ドキュメンタリー映画「タリナイ」

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 9日の「東京原発」の前の回の映画がこの「タリナイ」だった。

 まだ30才という大川史織さんの初監督作品だ。

 監督は、高校3年生の時にマーシャル群島へ行く機会があったそうだ。その時に女性たちがウクレレを弾きながら聞かせてくれた歌のことを日本の人に伝えたいと思ったことが映画を撮ろうとしたきっかけになったと終了後のあいさつで話してくれた。

 女性たちが歌っていた歌は、「コイシイワ」。歌い出しの言葉は日本語。自分は、マーシャルのことを何も知らなかったのに、マーシャルの人たちは、日本の言葉で歌を歌っている。このことが大川監督をマーシャルにぐっと引き寄せたようだ。

 マーシャルは、30年間日本の委任統治領だった。その時代は学校でも日本語を教えられていたので、ある女性が日本に帰る恋人への気持ちを歌った歌だということが調べているうちにわかった。

 監督は、大学卒業後マーシャルに3年住み、ドキュメンタリーのフィルムを撮りためていったが作品として発表はできなかったようだ。

 今回の作品は、マーシャルへ行きたいという74才のある男性との出会いから生まれた。彼の父親は、兵隊として戦地のマーシャル群島へ赴き、死ぬ数時間前まで毎日日記を書いていた方だったとか。亡くなったのは、もうすぐ終戦だという1945年4月。飢餓で亡くなられた。

 この辺りで亡くなられた方は、約2万人。そのほとんどが飢餓だと伝えられている。美しい青いサンゴ礁の海を見ているとかつてそこが生き地獄であったということが信じられない気がする。

 日記は、奇跡的に戦友に託されて息子さんの手元に届いた。

 1943年に2才で父親と分かれてしまったので父親のことは記憶には残っていないけれども、手紙や日記に書かれている文章から自分のことをとても慈しんでくれたことを感じて、いつか最後の地をめぐり、慰霊したいという気持ちを募らせていた。

 まだマーシャル群島には、戦後70年以上が経っていても戦争の時の錆びた金属の砲台や、地中に埋められた電線、防空壕の跡などたくさんの物が残されている。一体だれが片付けるべきものなのだろうか、ふと考えてしまった。とりあえず危険はないので、子どもたちが遊ぶ道具として使ったり、電線は掘り出して手工芸作品を作る材料にしたり、現地の人たちは屈託がない。

 この映画のタイトル「タリナイ」という言葉、私は食べるものがないことを表わしたことばだと想像していたのだが、この言葉は、「戦争」を意味する言葉だった。

 

 マーシャルの人は戦時中の辛いことをあげつらうこともないが、日本人があまりにも南方の島々の過去のことを知らなすぎるとことを恥ずかしく思った。南の楽園は、リゾート気分で行くことしか関心がない日本人にはなりたくない。沖縄にも同じことが言えるのではないだろうか。折しも、今日は辺野古に土砂が投入された。

 下の写真は、大川監督。

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