旧東海道を歩く・・・戸塚宿

  東戸塚から国道一号線へ出ると、すぐに左側へ旧道は入ります。歩いていると富士山がうっすらと見えました。先週の月曜日の雪で一段と下の方まで真っ白になっています。昔は、周りに何もなかったので、この辺りからは、大きく富士山が見えたのでしょう。

 やがて、渋滞で有名な不動坂へ入り、また旧道へ入っていきます。しばらく歩くと、右手に「鎌倉ハム」の発祥地があります。明治になってイギリスのカーチスという人がこの近辺の柏尾村に外国人専用のホテルを作ったので、観光客に出すハムを作ったのが始まりといわれています。このレンガの建物は、大正7年に建造されたそうです。

 f:id:yporcini:20130120122718j:plain

  やがて道は、また現在の一号線に入り、右側のファミレスの前に戸塚宿の江戸見付跡を見つけることができます。戸塚宿の役人は、江戸から大名行列が入るときには、お迎えに出るところです。ここから上方見付まで3,5キロあったということなので、保土ヶ谷宿よりも宿内が長く、こちらの宿場の方が栄えていたということなのかも知れません。偶然なのか、どちらもファミレスの敷地の中にあります。

 f:id:yporcini:20130120124001j:plain      f:id:yporcini:20130120134024j:plain

  江戸見付を過ぎると吉田橋がありますが、歌川広重東海道五十三次の戸塚宿の絵がこの橋あたりを描いているといわれています。今ではとても想像できませんが。

f:id:yporcini:20130120124608j:plain

 戸塚駅へバスで出入りする時には、東口しか利用しないので、今日は初めて踏切を渡って、西口へ行きました。ここの踏み切りは開かずの踏み切りとして有名で、今高架にする工事をしています。

 戸塚宿もこの辺りが中心であったようで、本陣跡、脇本陣跡と続き、先ほどの上方見付へと続いていきます。建物として残っているのは、お寺と神社のみでしたので、戸塚の鎮守富岡八幡宮の写真を見てください。この神社の上の墳墓は、ここの祭神の1人、「富属彦命(とつぎひこのみこと)」の物だとされています。その墳墓「富塚(とづか)」を、「戸塚(とつか)」と呼ぶようになったのが戸塚の起源だといわれています。

f:id:yporcini:20130120133208j:plain

 ここを過ぎると、大坂と呼ばれる坂道が続き、藤沢へと繋がっていきます。何か街道のお楽しみがないかと和菓子屋さんをのぞいてみたら、かつてワンマン首相といわれた「吉田 茂」が、藤沢の家と東京を車で往復する際に先ほどの開かずのふみきりを通らざるをえなかったので、藤沢からこの踏切を通らなくてもいいように作ったバイパス道路が今は不動坂へ繋がっています。昔の政治家が通したといわれる道は、全国にいくつもあるのでしょうが、この道路もその一つなのでしょう。この道路を人々は、「ワンマン道路」と呼んだそうで、この和菓子屋「吉田屋」さんでは、「ワンマン道最中」を作っていました。偶然でしょうが、吉田という名前も面白いと思いました。

f:id:yporcini:20130120191823j:plain

 デザインは、車のタイヤで、吉田屋と書いてあります。この和菓子屋さんは、創業90年過ぎているといいますから、この辺りでは、老舗といわれるお店です。旅籠だったお店も何件かあるようですが、ほとんど残っていないそうです。

 今日は、片道しか歩きませんでしたが、18000歩を越えました。帰りは、バスで30分の道のりでした。