お朔日(おついたち)のお鮓2

弥生「政子の井戸」

 自分でも新し物好きだと思いますが、毎月いつもはお店に出ていないお鮓がいただけるというので、1日がとても楽しみになりました。3月お朔日のごん太鮓は、「政子の井戸」という名のおすしです。f:id:yporcini:20130301160245j:plain

 今月の熨斗紙の絵は、カタクリ。待ち望む春に思いをはせながら箱をあけました。

 大きな油揚げを井戸に見立て、しいたけ、にんじん、れんこん、かんぴょう、高野豆腐、錦糸玉子、さやえんどう、えび、それに栗ものっています。ごん太さんがどんなイメージで作ったのかなと想像しながら食べるのは楽しいです。

 政子というのは、北条政子のことです。このお店のちょっと手前に「いわな(石名坂)(石難坂)」という急な坂がありますが、そこは旧東海道の金沢横町から分かれ、鎌倉方面へ行く金沢道と呼ばれる街道でした。こんな坂も長い道も昔は健脚でないととても旅はできません。政子さんは、どんないきさつがあってここを通ったのでしょうか・・・・

 坂の途中に「政子の井戸」と呼ばれる井戸があります。そこで、政子さんが顔を洗い化粧をしたという話が伝わっているようです。

 「御所台(政子)の井戸」

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 江戸時代に保土ヶ谷宿の本陣で休息を取られた将軍にこの井戸の水を汲んでお持ちしたとの話もあるので、このあたりではいいお水が出る井戸だったのでしょう。

 坂をさらに上っていくと、清風学園という私立の高校の建物があります。この日は、ちょうど卒業式だったようで、この坂を花束を持った先生や、着飾った親御さんや、たくさんの高校生がこの坂を下ってきて何か華やいだ雰囲気を感じました

北向地蔵

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 坂を上りきった辻に「北向地蔵」が北の方を向き高い石の柱の上に座って居られました。享保年間に金沢街道を通る旅人の安全を祈願し作られたとのことです。「これより右、くめう寺(弘明寺)これより左、金沢みち」との標識もあったそうです。

 政子が歩いただろう金沢道をしばらく辿って進みましたが、途中清水丘公園にぶつかったので、道を右にとり、井土ヶ谷方面へ向かう坂を下りていきました。この辺りは、坂の斜面に家がたくさん建っているので、階段で上り下りするところも珍しくありませんが、こんな階段を見つけました。

 「師走」から始まって一番下へたどり着くまでに花札と同じような絵のついた月タイルがはめ込んであるのです。一番下は「睦月」で日の出と松の絵が描かれたタイルがはめ込んでありました。

 3つ目のタイル「弥生」

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 毎日上がっていく人は、さほど感激もないのでしょうが、かなり上りが大変なので、この絵を見ると「弥生か、まだまだだな。」とか「神無月、あともう少し。」などと独り言をいいながら歩いていくのじゃないかと想像しながらちょっと楽しんで通りました。

 目にも弥生、舌でも弥生、。春一番が吹く道を梅の白い花吹雪を道ずれに、15000歩の散歩でした。