旧東海道を歩く・・・鶴見から生麦

 昨日は、京急の鶴見駅から生麦駅まで歩きました。

 鶴見駅を降りると、江戸時代のこの辺りの名物「よねまんじゅう」をぜひ食べたいと思って駅前の「清月」という和菓子屋さんへ寄りました。最後にそのことに触れますが、リュックにしまってから駅前の旧東海道にあたる商店街を進みました。

 するとどうでしょう。向こうから数十人の托鉢のお坊さんたちが道の両側をお経を唱えながらやってきます。予想もしていなかったので、大変びっくりしました。

托鉢の僧

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 この先の右側の渡線橋を渡ると、総持寺があるのですが、その総持寺からこのお坊さんたちはやってきたのです。総持寺では、一月のこの時期「寒行托鉢」のために毎日街へ出ていることが後で分かりました。わらじを履いている足は、はだしです。今日は、まだ陽があるので凌ぎやすいと思いますが、やはり禅宗の修行は厳しいものを感じます。

 総持寺の廊下

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 総持寺総門の大きさにまずびっくり。さすがに曹洞宗の大本山だけのことはあります。この総持寺、元は、能登にあったそうですが、明治時代になって、寺が火災ですっかり焼けてしまったのを機に、能登からこの横浜の鶴見に移したとのことです。実は、ここへ来るまでは、そのことを知りませんでした。

 石川県の永平寺と並ぶ曹洞宗の大本山ですから、修行僧もたくさんいるようですし、建物の数も多いです。上の写真は、寺の中の長い廊下ですが、床がぴかぴかに磨かれていて見事です。掃除は、立派な修行といわれていますから、毎日この床を僧たちが磨いているのでしょう。

 明治になって移って来たということは、江戸時代はここは木々がこんもりとした小高い丘でしかなかったのだと思いますが、この辺りの散策からは外せません。 今は、社会貢献の一環として鶴見大学、高校、中学、幼稚園なども経営しているようで、電車の車窓からは、ここは鶴見大学のあるところだとばかり思っていました。

 あちこち回っているうちに托鉢に出ていたお坊さんたちが帰ってこられました。

 山門

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 再び渡線橋を渡って、旧東海道へ戻りますが、しばらくは国道15号線と重なります。国道の左側にJRの国道駅の看板が見えてきました。高架を電車が通り、駅舎から駅員さんが出てきて改札口に立ちました。

JR鶴見線国道駅

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 ここへくるまでは、JRの鶴見駅から海の方へ伸びているこの線のことは全く知らなかったので、今は使われていない駅かと思っていたのです。アールデコ調のトンネルになったちょっと変わった駅だと思いませんか。海沿いに工場が立ち並んでいるので、今も立派にこの線は機能していることが分かりました。本当にびっくりすることばかりです。

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 ここから左の旧道へ入ると、しばらくして右側に生麦事件の碑が立っています。以前は、もう少し先に立っていたのですが、道路の工事の都合でちょっと手前に仮移転しているとのこと。

 1862年、江戸から下る島津藩の行列を邪魔したとして、馬に乗ったイギリス人を殺傷し、後に薩英戦争へと発展してしまったという歴史の教科書に載っていたあの生麦事件です。

 文字がうまく読み取れませんのでそれ以上詳しいことは分かりませんが、詳しいことを知りたい人のために、生麦駅へ行く途中に記念館があって、予約すると一時間ほどかけて資料を見せて説明をしてくださるそうです。

よねまんじゅう

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 最後は、冒頭に出てきた「よねまんじゅう」のことです。

民謡お江戸日本橋の中に

「六郷渡って川崎のまんねんや 鶴と亀とのよねまんじゅう」

と歌われ、鶴見橋を中心に軒を並べて売られていたということです。浅草でも売られていたとのことですが、鶴見で有名になったのは、八大将軍吉宗の頃江戸中期だといわれています。  鉄道が通るようになって街道は衰退、この辺りはさらに戦火で焼け、なかなか復活させることができませんでしたが、昭和57年にやっと復活させることができ、今に至るということです。そのよねまんじゅうは、神奈川の名産百選に選ばれています。

 餡をうすい羽二重餅の皮で包んだものです。種類は、白餡、梅餡、漉し餡の三種類です。俵型の柔らかい餅菓子です。帰りに見つけたのですが、生麦の駅前商店街にも小さい構えですが、「清月」さんの支店がありました。今日は、12000歩のコースでした。