旧東海道を歩く(保土ヶ谷宿から戸塚宿へ)・・・その4

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 境木のお地蔵様にお参りしてから、近所のご婦人が案内してくれたので、「旧萩原家代官屋敷・道場跡」へ行ってみました。車が通れないような狭い坂を下りて行くと、両側を竹やぶに囲まれたうっそうとした旧萩原家に辿り着きます。

 萩原家は、ここを治める杉浦家の代官を務め、しかも剣道の達人だったようで道場でもありました。たくさんの剣客が訪れたとか。その中には、新撰組の近藤 勇もいたそうです。

 今は、この門と板塀に面影があるだけで、屋敷は新しい家なので公開されているわけではありません。

 周りは、山がすべて住宅となっていてこの一角だけがかつて地蔵尊がにぎわった頃を想像させてくれます。

 また坂を上って、旧東海道の坂へ入りました。この坂は、「焼餅坂」といいます。よほどこの地蔵尊の周りには茶店があったようで、お餅を焼く匂いが漂っていたのでしょう。名前の由来だということです。この坂を下りてしばらく歩くと「品濃の一里塚」が右手にあります。

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 公園の一隅にこんもりとした盛り土(塚)の上に木が植わっています。かつては大きなエノキが植えられていたそうです。こういうのが本来の一里塚の姿だそうです。この一里塚で江戸からの距離を確かめ、影を作ってくれる木の下で、しばし休んで英気を養うのだそうです。

 一里塚は、道の両側に作ってあるそうですが、左側の平戸の一里塚は分かりませんでした。

 この辺りで、往時の一里塚を残しているのは、ここだけだそうです。

 ここから国道一号線へ出て、戸塚宿へと向かいます。、小高い尾根ですので、西側にドドーンと富士の姿が見えます。今日はなんだか空気がぼんやりしていて、私のデジカメじゃはっきり撮れませんでしたが、頭に傘のような雲をのせた富士山が見えました。今回は、ここで終了です。うちから往きも帰りもバスを使わないで、歩きとおしたので、歩数は17000歩、時間は3時間結構疲れました。