唐桑半島というのは、気仙沼湾に浮かぶ大島を挟んで太平洋側に面したリアス式海岸の半島です。
そもそも唐桑半島に来たのは、仙台の高校の1年先輩の人によく薦められていたところだったからです。「景色もいいし、人も親切!」と絶賛するのです。ただそれも友人が高校生の時に部活で来たときの感想なので、もう50年以上前のことなんですが・・・風光明媚なところなので、韓国由来の「オルレ」のコースもあるし、みちのくトレイルのコースもできている歩く人にはとっても恵まれたところなんです。
唐桑半島へ向かうバスは、一日8本、それも朝夕は1時間に1本あるけれども昼間は2時間に1本となります。今まで何回か気仙沼へきましたが、バスの本数が少ないために結局行くことができませんでした。
どの民宿に泊まろうかと観光協会が出している地図を見ながら、半島の付け根に近くバス道路から近いところということで、電話で確かめて高石浜の「はまなす」に決めました。名前も花の名前で私には憶えやすかったし。民宿のチェックインに合わせて14時34分のバスで向かいました。
荷物を置いてから、海の方へ下りていくと小さな港がありました。ここが高石浜。
もう日が暮れかけ、夕焼けが始まっていました。ここだけとっても景勝地です。この一瞬の夕暮れを切り取ろうと1時間余りスケッチブックを開いていたら体がすっかり冷えてきたので、風邪を引かないうちにと戻りました。
お楽しみの夕食です。いろいろ少しずつというシニア用に設定されたもので、質も量もちょうどよかったです。
他にはだれもいないので「私だけなんですか?」と尋ねると、「コロナ禍ですから、一組しか取らないようにしています。」とのこと。お互いにその方がいいには違いないのでしょうが、一人のために手間をかけてもらっているようでなんだか申し訳なくなりました。
左のお刺身は、「そい」 右のはマグロの卵の煮つけです。
マグロの卵を初めて見ました。
翌日の朝、やっぱり日の出を浜まで見に行きました。下の方は雲が覆っていましたが、天気は良さそうです。朝はやっぱり冷え込んでいました。
港の右の方の風景です。岩礁地帯なのでどこをとってもいい景色です。
左は名残りのハマギク。三陸海岸では、9月から10月に咲く花です。
右は名残りのヤクシソウ。花期は11月くらいまで
本日の予定は、半島の突端の御﨑までのハイキング。
お昼は作ってもらえないので、バス停の一つ先にあるコンビニ以外には調達できるところがないと言われていたのでおにぎりと行動食の黒飴を買って進みました。絵地図に目安の時間は書いてあっても脚が衰えているので時間通りにはいかないだろうし、歩けなくなったらとか不安を抱えながらのハイクでした。
車が通れる道でしたが、アップダウンが結構あります。ここは、下ってきたところです。唐桑半島は、港に面した低いところには民家が集まっているところが少ないのですが(歩いてみてわかったこと)、ここは低くなっているところなので津波の被害に遭ったところなのでしょう。宮城県の大学生が募金を集めて三陸の数か所にこれと同じような石碑を立てる運動をしたそうです。
広い自動車道から右へ折れる上り坂を歩いてきました。柿の橙色の実の向こうに太平洋の海が見えました。この道は山もあり海もありで変化にとんだ景色が見られて気持ちがいいです。この道をいっていいのかどうか道しるべもなかったので、道沿いのお宅の庭にいらしたご婦人に話しかけました。
登ってくる前の低地のことをお聞きすると、やっぱり津波に襲われたところで甚大な被害があったそうです。「どこから来たの?」と聞かれひとしきり話をしました。この道を行けば、下の広い道と合流するので心配ないと言われてほっとしました。途中にバス停があったので、ここはバスが通る生活道路なんだと気が付きました。
たぶんマユミのピンクの実、しばらく散歩もしていなかったのでまじまじと見るのは今秋初めてでした。
草紅葉の間に晩秋を感じさせるコスモスが数輪陽だまりに咲いていました。狭いバス道路が広い道路と合流したところが、観光地として有名な「巨釜・半造」の入口でした。バス道路から海の方へ20分くらい歩くと公園領域に入ります。
11月はオフシーズン、特に昨年は観光バスなど来るはずもなく、駐車場はガラガラ、観光客はいませんが、お一人ウオーキングをしていると見受けられるご婦人が同じ歩道を歩いておられたので、「私は膝が悪いので、先にどうぞ。」と声をかけたら、「私も膝が悪いのでゆっくりしか歩けませんから。」とおっしゃるので、「じゃあ、ご一緒に。」と言いながらその方のペースに合わせ一緒に歩きました。
「折石」は、一応16m位の高さがある大理石だそうです。明治の地震で上部が折れるまではもっと高かったので「天柱石」と呼ばれていたとか
前のめりになって覗いても、ポスターにあるような写真を撮るのは無理そうなのでこれくらいでいいことにしました。
途中ひび割れたところがあるので、今度大きな津波が来たら、また折れて今度はなんていう名前が付くのだろうと思ったりしました。
その女性は、私より少し年が若い方でしたが、「友だちもあまりいないので、一緒に歩く人がいないんです。ご主人が近くで畑仕事をしている間ちょっと歩こうと思って来たのです。」とのこと。
ご婦人の幼い日のこと、都会に出て暮らしたことがないこと、この地域の案内ボランティアだった時のことなど、いろんなことを教えてもらいました。
初めてお会いしたとは思えないほど語り合い、小一時間散策した後、バス通りまで戻りました。
ちょっと気持ちが沈んでいらしたみたいなので、久しぶりで思う存分しゃべって楽しかったようでした。
その方は、少し先の「小鯖」というところにお住まいだということがわかりましたが、私は「御埼」まで歩かなくてはならないので、ちょっと別れがたい気持ちを残しながら先へ進みました。
オルレは、人が住んでいる里もルートに入っているので、単に風景を愛でるだけとは別の交流が生まれるのがいいところだと思います。お名前も住所もお聞きしてはいませんが、今度あの辺りを通ってまたお会いできたらいいなと旅の忘れられない思い出になっています。
(つづく)