滝尻王子
熊野古道は、主な道として田辺から紀伊半島の南端を大きく廻る「大辺路(おおへち)」、高野山から山伝いに歩く「小辺路(こへち)」、それに今回私が歩いた「中辺路(なかへち)」が京都や大阪からお参りする参詣道となっています。
そのほか東の方からくる人には、伊勢を通ってくる「伊勢路」もありました。
平安時代から京の上皇や法皇も参詣していた道ですから、この田辺にやってくるまでに随分と長い道のりを歩いて来なくてはならないわけです。
そこで、難行苦行の信仰をつなぐために九十九の熊野権現の御子神を祀る分社を配置したといわれています。
それが、王子社と呼ばれているものです。
はっきりと九十九あったかどうかは、わからないそうですが、たくさんという意味合いで九十九と名前をつけたようです。
最後の百個目は、熊野三山ではないでしょうか。
街の中を通過する古道は、よくわからなくなっているところも多いですが、
今回途中で会ってお話した方は、天王寺から古道を探しながらここまで歩いてきたと言っていましたから、古人の足跡を辿ることは可能です。
この写真の滝尻王子社は、田辺からバスで40分くらいのところで、ここからは熊野の霊域に入るといわれているところです。
王子社の中でも、5つが特に格式が高いといわれていて、滝尻はその一つです。
この日ここで降りたのは、日本人の男性が二人、外人の男性が一人、それに私の四人だけでした。
「ちゃんと最後まで歩けますように!」
と、お祈りしてから歩きはじめました。
境内の左側を入っていくと登山道になっています。
崩れたような石段とぼこぼこした木の根の道で
初めから息が上がり苦しいです。
写真は、「産み岩」。
こちらから岩の向こうへくぐる胎内くぐりをすると安産祈願になるそうです。
私には、関係なさそうなので、くぐりませんでした。
「乳岩」。
岩の下に空間ができており、入口を小さなお地蔵さんが守っているかのようです。
この岩から滴り落ちる乳で、生まれたばかりの赤ちゃんが死なずに済んだという言い伝えがあるそうです。
岩の途中が白くなっているのが乳なんでしょうか。
不寝王子(ねずのおうじ)
王子社があったかどうかは定かではないそうですが、
寝ないで、山賊の番をしたという説もあるそうです。
この辺りで、雲の間から陽が射してきて
林が明るくなってきました。
道もだいぶ広く、傾斜がゆるやかになり、
登りは楽になってきましたが、
まだまだ登りは続きます。
ようやくこの山の頂上らしきところに到着。
海抜82mの滝尻から30~40分ほどで約300m登るので、このルートでは、一番急なところかもしれません。
剣ノ山には、経塚が埋められていましたが、盗掘されてしまっていて、
その入れ物の甕だけが残っていたのだとか。
それが古道館に展示されているそうです。
つらい登りの後は、だらだらと下り飯盛山へ到着です。
この少し先に展望台もあり、下の景色が見えだします。
下って行くと、舗装道路と交差してまた山道へ入っていきます。
ちょっと歩くと、針地蔵尊があります。
これは、王子社とは別で地元の人たちがお守りしてきたお地蔵様のようです。
花も活けられ、お供えもしてあり、とても大事にしていることが分かります。
ここからは、概ねなだらかなまま高原地区へ入っていきます。
高原は、霧の里といわれるくらいよく朝霧がでるところだそうで、
民宿に泊まり霧に覆われた景色を見るのもいいかもしれません。
古道沿いに民家が続き、畑も見られます。
小さな畑なのに、周りに囲いをめぐらし、
電気が通されていました。
この辺りは、イノシシ、サル、シカ、キジなど動物が出没し、
畑を荒らされてしまうので、自衛手段を取っているのだと聞きました。
紅いやぶ椿の花が道にこぼれていました。
ふと見上げると、大きな椿の木と
それよりもずっと大きな大木が見えます。
ここが、高原熊野神社だとわかりました。
ここは、王子社ではありませんが、
人々の信仰を集め、古道の中では一番古い建物だそうです。
この周りだけが特にうっそうとして
大きな木にも木間を吹き抜ける風にも神域を感じます。
大きなクスノキが境内に何本かあります。
幹は緑の苔に覆われ、根元には大きなうろもできています。
幹回りは、大人が数人手をつないでやっとというくらい太いです。
これなどは、樹齢800年といわれる木ではないかと思います。
日本の大きな木は、街中でも神社の境内にあるものだけが、辛うじて守られていることが多いですが、熊野の場合、それは、けた違いに多くまた、大きいです。
ここまでが、歩き始めて3,7㎞です。
(この続きは、また)