角館の病院を訪ねて(秋田旅行その4)

 急がないと八月が終わりそうで、この旅日記も終わりにしなくてはと焦っています。

 北秋田市から田沢高原への移動日。

 この日もとてもいい天気でしたが、昨夜の病院で角館に行ったら開業医でもいいから眼科で診てもらうように言われていたので、ほかの人も付き合わせることになってしまいました。

 駅からタクシーで近くの眼科の開業医へ行きましたが、結論として私のすごいお岩状態の顔を見てきっと引いてしまったのだと思いますが、診てもらえませんでした。

 翌日の水曜日に角館総合病院へ行くことになりました。というのも、角館の病院には眼科の常駐医はおらず、水曜日と金曜日に岩手医大から医者が出張してくるのだと聞いていたからです。

 お昼も過ぎていたので、武家屋敷方向を目指し、のてくてく歩いて行くと、西宮家というお屋敷を見つけました。

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 観光で有名な武家屋敷のあるところよりも西の方に在り、静かなたたずまいです。

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 食事処がありました。北蔵をリノベーションして作った大正ロマン風の建物です。秋田なので稲庭うどんかなと思っていましたが、ここはメインの名所から離れているためか近場の人がランチをするようで、限定の日替わりランチがあったので、それを頂きました。

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 この日のメインはオムレツでスープとサラダ、それにコーヒーもついて800円でした。きれいにカーブさせたオムレツでつい写真を撮ってしまいました。スープもちゃんと蓋つきの食器で供され、コーヒーカップも民芸風でなかなかおしゃれなレストランでした。

 食事をしてから屋敷内をめぐると、

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 ここは、母屋ですが今は喫茶室。ほかにもこのお屋敷で使っていた食器や長持、本などを展示した文庫蔵や民芸品が売られている米蔵、地元の食材を使った漬物を売っているガッコ蔵、コミュニティ空間となっている前蔵となんと蔵が5つもある屋敷でした。

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 庭には、ハンゲショウガクアジサイが静かに咲いていました。関東ではもうとっくに咲いてしまった花ですが、秋田はやっぱり北なんですね。角館は、4人とも訪れたことがあるところで特に観光はしなくてもということで、この日の宿「田沢高原ホテル」へ。列車は、ほぼ一時間に1本ですし、田沢湖駅からのバスも一時間に1本。そんなこんなで宿に着いたのは、午後5時を回っていました。

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 宿の窓から見た夕焼け。この日も天気はよかったし、明日もいい天気だと約束してくれるような見事な夕焼けでした。

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 突然翌水曜日の朝の秋田駒ヶ岳

 きれいな夕焼けの翌日でしたから秋田駒ヶ岳も快晴。3人の乗った8合目までのバスを見送り、私は田沢湖駅へのバスに乗り、角館へ。

 この日わかったことは、田沢湖線はほとんどの列車が特急こまち号で、朝夕を除き、普通列車の下りは九時半が1本。角館からの上りは午後の3時ごろの列車が1本。特急券が高いので、その列車に合わせるように行動しました。この辺りの人は、交通が不便なのでどうしても車での行動が多くなりますね。

 病院は、通りすがりの観光客なのに誠実に対応してくれて、岩手医大からいらした先生も丁寧な診察で面倒な横浜の病院宛の紹介状も書いて下さいました。

 二日間の診療なので混んでいるのは仕方のないことですが、「今日は、くすりっこだけでいいのかな。」なんていう看護師さんの言葉を聞いているとほっこりしてしまい待つのもそう苦痛でありませんでした。言葉だけでなく病院に流れている空気感が都会の物とは違うなと感じました。

 もう一つの山行、秋田駒ヶ岳には登れませんでしたが、けがをしたお蔭で秋田の人情にいっぱい触れることができて心に残る旅となりました。こういうのを「怪我の功名」というのでしょうか。

 3人は、前々日私が怪我をしていたので、無理をせず力に合ったコースと時間設定で無事戻って来ていました。私が誘っておいて案内もできず申し訳なかったのですが、怪我をしたのが私でほかの人じゃなかったというのは何よりだったと思っています。これも「怪我の功名」かもしれませんね。

 旅の記録はこれで終わりです。

森吉山登山(秋田旅行その3)

 翌日の8日は、森吉山へ登る日です。

 森吉山は知る人ぞ知る高山植物の宝庫と言われる山です。花の二百名山に数えられています。山の高さが1500mに満たないので百名山には入れてもらえなかったのではないかと何かの本で読んだことがあります。

 と言っても、今回は私も含めて初心者の集まりですので、お気楽ゴンドラコースで登ることにしました。最寄りの駅「阿仁合」からタクシーで20分ほど行くとゴンドラの駅へ着きます。

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 ゴンドラの駅には、秋田犬の「北斗くん」が出迎えていてくれましたが、どうも眠そうで呼んでも目を開けてはくれませんでした。

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 冬は、スキー場になるところなので、6人乗りのゴンドラがひっきりなしに動いています。天気はほぼ快晴。紫外線も強そうです。このゴンドラで約20分。山頂駅1167mまで連れて行ってくれます。森吉山の頂上まで標高差は300mくらいなので、特に問題はなさそうです。

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 道々木道が設置されていて歩きやすくなっていますがだいぶ老朽化しているところもあって材木を運んで直している方々を見ました。すごく重そうなので本当に大変なお仕事だと思いました。

 一番目立ったのがニッコウキスゲ。上り始めの両脇に並木のように連なって咲いていました。見頃の花は勢いがあります。

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 次に多かったのがこのイワカガミです。うつむいて咲いているのできれいに撮るのはなかなか難しいです。

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 次は、頭にハクサンがつく三人組。左から「ハクサンチドリ」「ハクサンフウロ

ハクサンシャクナゲ」。

 

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 白い小さな花たち6人組。

 左上から「アカモノ」「モミジカラマツ」「マイズルソウ」
 下段左から「ゴゼンタチバナ」「ツマトリソウ」「ミツバオウレン

 初めて撮れた植物。

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「アオヤギソウ」

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ウラジロヨウラク

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 花に見とれて写真を撮っているうち、はや1時間半が経過。棒が立っている頂上まであと1時間くらいでしょうか。

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 お目当ての「チングルマ」は、実ができています。雪渓が解けるとすぐに咲く花なので、7月の初めではもう遅かったようです。それでも頂上近くへ行くと、名残りの数輪が咲いていました。

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 頂上へ到着。翌日向かう秋田駒ヶ岳も乳頭山も岩手山も八幡平もみんな見渡せます。 鳥海山が見えなかったのはちょっと残念。この日は、月曜日でしたが、天気が良かったので、ツアーのお客さんも結構来ていて頂上は混雑していました。

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 お昼は、宿で作ってもらったおにぎりです。まず竹の皮に包まれていたこと、ひもも紙紐、何ともエコおにぎり弁当でした。一つがとっても大きいので食べきれるかと心配していましたが全員少しも残さず完食でした。

 ごはんの美味しかったこと!お米は特別に作ってもらっているあきたこまちだそうです。ご飯がこんなにおいしいなんて、久しぶりにお米が食べられる日本に生まれてよかったなと思ったくらいです。

 私は、ご飯の中に入っていた梅漬けがフルーティで気に入りました。宿に帰るなり、さっそく梅について聞いたくらいです。

 「八助梅」と呼ばれている大きな梅だと教えてもらいました。後日角館の通りを歩いていたら八百屋さんの店先にアンズのような実がたくさん売られているのを見ました。きっとあれだなと思いましたが、旅先で買う訳にもいきません。

 うちへ帰ってからさっそく調べてみたら本当はあんずの仲間だとわかりました。青森の南部が産地でこの地方独特の梅漬けだそうです。旅先で新しい食べ物に出会えるのは心躍ります。

 友人がストーブを持ってきてくれたので、お湯を沸かして味噌汁を飲んで一息つきました。重い荷物を背負って持ってきてくれたことに感謝。

 ここから今来た道とは反対側の道を下ったところに「山人平」(やまびとだいら)という湿原がありそこが一番の見どころだと聞いていたので、下りることにしました。片道30分ということでしたが、行きは下りでよかったのですが、帰りは急な上りで時間がかかりそうです。

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 上から見ると上段と下段と二つの湿原が見えましたが、時間もあまりないので上段だけで帰ることにしました。

 ここは、森吉山のハイライト。途中の道がまだ雪渓になっている頃、軽アイゼンを持ってくるとよいようです。

 この湿原はとチングルマ、ヒナザクラの白とイワカガミ、ショウジョウバカマのピンクの花に一面覆われているのが見られて天国の花園というくらい美しいと聞いていましたが、今回は、もう花が終わっていてこの通り一面緑でした。

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 左は、水芭蕉の白い苞が落ちたもの。 右は、モウセンゴケ。こちらも花が終わっているようです。

 ここからまた頂上へ上る途中で私はけがをしました。左の足がちゃんと着地していなかったために後ろにひっくり返りなぜか右顔面をひどく打ったのです。意識はありましたが、かなり急な斜面でしたので手を使っても起き上がれず、ちょうど通りかかった女性に先に行った友人たちを呼んできてもらいました。

 幸い手も脚も骨折はしていなかったようなので自分で歩けましたが、額を切っていたので出血がひどくまわりの人たちがびっくりしていました。

 頂上で団体を引率していた山の女性ガイドさんが心配してくれて、傷口の消毒と包帯を巻いてくれました。右の頬骨の辺りを一番強く打ったみたいでいまだに触ると痛みがあります。

 宿に帰ってから、頭を打っているようだから、今日のうちに病院でCTを取ってもらった方がいいと言って、車で1時間もかかる北秋田市民病院まで連れて行ってくださいました。友人にも世話になり、山のガイドさん、そして宿のスタッフさん、それに病院のスタッフさんに とっても親切にしてもらい心がとっても温かくなりました。

 (続く)

奥森吉太平湖と小又峽散策(秋田旅行その2)

 (続きです。)

 田んぼアートや阿仁川のゆるやかな流れを見ながら約1時間半、阿仁前田駅に到着。駅から宿のお迎えの車に乗って約30分。この日の宿「森吉山荘」に着きました。ここで大きな荷物を置いて小さなザックに必要なものを入れて、頼んでおいたタクシーで午後のハイキングへ出かけました。

 (※荷物の詰め替えの時に、うっかりカメラを忘れてしまったため今回の写真は同行した友人のカメラで写したものを借りました。)

 

 太平湖は、森吉ダムを建設した際にできた人造湖だそうです。その太平湖まで山を登りまた下りしてタクシーでも約20分。グリーンハウスで遊覧船のチケットを購入し、さらに山道を下ること10分、ようやく遊覧船の桟橋に到着。

 日曜日の午後なのに、何と乗客は私たちのみ。ボートの運転をしながら湖の見どころも案内してくれる船長さんと陽気な船員さんが一人。その船員さんは、まだ簡単な日本語しか話せない外人さんだけれど飛び切り素敵な笑顔で私たちを和ませてくれます。

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 船は、柱状節理となった湖岸と緑の木々の緑を眺めながら湖の中へ進んで行きます。

 湖面をゆく風もさわやか、いい気持ちでいるとこんなアナウンスが聞こえてきました。

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 「湖岸の木々の間に丸い穴が二つ見えますが、クマが冬眠していた穴です。」

 (えっ、やっぱりクマがいるんだ!・・・)

 今からこの辺りを散策しようとしているのでちょっと不安がよぎりましたが、4人で来ているとその辺は鈍感でいられるようです。

 船は、向きを変えて清水桟橋へ横づけしてくれました。ここから小又峽散策が始まります。川岸を安全に歩けるような歩道が作られていることを聞いていたのであまり心配はしていませんでしたが、クマが出てきたらお手上げです。復路を歩く人たちを3組ほど見かけましたが、往路を進む人はほかにはいませんでした。一人では、ちょっと・・・

 森吉山荘の案内に書かれていた通り、たくさんの甌穴や滝が続く道でした。

 どうもこの辺りの川底は大きな岩盤でできているように見えます。その岩盤が長い年月をかけて侵食され複雑な模様のようになって見えるのです。深さも違うので色も様々でアートだなと感心しながら通り過ぎていきました。

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 所々に小さな滝がありますが、ここにも甌穴があって下の方から流れ出しているところがあります。

 

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 少し上ってきたので、滝に落差が出てきました。最後は、「三階の滝」だというのですが、これは三階っぽいけれどもクライマックスではなさそうです。

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 と思いながら先へ進むと景色がガラッと変わり、一番右側が細くて深い淵になっているのでびっくりです。

 淵の中にも甌穴があり、一体この岩盤の中はどうなっているのか覗けるものなら覗いてみたい気持ちになります。

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 時間が1時間過ぎました。往きは、草花に気を取られ写真を撮ったりしながら歩いていたので、半分の45分をとうに過ぎているのです。帰りの船が迎えに来る時間は、午後4時、それが最後なのでどうしてもそれに間に合わせなくてはならないのです。10分手前で戻るか進むか意見が割れました。私は速足で行けば取り戻せるからと言って強引に進みました。カーブしたところを上りきったら、とうとう目的地の「三階の滝」が現れました。f:id:yporcini:20190707150400j:plain

 三段に分かれている滝ですが、特に2段目は真っ白で水量が多くて迫力があります。 落差は、20mほどだと思いますが、皆さんを強引に説き伏せてやって来た甲斐がありました。

 さて、記念撮影をしてから私は、責任を取らなくてはと思い、わき目もふらずに桟橋まで一目散に早歩きで進みました。私たちがここへ来ているのは知っているわけですから、船も少しは待っていてくれると思いましたが、私だけでも先に行って船を停めておかなくてはならないと思ったのです。往きは、1時間かかったのに、帰りは30分弱で到着です。まだ船も来ていませんでした。ほっとしました。

 無事お迎えの船に乗り、グリーンハウスへ戻ることができました。タクシーが来るまでしばらく待っていましたが、昨日もこの辺りの道にクマが来ていたという話を聞いて本当にちょくちょくクマが出るところなんだと認識しました。どうも若いクマで自分の縄張りをつくる時期なんじゃないかと言っていました。クマだけでなくクマゲラも出てきて、すごく大きなドラミングの音を響かせるそうです。深~い森なんですね。

 余談です。

 後で分かったことですが、この遊覧船は、宿の「森吉山荘」が経営していたのです。船の船長さんもグリーンハウスのチケット売り場のお兄さんもみんな私たちが着いたすぐ後で宿に戻って来ていました。チケット売り場のお兄さんは、夕食の時は、ウエイターの仕事をされていたのでまたまた驚いてしまいました。人手が足りない話は聞いていましたので、みんなが力を出していかないと経営が成り立たないのだろうと秋田の現状を一つ見た気がしました。

(続く)

田んぼアート (秋田旅行その1)

 7月7日から4泊5日で秋田の山へ行った時の記録です。

 三陸へ出かけてから10日開けての旅行で、他人からはちょっと動き過ぎの言葉も聞かれましたが、こちらは私が計画したこともあり行かないわけにもいきません。

 今回は1人でなく4人旅です。

 横浜も東京も小雨が降っていましたが、秋田はずっと晴れでした。梅雨の期間にずっと晴れていたので、私のハレ女は、本物だともっぱらの噂です。けれども、二日目の8日に私は山でけがをしてしまい、秋田でも病院通い、こちらへ帰ってからも病院通いと散々な旅でした。未だに顔の頬骨が腫れているので、前回の「蝉も頑張っています。」の言外に私も頑張っているが意識下に含まれていたのだと思います。

 7時半のこまち号に乗り、角館で下車。第3セクター秋田内陸縦貫鉄道に乗り換えます。乗った電車は、一日に1本しかない急行。電車のシートは秋田犬模様、壁には秋田犬の写真が飾られているわずか1両の電車。美しいアテンダントの女性が観光案内をしながら、お土産物も売り歩きます。

 さて、この内陸線もお客さんを呼ばなくてはならないので、窓から見える田んぼに「田んぼアート」というのが作ってあります。具体的にだれが企画して誰が制作にあたるのかはわかりませんが、窓から写真が撮れるように運転手さんは、徐行しながら写真を撮らせてくれます。

 まず、一番初めは

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 令和の文字と富士山が描かれていました。

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 次は、上桧木内の紙風船と秋田犬をデザインしたもの。こに地区では雪も降る2月に願い事や絵を描いた紙風船を上げる行事があるのだそうです。

 

 3枚目は、なまはげと秋田犬です。

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 なまはげは、ご存知の方がいらっしゃるでしょうが、男鹿半島の方の行事です。

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 と、思っていたら本物の秋田犬が飼い主と一緒に電車をずっと目で追っているのに気づきました。秋田犬は、むくむくとした姿が愛くるしいです。飼ったことはありませんが、秋田犬はとても好きです。もちろん手を振りました。

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 4枚目は、三日月と竿燈と秋田犬です。竿燈は、秋田の夏のお祭りですが、秋田犬が背中で竿を支えている格好です。本当にできるかどうかは別として健気です。

 宿泊先の最寄り駅「阿仁前田」までに4つの田んぼアートがありました。

 田んぼアートは初めて見たのですが、稲にも白、茶、こげ茶、きみどり色といろんな種類があることがわかりました。これが7月上旬ですから、今頃どんな絵になっているのか近くなら見に行ってみたいものだと思っています。

 続きはまた。

蝉も頑張ってます。

 関東の梅雨明けは、7月29日でしたでしょうか。

 それまでも蝉は地味に鳴き続けていました。「ジージージー」音のメリハリなく鳴いていたのが、ニイニイゼミ。一番早く鳴き出す蝉ですが、今年は、後に続く蝉がなかなか出てこなかったのでずーっと主役が続いていました。

 この辺では少ないヒグラシも鳴き出し、昼間はミンミンゼミとアブラゼミ、昨日はもはやツクツクボウシの鳴き声が聞こえました。蝉の夏も佳境に入っています。

 

 さて梅雨が明けた翌日の30日、朝早く目を覚まし外に出ると、草むらにエメラルドグリーンというのかコバルトグリーンというのか珍しい色が目に入りました。眼が悪い悪いという割に、こういう時は目敏いなと思います。よく見ると、蝉が脱皮し始めているところでした。これが5時半くらいです。

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 続けて観察してみようと思いましたが、根気がなくてまた30分後にやってくるとずいぶんと下の方まで殻を破って出てきていました。もう一息です。これが6時ごろです。

 

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 7時に来るともうすっかり脱皮は終わっていました。突然上向きになっているのでその過程を知りたいなと思いましたが、後の祭りです。まだ羽の付け根は美しいエメラルドグリーンです。折りたたまれた白い塊は見事に拡がってレースのようです。

 

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 羽が乾くまで1時間くらいかなと8時にまた出ていくと、あれれ、殻だけでもう姿が見えませんでした。あれは、たぶんミンミンゼミだろうと思うのですが、ちゃんと確かめないうちに姿を消してしまいました。またまた後の祭りでした。

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 人間の赤ちゃんもお母さんの産道を上手に出てこれなくて命を落とすことがあるようですが、この蝉は草にうまく捕まって無事脱皮できて本当によかったです。

 それにしても生まれたばかりの命は、なぜこんなにも美しいのでしょうか。




 

石巻・南三陸・気仙沼の旅 その5

この旅の最後です。

今年3月、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館を開設しました。気仙沼津波とその後の大規模火災で死者1152人(関連死も含め)、行方不明者214人とたくさんの人の命を失いました。震災から八年経ちました。人々の記憶から大震災のことが消え去られないよう、そして今回得た教訓を伝えていくことを目的にこの遺構と伝承館が建てられたようです。

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場所は、前回のハマナス大谷海岸の次のBRTの駅「陸前階上」から歩いて20分ほど。タクシーだと5分くらいのところです。私は地理がわからなくて回り道をしたために往きは40分くらい歩くことになってしまいました。駅からは徐々に下り、海へと近づいていきます。この「陸前階上」の駅もホームと跨線橋がそのまま残っています。

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漁港からほど近いところにある4階建ての建物が遺構となった「旧向洋高校」です。津波のことを考えたらこんなところに学校を建てるのかと思うような場所です。水産高校ということもあり便利なこともあったのだと思います。

(現在は、「陸前階上駅」よりさらに西側で国道の近くに新しい校舎が建っています。)

見えているのは北側にある校舎なので外から見た限りではひどい被害は見当たりません。工事中のようなところをグーンと迂回して右側へ行くと伝承館の入口がありました。

エントランスでチケットを購入(600円)。見学は、はじめに映像シアターで震災時、直後の映像を見ます。気分が悪くなった方は途中で退場することも可能だとアナウンスがありましたが、被害にあわれた方の中には実際の津波のことを思い出し私のように客観的には見られない方もおいでなのだと気づかされました。

その後、旧南校舎、屋上の見学と進みます。

今回は、ガイドさんがついてお話が聞けるということも知らずに行ったのですが、ちょうど20名くらいの団体さんがお願いしてあったのか、ガイドさんがいらしたのでそ方のお話を聞きながら一緒に回ることができたのでとてもラッキーでした。

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 1階の教室です。右側が南なので窓は壊れ、耐震装置の赤い鉄骨だけが見えています。

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3階の教室です。何で3階まで車が入ってくるのかと不思議な気がします。

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 これも3階の教室にあったウレタンの固まりのようなものです。ほかの教室にもこんなものがあって何だろうと思ったら、学校の南側には冷凍庫が設置された水産加工関連の建物があったようで、そこからたくさん流れ着いたものだそうです。

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これは、4階の西側の角のベランダ部分の壁です。南側から冷蔵庫のようなものが直撃して崩れたそうです。

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同じ場所を外から見たところです。崩れた部分が落ちてこないよう補強されています。

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4階の教室です。スチール製の整理棚です。4階は、そんなに高くまでは津波が入らなかったようですが、この棚の錆が示している通り、下から40cmくらいまで浸かったことがわかります。

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屋上から下を見降ろすと、天井のない体育館がありました。もう8年の月日が経っているわけですっかり野原となってしまっています。

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東側の海のそばに白い塔が建っていました。塔の高さは津波の高さを表わしているのだそうです。と言われても想像力が貧困で、いつも実感がわかないのです。

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高校の南側に見えた避難所の高台です。名前を忘れてしまいましたが、この地域の第一次避難所のようです。

 

ガイドさんから聞いた大震災時の津波の避難の具体的なお話

高校は、試験が終わり、部活動などで残っていた生徒は170名くらい。揺れが大きかったので津波が来ることを予想し、教員を重要書類の避難とまだ学校にいた生徒の避難担当と役割分担してことにあたったそうだ。

当初の情報では6,7mくらいの津波だということだったので、島のような第一次避難所へ避難。続いてもう少し高い津波(8m)という情報が入り、さらに学校から1㎞西側にあった地福寺というお寺に避難した。(下の写真がその寺)

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ところが、津波の高さは10mという情報が入る。そこで生徒たちをさらに1㎞西側にある階上駅に誘導することにした。(一番初めにあった写真の震災前の駅。)そこでもさらに住民の間でここでも危ないからとのことで、さらに「階上中学校」へと非難した。

向洋高校では、海の近くに建っているということで、普段から津波に対する危機意識があったという。教員の役割分担や最新の情報を基に避難の場所を的確に判断したことが誰一人命を落とすものがなかったということにつながったのではないだろうか。

最後にガイドの方は、津波の避難は遠くへ逃げても波と平行に移動するのでは意味がない。より高いところへ避難することが大事なこと。と繰り返しお話されたのが深く心に染みた。というのも石巻の「大川小学校」での記憶が離れないからだ。

 石巻気仙沼での遺構を訪ねたことで、遺構を残しておくことの重要性、その教訓を拡げていくことの大切さを知ることができました。人間は忘れる生き物です。被災地の記憶をどうやって繋いでその教訓を生かしていくかは今を生きる私たちに課せられた重要な課題ではないでしょうか。

 ボランティアガイドを務められている方々への感謝を胸にこの旅を終えました。

石巻・南三陸・気仙沼への旅 その4

旅の三日目28日は、南三陸からBRTで気仙沼へ向かいました。往きに通った大谷海岸の道の駅のところにハマナスの群生地という看板を見つけたのがきっかです。道の駅で聞いたところ看板は震災前のものなので今はどうなっているかわからないということでした。

よく知らないみたいなので自分で探そうと思って堤防が切れているところまで歩いて行きました。歩いているうちに歩道の横にちょっとした花壇がありピンクや白のハマナスの花が見つかりました。

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そばに立札が建っており、津波にも流されずに残ったハマナスに因み植栽したものだとわかりました。

津波に流されずに頑張りぬいたハマナスがあったということを知り大変感激しました。

 

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堤防の切れたところから海岸へ下りることができました。入口には「はまなす海洋館」というホテルが建っていました。ここも津波の被害を受けました。

線路が見えますが、東北線の小牛田から南三陸を経由して気仙沼まで走っていた気仙沼線の線路でした。今は、廃線となりすべてがBRTというバスに代わってしまいました。向こうの岬のトンネルを出ると目に飛び込む美しい海を眺めるお客さんの姿が見えるような気がしました。この季節には、ピンクや白のハマナスが彩りを添えていたにちがいありません。

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ホテルの前庭は、バラやユリなどを植えこんだ庭園として整備されていましたが、その花壇の向こうに野原となった場所がありました。

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草の中にところどころハマナスのピンクの花が見えるではありませんか。津波にも負けないで生き延びたのは、このハマナスだったのでしょう。杭とロープを使ってそれとなくハマナスを守っているような気がしました。

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そばへ行くと立札がありました。かつて八戸の種差海岸でもハマナスが咲いているのを見ましたが、茅ヶ崎とか三浦海岸では自然に生えているハマナスは見ることはありません。関東では同じような落葉低木としてよく見るのは「ハマゴウ」です。ちょうど今頃紫色の花を咲かせます。こうやって実際歩いてみると、ちょっとした気候の違いで植生が変わることがわかります。

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コンクリートでできた階段のすきまから「ハマヒルガオ」と「オカヒジキ」が生えています。海浜の植物の生命力には感心します。やがてこの砂浜はハマヒルガオのピンクの花に覆われるのではないでしょうか。

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海と車の通っている道路との間に立ちはだかっているのがこの盛り土です。

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防潮堤というのでしょうか。いわゆる堤防です。約10mの高さがあるのですぐそばを通る車からは海は一切見えません。

展望台のように高くなっているところへ上がってみることができました。完成イメージという図と照らし合わせて今やっている工事の全体がようやくつかめました。

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海と反対側です。やはり同じくらいの高さに盛り土がされていてまだ工事中です。

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はまなす海洋館」と反対の方角を見たところです。こちらにはまだ高い堤防がないのでこれからどんどん積み上げていくのではないかと思われます。海が見えない海岸が三陸海岸にはどんどん増えていきます。震災後7年が経ちましたが、大谷海岸についてはようやく全体像が見えてきたというところでしょうか。

堤防が高くなれば津波が防ぎきれるのでしょうか。国土強靭化とは、堤防を高くすることなのだろうかと思うのです。f:id:yporcini:20190628115553j:plain

霧雨がぽつぽつと降っているような状態でしたが、何とか次のBRTに間に合うように停留所へ戻ってこれました。ベンチには毛糸で作った座布団が敷いてありました。冬は直接座れば冷たいので地域の人が作ってくれたのだと思います。

ちょうど同じバスに乗ったご婦人がいらっしゃいました。私が「ハマナスを見にきたんだ」というと、その方は「私のうちは、海洋館と道を隔てたところにある花屋さんの裏だから今度来たら寄ってちょうだい。」とにこやかにお話されたので、驚いてしまいました。今あったばかりの見知らぬ人にそんな言葉をかけてくださるなんて・・・じんわりと温かい気持ちになりました。

これまでも東北へ来るとよくしてもらうことがよくありましたが、またまたお土産をもらってしまいました。

(続く)