今週の日曜日から4泊5日で宮城県の気仙沼と鳴子温泉を旅してきました。
気仙沼は、2012年の東日本大震災の1年後、初めて足を踏み入れた土地です。
震災時の2011年、テレビの映像で見る気仙沼湾は、船や瓦礫、それに石油のドラ
ム缶が浮いたおどろおどろしい姿でした。
2012年の夏に足を踏み入れた時には、連絡船が行き来する港まで行くと土台のコ
ンクリートのみが残るだけで、空き地には仮設の復興屋台村が立ち飲食店が細々と営業
していたことを思い出します。
2014年、2021年、2023年、と続けて訪ねているので、今回で5回目の
来訪になります。
気仙沼の町は、漁業で成り立っているので、港の整備はいち早く進み、2012年の
段階でも全国からの漁船がたくさん入港していました。今では立派な設備が整った魚市
場があり、今年も28年連続でカツオの水揚げが日本一と活気づく気仙沼です。
今回の気仙沼では、昨年から必ず行きたいと思っていた宿題が3つありました。
その一つは、昨年宿泊した気仙沼大島(今は橋が架かったので、正確には島ではなく
なりました)の田中浜に祀られている「みちびき地蔵」へもう一度行くことでした。
昨年の7月に友人たちとここを訪れた時に、すぐ近所に住まわれている男性が地蔵さ
まの境内の清掃をされているところでした。この地域のことはよく知らなかった私は、
その男性に
「ここも津波がおしよせてきたのですか。」
と聞くと、
「うちは一番高いところに建っているから津波に浸からなかったのですが、下の2軒は
被害がありました。」
とのことでした。
その後、
「ちょっと待っててください。」
とおっしゃるので、待っているとポットに入った「金のなる木」を運んできて下さり
「今はゆずが生っていないので、これを持って行ってください。」
とおっしゃるので、せっかく下さるというものをお断りするのは失礼かなと思い、
有難くいただいて帰ることにしたのです。
ゆずの話になったのは、大島は、ゆずの北限をいう話を記憶していたのでそのことも
質問したせいだと思います。
この一年あまり、みんなお地蔵さまにいただいた「金のなる木」だからとうちで大事
に育てたので、庭に地植えにした人はかなり大きくなったと言ってましたし、私のうち
にもらわれてきた苗も背が高くなり、枝分かれもして元気いっぱいに育っているという
ことをお知らせしたいと思ったのが、今回の宿題その1だったのです。
お名前を聞いたわけでもなく、わかっているのは一番上の高いところにある家だとい
うことだけ。突然おじゃますると、庭に男性がいらしたのですが、お顔の感じが違う
ので
「これこれしかじかでお訪ねしました。」
とご挨拶すると、
「それは、きっとうちの兄貴だ。寝ているから起こしてきますよ。」
と、起こしてきてくださいました。
お兄さんにあたる男性のお顔には見覚えがあったので、とてもほっとしました。
私が、
「いただいた「金のなる木」が順調に大きくなっているのでお礼に伺ったのです。」
と、
「そうですか。育ってますか。」
と、お顔をほころばせてくれました。
そして、庭に生えている大きなゆずの木をさして、
「このゆずの木が大島のゆずの元になったと言われているんですよ。」
と教えてくれて、
「今年は、ゆずの生りが悪くてね。」
と言いながら、下の畑に生えているゆずの木に生っているゆずを2つハサミで採ってく
ださいました。
生りが悪いのにもらっていいのかなと思いながら、大島のゆずを持ち帰ることになっ
たのです。優しい心持の方と縁ができたのは、みちびき地蔵さんのおかげかな、今度は
「金のなる木」に花が咲いた時にまたお知らせに来ようかなとほっこりとした気持ちに
なって浦の浜のバス停へ向かいました。
浦の浜の港 橋が架かるまでは、連絡船の船着き場でしたが、今も土曜、日曜には赤い煙突の船が湾を遊覧するそうです。