名取から仙台へ出て、仙台から新幹線でくりこま高原へ移動。
この日の宿泊はウエットランド交流館、泊り客は私一人でした。
今年も9月12日にはマガン、10月11日にはコハクチョウが伊豆沼へ飛来したとの情報をもらい、サンクチュアリセンターが主催する観察会に合わせてやってきました。ここ5年くらい続けてきているので、宿舎の方にも覚えてもらっていますし、観察会も3回目なので、サンクチュアリセンターの職員の方にも気安く声をかけてもらって有り難いなと思っています。
日の出前の沼は、何かが始まる前の静けさに包まれています。
そろそろマガンたちの声も聞こえてくるし、小さな羽ばたきも始まっているのですが、まだ動きがありません。
やがて声が高まりそろそろかと思う頃、沼の奥、東側の群れが飛び立ちました。それに呼応して手前の群れも飛び立つかと思いきや、なぜかまだ腰が上がりません。
その後も奥の方の飛び立ちがありましたが、この日は一挙に飛び立つことはありませんでした。
下の写真は次の日の朝のようすです。
この日もやはり一気にとはいきませんでしたが、前の日に比べるとほとんど一斉に飛び上がって西の方をめざして飛んでいきました。
天候の具合でいろんなパターンがあるようで、研究員の方に聞いてもわからないとおっしゃっていました。
この時期、マガンは10万羽くらいここへねぐらを求めてきていたようです。
私が来る日は、いつも天気がよくって飛び立ちが見られるのは本当に幸せなことですが、たまには雨や雪の日にと思ったりしますが、風当たりも強く寒くていけません。
1月に入って寒波がここにもやってきて、沼面が凍ったみたいで真ん中あたりの氷がないところに集まって凌いだようです。
ふだんは凍らない沼なので鳥たちは大挙して飛来するのですが、寒波には勝てません。しばらくどこか違う場所を見つけて移動していたのだと思います。
雪が降ると、田んぼも雪で覆われて落穂ひろいもままならずきっと大変な日々を過ごしたのではないかと心配しておりました。
草紅葉や一面に生えていた蓮が枯れ不思議な形を見せるところが伊豆沼の秋の光景です。
観察会で伊豆沼のほかに蕪栗沼と化女沼へ行ってきました。
上の写真は、蕪栗沼のものです。蕪栗沼でもマガンは、朝飛び立ってしまいますが、ハクチョウとヒシクイは昼間の時間残っているです。
ヒシクイの色や形は、マガンとよく似ています。ヒシの実が好物なので、ヒシの実を主に食べているので田んぼへ飛んでいかなくても間に合っているのです。ハクチョウもマコモとかヒシとかハスがあれば飛んでいかなくてもいいのです。
ここでは観察会に来るたびにヘラサギに逢います。
5年前初めて来たときにヘラサギがくるのは珍しいと言われましたが、私が来る度にいるので、あのヘラサギはここを覚えていて毎年やってきているのではないかと思っています。しかもたった1羽で。
鳥って、なんだかとっても不思議です。
私の住んでいる団地の庭に毎年ツグミが渡ってきているのを見かけます。それもたった1羽。同じ個体かどうかはわかりませんが、鳥には位置を知る特別な能力があるというので、きっと同じ個体がやってきているのではないかと思っています。
この日は、一関を経由して気仙沼へ行くことにしていました。
新幹線で一関へ行けば一駅であっという間だけれど、たまには在来線の東北線に乗って一関へ行こうと、タクシーを呼んでもらって伊豆沼の東の端に位置する新田駅まで来ました。車で10分くらいでつきます。
この駅は、無人駅です。
まわりは田んぼです。赤い建物の周辺に見える白いものは、
大きくするとハクチョウでした。こうやって朝から田んぼへやってきて落穂を食べるハクチョウもたくさんいます。
一関まで5つある駅のうち有人駅は2つ、あとはやっぱり無人の駅でした。
一関で大船渡線に乗り換えです。この線は、ドラゴンレールと呼ばれています。
線路がくねくねと曲がりくねっているからのようですが、鉄道を引くときの地元の思惑が絡んでいたようで「我伝引鉄」と言われているそうです。今は、大船渡までは線路がないので、気仙沼まで行くと後は、BRTのバスに乗り換えます。
気仙沼は今回で4回目ですが、いつも泊まるわけではないので、さわりだけでゆっくりとしたことがありません。
今回は、来る前に山の上にある「鼎斉吉(かなえさいきち)」というお店を見つけていたので、そこへ行ってお昼を食べることにしました。
着いたのが早くてまだだれも入っていなかったので、若い店員さんにお薦めを聞いて決めたのが、海鮮丼です。お魚がどれも新鮮で美味しいのは言うまでもありませんが、カブの漬物が美味しかったのに驚きました。
漬物のような小さなものにも気を抜かないお店が好きです。
この海鮮丼は、普通に半分ほど食べたら、残ったものにポットの出汁をかけて出汁茶漬けにして食べるといいと勧められたので、そうしてみました。
木間から港が見え隠れしています。
気仙沼の内湾は、鼎浦(かなえうら)と呼ばれているようで、このお店の名前もそこからとってつけたのだと思います。
震災時さんまを煮るかえしの鍋のみ避難させることができたのだそうですが、津波で工場や自宅を流されゼロからの出発だったそうです。今では、豊かな水産資源を使った料理を通販したり、東京のデパートへ出張したり、軌道に乗っているのを見聞きして一度行ってみたいと思っていたお店でした。
(つづく)