八雲神社 お盆なので、お墓の掃除をしなくてはと、昨日は、午後から鎌倉へ出かけました。
朝からミンミンゼミデビューで、梅雨明けかなと思ってしまったのですが、少々雨がパラパラした時間帯もありました。
着いた頃には、すっかりいい天気で、海の方からにぎわいが聞こえてくるような気がしました。
途中通っていく大町の家々の玄関には、お祭りの提燈が飾られ、八雲神社のお祭りなんだと思いました。
大通りからちょっと路地を入ると八雲神社があります。
昔、この辺りに疫病がはやり、京都の祇園さんにお願いしてようやく収まったとのことで、八雲神社の裏の山は、祇園山、お祭りは、祇園祭と呼ばれているようです。
”悪疫退散、招福繁昌” が約束されると伝えられている伝統的なお祭りです。
起源は、鎌倉時代前のようですが、今のお祭りの形式になったのは、ここ100年くらいのようです。
12日の日には、このお神輿が、町を渡ったのですが、今日は、陳列されているだけでした。
これと同じようなお神輿が4社あり、12日の夜には、お神輿の前と後ろに提燈を飾って横一列に並んで渡るそうですから、その姿は、美しく幻想的だと言われています。
来年覚えていたら、初日の夜に来てみたいと思います。
八雲神社の前の道をそのまま北の方へ歩くと 妙本寺へ辿り着きます。
妙本寺
妙本寺は、鎌倉でも一番紫陽花が咲くのが遅いと言われています。
もうすでに剪定をしてシーズンを終えているというのに、
ここの紫陽花は、まだブルーの色が残っています。
夕方の光ですから、よく撮れていませんが、
その向こうに見える大きな本堂の手前に、
朱色のノウゼンカズラが入るので、
花の写真を撮る人には人気があるスポットのようです。
本堂は、残念ながらブルーシートが被さって一部工事中でした。
うっそうとした木々の陰に
埋もれている山門の彫刻のところだけが明るくなっていました。
妙本寺は、鎌倉では、最大の本堂を持つ日蓮宗のお寺です。
ここには、源氏の有力な御家人だった比企一族の屋敷がありました。
北条氏との権力争いに負け、追い詰められた一族がここで自害をしたという悲しい歴史を背負っている谷でもあります。
鎌倉は、本当に権力争いが絶えなかった場所でもあり、狭い範囲で大勢の人が死んでいるので、あらゆるところに骨が埋まっているという話です。
比企谷を下りながら、いつの時代も権力を持つ、あるいは、持とうとする人間は、同じようなことを考えるのかと、ふと今の政治状況と重ねて考えてしまいました。