下地区と上地区は、時間で分けられていたため、
上地区の山車は、自分の地区で休憩しているものが多かった。
左は、小門町、右は、八幡上町。
小門町は、甲州街道から400mくらい入った産千代神社の近くにある。
スタンプをもらいに行くと、
「わざわざ来てくれたんだね。」
といって、テントの下へ案内してくれ、冷たい麦茶と飴玉をご馳走になった。
甲州街道まで戻ると、大勢の男性が集まっている。
これから何が始まるのだろう。
向こうに見える蔵造りの店は、「加島屋」という荒物屋だ。
この日は閉めていたが、八王子の空襲にも耐えてきた建物で明治20年の創業の老舗。
こういう店は、今はほとんど残っていない。
西の方から大勢の人たちが町の名を書いた提燈を持って歩いてくる。
今日は、この道には一切車が通らないので、道いっぱいに広がってやってくる様は、
昔の刑事ドラマ「太陽にほえろ」を思い出してしまう。
さっきまでは自由に車道に入れたのに、
歩道に縄が張られて出られないようになっている。
多賀神社という提灯が先陣で、後は各町の提燈だ。
法被が色とりどり、女性が多いのも華やいだ感じがする。
提燈の後ろは、神主と裃をつけた町の代表なのか。
その後ろにお神輿が登場。
やっと私にも飲み込めた。
多賀神社の宮御輿の渡御らしい。
上地区は、多賀神社、下地区は、八幡八雲神社に宮御輿がある。
夜、各町からも18の御輿が出てきて、真ん中あたりでもみ合いがあるという。
多賀神社の宮御輿は、明治時代に浅草で建造されたもので
昭和53年から千貫御輿として約1600人の担ぎ手による渡御が行われるので
八王子祭りのハイライトにもなっているようだ。
先ほどからたくさんの担ぎ手がまわりを取り囲んでいたのは
この御輿のためだったことがわかった。
残念ながら、この時点で掛け声は聞こえない。
甲州街道を西へ進むと追分の交差点にぶつかる。
八木町のは、追分よりも手前、右の追分町は、追分の分岐から左に沿う。
この後、日吉町の山車を見て西八王子の駅へと向かった。
夜は、甲州街道にすべての山車と御輿がそろっての合同巡行というのがあり
祭りが最高に盛り上がるのだそうだ。
八王子は、かつては絹織物で栄え桑の都と言われ、甲州街道の宿場町としても
にぎわった歴史がある。
そんな街の賑わいが沸き上がってくるのがこの祭りなのだろう。
この山車とお神輿の数の多さ、各町が自分の町を盛り上げようとする気概を
たった半日見ただけだが感じることができた。
来年は、前日の太鼓合戦、そしてできれば夜の山車や神輿が勢ぞろいしたところも
見てみたいと思っている。