花は、確かに朝顔なのに、茎のまわりにグチャッと葉が集まっています。
サボテンのような姿ですが、
これも朝顔なんです。
今、横浜子ども植物園では、
変化朝顔の展示会が行われています。(8月31日まで)
薬草として使われていました。
野生のものは、青色でしたが、
江戸時代に入り、赤や白や紫の色変りが見つけられ、
鑑賞する花として広がりました。
そこから、さらに色だけでなく、
花の咲き方や茎や葉の形が変化したものが選び出され、
今に伝えられているものが変化朝顔だということです。
牡丹咲きといわれるものは、
まるでバラか、牡丹を思い浮かべるくらい優雅な花を咲かせています。
さて、上の3つは、正木系といわれるものです。
このほかにも、上に伸びるのではなく、
下にたれさ上がるような変わりものの朝顔もあります。
正木系の種類は、種を取ることが可能で、
できた種をまくと
一応同じ姿の朝顔が発芽することになっているものなのです。
上の2つは、采咲系といわれる種類のものです。
花弁がナデシコのように、
あるいは菊のように分かれているのが特徴です。
戦国武将が戦争の時に使った
采配になぞらえてつけられた名前のようです。
これは、台咲系といわれる仲間です。
真ん中の花の筒の部分が折り返って突き出ています。
その姿を茶器をのせる「茶台」に見立てた呼び名です。
しかも、これは、花が斑入りです。
花が斑入りだと葉も斑入りになるようで、
かなり貴重な変わりものといえます。
これは、獅子咲系といわれる種類です。
花が獅子が暴れて乱れた「たてがみ」に見立てて
つけられた名前のようです。
花も乱れれば、葉もちじれ、よじれています。
正木系以外の台咲系、采咲系、獅子咲系は、
変化した花が咲いたものからは、
種がとれないという難しい種類です。
次の年に蒔く種を取るためには、
変わりものの兄弟をみつけ、
それを育てて種をとることになります。
私も、この変化朝顔に一度挑戦したことがあります。
その時は、20個種をまき、
その中から二つのかわりものを見つけ、育てました。
咲いたのは、采咲の白い花でした。
葉と花が特に変化した変わりもの(出物)を見つけるには、
64こ蒔いて1つ出るかどうかという非常にマニヤックな世界ですので、
私は、その年のみで退散しました。
このブログを始めた年でした。
「変化朝顔」が江戸時代から200年、マニアの中で伝えられてきたもののように、
「日本桜草」「ショウブ」もやはり江戸時代に広く栽培され
改良されたといいますから、
江戸時代は、植物の面からも文化が花開いた時代だったということは、
確かなんだと思います。
戦国時代のような戦乱に明け暮れた時代には、
珍しい花を育てようなどという
心の余裕はないでしょうから
大きなくくりの中では、平和な時代だったと
いってもいいのかもしれないと思っています。