晩秋の宮城1(名取市閖上浜)

 昨日の晩は、本当にびっくりしました。ちょうどお風呂から出て着替えている最中で部屋の方でガタガタという音が聞こえてきました。何だろうと思って慌てて覗くと、開いていたドアや灯りが揺れていました。横浜でも震度4くらいの揺れだったので、10年前の3.11を思い出しました。

 すぐに頭に浮かんだのは、11月初めに訪れた宮城県名取市閖上浜(ゆりあげはま)の光景でした。大震災から10年目を迎える東北の人たちはさぞ怖い思いをされただろうと思っています。

 そんな時に旅の話なぞ申し訳ないようですが、一応私の記録として書いておきたいと思っています。

 宮城県の仙台以北へはしょっちゅう出かけていますが、今回訪れた名取にはまだ行ったことがありませんでした。

 昨年は活動が停止していた茅ヶ崎ハマボウフウなどを植える活動の代表の方が名取の閖上浜の方とも交流している話はよく聞いていましたので、一度その閖上浜に脚を運びたいと思っていました。

 もう一つは、閖上浜にあるみちのくトレイルセンターにも行ってみようと思っていました。

 2年前の冬、南三陸のビジターセンターで陸前高田海浜植物の現状の報告会があった時に、偶然泊まった民宿でみちのくトレイルの事務局長さんにお会いして名刺を頂いていたのです。

 名取へは仙台から常磐線に乗り換えて南下するのですが、名取の駅からはバスに乗らないといけない距離なので、そのバスとの接続が難しくて、青森へ行くのとそう変わりない時間にうちを出ました。

 待ち時間の間、バスの運転手さんが閖上浜のようす、帰りのバスの時間や停留所の位置など親切に教えて下さいました。

 駅から海の方へ向かってほぼまっすぐに進むのですが、駅周辺を抜けると田んぼや畑がずっと拡がっているだけです。冬枯れの田んぼの間にところどころ鮮やかな緑が続いているところがありました。よく見るとセリの畑です。

 後で知ったことですが、この辺りは、伏流水を使ってセリの栽培が盛んなんだそうです。白い根を食べるので水がきれいなところでしか作れません。暮れに気をつけてみていたらうちの近所のスーパーにも仙台ゼリと印刷されたシールをつけたものを見つけました。

 

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 バスは、トレイルセンターの玄関わきに停まりました。みちのくトレイルは、北は八戸の種差海岸から南は福島の南相馬まで約1000キロメールの長いトレイルコースです。

 東日本大震災の国の復興事業の一つで環境省の肝いりの事業のようです。関心がある方は、ホームページをのぞいてみてください。

 若ければトレイルをくまなく歩いてみたいと思いますが、もうすべてを歩くことは無理なので、このコースの中で景色がよくてキャンプしなくても済むコースを選んで歩きたいと思っています。

 

 今回は、この旅で歩こうと思っている唐桑半島についての資料をもらい、話を聞いてきました。外国の方も多いらしく英語担当のアメリカ人の女性も(日本語もぺラぺラです)相談コーナーを担当していました。

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 ちょうど前に見えるのは、漁港ではなくて、広浦という運河のようなところです。

 対岸に見えるのが去年できたばかりのサイクルセンターと日帰り入浴の温泉と食堂。   近くを通るとずいぶんとお客さんが来ていてにぎわっていました。

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 お昼は、カナダの援助で建てられたメイプル館が近所にあったので、そこで食べました。石巻に行った時にも、やはりカナダが作ったコミニティーハウスがあったので、カナダはそういう援助の仕方をしていたんだなと改めて思いました。

 私は本当はここの名物の赤貝を食べたかったのですが、今は貝毒の値が高くて手に入らないのだと聞いて、この時期の名物「はらこ飯」を勧められたので、はらこ飯としらす丼のセットを食べました。

 はらこ飯は、味の付いた鮭とその上にイクラをのせたもの。

 しらす丼は、閖上が北限だというなましらすと釜揚げしらすそれにマグロの中落ちとエビがおまけについている。

 どちらも美味しく、すごく得をした気分でした。

 早速はらこ飯のつくり方を聞くと、鮭を醤油とみりんで味付けし、その出汁を入れてご飯を炊くといいと教えてもらいました。うちへ帰ってから作ってみました。郷土料理をまた一つ学びました。

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 広浦にかかる橋を渡ったところにこの看板があり、松の苗木がたくさん植えられているところがありました。昔は、ここに松原があったに違いありません。

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 震災以前にも堤防はあったのかどうかはわかりませんが、新しくりっぱな堤防ができていました。

 今は堤防に登らない限り、海が見えません。

 

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 階段を上った先にようやく閖上浜が見えました。閖上浜は、三陸リアス式海岸と違って平らな広い浜辺なので、津波とすぐに結びつかない気がしますが、10年前の震災ではここは高い土地もないのでそのままずっと奥まで波が押し寄せ被害も大きかったのだろうと思いました。

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 一つ残らず波がさらっていったはずなのに、植えたものなのか自然に出てきたものか今回は誰かに聞く術がありませんでしたが、左のハマボウフウ、右のハマヒルガオも元気に復活していました。こんな小さな植物でも減災につながると言われているので、頑張れーと声をかけたくなります。

 

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 広浦の橋を渡り、震災メモリアル公園といわれる一角まできました。944名の死者行方不明者の慰霊碑です。

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 この慰霊碑は、8mを越える高さの津波が押し寄せたその高さを表わしているそうです。冷静にその高さを見ると実際にそこに居合わせた人にとっては恐怖しかなかったと思います。

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 そのお隣に神社がありました。日和山です。

 海の仕事を生業にしている地域には必ず海を見渡せる小高い山があり、そのどれもが日和山と呼ばれていますが、津波はこの日和山よりも2mも高かったそうです。神社の建物も流され、現在あるものは、仮の物だそうです。見渡す限り平らな土地を津波は容赦なく嘗め尽くしたのだろうとここへ上がってくるとそれが想像できます。

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 震災公園から東の方には、名取川の河口があります。ここからも津波は遡ってきたのだろうと思われますが、今は堤防ができていて、左の方へ行くと「かわまちテラス」という、飲食店や土産物店などが集まっている新しい建物があり、右に行くと「名取震災復興伝承館」があります。今回は時間もなくて行かれませんでしたが、次回は忘れず見学するつもりです。

 名取川は、私の卒業した高校の校歌の歌詞の中にも出てくるのですが、今回初めてその川の姿を意識して眺めました。

 

 (つづく)