図書館に予約をしていたこの本、なんと私のところへ来るまでに、半年以上かかりました。 今をときめくこの二人の対談というので人気の本だったようです。
春に「ボクの音楽武者修行」という小沢征爾の本を読んだのがこの本を読むきっかけとなりました。彼は、ヨーロッパの音楽をやるについては、本場を見てこなくてはという気持ちで日本からスクーター一つを持って貨物船に乗ってヨーロッパに行きました。ブザンソン国際指揮者コンクールで入賞したことがきっかけで、その後カラヤンやバーンスタインに認められていく様子を描いた自伝的エッセイです。
今回のこの本は、小沢征爾が食道ガンで手術をした後の療養をしている時からちょっとの時間を見つけながら対談をして、村上春樹が文章としてまとめた本のようです。
まず、驚いたのは、村上春樹がものすごくクラシック音楽に詳しいということでした。はじめの対談では、ベートーベンのピアノ協奏曲第3番をめぐってレコードを聴きながらの話から始めるのですが、グールド、ゼルキン、カラヤン、バーンスタインなどが演奏する音楽の違いを小沢征爾と対等に語ることができるのです。確かに音楽を作る方と聴く方ですから、自ずと違う視点にしても、すごすぎます。
村上春樹は、ジャズに詳しいと自分でも話しているのですが、なんとクラシックも相当なもので、うちにたくさんのレコードやCDを持ち、コンサートにもよく行かれるのだそうです。
興味深かったのは、村上春樹が音楽と文章との関係を述べているところです。音楽的な耳を持っていないと文章はうまく書けないし、相互的に聴くことで文章がよくなり、文章をよくしていくことで、音楽がうまく聴けるようになるのだそうです。
大事なのは、リズム。
言葉の組み合わせ、センテンスの組み合わせ、パラグラフの組み合わせ、硬軟、軽重の組み合わせ、均衡と不均衡の組み合わせ、句読点の組み合わせ、トーンの組み合わせによってリズムが出てきます。(この辺りは、そのまま文章を引用しています。)
そんなに音楽と文章を書くことに密接な関係性があるというのは驚きでした。
小沢征爾は、とにかく指揮をすることになった音楽については、とことん楽譜を読みこむことが大事だといっています。そこにすべてがあるというのです。村上春樹に楽譜の読み方を勉強すると音楽をもっと違った視点から聴けると進めている場面がありました。
小沢征爾のすごさは、自分の常任のオーケストラのみでなく、サイトウキネンコンサートを組織し、毎年のようにコンサートを開き、近頃では、自分が充電すべき夏の休暇期間に、日本の長野県で、あるいはスイスの小さな町で、若い音楽演奏家を集め何人かの一流の演奏家の手を借り学ぶ機会を作っているということです。おそらく現役の指揮者でそういうことをしている人はいないだろうということです。後進を育てる仕事が重要なことを身をもって感じていたからなのでしょう。
小沢征爾は、今回の対談で村上春樹というアマの人との間で自分とは違うけれどもとても参考になったと言っています。そしてこんな印象深い言葉を残しました。
プロとアマを隔てる壁はかなり高いものです。音楽というのは、それだけ裾野の広い懐の深いもの。壁を抜ける有効な通路を見つけていくことが何より大事な作業になってくる。どのような種類の芸術であれ、自然な共感がある限り、そこには必ず通路が見つかるはずだと。
村上春樹の本は、「ノールウェーの森」以来読んでいませんが、4月に長編を出版するという話を2,3日前のニュースで耳にしました。読んでみようかとちょっと心が動いています。