4月に2度下見をして計画を練った浦賀散策の本番が昨日でした。学生時代の女子?7人が担当を交代しながら半年に一度散策プラス食事会を開くようになってもう7年くらい経つでしょうか。
今回は、私が当番でしたので「浦賀」を選びました。去年一人で浦賀へやってきた時に歴史に名を刻むわりに人があまり来ないところなので、歴史好きの友人たちには喜んでもらえるような気がしたのです。
都内のあちこちから2時間くらいかけてくるので、あまり早くてもたいへんかなと思って10時半浦賀駅の改札口に集まることにしましたが、全員定刻前に到着です。
コース
浦賀駅➡造船所跡➡浦賀文化センター分館➡西叶神社➡常福寺➡干鰯問屋だった町家
➡渡し船➡東叶神社➡浦賀城跡➡バスで観音崎を経由して伊勢町➡「カネヨ食
堂」➡馬堀海岸駅
先週から天気予報は曇り、雨が降らないだけいいかと思っていたのですが、絶好の散歩日和。山の緑は鮮やか、海の色は青く輝いていました。
浦賀造船所跡
造船所跡地にはイベントがある時だけしか中へ入ることはできないそうです。
駅から浦賀の湾の右側を10分ほど歩くと「浦賀コミュニティセンター分館(郷土資料館)」へ到着します。1階の事務所に声をかけ「歴史のまち・浦賀」などのコピー資料をもらいました。
2階には奉行所など今はもう姿を見ることができない建物の模型などが展示されていて浦賀を歩く前にアウトラインを知るのに便利なところです。
西叶神社
文覚上人が源氏の再興を祈願してその願いが叶えられたことに起源をもつ神社です。
見事な彫刻があらゆるところに施されています。
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この力士像は、浦賀の文化財として有名なものだそうです。これまで自分では見つけられなかったのですが、昨日は友人が見つけてくれました。このようなところに使われている力士像を見たのは初めてです。小さな作品ですが、あたかも彼が屋根を持ち上げているようでこの力士像が一番気に入りました。
先週の初めにNHKのテレビ番組「鶴瓶の家族に乾杯」でゲストの松坂桃李さんが浦賀を歩いたのだそうです。前もってシュミレーションができていたという友人がいて、ここでお守りの勾玉の石を買い、東叶神社で勾玉を入れる袋を買うのだと張り切っていました。若い人は、恋の成就を祈るそうですが、彼女は、ぽっくり死ねますようにと祈願したと後から聞きました。そんなことを願うような年になったのだなあ・・としみじみしてしまいました。
この常福寺は、浦賀に着任した奉行も離任していく奉行も公式行事を行う奉行所御用寺だったそうです。この浦賀では格式のある寺だったということなのでしょう。庫裏の中に「築山泉水庭」があるというので、庭を見せてもらえるよう電話でお願いしておきました。
すぐ南側に借景とする愛宕山が迫っているせいか奥行きがない分縦を意識した木々の配置が見事だなと思いました。「サツキがまだ咲いていないので今の庭は華やかさがない。」と住職が言っておられましたが、左側の流れに紫と白のアヤメが咲いていましたし、これから初夏に向かって蓮やギボウシも花開くと彩りのあるお庭になるだろうと想像できました。突然行っても見せてくれないという特別感もあって友人たちも喜んでくれました。
干鰯問屋だった建物
関西で綿花を栽培するようになり、肥料として干鰯を大量に扱う浦賀が栄えたといわれています。浦賀には最盛期には30軒くらいの干鰯問屋があり、全国の干鰯を独占するくらいの勢いだったといいます。
今は、まったくそんな商いをしているうちはありませんが、面影を残す家や蔵を見つけることができます。
対岸へ行くためには、歩くと30分弱かかるのではないかと思うのでこの渡し船を利用します。渡し船に乗りたいときは、押しボタンを押すと対岸にいても、たとえ一人でも船は迎えに来てくれます。ただし12時から13時の間は昼休みのため乗ることはできません。料金は以前は150円だったのですが、今年は200円になっていました。御座舟と言われるスタイルの船だそうです。
昔は、この地域の人の生活に欠くことがことができない船で船二艘に船頭さんも二人だったようですが、今は一人です。だんだん乗る人が少なくなり、昼間に乗るのはたいてい観光客という様子が見てとれます。
この船は「浦賀海道」と名付けられ、横須賀市道2073号となっているそうです。海の中の道なんですね。
東叶神社
船着場から南へ5分くらい歩くと東叶神社へ着きます。この写真は、4月に撮ったものです。こちらも西叶神社と同じような言い伝えがあるそうです。
向かって左側に山へ登って行く階段があります。神社の裏山は、かつては房総半島の里見氏と対峙していた時の北条氏が築城した浦賀城の跡地です。200段を越える階段なので5人だけは頑張って上りましが、2人には途中で待っていてもらいました。私もここは初めてです。うっそうとした自然林に囲まれた頂上は、一人ではちょっと怖い感じがします。
城跡には、かつては奥宮があったそうですが、火事で焼失。小さな祠だけがありました。
ここで、咸臨丸に乗って出港する前の勝海舟が下の井戸水で水垢離をして、この山の頂上で断食をしたといわれています。その碑が建っていました。
南側にベンチがあり海をながめられるようになったところがありました。木を払って展望台にしたのでしょう。右側の岩場の手間の緑に囲まれたところに小さな家のようなものが見えますが、燈明堂だと思われます。燈明堂は幕府の命令で作られ、その灯りは房総半島まで届いたといいます。今見えるものは、1988年に復元したものだそうです。
お守り袋も無事手に入れ、予定より20分ほど早いバスに乗車して、観音崎へ向かいました。
観音崎は、ちょうどハマダイコンが花盛り、ツバメがすごいスピードで目の前を飛び交っていました。(4月の写真です)
ここからさらに横須賀行きのバスに乗り、途中の伊勢町というバス停で下りました。
「かねよ食堂」
バス道路から海の方へ下りていくと昆布やワカメなどを加工して売っているお店が並んでいます。その一番奥にこの「かねよ食堂」があります。
予約ができないので、空いているといいなと思っていたのですが、大丈夫でした。天気が良く中より外の方が風があって涼しそうでしたので、砂浜にパラソルを立てた野外で食べました。
目の前は海です。浦賀水道ですから、次から次へと船が行き交います。ちょうど自衛隊の艦船だと思われる船が航行中。久里浜と金谷を結ぶフェリーも通ります。
海の中には、アマモがびっしり生えているのも見ましたし、波打ち際では潮干狩りもできるようで、このあたりはとっても豊かな海だと思いました。
ランチは、4種類あって私はタイカレー、他の6人はマグロと野菜のラタトゥイユ風のもの、それにお薦めのカルパッチョを二皿取って、みんなでシェアしました。ランチメニューには、カボチャのポタージュ、それにデザートのほうじ茶プリンが付きました。
この食堂のオーナーは、漁師さんなので、魚や海藻はほとんどは自前というもの。新鮮でおいしいです。
下のカルパッチョは、4月に下見で来た時の物。ナマコの酢の物、タコとワカメ クロダイ、海草のアカモク、ソゲ(1㎏以下のヒラメのこと)、三崎のマグロ二種、真ん中がヒラメの白子、ふだんなかなか出会えないものもでてきました。
砂浜での食事は気持ちが解放されるのか、一滴も飲みはしないのに口も軽く、結構大きな声でおしゃべりもできて良かったなと思いました。
自分自身体のあちこちに不調が出てきているので、あと何回こんなことができるかなあと思いながらの計画でしたが、とりあえず今回もみな無事で集まれたことに感謝したいと思いました。