毎朝、目覚まし時計のように明け方になると
「ピロンピロンピロン」と囀る鳥がいた。
アカショウビンかな と思いながら、3日目の朝外に出ると
裏側の電線に赤い鳥が停まっている。
(やっぱりアカショウビンだ!)
初めて見るアカショウビン。
森の中にしかいないと思っていたので本当にびっくり。
もっとちゃんと撮りたかったが、気配を感じたらしく、逃げ去ってしまった。
先日東京湾野鳥公園に行った際、レンジャーさんにお聞きしたところ
奄美にいるアカショウビンは、「琉球アカショウビン」だということがわかった。
琉球アカショウビンは、背中の朱色の羽の上がほんのり紫がかっている。
この辺りにたくさんいたのは、イソヒヨドリ。
普通のヒヨドリと違って、羽の色が青っぽかったり、胸の辺りが赤っぽかったり
色鮮やか。
毎朝庭にやって来ては、虫や幼虫をみつけて嘴にくわえて飛んでいく。
イソヒヨドリも子育て中らしい。
4日目は、名瀬市の大島紬織物協同組合へ行って、実際に織っているいるところを
見させてもらった。
大島紬は、デザインから出来上がるまで、
30の工程を経て半年から1年もかけて作られるものだそうだ。
DVDを見て説明を聞いても、私の想像力がおいつかない。
とにかく途方もなく手のかかる織物だということしか私には、理解ができなかった。
この方の織っているものは、かなり繊細な模様が入っているので
一旦織った後、たての糸と、横の糸を道具を用いてきちんと合わせていく作業をする。
模様が細かければこの作業には時間がかかるので、
一日10センチくらいしか進まないそうだ。
各工程の職人さんが関わり、半年から1年もかかるような織物は、
100万と言われても納得がいく。
軽くて、着崩れがしなくてしかもとても上品な大島紬、
ぜひ手に入れたいと思うが、生まれ変わらないと無理な気がする。
前日の美術館の絵の作者「田中一村」の終の棲家が街の外れにあった。
この家に移った時に、戸にガラス戸を入れたので雨の日でも絵が描けると
一村は喜んでいたという。
大島紬の職人をしながら、お金を貯め、
お金が貯まったら絵を描くという生活をしていたというから、
食べるのがやっとの暮らしだった。
生涯一村を理解し、結婚もせず援助をしてきたお姉さんが亡くなってからまもなく
一村は、69才でここで亡くなったとのことである。
一村は、生きている時には、その絵が理解されず不遇な生涯だったようだ。
梅雨の晴れ間の強い日差しに庭の芭蕉の花が輝いて見えた。
この日のお昼は、うな重の上。
上で2000円は、横浜ではなかなかお目にかかれない。
龍郷町の「大勝」という店だ。
名瀬市では結構うなぎ屋さんを見かけたので、
もしかして、奄美のうなぎかなと淡い期待を寄せていた。、
お店の人に聞くと、以前は育てていたそうだが、手間がたいへんで
現在は、鹿児島から取り寄せているとのこと。
それにしても、よく脂ののったこのウナギ、辛めのたれだが美味しかった。
(まだしつっこくつづく)