「生きる」 大川小学校 津波裁判を闘った人たち

  先週の日曜日、  横浜シネマリンで「生きる」の映画を観てきました。

 

「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち

 

 東北大震災から12年目を迎え、映画館でも何本か関連の映画が上映されます。

 残念なのは、大手の映画館は宣伝費をかけても儲かる映画しか上映しないので、震災

関連の映画は、ほとんど話題にも載ってきません。

 この映画が上映されるということを私が知ったのは、名画座のポスターでした。

 

 この「生きる」という映画は、2011年3月11日に宮城県石巻市北上川河口

近くにあった「大川小学校」の児童74名、教師10名が津波の被害で亡くなったこと

について裁判までのいきさつを映像化したものです。

 

 私が大川小学校のことを知ったのは、2012年6月、震災から1年以上過ぎた頃

のことです。一関から気仙沼、南三陸を通り震災の爪痕を見ながら、石巻市にある追分

温泉を訪ねました。

 前の年は、被災者の宿泊先になり、水が不自由なためお風呂に入れない人々のために

温泉を開放していました。

 この温泉のことは、ある方のブログで知りました。2012年、やっと旅行者が泊れ

るようになったというので行ったのです。

yporcini.hateblo.jp

 チェックアウトをするときに、フロントにいらした女性がこの辺りに住む被災者の方

で、その方が大川小学校のことを地図まで描いて教えてくれたのです。

 私にとって、それがいつまでも宿題のように心に残っていましたが、2019年

の6月、ようやく大川小学校まで行くことができました。

 

yporcini.hateblo.jp

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 津波が押し寄せ北上川を遡ってくるまでにかなりの時間(51分)があったのに、子

どもたちは校庭に長く座ったまま、裏山に避難せず堤防の一番高いところへ(三角地

帯と呼ばれているところ)津波到達の数分前に移動するもすぐに津波に飲まれて多くの

命が失われたのです。

 

 親たちは、この間の事情を知りたくて石巻教育委員会や、宮城県教育委員会との

話し合いを求めるも、なかなか真相がわからず、しかも話し合いの中でうそや隠ぺいも

ありで不信感を募らせました。

 

 結局親たちは、しっかりとした責任の所在を明らかにするには裁判に訴えるしか方法

がないということで、提訴にふみきったということです。

 

 この場合の裁判というのは、国家賠償責任を問うもので子どもの命を金額で提示

することになるのだそうです。親が子どもの命を金額にすることにも違和感があったろ

うし、被害者の中で提訴するものと、しないものに分かれることになり、そこに分断が

生じたのも辛かったのではないでしょうか。

 

 この裁判を担ったのは、二人の弁護士のみ。親たちは、子どもの代理人としていろい

ろな証拠集めに奔走し、しかもいろんな脅迫や偏見にもさらされながら裁判を支えまし

た。

 

 この裁判は、高裁で勝訴、最高裁石巻市宮城県の上告を棄却し、2019年10

月10日高裁判決が確定しました。

 高裁の裁判長は、

「学校が子どもの命の最後の場所になってはならない。」

という言葉で締めくくったということを聞き、この裁判をやった親たちは、子どもの命

を無駄にせず、これからに生かすことができたと納得されたのではないかと思いまし

た。

 子どもを亡くした親の悲しみが癒えることはありませんが、真相を知りたいという個

としての親の気持ちがもっと広く大きなものへと昇華したようで清々しい気持ちになり

ました。

 

 映画上映後、監督の寺田和弘さんと、主題歌を歌われた廣瀬 奏(かな)さんのライ

ブとトークがありました。

 主題歌の「駆けて来てよ」は、弁護士として支えてきた「吉岡和弘」さんの作詞作曲

と聞いて弁護士さんなのにすごい人だなと驚きました。

 廣瀬さんは、仙台でミュージカルなどの活動をされているそうですが、小学生だった

時に同じ劇団で仲良しだった友だちを震災で亡くした悲しい経験をお持ちだそうです。

 

 シネマリンでは、今月31日まで上映しています。