これまでもカリマバードで不気味な音が聞こえていたが、すべて雪崩の音だったと知った。
始終聞こえているということは、山では雪崩が頻繁に起こっているということで、雪の多い山への登山は雪崩の危険性と背中合わせだと感じることができた。
途中までは、18人とガイド3人、添乗員2人がほぼ一緒に登っていたのだが、途中から歩行のスピードに差ができてきたので、二つの組に分かれて登った。
速い方をA組と称し、遅いほうをB組と自分たちで呼んだ。
私は、もちろんB組。
分かれてから速く歩ける人のことを気にしないでよくなったので、気分的には楽になった。
私は、せっかくこの日のためにハイカットの新しいトレッキングシューズを買い、調整もして準備したのだが、やはり痛くなるのが気になったので、ローカットの運動靴をはき、添乗員さんの勧めでハイカットの靴はリュックにしょって行った。
2800m地点で、もはや3人がリュックを持ってもらっていた。
私は、2900m地点で休憩したときに、添乗員さんの好意に甘えてトレッキングシューズだけ持ってもらうことにした。
ペルーのクスコで高山病になった経験者なので、数歩歩くと目の前がくらくらするようでなんだか怖かったのだ。
でも、後ろに歩いている人もくらくらするというので、同じなんだと知ってから、気持ちが軽くなった。
それから、程なく目標地点へ辿り着いた。
B組は、苦しかった登りだった人が多かった。
途中の休憩地で、
「私はこの岩で雨宿りしながらみんなが下ってくるのを待っている。どうしても上りたいわけじゃないから・・・」
などという人もいたが、添乗員を始め、みんなで励ましあって登ってきたB組の女性たちが、上りきったときの喜びはひとしおだった。
B組は、自発的に集まって写真撮影。みんないい顔をして写っている。
この日を境に女性の結束が強まった。
とても不思議だが、苦しい経験を共有したからだろう。
私も、不安を抱えながらの登山だったので、上りきった時に、思わずガイドさん、添乗員さん、そして一緒に登ったすべての人に感謝の気持ちでいっぱいで、みんなに握手を求めた。
年を取って、股関節や足の故障が始終になってからの久々の達成感、ちょっぴり山登りに自信が持てたような気になった。
この気持ち分かってもらえるだろうか。
レディーフィンガー
ちょうど私たちが上りきった頃合いを計ったように、今まで雲に隠れていた「レディーフィンガー」が指を立てて見せてくれた。
左のがレディーフィンガー、隣のがフンザピーク。
残念ながら、ウルタル峰(7388m)は、雪の壁の下のほうだけ見せてくれたが、ピークは雲の中。フンザピークとウルタル峰との間には氷河を見ることができた。
空が見えたと思ったら、雲が出て、ガイドさんたちが、頂上まで運んでくださった温かいミルクティーを飲んでいる最中、パラパラと白い雪?あられ?が降ってきて、そのミルクティーにも入った。
一瞬だったが、びっくりする光景だった。それにしても、温かいチャイは、体も心も温めてくれる。本当にありがたい。
サンドイッチなど簡単なランチを取った後、草地の高い位置にある故長谷川恒夫さんともう一人の方のお墓にお参りをした。お二人は、果たせなかったウルタル峰が見えるところで静かに眠っておられる。
メドゥからの下山
下りは、途中からドゥイカル村へ行くために、違う道を歩くのだが、地すべりのせいか、石がごろごろしていてガイドさんがいないとわからない、道だといえないような道を歩いていく。
ストーンフラワー
途中、ガイドさんが、教えてくれたのは、石に貼り付いた苔のようなもの、彼は、これを「モス」とは言わず、「ストーンフラワー」と説明してくれた。詳しく調べていないのでよくわからない。おいおい調べてみたいと思う。
途中、花らしい花は、ウメバチソウのようなこの白い小さな花のみ。本当に植物が少ない。名前は、不明。
朝8時に出て、山に着いたのが午後12時半、ランチ休憩を挟んでその日の宿泊地、ドゥイカル村のイーグルネストへ着いたのが午後5時。
私は、水分が足りなかったためか、熱中症にかかっていたようで、ひたすら水を飲みたくてたまらなかった。飲んだ後、今度は寒くて寒くてベッドにもぐりこみ、震えていた。その日から、体が不調となり、食べられず、添乗員さんから頂いた風邪薬、胃腸薬、下痢止めと、薬でなんとか持たせたようなしだいだ。
私ばかりでなく、この日体調を崩した人はほかにも2人いた。
この旅の間、下痢の洗礼を受けたのは、ほとんど全員に近い。
日本の水はあまりに良すぎるのか、海外へ出たら、必ずミネラルウォーターのお世話にならざるを得ない。
お陰で今も旅へ行く前より2キロは体重が減ったままである。食いしん坊で大食いなので、少し反省してこの2キロ減量を維持するようにがんばっている。
靴は、足首が柔らかいせいもあってか、靴はローカットで通すことができたので、ハイカットはただ持って行っただけになったが、とにかく歩けてよかった。
*もう、4月分の写真のアップがいっぱいになったようです。あと一回は、5月になってからアップしますので、しばらくお休みです。よろしくお願いします。