アルチット村
ナガールのランチをいただいてから、午後はフンザへ戻りカリマバードの隣のアルチット村へ出かけた。
上の写真の右端の真ん中辺りにちょっとした建物が見えると思うが、それがアルチット城。
アルチット村には、アルチット城の下に400年前に建てられたという家が残っている。
ドアとか窓枠とか必要に応じて新しくしている部分はあるが、基本は400年前のままのようだ。この辺りに地震が頻繁にあるのかどうなのか分からないが、よく400年の間倒壊しなかったと思うくらい無防備な感じの家だ。
この住宅の左上にあたるところにアルチット城がある。
400年前の家
アルチット城
城は、大きな岩の上に建てられている。
建物の右端の一番上に載っているのは、アイベックス(野生の大きな角を持つヤギ)。 アイベックスは、この辺りのシンボルだったのだろう。
残念ながら、城の中は、修復中なので入って見ることはできなかった。
城の左側はフンザ川の深い谷で、罪人を城から突き落としたそうだ。
入り口の広場に伝統の刺繍を施した帽子を被った年配の女性が集まっておしゃべりをしていた。
この国で男の人が集まっておしゃべいりをしている姿は珍しくもないが女性のそういった姿はなかなか見られない。
観光客が訪れるところなので、写真を撮ることにも寛大だ。普通年配の女性は嫌がるケースが多い。若い女性は、反対側でフンザ刺繍の作品に糸を通しながら、作品を並べて売っていた。現金収入の機会になるのだろう。
夕食とフンザダンス
夜は、ホテルの大広間での夕食とフンザダンスで盛り上がった。
フンザ料理
世界三大長寿の里の食べ物から2つを紹介。
ダウド
手打ちうどん、野菜、マトンをやわらかく煮込んだスープ。マイルドで食べやすい料理。
パルエ・ギャリング
そばのクレープ。とてもあっさりとした食感の料理。
下の写真の天井の明かり取りは、ラテルネンデッケという幾何学模様で、この辺り独特のものである。このホテルの2階のベランダの鉄の柵もこれと似たようなデザインだった気がした。
フンザダンスは、男性しか踊らない。
そもそもの起源は、戦いに行く前に自分の勇気を王様にアピールするためのものだったからだろう。
写真の踊り手は、フンザダンスの名手だそうだ。
両手に剣を持って踊るダンスで、剣をすごい速さで回転させるので、周りにいる人は飛んでくるのではないかとちょっと怖いが、さすが名手だけあってそんなことは起こらなかった。(フラッシュをたいていなかったので、このひどいボケ写真ですみません)
楽器は、ダーダンという大太鼓、ダーマルという二つついた小太鼓、スルマイという笛、4人の演奏だった。
今では、戦いに出かけることもないので、ダンスはお祭りの時などに披露されるようだが、それぞれの家独特のダンスが今も受け継がれ、決まった形はないようだ。
盛り上がるにつれ、ホテルの従業員やガイドさんなど現地の人が次々に踊りだす。個性あるダンスで、みんなすごくうまい!
そのうち添乗員さん、そして私たちも一緒に輪になって踊った。
リズムが分かればステップを踏みながら手を動かし、時には回転して変化をつければいいので、息が切れるがとっても楽しい。
イスマイル派のイスラムの戒律では、アルコールを許容しているので、この日は、旅行社が土地の自家製だというクワの蒸留酒とぶどう酒を味見程度に振舞ってくれた。クワ酒は40度くらいで私などは飲めないが、ぶどう酒は、甘くジュースのようだ。
500mlのペットボトル1本分で1000ルピー(1000円)とこの辺りのほかの飲み物とは比べ物にならないくらい高いので、現地の人は飲むことがないような気がする。
観光客向けに缶ビールも売っているが、500ml缶が800円くらいする。マリービールという名のそのビールは、パキスタンのラホール辺りで作られているというのも不思議な話である。
ほかの宗派では、アルコールは許容されていないはずだからだ。
アルコールなしでもこの盛り上がり方はなんだろうと思うくらい興奮状態になる。インドネシアのケチャダンスなどと通じるところがあるのだろうか。
踊り手がうまいと思った人は、踊り手の帽子の周りのところにお札を挟み込む。そのご祝儀は、踊り終わると演奏している人たちに渡される。
区切らなければいつまでも踊りは続いただろうと思うくらい盛り上がった。
みな立ち去りがたい気持ちで、宴会を終えた。