熊野古道を歩く 3 (高原熊野神社~近露王子)

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 高原熊野神社から集落を登っていくと、

斜面に薄紫のすみれや赤いボケの花が咲き、

時間が気になって、余裕なく歩いている自分を

一瞬ほっとさせてくれました。

 人家が切れる手前で庭から出てきた年配の男性に

挨拶をすると、どこから来たのかと聞かれました。

 「杖があるから持って行きな。」

と、勧めてくれました。

 ストックを忘れて来るくらいですから、

「普段使っていないし、大丈夫です。」

と、答えましたが、

旅人を気遣ってくれる気持ちが

ありがたいと思いました。

 道の端に水が流れ、水が豊かな里です。

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 この辺りから、両端が杉の木に覆われた石畳の山道へと入っていきます。

 今まで通ってきたところは、雑木林が多く

およそ熊野古道らしくない道だったのですが、

ようやくそれらしき道に入ってきたようです。

 あたりに電気のこぎりの音が聞こえてきます。

”作業をしているので、注意して通ってください”

との注意書きの看板が立っています。

 この辺りの林の木は、枝打ちもされ、

適度な間伐もされていて

よく手を入れられていることが分かりました。

 作業をしているのは、若い青年でした。

 私がそばを通リ過ぎるまで作業を止めてくれました。

 林業の担い手が少ないと聞いていたので、

木の手入れがされていると嬉しいのですが、

実際仕事として成立しているのかは、

聞く機会はありませんでした。

大門王子

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 ここには、熊野大社の鳥居があったことから

名がついたとのことです。

 社殿はなかったので、1989年に復元されたそうです。

 小さな社殿ですが、お参りをしました。

 十丈王子(重點王子)

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 十丈峠の近くにあるので、十丈王子と名がつけれれていますが、

藤原定家の日記に中では、重點王子と記録されているそうです。

 明治の神社合祀の際、廃社になったので、

木の切り株と、石が立っているだけですが、

あたかもそこに社殿があったような気がします。

 王子社の下に広場があって、トイレもあり、

腰を下ろせる木のベンチが置かれていました。

 私は、朝五時起きでしたので、10時半過ぎでしたが、お腹もすいてきたので、

このベンチに座り、昨晩のうちに買っておいた

おにぎりを2個とアンパンを1個食べました。

 自分でもよく食べると思います。

 ここで、後から来た人懐っこいアメリカ人の青年に

声をかけられました。

 三週間の休暇で日本へ来たそうで、

私は、滝尻から歩いてきたというと、

「僕は、高原からなので、まだちょっとしか

歩いていない。」

 と、言いながら、塩飴をリュックから出して

1つくれました。

 私もお返しに黒飴を渡しました。

 歩き出したと思ったら、忘れ物をしたかのように、

すぐに振り返り

「I am Robert.」

と、自分の名前を名乗って行きました。

 この青年には、次の日に本宮大社の近くで

また再会することになります。

 人懐こいと旅での出会いも多く、

きっと楽しいだろうなと思いました。

上多和茶屋跡

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 十丈王子から少しずつ登りが急になり、

この茶屋跡に辿り着くまでに、上ったり、下りたりしながら、

約300m高度を上げてきます。

 今は、この立札以外何もありません。

 登りがきつかった分、お参りの人にとっては、

ここで休めるのはありがたかっただろうと思いました。

大坂本王子

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 茶屋跡から徐々に下りに入り、

林道と交差した後は、特に急な下り坂になりました。

 普段は痛くならない左のひざが痛くなり、

この下りは大変つらかったです。

 私がゆっくり歩いているので、この辺りで、

外人のご夫婦二組に会い、先に行ってもらいました。

 ほとんど下りきったところにこの大坂本王子が

ありました。

 今は、鎌倉期の石造りの笠塔婆があるのみですが、

やはり切り株や広くなったところに

古の社殿を想像できます。

箸折峠

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 小さな沢を何回もわたりながら、国道へ一度出ます。

そこからまた古道へ入り、箸折峠へ登って行きます。

 行幸中の花山法皇が、近露の集落の見える

この峠でお弁当を食べようとした際、

箸を忘れたので、

供のものが近くに生えていた熊羊歯(くましだ)

を折って渡したそうです。

 折った時に、茎から赤い露が出たので、

「これは、血か露か。」

とお尋ねになったそうです。

 ということで、この峠は、”箸折峠”と呼ばれ、

見えた集落の名前は、”近露” 

という字が充てられ、今の地名になったとか‥‥

言い伝えですから、真偽のほどはわからないですが、

同じ音を踏んで作っているので、

面白いと思いました。

牛馬童子

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 熊野古道のポスターに登場する有名な牛馬童子です。

左の牛と馬にまたがっている方が、

花山法皇だといわれています。

 それにしても、牛と馬では、背中の高さが違うので、

 二頭にまたがるのは、難しいんじゃないかと思うのですが‥‥

 この像、わずか50㎝くらいの高さしかなくて、ずいぶん小さいので驚きました。

 頭は、数年前に盗まれたあと、見つかったそうですが、

その時作られたレプリカがつけられているようです。

 藤原氏の権力争いで、わずか2年の在位で

上皇となり、そのあと出家、法皇となって

熊野へ参詣に来られたそうですが、

この熊野へ来て救われるものがあったのだろうかと

法皇の不運を思いました。

 牛馬童子の顔にひびが入り始めていました。

 砂岩でできているので、修復をすることは難しいそうです。

 触らないように注意書きがされていました。

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 最後は、国道を通り、日置川にかかる大きな橋を渡って

近露の集落へ入って行きます。

 この川で水垢離をして、近露へお参りしたといわれています。

 この辺りは、平地が広がり、水田もたくさん見えます。

 近露王子は、五体王子に続く準五体王子の一つで、

格式が高かったそうですが、

ここも神社合祀の際、廃社となり、お社はなく、

今はこの石柱が立っているだけです。

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 バス停のそばにある、

古くからの宿、「月の家」です。

 曇っていて薄暗くなってきたので、

もう提灯の灯りが付いています。

 午後2時半頃近露に着いたので、

午後4時のバスに乗るまで間がありました。

歩いているご婦人に教わって、

15分くらいのところにある

JAのお店へ行ってきました。

 サンマ寿司と草餅を買ってきました。

 滝尻から近露まで、約13,5㎞、7時間歩きました。

 脚は、パンパンに張っていて膝も痛くなりましたが、

何とか歩き通すことができました。

 3時半ごろから雨も降り始めました。

 翌日の予報は、雨です。