伊豆下田の旅 ー温泉 水仙 そして金目鯛ー

 年末に下田へ行ってきた。年の終わりに骨休めに温泉にでも浸かろうかというだけのことだった。と言っても泊まるところにあてがあったわけではないので、結局ネットで安いお宿を見つけた。決め手は、金目鯛の煮つけが夕飯に出るということだけ。

 崎陽軒のシュウマイ弁当を買って踊り子号に乗り込む。列車の右側はガラガラ、左側だけにお客が集まっている。それもそのはず伊豆へ向かう時、左側だけ海が見えるからだ。窓から伊豆の島々が見える。初島だ、大島だなんて言っているうちにあっけなく下田へ着いてしまった。 伊豆半島は温かく寒暖の差がないので紅葉狩りの話はあまり聞かないけれども、まだ赤や黄色に色づいた山々を見られるおまけ付きだった。f:id:yporcini:20181226135831j:plain

                        旧澤村邸(ギャラリー、休憩所)

 以前に一度下田へは来ているが、旅行社のお膳立てしかもグループ旅行だったのでほとんど記憶に残っていない。着いた日は、雨こそ降らなかったけれども曇り空。駅から地図を見ながら古いナマコ塀のある町屋の残る通りを歩き、日米和親条約を結んだ了仙寺や、ペリーロードと呼ばれる川に沿った界隈を歩き、早めにお迎えバスに乗って宿へ向かった。

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                    ペリーロードの風情のある家(骨董屋)

 1階の八畳の部屋(部屋タイプはお任せ)ということだったのでどんな部屋かなと思っていたところ、3階の十畳の部屋にグレードアップされていた。この日は夕日こそ見えなかったけれども、窓からは海がよく見えた。食べきれない数の料理の数々、それにゆっくりと浸かれた温泉と満足の一日目が過ぎた。

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                            宿の玄関先から見えた浜

 翌日は天気が良さそうなので、爪木崎へ行こうということになった。駅から、爪木崎行のバスが出ていた。途中須崎という地名を見て確かここにも天皇家御用邸があることに気がついた。30分くらいだっただろうか。爪木崎のバス停に到着。バスを降りてちょっと歩くだけで水仙の甘い香りが上ってくる。日本水仙は、派手さはないが香りは上品で私は大好きだ。

 

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 12月20日から水仙まつりということで咲いていることはわかっていたが、すでに斜面を白く染めていた。5分咲きというところか。やっぱりここも暖冬なのか春が早いようだ。左に寄ったところにうっすら立っているのが灯台である。やっぱりここまで来たら灯台の真下まで行こうと右側の山道を歩いて行った。

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 やぶ椿が咲く林のところどころに展望台がある。右方向が須崎。ハイキングができるような道が続いている。三浦半島岩礁の道を思い出し、今度来た時は歩いてみたいものだと思った。青い海を背景にツワブキの黄色が鮮やかだ。

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 爪木崎灯台が近づいてきた。右側にうっすら見えているのは新島だそうだ。伊東からずっと島が見えていて、伊豆七島は割合近いことを知った。f:id:yporcini:20181227113443j:plain

 爪木崎灯台の真下へ到着。昔は灯台守のことが歌になるくらいだったが、今は、ほとんどの灯台は、無人なのだろう。ここからまた元来た道を戻りながら、西側に岩が広がる浜へ下りてみた。

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 この辺りの海岸には、柱状節理と呼ばれる岩石が隆起している。火山の爆発でできた地層にマグマが入り込み収縮してこのような不思議な形になったのだという。爪木崎の柱状節理は、この辺りでは「俵磯」(たわらいそ)と呼ばれているそうだ。

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 上から見ると柱の頭のところは、鉛筆のようにきれいに六角形になっている。本当に不思議な形の岩たちだ。これだけでなく伊豆半島には火山によってできた不思議な地形がたくさんあると聞いたので、機会を見つけて歩いてみたいと思うのだがもう無理かもしれない。

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 茅ヶ崎に行くようになってから、浜や磯を歩くと見過ごせないのがそこここに生えている植物たちだ。左上から、ハマヒルガオ、ハマアザミ、ソナレムグラ、アシタバ、ボタンボウフウ。最後のボタンボウフウは、長命草とも言われ、この頃ではわざわざ栽培して美と健康のために粉末や粒に加工され商品として高く売られているということも近頃知った。

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 崖を覆う日本水仙の群落。この水仙の故郷は、地中海沿岸らしいが日本には中国を経由して入ってきたと言われている。ここにも海流に乗って流れ着いた球根が根付いたのかもしれない。

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 爪木崎のほかにも日本水仙の群落は、福井県の越前岬にあると聞いているが日本海の方は、寒さが厳しそうなのでもっと凛とした香りの花が咲くような気がする。

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 浜の方へ下りるとアロエがこれも花盛り。鶏の首のところを連想してしまうのであまり好きな花ではないが、青い海との対比は鮮烈だ。

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 地元の干物、干し柿、天草。水仙の花などを売る青空市が開かれていたが、お店の人は、「こんな風のない日は珍しいんだよ。ここは天気がよくっても風が強い日は寒いからね。いい日に来たねえ。」と言っていた。この日も曇りの予想だったので、私たちは運がいいということになる。湘南も三浦半島も冬は、西風が強く吹くという話を聞いているので、伊豆半島も同じなんだなと思った。

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 最後に この日のお昼に食べた「金目鯛あぶり棒寿司」。下田は、金目鯛の水揚げが日本一なので、キンメはどうしても食べたいと思っていた。魚市場近くの回転ずし「魚どんや」で食べた。地魚のお寿司もいくつか食べたが、この「キンメのあぶり棒寿司」がピカイチだった。タレのついた皮は香ばしくパリッと焼けていて身は脂がとろっとしていて美味しいですよ。

 今年もどうぞよろしくお願いします。

バングラデシュカレー

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 12月16日に生協のイベントでバングラデシュカレーを作るワークショップに参加した。教えて下さったのは、「シャプラニール」という市民による海外協力の会の活動家でバングラデシュやネパールなどに長い間駐在していた女性。

 今日の昼ごはんに教えてもらったそのカレーを作ってみた。このところ自分の作るものには動物性の肉は使わないようにしているが、このレシピはチキンを入れるようになっているので今回はレシピ通りに使ってみた。

 材料は、チキン、玉ねぎ(みじん切り)、ジャガイモ、トマト。

 あとは、ショウガとニンニクのすりおろしをどっさり入れることとたくさんの香辛料を入れること。

 香辛料は、ターメリック、唐辛子パウダー、コリアンダー、クミンシード、カルダモン、シナモンスティック、シナモンパウダー、ローリエ、塩、油(菜種油)

 水は、少し入れるが少し入れるだけで基本的には、材料から出てくる水分を大事にして焦がさないようによく混ぜる。ジャガイモもチキン(表面を焼いておく)も蒸すようにして熱を通すところが大事だと勝手に思っている。

 ふだんは、簡単に出来合いのカレー粉を使ってしまうが、こうやってちゃんとスパイスを入れて作るとそれぞれが香り立ち鼻をくすぐる。大人用にするときは、唐辛子粉を多く入れ、塩味も好みで量を調節するといい。

 トマトの酸味がすっきりとした味わいにしているし、ジャガイモがホクホクしていてとっても美味しい。

 私のうちのコメは玄米で小豆を入れて炊くので、こんな色をしているけれど、もちろんバングラデシュでは、白米、長粒種とは限らないそうだ。

 

 この日は、夏に予定していたハートカフェが、台風で中止になったのでその代わりに会場の都合で縮小しての開催。ハートカフェというのは、世界について平和について考えようという取り組みの一環。

 プログラム

 1中村雄子さんの被ばく体験のお話

 2ロヒンギャ支援緊急募金報告会

 3バングラデシュカレーを作ろう

 4ラオス語絵本作り

 5フェルトでブローチを作ろう

 6伝統刺繍「ノクシカタ」体験

 7エレナさんのえいごで絵本の読み聞かせ

 このプログラムの中から時刻表で重ならないカレー作りとロヒンギャ報告会と「ノクシカタ」体験をさせてもらった。

 「ノクシカタ」刺繍

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 この伝統刺繍は、古くなったサリーに使った布を2,3枚重ねて布を丈夫にして再利用するための刺繍で日本の刺し子にあたる。並み縫いがほとんどで単純だが、図案、色も独特。フランス刺繍のような華麗な感じはないけれど、温かい感じがする。たかが並み縫いだけれどこれだけ刺すのにも膨大な時間を要する。私は、結局風車のような花の花弁を4周くらい刺しただけで30分が終わってしまった。

 

ロヒンギャ報告会

 生協でロヒンギャ緊急支援カンパを取り組んだので、その報告がユニセフとシャプラニールから映像を交えて行われた。

 ロヒンギャの人たちは、ミャンマーから追い出され、ミャンマーとの国境にあるバングラデシュの街の難民キャンプで暮らしているがバングラデシュでも定住は認めないという。この地域は、ビルマと呼ばれていた頃はイギリスの植民地、第二次世界大戦の時は、日本が占領していたり、なかなか複雑な問題を孕んでいるような気がする。

 ロヒンギャの人たちは、安心して暮らす場所が見つからない。竹の骨組みにシートをかぶせただけの家がほとんどで、雨期に入ると老朽化した家はひとたまりもない。食料(粉ものがほとんどで、生鮮食品は見られない)水、トイレなど課題が多いという。子どもの教育は言わずもがな。

 シャプラニール(蓮の花の家という意味のベンガル語)は、ロヒンギャの難民の支援が緊急なので取り組みを開始しているが、基本的にはバングラデシュやネパールを中心にした活動をしている国際協力NGO

 創立45周年を迎え、「誰も取り残さない。」というスローガンをかかげ、

1、子どもの権利を守る。

2、災害に強い地域をつくる。

3、フェアートレードを通じ共生できる社会をつくる。

 この日は、フェアトレードの商品の展示即売もあり、私はシャプラニールからバングラデシュとネパールの女性の自立を目指して作っている石鹸やリップバーム(1000円ほど)ラオスからは絹の布の箸袋(1800円)を購入した。ふだん普通のお店でアジアの製品を買うととても安い値段で買えるが、フェアートレードの商品は安全で安心な材料を使っているし、比べると高い。その差がフェアーかそうでないかを表わしているのではないだろうか。

 日本政府は、労働力が足りないからとよく審議もしないうちに強行採決までして外国人労働者を受け入れようとしているのに、こうした行き場のない難民の受け入れにはものすごく消極的。もうすでに日本は移民の国になりつつあるのだから、本当に困っている難民受け入れに積極的であるべきだと思うのだがどうだろうか。

 イエメン、パレスチナロヒンギャ・・・子どもに食べ物が届かず命が奪われている国がなんてたくさんあるのだろうか。年の終わりに寂しい話になりました。

 今年も拙いブログをご覧いただきありがとうございました。

 

山手西洋館クリスマス

 20日の木曜日、横浜駅に用事があったついでに山手に寄ってきました。

 クリスマスの対象の国が毎年変わるので、まだ知らない国があるとちょっと見てこようかということになるのです。

 今年は、エストニアモナコが気になりました。

 エストニアは、バルト3国のうちの一つで古い街並みが美しいと今年夏に行った友人から聞きました。クリスマスのツリーを飾り始めた国だそうですしクリスマスマーケットはとてもにぎわうのだそうです。今年は、111番館で展示されていました。

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 窓辺に下がっていた 民族衣装を来た女性の人形が気に入りました。

 

 もう一つ気になっていたのが、モナコ公国。エリスマン邸の食堂に注目しました。

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 モナコでは、クリスマスにはオリーブの葉をデザインしたパンを用意してその上に5個~7個のクルミを十字架の形に並べ、その家の主人にあたる人が切って家族に配るのだそうです。パンの横にはオリーブの葉が置かれています。パンは、キリストの体を表わす神聖なものですからこのパンには特別の思いが込められているようです。

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 モナコのクリスマスの伝統的なお菓子にフガスクッキーというのがあるそうです。

 このクッキーは、アニスとオレンジのつぼみで香りをつけた水を使って作り、焼いたクッキーの上にも赤と白に色づけしたアニスの種を飾ります。左の鳥は男の子用、右は女の子用だそうです。

 イタリア山外交官の家は、スペインのクリスマス。

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 スペインは、カトリックでもあるので、アメリカナイズされたクリスマスとは一線を画しているのか、やはりキリスト生誕を祝うものとしてクリスマスがあると聞きました。暖炉の前にヨゼフとマリア、真ん中にイエスキリストという古典的な飾りが設えてありました。

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 食卓に目を移すと、スペインのお菓子が盛られています。係の人に聞いたら、トゥロン、アサパン、ポルポロンという3つのお菓子だそうです。

 (トゥロンはアーモンドとハチミツ、アサパンはアーモンドと砂糖と玉子を使った菓子、ポルポロンは、小麦粉とラードと砂糖を使って作る)

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 もう一つは、クルミなどの木の実が食べられるそうです。ディスプレイ用で殻をつけたままのクルミ松ぼっくりや飾り用の赤い実が置かれていますが、本来はすぐつまめる状態のものが置かれるのだとか。伝統的なクリスマスの食べ物というのは、たいへん質素な感じがしました。

 スペインでは、1月5日がクリスマスのお祝いをする日になっているのだとか。

 最後は、外交官の家の隣にあるブラフ18番館。ノルウエーのクリスマスです。

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 もう4時45分、いつの間にか月も上ってきてイルミネーションがきらきらと輝きはじめました。

 入口で、「あと10分ですから階段の上り下りには気をつけて回ってください。」と言われ、そそくさと中へ入りました。

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 部屋は花の香りに満ち満ちていました。ヒヤシンスの香りです。ノルウエーは、ヨールといって、冬の間昼間の時間が極端に短いので、冬至を境にこれから春に向かっていくのだというお祭りの意味も込められているのだそうです。

 本当は、どうなのかわかりませんが、ヒヤシンスやアマリリスを球根のまま植えこむアレンジメントがあるのだとか。

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 モミやモス(こけ)を間に敷き詰めてオーナメントを置くとクリスマスの飾りに変身です。とにかく家の中が花の香りでいっぱいになるのでいいかもしれないなと思いながら5時の鐘を聞き、急いで出ました。

 近頃は、本当の国の事情がどうなのか分からないくらい担当のフラワーアーティストさんたちがきれいに飾りつけをするので、正直言ってどこまでがその国を表現しているのかわからなくて係のボランティアの方にお聞きすることが多くなりました。その国の本来のクリスマスを紹介するのだとしたら、もう少し忠実に計画をしてくれるとありがたいなと思いながら帰ってきました。

 

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 夕方図書館に「養生訓」という貝原益軒の本を返却に出かけました。日ごろから食は少な目にしてという養生訓の教えに背いてケーキ屋の前を素通りできずにボッチ用のミニデコを買って食べてしまいました。本当に益軒のいう内欲に弱くて・・・

 

「Tara Books」の本

 ずいぶん前の話になります。

 11月の末に学生時代の友人から、同じくクラスメートだった方の娘さんがインドの出版社「Tara Books」から本(日本版が11月1日)を出版したのでその出版記念の展示に行かないかとのお誘いがありました。

 2001年だったか私もインドのチェンナイに息子が出張していたのを利用して結構長く滞在していたことがあったのを覚えていてくれたので関心があるのではないかと思ってくれたようです。

 出版された本は、「南インド・キッチンの旅」といいます。

 旅人にとって一番見えなくて遠いのはキッチンではないかという発想から、3か月間キッチンを取材し、見取り図から料理のレシピまでを丁寧にまとめた本です。

 著者の斎藤名穂さんは、建築家でありデザイナーでもある方で、板橋区の美術館で行われた「Tara Books」の展覧会の展示デザインなども手掛けられたそうです。

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 その出版記念展示があったのは、「Books and Modern」、六本木から乃木坂に下ったところにあります。マンションの2階部分で、知る人ぞ知るというユニークな本を集めている本屋さんのようでした。

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 ディスプレイされていたのは カレーリーフの木、調理器具、食器、カレーに使われているスパイス類です。インドの映画「スタンリーのお弁当箱」「めぐり逢わせのお弁当」にも出てきたようにインドで使われている食器は、ステンレスが多いです。理由はよくわかりませんが、歴史的なことが関係しているのではないかと思います。

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 あとは、壁に描かれたおそらくキッチンのトビラの絵とチャイの写真だけがディスプレイであとは、キッチンと料理するご婦人のようすがプロジェクターで映し出されていました。展示がこれだけというのはなんだか物足りない気がしました。あとは、本を購入して見てほしいということなのでしょう。

 どうしようかと迷っていたら、その本のそばに「Tara Books」から出版されている絵本があるのを見つけてしまいました。

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 その中の1冊がこの「世界のはじまり」という本です。バッジュ・シャームは中央インドのゴンド地方に住む代表的なアーティストだそうです。もともとゴンドの人たちは代々口承で話をつたえてきた森の民。家の壁などにその世界観を絵で表わしていたものをギーダー・ヴォルフが絵本にまとめることを提案してできたのがこの本。

 どの民族にもある創生の話です。が、日本の神話のように神様は出てきません。表紙は水の泡の中に生まれる前の魚、やがて創生主が大気を送り込み・・・と話が続いていきます。短い言葉と圧倒的な絵柄で想像性をくすぐります。

 

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 短時間でひきつけられた理由の一つは、紙の質感。凸凹があってほっと安らぎます。 材料は、木綿や麻の手すきの紙です。

 次に印刷は、シルクスクリーン、一枚一枚が手刷りです。左から裏表紙、ちらっと本文。

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 そして糸を使って綴じてあるのがお分かりいただけるでしょうか。

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 版画にあるように1さつ1さつにナンバーが付いている。

 1179冊目の本を私は購入しました。この工程を考えると3600円(+税)もそんなに高いと思いません。

 この本をはじめ「Tara Books」の本は、イタリアのボローニャで賞を取ってからは日本でも大手の出版社が名乗りを上げてきたが、一番初めから注目していたタムラ堂を優先的に考えてくれたというのもいい話だと思ったしだい。

 2冊は買えないので、斎藤さんのキッチンの本は、友人に貸してもらうことにしました。こんな本がまだこの世の中に出ていることが奇跡的なことのように思うのはわたしだけでしょうか。

 

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帰りにミッドタウンでお茶を飲んで帰ったのですが、こんなツリーがありました。サンタクロースのオンパレードです。左上にそりに乗ってお出かけ中のサンタもいました。

*近頃目もめっきり悪くなり、後から読み返すと誤字が多いのにびっくりします。大変申し訳ないのですが、お許しいただけるとありがたいです。)

ドキュメンタリー映画「タリナイ」

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 9日の「東京原発」の前の回の映画がこの「タリナイ」だった。

 まだ30才という大川史織さんの初監督作品だ。

 監督は、高校3年生の時にマーシャル群島へ行く機会があったそうだ。その時に女性たちがウクレレを弾きながら聞かせてくれた歌のことを日本の人に伝えたいと思ったことが映画を撮ろうとしたきっかけになったと終了後のあいさつで話してくれた。

 女性たちが歌っていた歌は、「コイシイワ」。歌い出しの言葉は日本語。自分は、マーシャルのことを何も知らなかったのに、マーシャルの人たちは、日本の言葉で歌を歌っている。このことが大川監督をマーシャルにぐっと引き寄せたようだ。

 マーシャルは、30年間日本の委任統治領だった。その時代は学校でも日本語を教えられていたので、ある女性が日本に帰る恋人への気持ちを歌った歌だということが調べているうちにわかった。

 監督は、大学卒業後マーシャルに3年住み、ドキュメンタリーのフィルムを撮りためていったが作品として発表はできなかったようだ。

 今回の作品は、マーシャルへ行きたいという74才のある男性との出会いから生まれた。彼の父親は、兵隊として戦地のマーシャル群島へ赴き、死ぬ数時間前まで毎日日記を書いていた方だったとか。亡くなったのは、もうすぐ終戦だという1945年4月。飢餓で亡くなられた。

 この辺りで亡くなられた方は、約2万人。そのほとんどが飢餓だと伝えられている。美しい青いサンゴ礁の海を見ているとかつてそこが生き地獄であったということが信じられない気がする。

 日記は、奇跡的に戦友に託されて息子さんの手元に届いた。

 1943年に2才で父親と分かれてしまったので父親のことは記憶には残っていないけれども、手紙や日記に書かれている文章から自分のことをとても慈しんでくれたことを感じて、いつか最後の地をめぐり、慰霊したいという気持ちを募らせていた。

 まだマーシャル群島には、戦後70年以上が経っていても戦争の時の錆びた金属の砲台や、地中に埋められた電線、防空壕の跡などたくさんの物が残されている。一体だれが片付けるべきものなのだろうか、ふと考えてしまった。とりあえず危険はないので、子どもたちが遊ぶ道具として使ったり、電線は掘り出して手工芸作品を作る材料にしたり、現地の人たちは屈託がない。

 この映画のタイトル「タリナイ」という言葉、私は食べるものがないことを表わしたことばだと想像していたのだが、この言葉は、「戦争」を意味する言葉だった。

 

 マーシャルの人は戦時中の辛いことをあげつらうこともないが、日本人があまりにも南方の島々の過去のことを知らなすぎるとことを恥ずかしく思った。南の楽園は、リゾート気分で行くことしか関心がない日本人にはなりたくない。沖縄にも同じことが言えるのではないだろうか。折しも、今日は辺野古に土砂が投入された。

 下の写真は、大川監督。

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「東京原発」シネマリン4周年記念上映

 原発繋がりの話題です。

 昨日は、横浜市内の名画座「シネマリン」の4周年記念日にあたり、オーナーが選んだ映画「東京原発」が上映されました。会員は、乾杯のドリンク付きでただ。(私は会員ではないので1000円払って観ました。)

 先週まではこの日先約があって観に行けないなとがっかりしていましたが、予定が変更になり観ることが叶いました。私はかつてこの映画が上映されたことを全く知りませんでした。

 この映画は、2004年に制作され、2年上映されずにオクラ入りの映画だったらしいのですが、2006年に上映されたと聞きました。たぶん、中に出てくる原発関連の国の情報は正しい記録として語られていたので、きっとあちこちから余計な圧力があったのではないかと思います。

 東京都が舞台ですので、都知事役が役所広司、副知事や秘書、都の各部局長などの訳者さんもよく知った方々です。ある日、都知事原発を東京に設置するという突拍子もない案を会議に提案するところからこの話が始まります。監督が都知事役には、すごみがあってしかもコミカルなところもある役所さんと決めていたのも頷けます。東京に原発をという提案がどんな展開になって行くかはお楽しみです。

 といっても、この先この映画がどこで上映されるのかは未定です。

 上映後のトークに山川元監督もお見えになり、映画のいきさつなども聞くことができました。監督は「この時は原発に反対でもなんでもなくエンターテイメントとして作った映画なんです。社会派の映画をめざしても皆さんに観てもらえなければどうしようもないし、今日は、随所で笑ってもらえてよかったと思いました。」と話されました。

 2011年前に作られた映画なのに、原子力安全委員会の先生が「絶対に原発は安全です。」などという発言には、パロディか何かのように思えてしまいます。

 1954年「原子力基本法」が制定されたあと日本の原発が進められてきたので、副知事が広島出身という設定だったせいもあり、「原爆が投下されて10年も経たないうちにこんなことが決められていったのか。」という発言もありました。

 印象的な言葉は、都知事が「東京都民が一番電気を使っているのに、一番無関心なんだ。」という言葉でした。

 シネマリンという映画館は、比較的多いかもしれませんがドキュメンタリー映画ばかりやっているわけではありません。宣伝費をたくさん使って上映される映画館では取り上げられない映画、まだ若くて社会に認知されていない監督の映画などを取り上げる本当に上質な名画座ですから経営は楽ではないはずです。

オーナーは、女性。映画がとても好きというだけで、映画館経営は全くの素人だったにもかかわらず、4年続けられたことで喜びもひとしおだったに違いありません。私も1か月に1,回か2回はこの映画館にお世話になっているので、ずっと続いてほしいと願っています。

福島の旅 その3

 続きです。

 昼食後、バスで飯館村へ移動しました。

 土湯から下って福島市を横断し、東方向へ登って行きます。飯舘村は、標高500m阿武隈高地に位置しています。東京でいうと、高尾山よりも100mばかり低い高いところに位置していますが、山の中というより平坦で開けている高原のような感じの場所です。かつては小高い丘のような山に囲まれ放牧している牛がのんびりと草を食み、川に沿った地域では稲作が行われ、花卉栽培も盛んで本当にのどかな村だっただろうと想像できます。

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 一見、稲を刈り取った後の田んぼのような気がしますが、田んぼを除染するために草を刈り表土をはぎ取った後のようすだと聞きました。

 除染は、田んぼや畑のみで、周りの畔は対象になっていないし、まわりの山はもちろん対象外ですから、農作業をする方々が安心して作業できる満足な状態ではなさそうです。 

 飯舘村は、福島原発のある所から40㎞離れており、当初避難区域から避難してくる人たちの避難場所だったとも聞いています。爆発の数日後に降った雪で空気中の放射性物質が降り積もり、高濃度の汚染に至ったようです。

 ほかの町や村よりもずっと後の4月11日になってようやく全村避難命令が下されたといいますから早めに避難できなかった子どもたちにとっては深刻です。

 昨年の4月に一部地区を除き、居住制限区域に格上げ?され帰還が可能になりました。

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 村に入って初めて目にした立派な建物は、この道の駅「までい館」です。”までい”というのは、丁寧に 手をかけて ・・・・というような方言で、この村では収穫した農産物を使って味噌や漬物など手作りで何でも作ったといいます。

 コンビニが1つしかなかった村に帰ってくる人の呼び水になるようにとの願いで作られた鳴り物入りの道の駅だったのでしょうが、約6000人住んでいた村民のうち戻って居住しているのは約600人、それもほとんどは、お年寄りだということです。

 ここで、この村に「飯舘電力」を立ち上げられた役員の方と合流して案内していただきました。この方は、前回紹介した「元気アップつちゆ」の立ち上げにもかかわられた方でした。

 2014年に再生可能エネルギーとしてソーラーシェアリングという手法を活用した「飯舘電力」を立ち上げたそうです。4年目にしてやっと利益が出たので、今年初めて土地を提供してくれた地権者や出資してくれた方々にようやく地代や配当を出すことができたことが明るい話だとおっしゃっていました。

 この「飯舘電力」設立にも地域の方々の出資を受け、太陽光発電のパネルの設置工事、草刈りなど必要な仕事は地域の業者さんからという方針で雇用にも繋げているとお話されていました。

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 フレコンバッグが積まれている畑です。たてに4段積まれているうち一番下と一番上は、他から持ってきた土のフレコンバッグで、除染したものは挟まれた中の2段、また一番外側になる部分も除染した土ではないもの、それをまた緑色の厚いシートで覆っているようすです。

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 緑のシートの上ににょきにょきと出ている黒い煙突は、フレコンバッグから出てきたメタンガスを放出しているものだそうです。野積みしてからずいぶん時間が経っているようです。そのうち中のフレコンバッグやシートが破れてくるのではないかと心配になります。仮置き場から撤去されるのはいつのことになるのか、これも大きな課題です。

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 白くなったところは、以前は後ろに見えるような山でした。除染のフレコンバッグを囲むために山を崩して土を掘りだした跡だと聞きました。工事現場か何かのようでほとんど山らしい形跡はありません。

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 フレコンバッグ本体です。たぶん、これは山の土を崩して作ったフレコンバッグだと思いました。 

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 ここで一度バスを降りました。

 この建物は、老人ホームだそうです。震災で全村避難地域に指定されても、ここにいたいという方がたくさんいらして、その方々が住んでいらっしゃるとのことでした。介護職員は、福島や近隣のところへ避難しているので、そこから通って介護をしていると聞きました。介護職員も大変だったでしょうが、避難して病気を患い辛い思いをしているお年寄りがたくさんいると聞きますから、私でもずっといる方を選ぶかもしれません。ちょうどドウダンツツジが真っ赤に色づいていました。

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 その老人ホームの土手になるところに太陽光パネルが設置されていました。このように高さが低いパネルは、「野立て」というのだそうです。パネルの下の部分は何かに利用できるものではないタイプです。

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 バスの車窓から、農家の庭先や畑にこういったタイプの太陽光パネルがあちこちで見られます。農地と発電をシェアするので、「ソーラーシェアリング」というそうです。

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 ここは、この会社の社長さんの家の庭というか畑です。ソーラーシェアリングになっています。冬に雪が降らないようなところでは、このパネルの角度はもっと開いていて太陽光を効率的に受けられるようにするのだそうですが、ここは冬は寒く雪も降る地域なのでそれを計算した角度になっているそうです。

 大手の会社がやはりこの村に広大な土地を使った太陽光パネルを設置しているそうですが、雪を計算していないので、開いているパネルになっているので、「雪が降ったらどうするのでしょうね。」と言っておられました。「飯舘電力」は、パネルの下の草刈りもメンテナンスも地元企業にやってもらうそうですが、大手さんは、経済のことだけで地元の雇用を創出させることなどに関心がないようです。

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 現在は生み出された電気は、このパネルのそばにある電柱のところから、東北電力へ流れて行くのだそうですが、今よりも容量の大きな電気を蓄電するバッテリーが安く手に入るようになったら、コンセントのところからバッテリーに充電させて、自前で電気を販売できると夢を語っておられました。

 自動車も自前で蓄電池を備えることができれば電気自動車が一番いいと思いました。空気を汚さないから温暖化にも寄与するし、早くそういう時代が来ないかと思いました。

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 社長さんは、お留守でしたが牛が10頭ほどおりました。かつて飯舘村は、飯舘牛というブランド牛の産地でその復活を考えているのだそうです。今のところ、定期的に血液検査をしているが問題がないと話されていました。ソーラーシェアリングの下に生える草が牛たちのエサになるのです。

 写真が撮れませんでしたが、小中一貫教育を目指す学校ができていました。時計台が据え付けられたおしゃれな立派な校舎です。「ここに今90人が通っていますが、この村に子どもが何人住んでいるでしょうか。」と質問されました。私は、「100人くらいですかね。」と答えますと、だれも住んではいないということでした。みんな他地域からバスに乗って通っていているのだそうです。しかも学校が終わった後は、東京から呼び寄せた塾の講師の先生が試験勉強をみてくれるおまけもついています。塾も無料です。

 そうやって帰還を促しているのかもしれませんが、子どもを抱える親は、フレコンバッグが野積みされているそばに住むことは不安で仕方がないはずです。

 かつての1割しか住民が帰ってきていないのに、予算はその頃の5倍も付いているそうです。村長は、この学校だけでなく公民館、道の駅などお金をかけた箱ものづくりに熱心だそうです。帰りたくとも帰れない人たちは、避難している自分たちには何も還元してくれないと不満が出ているということも聞きました。

 今の村の方針でいいのか考えてしまいます。

 2010年に飯舘村「日本で最も美しい村」連合に加盟したそうですが、翌年、皮肉にも原発の事故が起きて、村は全村避難となってしまったのです。

 長いレポートにお付き合いくださった方々ありがとうございました。