今日もどこかで 馬は生まれる

今日もどこかで馬は生まれる

金曜日に観てきた映画の紹介である。

競馬のスタート情景からこの映画は始まる。ファンファーレが聞こえ、客席からのウォーというどよめき、いよいよスタート。競馬に行ったことがない私でも、何かとてつもない大きなことが始まりそうな興奮が伝わってくる。

 

一つのレースで勝利を収めるためには、表には見えない人たちの手が加わっていることも何となくはわかっていたし、レースから引退した馬がどうなっているのかもボーっとした形で想像はできていたが、本当のことは知らなかった。

 

映画では、競馬を楽しむ人、食肉センターで働く人、競走馬の生産に携わる人、訓練をする人、馬主さん、競走馬を乗馬の馬として世話をする人、人を乗せられなくなった馬を引き取り養老牧場で世話をする人、人を乗せなくても馬が経済活動に参加できる方法を考えている人など馬に関わるたくさんの人が登場する。

 

この映画は、華々しい栄光を得た馬も、一勝もできなかった馬も、現役から引退した馬のセカンドキャリア、サードキャリア、そして馬生(馬の一生)最後までを埋める映画でもあり、それを知った上で自分ならどう考え、どうするかを問う映画でもある。

 

この映画の中で、馬は「経済生産動物」だという言葉がインタビューの中で聞かれた。生を受けた仔馬も親と一緒にいられるのは1年足らず、1歳になるとセリにかけられ競走馬として訓練が開始される。そして、レースで走れなくなったら、その後のことは追ってはいけないと言われて仕事をしているという人もいた。競馬の一端を担っている人でも自分の仕事を離れた後の馬のことははっきりとは知らないのだ。ある意味タブーになっていることも知った。

 

「経済生産動物」という言葉には、とっても冷たい響きを感じるが、ペットショップで売られている犬や猫だって2か月も経たないうちに親と引き離される。人間が食物としていただいている牛や豚や鶏だって人間の都合で寿命を全うすることはできない。何も馬だけが特別ではない。言ってみれば、そのすべてが経済に組み込まれた命だと改めて気づかされた。

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写真は、この映画の監督 平林健一氏。上映後にお話を伺うと、まだ32歳の若い青年である。この日、監督と一緒にご挨拶に見えた女性がいる。(うまく撮れなかったので写真なし)認定NPO法人 引退馬協会代表理事の 沼田恭子さんだ。

この協会では馬を引き取りたいという人と馬を繋ぐ仕事をしている。直接一頭の馬を引き取ることだけでなく、フォスターペアレント制度という仕組みもあり、大勢の人で力を合わせて安定した環境で終生大切に繋養することができるのだ。

 

競走馬として生まれてくるサラブレッドは年間約7000頭。そのうちの一握りの馬だけしか活躍できない。競馬というギャンブルがなければこうした馬の命のことも問題にならないかもしれないが、世の中に競馬をやめようという大きな声は聞こえてこない。

 

この映画を紹介しようと思ったのは、上映してくれる映画館がとても少ないことだ。東京で1館、神奈川でこのシネマリン1館。今週の金曜日でシネマリンも終わるので、馬に関心がある方にはぜひ観てほしいと思っている。