青森へ行くときも、秋田へ行くときも盛岡を通過することはあってもここへ下車したことがありませんでした。盛岡へ時々訪れる友人から話を聞く機会があり、一度行ってみたいと思っていたところだったので、今回の旅で途中下車することにしたのです。
8日は、台風が太平洋に沿って北上するという予報でしたが、まだ北東北へは来ていませんでした。9時半ごろ盛岡駅に着いてしまったので、とりあえず宿泊予定のビジネスホテルでチェックインして荷物を預けました。
ホテルは、北上川のほとりにありました。フロントの女性にお城への行き方と蕎麦屋さんの場所、それに宮沢賢治と石川啄木の歌碑がある位置を地図にマークしてもらい、出発です。
駅からまっすぐのところに開運橋というアーチ状の鉄橋があります。まずそこを通りながら岩手山を眺めました。残念ながら山頂に雲がかかり全容が見えません。
お城は、駅からコミニュティバス「でんでんむし号」に乗って10分もかからずに行けました。
立派な石垣が残っていますが、本丸をはじめとして建物はすべて壊されてしまっています。
本丸の跡です。お城は、今は盛岡城跡公園として木陰にベンチなどが設置され市民の憩いの場になっています。
ちょっと大きくしましたが、本丸から見える岩手山です。朝着いた時に比べて頂上付近の雲が取れてきました。岩手山は、裾を大きく引く山容で故郷が盛岡でなくても心を包み込んでくれるような山だなと思いました。
一番初めに盛岡城へ来てみたかったのは、啄木の歌碑があるからです。その歌碑は二の丸に設置されていました。
私が高校生の頃、啄木の歌の中で最初に覚えた歌がここで作られていた歌だからです。どんなお城でそこからはどんなものが見えるのだろうか。空はどんな色だったのだろうか・・・そんな思いを抱えてきました。
不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸われし
十五の心
この日は、盛岡と言えども結構日差しが強く、葉先が赤くなったもみじ越しの空はカラッと抜けるような青空でした。
私ごとですが、東京の高校へ入学後、父親の転勤で仙台へ行くことになり、試験を受けて高校2年になった時には仙台の高校へ編入しました。だれも知った人のいない町でしたので、そのころは、一人でよく散歩をしていたことを覚えています。友だちと遊ぶというようなことはありませんでした。どこかに鬱屈した気分をかかえていたのだろうと思います。授業に身が入らない時は、学校を抜け出せたらと啄木を羨ましく思っていたのでしょう。その自由さに憧れを持っていたのかもしれません。
これも啄木の歌碑です。岩手医大近くにあります。
学校の図書庫の裏の秋の草
黄なる花咲きし
今も名知らず
この歌碑は、翌日見つけたものですが、北上川の川沿いの散歩道にありました。
これも振り返ると心につまされる歌です。
昼は、フロントの女性にわんこそばじゃない普通の蕎麦屋を紹介してもらっていたので、そこを探して行ってみました。
「やまや」という蕎麦屋さんです。外壁が濃い黄色で遠くからでもよく目立ちました。昼時でしたから人が多いのは覚悟していましたが、やはり店先に待つ人がたくさんいました。
そばは、「挽き包み」と「さらしな」と「だったん」から選べます。あとは、単品でえびとかゲソだとか選ぶのですが、私は、「さらしな2枚」と「季節のかき揚げ」と「とろろ」を注文しました。
いつもさぬきうどんのチェーン店では、かき揚げで出てくるのは、大体玉ねぎとニンジンと決まっているのに、ここのはニガウリと魚のかき揚げだったのです。魚はアナゴだそうで、聞いてまたびっくりでした。なるほど季節の物です。次の季節には何が出てくるのか楽しみなかき揚げです。
盛岡の市内を流れる川は、北上川ともう一つ中津川というのがあります。少し下流で合流します。
その中津川にかかる橋を渡っていると、中学か高校かジャージを着た学生さんが川の中で何か探しているようです。水位は低くてもちろん小さな子でも遊べるような川ですが、ゴーグルをかけて時折潜っているので、魚でも探しているのかと思って近づいた時に上から声をかけると、「いっぱい魚がいるんですけど捕まえられない。」と言っていました。嬉々として遊んでいるのです。
橋の下からあと2人現れて、3人の女子高校生だとわかりました。初めは中学生の男子だと思い込んでいたので、女子高生だとわかってまたびっくりです。
水はきれいだし暑いので気持ちもわかりますが、街の中で女子高校生が全身びっしょりになって遊んでいるというのが信じられない気がしました。通りがかりの男性が「今はいいけど、雨が降りだしたら水かさが増すから気をつけろよ。」と言いながら立ち去りました。
この川にも秋になると鮭が遡上してくるというのですから、秋に盛岡へやって来たらどんな光景がみられるのかすごく楽しみになりました。
続く