インフォメーションで荷物を受け取って、熊野本宮大社からバスに乗り、
新宮高校前で降り、道の反対側のバス停に移動。
バスの運転手さんからは、数分違いできっと乗れないだろうといわれてましたが、
ラッキーなことに串本行きのバスに乗ることができました。
バス停のあるこの新宮高校は、佐藤春夫や中上健二も通った高校だそうです。
電車は、間遠で今は那智山駅に行くのもバスが頼りです。
バスが南へ走っていくと、まもなく大きな量販店や
駐車場を囲むタイプのアメリカナイズされたお店が見えてきました。
車が主な交通手段となってしまった今では
郊外に大型のお店ができて、買い物客はこちらの方へやってくるようです。
郊外型の量販店ができることで、
古い市街地にある店のシャッターが下ろされていく姿を
地方へ行く度に目にすることになり、いつも寂しい気持ちになります。
この辺りは、アカウミガメが産卵に訪れる
王子が浜といわれる美しい浜も続き、
その向こうにきらきら光る海が見えます。
きれいな青緑色の海をぼうっと眺めていると、
なんだかこのままバスに乗っていたい衝動にかられました。
このバスは、紀伊半島の突端、串本まで行くのですから。
駅へ着くと、次のバスまでまた40分ほどありました。
那智山の駅は、特急は停まりません。
しかも、バスの基点も紀伊勝浦になっているので、
近くに適当な食堂がありません。
駅のロータリーにJAのお店が1軒あったので、そこでイカ寿司を買って、
駅の待合室で食べました。
そのイカ寿司は、生の白いイカが載ったお寿司ではなく、
皮が赤いイカに海苔が巻かれたお寿司です。
ローカルな感じがとても心に残っています。
勝浦駅からお客さんを乗せてきたバスに乗り、那智山へと登って行きます。
途中、熊野古道が残っている大門坂で下車。
30分ほどの杉並木の道を歩きました。
(*写真はお借りしました。)
今にも雨が降りそうな曇天で杉並木の道は薄暗く、
古人が黙々と前を歩いていてもおかしくない気がしました。
中には樹齢が800年といわれるような大きな木があり、
幹回りも太く苔むした杉の木がずっと続く古道です。
この道を過ぎてから467段あるという階段を上ると、
那智大社の大きな鳥居のところに着きます。
(*写真はお借りしました。)
それに滝の熊野那智大社と、
これで熊野三山といわれる大社をすべてお参りできたというわけです。
この那智大社は、今回の旅の計画にはなかったところでしたので、
何かに導かれてきたような気がしました。
ここまで来るのに、膝や脚は痛くつらかったのですが、
とにかくなんとかここまで来れたことを感謝しました。
(*写真はお借りしました。)
境内の右側から隣の青岸渡寺(せいがんとじ)へ回りました。
神仏混合であった時代の名残なんでしょうか。
同じ敷地に二つの寺社が建てられているのです。
こちらの建物は、赤い朱塗りの大社とは対照的で、
古い木肌そのままの歴史を感じさせるものでした。
昔、大晦日、”行く年くる年” という番組で
この青岸渡寺を映像で見た記憶はありましたが、
想像以上に雰囲気のあるお寺でした。
西国第一番札所ということなので、
この日も、若い家族が、階段の下でお経を唱えているのに出逢いました。
(*画像はお借りしました。)
お参りを済ませ、下へ降りて行こうとしたら
向こうの崖のところに那智の滝が見えます。
前日雨が降ったので、滝の水の水量も多く、想像していた通り、立派な滝でした。
ピンクのヤマザクラがところどころ色を添えているのが見え、
那智山は杉だけの森ではないことを感じました。
原生林が残っているこの裏の山から始まる
大雲取越、小雲取越の熊野古道へも行ってみたいと思いました。
滝前のバス停まで来ると、滝の落ちる音が一段と大きく聞こえます。
滝つぼの方へは行かず、バスで勝浦の駅へと直行しました。
帰りの特急まで時間があったので
近くの商店街を歩いていたら、港に出ました。
そこに、「海乃湯」という誰でも浸かれる足湯を見つけました。
30分ほど浸かっていると、脚も心もほどけていくような気がしました。
勝浦は、生マグロの水揚げが全国一の町、
隣の太地町は、クジラで有名な町、と、
この辺りは黒潮の恵みを受け、海の幸が豊富なところです。
本来ならそちらをいただきたかったのですが、
時間が中途半端で夕方になるまでお店は休憩状態でした。
駅の売店で目はり寿司とサンマ寿司のセットのお弁当を買って
疲れていても、食べるものはちゃんと調達するあたり、ぬかりありません。
紀勢線の特急には、飲み物の自動販売機はあっても、食堂どころか車内販売も
ないのです。
長い長い4日目、そしてこの旅もこれで終わりです。
(*写真がない長ったらしいブログを見ていただきありがとうございました。)