姫檜扇水仙
昨日は、お盆を前にお墓の掃除をしてお参りに行ってきました。
供えるお花は、実家の庭から持って行くことが多いです。
今回は、今まで時折咲いていたのを目にしながら名前を知らずにいたため
無関心だったこの 姫檜扇水仙(ひめひおうぎずいせん)を持って行きました。
5月三渓園特別公開の際、月華殿のふすま絵に描かれていた 檜扇 に
心惹かれたのがきっかけで、この水仙の名前を知りました。
葉は貴族の姫君が持つような檜扇(ヒノキで作られた扇子)の形をしていて、
花弁は、やはり6つに分かれ、色も朱色です。
きっと、皆さんのうちの近くでもよく見かけるのではないでしょうか。
ある県では、持ち込みが禁止されているという不憫な花でもあります。
そういう私も、今まで夏の暑い頃咲く雑草くらいにしか思っていませんでした。
名前とか由来とかを知ると、愛着が生まれてくるのが不思議です。
今年からは、お盆の花の第一候補となりました。
さて、前置きが長くなりましたが、
これと退色して黄緑色になった西洋紫陽花のアナベルを持って出かけました。
海開きが終わって2週目、
鎌倉は、紫陽花フィーバーの人の波が引いて、
まばゆい光があふれる海の街へと変身していました。
そんな中、私は日傘をさして、炎天下黙々とお墓を目指して歩きました。
お墓のあるお寺の庭は、緑の影が濃く、季節の移ろいを感じました。
ほとんどが芯だけのタイサンボクの中に、白い花が一つだけ残っていました。
きっとこの花弁が落ちるころ、梅雨が明けるのではないでしょうか。
緑が濃いのはいいのですが、お墓の植木も(うちの場合、金木犀)
よく繁茂してくれていて、恒例の剪定に2時間もかかりました。
だんだん、どこを切り落としていけばいいのかわかるようになってきましたが、
やっぱりたいへんです。
お花とお線香を供えていると、下の方から祭囃子やお神輿の掛け声が
聞こえてくるではありませんか。
子どものように心が騒ぎ、急ぎ下へ降りて行きました。
祭囃子を追いかけるように歩いていく道に、こんな標識がありました。
ちょうど、分かれ道になっているところです。
確かにここから南へ歩いていくと海がありますが、
こんな標識は、初めて見ました。
街の中の軒先には、祭礼提灯が下げられています。
鎌倉は、八幡宮の夏越しの祓いや。年末の大祓い時には、
玄関や門に茅の輪の小さいのを下げたり
各町の季節ごとのお祭りには祭礼提灯を下げたりと
やはり、町全体が神様に見守られている
特別な雰囲気を持つ街だなと感じています。
こんな町には、住んだことがないので、
何となくうらやましい気がするのです。
角を曲がるのが見えたので、行ってみると
ちょうど、給水休憩中。
笛がなり、太鼓が打ち鳴らされ、神輿の出発です。
ここの担ぎ手は、黒い烏帽子に白丁姿に白の足袋姿。
普通のお神輿の装束ではありません。
八雲神社の祇園祭なので、何となくその雰囲気を伝えているのやもしれません。
これは、3台目のお神輿。
頭のお印、私にはギボウシのように見えるのですが‥‥‥
これは、2台目のお神輿。
私には、鶏に見えるのですが‥‥‥
1台目のお神輿。
これは、鳥は鳥ですが、鳳凰かもしれません。
夏の祭礼は、悪病を払うために京都の祇園から勧請したという祇園信仰の
八雲神社(創建は、11世紀)のものです。
午後一時からこの炎天下、町中を回って、
担ぎ手は、肌が赤く焼けている人がたくさんいました。
ご苦労なことです。
一番後に、子どもみこしが通りました。
子どものまわりを親がぐるっと囲っていて、
肝心の子どもが見えない子どもみこしです。
ちょうどJRの踏切を渡って行くところ、西日でぼんやりです。
下馬の交差点でお神輿と別れ、私は、江ノ電の踏切を渡って
由比ガ浜通りを歩いてきました。
この通りは、長谷観音へ続く通りですが、
ここ半年見ないうちにおしゃれなカフェができていたり、
新しい知らないお店ができたりで驚くばかり。
ここ鎌倉の観光地化はどんどん進んで行きます。
しっとりとした街の雰囲気が無くならなければいいのですが‥‥‥