初めての盛岡その2

 啄木新婚の家

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 石川啄木の歌碑はあちこちにあるのですが、ゆかりの史跡というのはかつて新婚生活を送ったこの家のみだそうです。玄関を入ると左側に床の間付き8畳がありました。縁側から小さな庭に不釣り合いの大きな蕗の葉っぱがありました。両親と妹がそこで寝起きし、ふすまを隔てた右側の四畳半が啄木夫婦の部屋だったそうです。

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 ここで結婚式をすることになっていたのに、啄木は予定の日になっても帰ってこず、それでも媒酌人と家族のみで式をあげたそうです。しかも、この家には3週間余り住んだだけ。そんな縁しかない家なのに、なぜかこの住居の佇まいにはその頃を彷彿とさせるものが漂っているような気がしました。

 啄木と宮沢賢治は、二人とも盛岡中学に在学していたので、賢治ゆかりの詩碑や史跡ものこっています。

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 これは岩手医大の玄関横にあったものです。創立50周年を記念して建てられた詩碑だそうです。

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 前日食べたお蕎麦屋さんのすぐ近くにあった「賢治清水」。盛岡農林高等学校に入学した賢治と盛岡中学に入学した弟が一緒に下宿していた家が下の橋の辺りにあり、賢治も使っていた井戸を整備して保存してあるのだそうです。今でも飲める水だそうで、私も一口飲んでみました。日の照り付ける午後、とてもさわやかなおいしいお水でした。

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 これは、材木町にあった出版社「光原社」の看板。かつて、賢治が「注文の多い料理店」を友人の経営するこの会社から出版しました。今でこそたくさんの童話が出版されていますが、生前に世に出た童話集はこれのみだそうです。

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 今は、主に陶芸、織物など民芸品のお店として営業されています。

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 裏手に回ると、趣のある庭があり、コーヒーを飲むことができます。

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 奥の方へ行くと賢治の作品が塀を飾っています。

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 庭のどんづまりは、北上川です。ノウゼンカズラが今を盛りと咲いていました。

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 後先になりましたが、この通りは「いーはとーぶアベニュー材木町」と言います。後ろ姿は宮沢賢治の像です。前から見た写真も撮りましたが、なぜか私は後姿の方が気に入っています。

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 材木町は、昔からある街の名ですが、賢治ゆかりの光原社を中心にしていーはとーぶらしく看板もおしゃれに作られた通りです。

 ここで賢治などと呼び捨てにしていますが、友人の話では、岩手県人は賢治のことをすごく大切に思っているので、「賢治さん」とさん付けで呼称すると言っていました。

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 前日女子高生が川遊びしていた橋の1本上にある「上の橋」です。擬宝珠が付いている昔からあった古い橋のようです。下流に「下の橋」というのもあるので、その二本がもともとの橋だったのでしょう。

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 この橋の手前に建物自体はリノベーションしてあるけれども隣の家との境に防火壁になる屋根より少し高く作られている「うだつ」がある一角がありました。

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 お昼前ですが、そろそろお腹もすいてきてだんごの文字を見たとたん、中へ吸い込まれてしまいました。

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 中は、テイクアウトのお店でしたが、椅子とテーブルが置いてあるのでここでも食べられるのか確かめたら、いいとのことでしたのでいただくことにしました。

 あべかわとかしょうゆとか知っているのもありましたが、私が選んだのは食べたことがない「黒豆だんご」と「きりせんしょ」。

 「黒豆だんごは、甘くないですよ。」との忠告があったのでわかっていたつもりですが、中には黒豆が1つ入っているだけのお団子でした。ここのお団子は、うちの方で売っているものに比べるとちょっと小ぶりで上品な気がしました。

 もう一つの「きりせんしょ」、実はこちらで食べる「切りザンショ」と同じで山椒の香りのものだとばかり思いこんでいたら、違っていました。ほんのり甘くて中に茶色の甘いタレが入っていました。「食べる時、中からタレが出てくるから気をつけて。」と言われたのに、注意散漫な私は、ズボンの上に垂らしてしまいました。

 後から調べたところ盛岡とか花巻の地方食だそうで、クルミとかごまと砂糖を入れ込んだゆべしのようなものでお節句などに作って食べるのだそうです。

 ご主人は、見るからに優しそうな方でした。お茶も出してくれたのでなんだかゆったりしてしまって、お客さんがいない間つい話し込んでしまいました。

 このお店の前身は、お母さまがやっていらしたお餅やさん。引き継いで今はだんごやになったそうです。古い建物が残されていていい街だというと、「駅の周辺からちょっと距離があるから開発が急激に進まなくていい具合なのかもしれないです。」との答えが返ってきました。

 どちらも120円。値段は、盛岡だからって安いわけではないので、きっと地物の米粉を使って作っているのだろうと思いました。

 ほっこりしたいい気分になりました。

 街の中に残っている私が見た古い建物を並べます。

紺屋町ござ九(雑貨屋)            紺屋町番屋(消防団の建物)

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上の橋たもとの古本屋            啄木賢治青春館になっている建物

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盛岡信用金庫                岩手医大玄関

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 まだまだたくさんあるとのこと。建物を探して回るだけでも面白い街です。

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 9日朝、ホテルの窓からの風景です。白い鉄橋が「開運橋」です。盛岡というとよくこの橋の向こうに岩手山を配置した写真が出てきます。晴れてはいるけれども、雲の流れが速くて台風の到来を予感させる天気です。

 荷物を預かってもらっていたので、最後にホテルへ寄ってから駅へ行きました。朝はこんなだったのに駅へついてまもなく雨が降り出しました。新幹線は午後2時の出発でしたが早めに駅へ戻っていたので、降られずに済みました。ただ1時間後は宮城県に入るのでこの日の台風の進路予想では雨風強くなる覚悟が必要で、またまた深刻な出発となりました。

 次は宮城県です。またよろしくお願いいたします。